利き手は転生で引き継がれる? 星座ごとに象徴されるジャンルは?【返信】

 2024/5/9にいただいたご質問への回答です。遅くなりました。

占星術に関するご質問については別館で詳しい記事を書いてから返信しよう……と思っていたのですが、書く時間がなかったのでさわり(要点)だけご説明します。

利き手は転生しても引き継がれるのか


まず転生に関するご質問から。

Q.利き手は過去から引き継いだりする可能性もあったりするのでしょうか?

そうですね。利き手は脳・身体の使い方の癖だから、過去世から引き継ぐことも多いはずです。

私は今世では生まれつき左利きで、幼いうちに右へ矯正されたそうです。
前世ではどうだったか記憶にありませんが、(今とあまり変わらない性格タイプだったので)生まれつきは左利きだった可能性が高いと思います。しかし前世の時代や国を考えると当然に右へ矯正されたでしょう。
一度矯正を経験したせいなのか、今は右利きとして暮らしていても不便を感じたことはありません。ただ左右で混乱することはあるので車の運転は控えています。
この経験を繰り返せば始めから右利きとして生まれるか、またはクロスドミナンスに慣れて迷うことはなくなるのだろうと思います。

身体に関する話をもう少し付け足すと、当ブログ読者様なら皆様ご存知の通り私には「運動神経が鈍い」という最大特徴があります。笑
つまり身体の扱いが得意ではないのです。
これは多くの人生で読書や勉強にばかり興味を持って、身体を動かす経験をあまり積んでこなかったからだと言えます。
特に前世はひどかったと思います。知的な趣味や仕事に偏っており、武芸を磨くことはありませんでした。おかげで現代の学校では体育の科目に苦労しました。

この実体験からも身体の扱い方という技能・癖が転生で引き継がれると言えます。

記憶がなくても人生の経験は積み重なっていくし、経験の少ないことは苦手となるわけです。

【関連】 感情と技術は残る。だから今日は明日へ繋がる


星座ごとの象徴


次に、占星術に関するご質問です。
過去記事と重複する話があるかもしれませんが改めて回答しておきます。

Q.サビアンシンボルか何かの記事に、射手座は戦争と関係があると見たのですが、射手座以外の他の星座にも 射手座と戦争のように それぞれに意味があったりするのでしょうか?他の星座が意味するものがあるならとても気になります…。
参考になるような書籍などがありましたら教えていただけたら嬉しいです。

はい、星座ごとにそれぞれ象徴する仕事などのジャンルがあります。
古代から様々な占星術師たちが「各星座に対応するジャンルは何か?」と分析してきました。分類は手法で多少異なります。

オーソドックスな解釈で公平だなと感じたのは占星術ソフト『Stargazer』小曽根秋男氏の解説本です。
星座の解釈は著者の想像で無限に広がりがちなのですが、こちらはソフトの解説本として書かれただけあって拡大解釈なし。あくまでも例示として「こんなイメージがある」と端的に挙げられているところが良いと思いました。

(付属ソフトは最近のパソコンOSで使えない可能性があります、ご注意を)

もう一つ。
古典的な占星術から見れば特殊ながら、松村潔氏のサビアンシンボル解説書はおススメです。

私がかつてサビアンシンボルを語る際に参考としていたのも主に松村氏の解釈です。
「射手座の前半は戦争を表す」も松村氏の解釈より。妥当と思います。
星座の前半や後半(15度ごと)、または5度ごとに分けての分析は、サビアンシンボルの手がかりがなければ不可能だったでしょう。

たぶん今は中古でしか売られていないと思いますが、『サビアン占星術: 決定版!! (L books elfin books series) 』は読み込みました。
星座を理論的に流れで理解できる名著だと思います。

……とは言え分厚いし中古本も高価ですから、ご無理なさらず。

基本解釈で良ければ筆者の別館をご参照ください。これも古いので、いずれまた暇ができたら解釈を追加していきます。

【筆者の別館】 12星座の基本解釈



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事故や災害は偶然か? 過去との向き合い方【返信】

 

 2024/4/30にM様よりいただいたメールへの返信で、久しぶりに運命の話です。

吉野さん、はじめまして。
Mと申します。

占星術を色々調べていた時に、こちらのサイトに辿りつきました。
吉野さんの作品も今度、Amazonから購入させていただく予定です。
はじめまして、M様。このような辺鄙なブログへお越しいただいたうえ、メッセージありがとうございます。初来訪の方にお声をかけていただきとても勇気づけられました。

プライベートなお話を伏せるため引用は控えめに致します。

“塞翁が馬” 事故や災害の運命


(引用を控えた部分のお話。
M様はかつて目の前で事故を目撃し、後にご自身も事故に遭われたとのこと。しかし事故後に幼い頃を思い出すなどして、空気の流れが変化し人生が動き出した)
長文かつ場違いな内容で申し訳ないですが、このサイトにたどり着き ブログを読んでいたらどうしても前から気になっていることを誰かに聞いてほしくて吉野さんにメッセージをしてしまいました。
プライベートな体験について詳しくお話しいただき恐縮です。
(多くの方に役立つ話だと思いましたので公開返信と致しました)

