憑依と転生の違いとは? 尾崎豊の専属イタコ、「慶くん」を観察して分かること

 この間、『アウトデラックス』を家族が観ていた。
私はこの番組を普段は観ないが、疲れていたので本を読んだりPCに向かうことができず、たまたまテレビ画面を眺めていた。
すると登場した女性の予想外の話に引き込まれてしまった。

イタコ? 霊能力? それともご本人が言うように勘や偶然?? 

彼女は特殊な体験をしただけの人であり、その内容の真偽はともかく嘘はついていないと思ったのでご紹介。

(この記事では芸能人について敬称略)



塙一族の“最終兵器”登場


この番組をご存知ない方のために説明:
これは「アウト」な人たちから話を伺い、我々の狭い価値観を広げていこうというコンセプトの番組。
この番組で言う「アウト」とは、世の中であまりポピュラーではない変わった趣味を持つ人だったり、独特の感性を持つ人たちのこと。
決して本当に「アウト(駄目)」なわけではなく、際立ったキャラクターをお持ちという意味なのでこの番組に登場して人気者になる人もいる。たとえば、有名どころでは棋士の「ひふみん(加藤一二三)」など。

今回は芸人の塙(はなわ)兄弟が登場。
「うちの親族の最終兵器を紹介する。(非常にアウトなので)“あの娘だけはテレビに出さないで”と親族に言われているが連れてきた」
とのことで、どんな変わり者おもしろキャラが登場するのかと興味を抱いた。

塙兄弟が「慶くん」と呼ぶと、若い男性が表れた。
華奢で小柄な男性。
しかし古風な雰囲気を持っている。服装や髪形は、まるで80年代のホストかミュージシャンのよう。その時代に憧れている青年なのか?

でも、塙たちが親戚の話を述べた時、「あのこ」と言うテロップが「あの娘」となっていたのが引っ掛かった。
娘? ということは、元女性なのかな。
性転換した人か。

思った通り、二人のお子さんをお持ちのお母さんだとのこと。
年齢は意外にも塙たちより年上の四十代半ば。若く見えるのは元女性だからだろう、と思った。
(女性が男性へ性転換すると若く見えるもの。たいてい肌が元々の男性より綺麗だし、華奢だから)
本来は料理や日本舞踊などが得意な女性らしい人で、家族自慢の良妻賢母だった。

「ふーん。子育てが一段落したから、それまで我慢していた性転換を果たした人なのだろうな」などと勝手に物語を推測していた。
だとすれば数は少ないけどめずらしがるような話でもない。
ただ、登場した時から慶くんはキョトキョトと辺りを見回し挙動不審なので、たぶん相当の面白キャラなのだろうと考えた。それでテレビに呼ばれたのだろうと。

でも、彼女が番組に呼ばれた理由の「個性」は想像を遥かに超えるものだった。


尾崎専属イタコ!


あるいは尾崎専用イタコ。(シャア専用ザク、みたいな)

なんと慶くんは性転換した人でも何でもなくて、「尾崎豊」に憑依されて(本人は憑依ではなく「勘」と称している)男性風のいでたちをしているだけという。
言われてみれば尾崎豊の服装・髪型に似ている。だから古風だったのか。

またまた……痛い妄想家のご登場ですか?
と周りが警戒しつつ耳を傾けていると、よく見かける妄想家の語り口とは全く違い、体験した事実をしっかり語り始めた慶くん。
塙兄弟がサポートして明らかとなった話の内容は、「偶然」と片付けるのがとても困難なものだった。

慶くんの体験については、こちらのサイト様が詳しく書き起こされているので読んでみてください。
 ⇒庶民アラフォーまめちねっと さん https://mamechi.net/geino116(リンク切れ)

私が信ぴょう性を感じてゾクゾクしたのは
 ・尾崎豊の奥さんに偶然二回も会った。電話番号を聴いた時、「アデランスの電話番号とか教えるんでしょ?」と言ったら奥さんが驚いた。奥さんは、尾崎豊と初めて会った時にアデランスの電話番号を教えたという。(アデランスの番号を教えるなど今どき思いつかない。そもそも電話番号を教え合うということが今どきない…。普通はラインなどのSNSだろう)
 ・慶くんは奥さんを自然に「しーちゃん」と呼んでいた。夫婦二人だけが知る呼び名だった。
 ・慶くんは尾崎豊の親友(一般人)のあだ名を言い当てた。尾崎が背後から?教えたらしい。
等々の具体的なエピソード。

