幸せの法則 「優しい顔をして近寄る人」だけを信頼しないこと(深田さんを眺めて)



ちょっとしたお知らせ。

当ブログで深田萌絵さんのスピリチュアル話などを紹介した記事は引っ込めておきました。


ここのところ彼女の動画を眺めていてまずい傾向だなと感じたからです。

彼女の元へ怪しい者たちがわんさか集まっている。

当ブログが彼女の主張を全て認め信者となることを推奨したように誤解され、読者様が何らかの被害に遭われたら困るなと思い引っ込めておきました。


★政治知識が高く何事も妄信しない方は別館で深田萌絵さんの記事をお読みください


そもそも100%支持、推奨の記事は書いていませんがね。

私は以前から彼女をフラットな目で見ています。否定も肯定もせず。


彼女の主張そのものは色々と問題がありながらも、一部(一部ね)自身の犯罪体験に関する報告には事実があります。我が国にとって重要な情報です。

それゆえに彼女は貴重な人であり価値ある発信者と言えるのですが……だからこそ、惜しい。

何か誰かから微妙に歪んだ情報を与えられミスリードされている気がします。


まあここではこれ以上は書きません。

政治を離れ一般的な教訓として、彼女の生き方は参考にできる部分があると思うので話題にします。


“是々非々”と口にする人が陥る罠

最近の彼女を眺めていると近付いて来る人々を歓迎し誰でも受け入れていると感じます。

口癖が「右も左も関係ない」「是々非々で受け入れる」。

そして「身近にいてくれる人だけが私の味方」。

つまり優しい顔で近付いて来て握手を求めて来る人、ボディーガードをしてくれて警察署前で叫んでくれる人なら、暴力主義を振りかざしている極左でも味方として歓迎するという意味ですね。嘘の犯罪をでっち上げて死者の名誉を踏みにじり続けている社会活動家も。

実際に彼女はそのような反社たちでも味方となってくれるなら歓迎しているので(反社だと知らないのかもしれませんが)、今まさに有象無象の集団が周りに群がりつつあります。


きっとそれまで味方だと思っていた人々が一斉に背中を向けて離れていくという経験を何度もしたために

「私に優しくしてくれる人、身近にいてくれる人だけが味方」

という考えに至ったのだろうなあと思います。

同情しますが安易で危険な考え方です。


その者が他所で何をしていようが、人類の道義に背く者であろうが、「私の味方さえしてくれるならいい」という定義で受け入れてしまう。

そんな考え方をしていればいずれは凶悪な殺人犯でもテロリストでも手を結ぶようになってしまうでしょう。

言い方は悪いが、それは他人を道具として利用しているだけです。

当然ながら相手も同じ考えで近付いて来ているだけなので、信頼すれば必ず最後には捨てられてしまう。最悪な場合、命を奪われてしまうでしょう。

(左たちがいつも仲間同士・家族同士で殺し合っているのはそういう理由から。誰に対しても絆や愛を持たず、利用し合う仲でしかないからです)


一部にだけ優しければ虐殺王でもOK?

これは全ての人に共通の教訓だと思います。

政治など大きな世界だけではなく狭い社会でも同じです。


たとえば暴力的で誰からも嫌われている男性と付き合っている女性がよく、

私には優しいからいいの」

などと言ったりしますよね。

そのような女性は最終的に自分がDVの被害者となってしまうか、暴力夫の背後で凶悪犯罪をけしかける悪女となりがちです。


それから歴史ジャンルでもよく見かけるのが、

「極悪非道な虐殺王であっても良いこともしているから好き」

と言う異常な考えの持ち主。

ほんの1%の良い政策(それも歪んだ信心による気のせい)があれば、99%の悪行は目に入らなくなって恋してしまうという脅威のご都合主義者さんです。

何百万、何千万の人々が苦しんでも平気。そんな史実は無視。他人の痛みなんかどうでもいいと思っているサイコパスですよね。

虐殺王本人よりも、こういう妄信者たちが虐殺を推進する主体となりやすい。

おそらく“人類の敵”とは虐殺王(虐殺思想)の信者たちのことです。



相手の人格を好きになる人が幸せになる

好きになるのはその相手の人格そのもの、たとえば道義心のある行いなどであるべきではないのでしょうか??

「自分にだけ優しい」や「利用できる相手にだけ優しい」ではなく。


いや恋愛や友情の感情に「べき」はないのだとしても、相手の人格を認めて好きになる人のほうが必ず幸せになるとは言えます。

純粋な好意には相手を利用する気持ちが全くないからです。

そのような人には同じタイプの人が惹かれ結び合えるでしょう。

結果、お互いを想い合い大切にし合う関係が築かれますので幸せになります。当たり前のことです。


きっと遠くにも味方がいる

深田萌絵さんに話を戻すと。

彼女は正義の救世主となるか闇堕ち女王となるか、今とても微妙で危ういラインにいると思います。

どれほど絶望の底に堕ちても“闇”に囚われない方法があるとすれば、人との関わり方を間違えないことですね。

つまり人を道具としてだけ見ないこと。

「身近にいる人だけが味方」

「私に優しい人だけが味方」

ということはない。

遠くから見守っている人、厳しい意見を言ってくれる人の中にも本物の味方がいるのだと気付くべきです。

優しい顔をして近付いて来る者たちは危険だと気付いて欲しい。特に彼女のような狙われる立場にある人には。(背のり工作員が近付いて来て騙された希少な経験を持つというのに、どうしてまだ分からないのでしょうか? 謎 )


今、彼女のような心境となっている人へ古い言葉を送りたいですよ。

――徳は孤(こ)ならず必ず隣有(となり・あ)り


周囲の人だけが全てなのではない。遠くであっても、まだ出会っていなくとも、徳がある人には同じ志を持つ人が必ずいるということ。



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