事故など滅多にない出来事が重なったこと、やはり偶然にしては不思議過ぎますね。
高次な運命の背景があるのでしょう。

“運命の背景”とは、たとえば過去世の因果、経験値を上げるためのプラン、運命の人と結ばれるための準備……等々です。

私も運命については勉強中の身ですが、過去世を思い出した体験から何ごとも偶然はなく理由があるのだと分かるようになりました。
ただその“理由”とは単純な因果応報だけではありませんので、人の世界において説くことが大変難しいと感じています。特に事故や災害などは被災された方の責任と単純に考え、被災者を鞭打つ嫌な人もいます。このため大声で運命を説くことには慎重となってしまいます。

災害を描いたドラマ『BLUE MOMENT』の中で先日、
「災害に遭った人は“何故、自分が?”と考えて苦しむ。でも災害に遭ったことは、ただただ偶然に不運だっただけだ」
というセリフがありました。
(要旨。天気予報で被災回避しようと奮闘するストーリーに反するようなセリフだなと思いましたが、その場面では被災者を慰める説得力がありました)

確かに家族や自分が災害に巻き込まれたという“不幸”な状況に打ちひしがれている時は、「何故?」などと理由を求めればなおさら苦しむものかもしれません。
危機意識が低かった自分を責めたり、対応が遅かった政府、果ては運命を作った神まで恨んで怒りの感情に支配されてしまうこともあります。
だとすれば「偶然だった」という言葉が慰めとなり、「仕方がなかった」と考えることが救いとなるでしょう。
でも救われるのは一時の感情。
「偶然」は地上の苦しみを和らげるための麻酔とも思います。

背景にある真理はそうではなく、人生で起きるたいていのことは予め高次の理由でセットされているようです。
他記事と重複しますが、これは信じたい・信じたくないという「好み」とは関係のない、ただ在る真理。

塞翁(さいおう)が馬”とはよく言ったもので、幸不幸は人間の価値観ではとうてい計り知れないものでしょう。

だから人間が追求すべきことは現世利益ではなく、人生という高次のプランを受け取り活かすことだと言えます。
それができずに「運命に抗う」を言い訳として、嘘をついたり他人に危害を加えて自己中心の利益ばかり貪る人たちがいます。そのような人たちは来世に禍根(かこん)を積み重ねる。……つまり、長い間もがき続けるのだろうなあと思います。

〔追記〕 もちろん困難に負けないという意味で「運命に抗おう」と自分に言い聞かせ、がんばることは素晴らしい。努力は必要です。運命論は諦めの早さにつながり良くない思想だ、との考えもあります。でもそれより自己中な犯罪の言い訳として「反運命」「反道徳」「反神」を唱える人たちが、現代ではあまりに多いという話です。

過去への向き合い方


ご質問箇所は引用させていただきます。
例えば事故にあったことで幼少期など色々思い出したり 空気の流れが変わった感覚や物事が動き出すような出来事を体験した場合、過去世や内面と向き合ったほうが良いのでしょうか?
過去世についてはご無理なさらず。
ずっと書いてきましたが、思い出すべき時が来れば自然に思い出すはずです。
担当のガイドさん(地上で活動する魂を見守る先輩の霊)が、過去世の記憶が必要だと判断した場合に思い出すよう導くことでしょう。

仮にこのブログに来られたことが“導き”なのだとすれば、下記事の方法で思い出す場面があるのではないでしょうか?

【案内】前世を思い出す方法。安全な退行催眠のやり方と、注意してほしいこと

もしかしたら同じ事故に遭われた方や、相手の方、体験を共有したご兄弟(姉妹)などと過去世で関係があったかもしれません。
しかしくれぐれも無理はなさらないでください。
今現在の人生が過去世の結果ですから、ほとんどの人が幼い頃のことを思い出すだけで充分です。そうではなかった場合だけ過去世の出来事が思い出されます。

なお「過去との向き合い方」については私の態度を反面教師としてくださいね。
最近分かってきたのですが、私は特殊過ぎる使命があって過去世を思い出したのだと思われます。現世・現代で行われている犯罪を目撃し告発する使命です。
通常は自分の停滞した運命を解決するために過去世を思い出すはず。つまり、自分自身の人生のために思い出します。
公の問題と関わることはほとんどないと考えられますので、過去の話ばかりに時間を費やす必要はありません。

それから、自己の“内面に向き合うこと”は、いついかなる時も必要だと私は思っています。
でも特に内面に向き合うことが必要となる時期が、誰にでもありますね。
たぶんM様は事故の体験をしたときに無意識で深く内面と向き合い、大きく前進されたのではないでしょうか。
今後も折に触れその際のメモを読み返せば生き方のヒントが得られるはずです。
困難の時にならなければ分からないこともあります。人生の困難とは気付きを得るための活力ともなり得ます。

ご挨拶


このような曖昧な答えで回答になっているでしょうか?
私自身が人の前世を読むなどの霊能力はないために具体的な話ができず、申し訳ないです。

このたびはメールをくださったことに心から感謝致します。

私事ですが最近は険悪な世間話も書いているため多くの読者様を失ってしまったようです。
またネット上の言論統制が年々激しくなり、現に検索からのアクセスも激減しています。
いよいよ本当に発信自体の限界を感じています。
――偉そうに回答していますが困難な運命で身動きが取れなくなり、アドバイスが必要となっているのは私かもしれません。

このような状況でもまだ見てくださる方がいるなら、もう少しここに留まろうと思いました。ありがとうございます。
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