始めは際物を期待する目で眺めていたタレントたちが、次第に真剣な表情になっていき、スタジオが静まり返っていく様子が面白かった。
タレントの皆さん「これは本物」と思ったに違いない。
最後だけはかろうじて、マツコらが「アウト!」と認定しジョークに変えていたが。

私自身も、見ていて「これは本物」と思った。話の内容が事実かどうか(現実と一致しているかどうか)は別として、彼女は嘘をついていないと思う。

生まれて初めて本物のイタコを見たという想いで、ちょっと楽しかった。
何と言えばいいのか、伝説の生き物を見た感じ。ツチノコのような。
「昔は確かに本物のイタコが存在したんだな。こういう人がいたからイタコの伝統が生まれたのか」と思わせてくれた。
(恐山の職業イタコのおばさまたちへ本当のリアリティを求めている人は少ないと思う。イタコは精神を慰めてくれる職業、言わば葬式でお経を上げてくれるお坊さんのような役割として価値が認められる。でもかつては正真正銘、本物のイタコが存在したため生まれた職業なのだなと実感した)

しかも尾崎専属ゆえに、他人には需要がなく、誰一人イタコとして彼女を崇めていないのがまた良い。笑
なおさら本物感があって面白い。
ゆえに分析のサンプルとして観察させていただいた。


本物のイタコかも、と思った理由


私が彼女を「本物だ」と思ったのは以下の理由。
 1.この番組上の話に限れば矛盾点はない。(現実との食い違いは家族や警察でなければ分からないので、あくまでもその場の話の内容だけで矛盾点を考えている)
 2.元々の慶くんは尾崎のファンでも何でもなく、長渕剛のほうが遥かに好き。(つまり尾崎のファンゆえに妄想が高じて寄せて行った人ではない)
 3.「尾崎から逃げたかったが逃げられなかった」と言っている。
 4.あくまでも「勘だから」「偶然だから」と言い張る。どこが偶然だよ(笑)と誰もが思う状況であるのに。
 5.聞かれたことについて決して、はぐらかさない。分からないことは「分からない」と言い、分かることや実際に体験したことは具体的なエピソードをもって明確に答えている。

1の「矛盾点はない」に関しては、尾崎氏ご遺族が全面協力したうえでの、テレビ局による完全創作でなければという前提だが。
しかしテレビ局スタッフが作った話なのだとしたらあまりにもよく出来過ぎている。創作だとすれば褒めてつかわす。

何よりのリアリティは、


 3「尾崎から逃げたかったが逃げられなかった」
 

という言葉。
そして


 4「勘」「偶然」と言い張る
 

こと。

上のリンク先記事では、「テレビ的に霊感と言えなかったのだろう」と書かれているが、そうではないと思う。テレビ局としては霊感と決めつけて話をしたほうが面白いから、嘘でも「霊感」と言う番組のほうが多いはず。
「勘」「偶然」との言葉は慶さん本人の言葉だと思う。

何故そう思うかと言うと、やはり私と同じであるから。
私も未だに「偶然」という言葉を使って逃げたくなる。

「逃げたかったが逃げられなかった」との言葉も完全に自分と同じで、涙が出てくる。
私の場合は「代弁者になれ」と言われ浮遊霊に操られるケースと違い、本人視点であるので、周り(オーディエンスと呼んでいる霊たち)が「自分を認めろ」とうるさく言ってくるわけだが。

「ファンというわけではなかった」ところも同じ。
私も他人であれば本当に興味が無いし知ったことではない。どちらかと言えば苦手で嫌いなジャンルだから、どうか勘弁して欲しかった。(今はもうそんなことは思っていないが)

それと、「はぐらかさない」点も自分と同じかなと思った。
真実どうだかは知らないが、自分が分かることはそのまま伝えている。分からないことは「分からない」と言う。特に嘘をつくつもりはないので普通に答えればいいだけと思う。
だいたい事実の真相と食い違っていたところで、生きている間の本人でさえ記憶違いがあるので間違っていても構わないと思っている。
たとえば死の真相も本人には、はっきりと分からない。生きている皆さんは病気になった時、自分がどうして具合が悪いのか明確に分かるか? 病院に行って診断してもらわない限り病名は分からない。ただ、死に至るまでの状況は分かる。

嘘をついて
「私には〇〇の霊が降りている」
「我は〇〇の生まれ変わりであ~る」
などと言っている詐欺師は、笑えるほど質問をはぐらかすのでよく観察して欲しい。
前も書いたけど、そういう人には裏付けるような具体的な体験談など何もない。神様か霊に「名前を囁かれた」とか「お告げを受けた」と語るだけだ。
体験談があると言っていても、「そのうち話す」と語るだけで永久に具体的な話をしてこない。まるで「あるある言いたい」と言って最後まで言わない芸人のギャグのよう。

間違っていようと信じてもらえまいと、体験談があるなら話せばいいのだ。話すべきだ。
嘘をついていないのなら、今の自分の体験したことくらい話せるはずだ。

――と。
結局、私は同じ神秘体験者として細かい点が自分と一致していたから、「彼女は本物」と考えた次第。
もし自分が体験者でなければ、「偶然」と本人が言っている体験を分析するだけとなるが。それでも不自然な点はないと思った。

 関連記事: 有名人の生まれ変わりが空想や「コード」である場合【診断チェック】

憑依と転生の違い


今回、本物のイタコを観察できて面白かった。

それではっきり分かったことは、やはり「憑依(霊にとり憑かれること)」と「転生(過去に死んだ人が新たな肉体で生きている状態)」は違うのだ、ということ。

 憑依 = 憑依された時点でキャラが変わる(性格、仕草、好みの変化)
 転生 = 生まれた時からキャラの変化はない(環境で変化する要因がある場合を除く)

前も書いたが私も、自分の体験について「憑依」を疑ったものだよな。公開でも詳しく書いた:前世記憶は脳による作り変えなのかどうか、続き。自分の場合
できれば「憑依」であってくれと願った。代弁者だと言ったほうがラクだ。責任を負わなくて良いし。

今もまだ憑依現象かもしれないとの疑いは完全になくしていない。でも残念なことに私は生まれた時から一度もキャラ変をしたことがない。多少の変化はあっても、本質はずっと同じ。嫌になるほど変わらない、変われない。変わったように見えたはずの思春期は意識的に演技していただけだ。
食の好みも幼児期から一切変わっていないらしく、この前も一緒に食事をしていた母に「小さい頃と同じ!」と笑われた。

この通りだからもし私の体験が「憑依」だとすれば、本当に生まれる前からということになる。
で、生まれる前からだとすれば「転生」と何が違うのか……。という自家撞着に陥るので、今の時点では「転生」に落ち着くしかない。

そんな感じで。

私としては最近、楽しんでいるし、どちらでもいいと思っている。

ただ「どちらでもいい」とは思わないのが他人であって、特にファンの方々。
私の場合は対象がほぼフィクションのようなものであり、ファンの方々もたいていフィクションしか見ていない。だからファンの方々とこのリアル世界は接点がなく、私とも異次元の住人同士だから平気なのだが。(つまり私はファンたちに完全無視されているという意味。おかげ様で無事。笑) 

「尾崎豊の代弁者です」と言う人が出て来たらファンは穏やかではいられないだろう。
尾崎は皆が実物を知っているので、これから慶さんは大変だろうな。


それにしても、最近は現実にこういう体験をする人が増えていないか? 私も含め。
魂や死後世界というものを、あの世の方々が地上で認めさせたがっているのかもしれない。
そろそろ、死後世界を必死で否定したがっている者たち(=永遠の個性が与えられていないため死を怖がる者たち)がどれほど叩いても否定しきれなくなってくるだろう。
これも時代の転換期にある証か。


追記。「慶くんは統合失調症」と断じる人は洗脳されやすいタイプ


やはり、安易に彼女を「統合失調症」と決めつける論調がネットに溢れているらしい。

まあ病気の可能性を考えるのは良いことで、彼女も一度病院に行って診断すればいいのではないか?とは思う。でもたぶん違うだろう。
 ※ちなみに私は「統合失調症ではない」との診断を病院で受けています

幽霊が見える、知らない記憶情報を語るといった人を全て「統合失調症」と呼ぶ人は、考えなくて済むからラクでいいな。
しかし何でも「統合失調症」で済むなら精神医なんか要らない。

すぐに「統合失調症」と言いたがる人は、よほど病気に関して無知なのだろうと思う。
現実に統合失調症の人はあのようにテレビに出てまともに他人と会話することはできない。
発症からしばらく経っており何ら治療せず放置していれば、会話することも食事もままならなくなってくる。外に出て社会生活を送ることはまず不可能。また他人が見てすぐに「おかしい」ことは気付くので、テレビ出演など無理だろう。

さらに「統合失調症」で片付けている人たちは前後の情報をカットして、結論ありきで自分の思い込みを断じる傾向がある。
参考ブログ: https://outidesigoto.com/archives/20432
自分が尾崎豊だというエピソードが語れるのは、尾崎豊のことを調べ過ぎてしまったからかもしれませんね。

彼女ははっきりと「自分は尾崎豊について何も知らなかった」と言っているけどね!笑
また、尾崎豊の情報に詳しいファンであっても知りようがないプライベートの話を知っていた。
こういった情報は自分の結論にとって都合が悪いから脳内でカットしたのか? それとも短期記憶の保存ができない健忘症か。
このブログ主のほうが認知症の疑いがあるので、病院で一度脳を検査してもらうべきと思う。

物事を決めつけがちな人は結論ありきで偏った判断をする。脳内で情報をカットしてまでも。
それは実は、悪徳宗教やセミナーに洗脳されやすい性質だから気を付けたい。
(スピリチュアル好きが洗脳されやすいという話は嘘で、実はこのように浅い知識で物事を断じる・都合の悪い情報を脳でカットする傾向のある人が洗脳されやすいのだ。だから過去に頑固な唯物論者だった人が狂信的なカルト信者に転向することが多い)

私も彼女の話を手放しで信じるわけではない。
あくまでも、得られた情報を全て事実と考えた場合に矛盾がない結論を選び取っているだけ。
反対の情報(たとえばテレビ番組を盛り上げるために嘘をついたいう明らかな証言・証拠)があれば反対の結論となるだろう。

要は反証する情報が無い限りは「有り得ない」と最初から結論すべきではないということ。
そもそも「有り得ない」と言うことにこそ根拠がないのだから。

 

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「憎まれっ子、世にはばかる」という真実。人の亡くなり方について

 


 

 ブログ更新が滞って申し訳ないです。近親者が急逝したため長文が書けなかったものです。

こんなプライベートなことを書くべきではないと思って控えていたのですが、その人の亡くなり方があまりに見事で広くお伝えしたくなりました。


病院嫌いの義父、癌なのに一切治療を受けず自宅で逝く


亡くなったのは義理の父です。

「義父」という表現をすると一般的には結婚相手(配偶者)の父親を連想するようですが、今ここに書いているのは実母の再婚相手のことです。
(前に亡くなったのは配偶者の親。養父も「義父」という表現をしますし、日本語は難しいですね)

五年前、呼吸困難となり救急に運ばれて危篤となり、「手術中の自分の体を天井近くに浮かび上がって眺めていた」という臨死体験を語ってくれた人です。→死の後、数日間の話にて
あのときは生還しましたが今回は旅立ってしまいました。

半年前から食が細くなり急激に痩せはじめ、誰の目にも長くないのではと思えるほど体が衰えていったのですが、私たちが
「大きな病院で検査しろ」
と言っても病院嫌いの彼は聴く耳を持たず。
重い腰を上げて検査したのはようやく先月のことでした。

それで全身検査の結果、癌が発見され、既に三か所へ転移していることが分かりました。
医師もまだ全貌が見えていなかったようで明確な告知はされなかったのですが、末期ではあったのでしょう。

7日から入院の予定だったのですが、その直前に急逝してしまったものです。
最後の日の数時間前まで意識がはっきりしており、家族と会話もでき、自宅のベッドで眠るように亡くなったことは幸せだったろうと思います。

その日、義父にしてはめずらしく「プリンが食べたい」とリクエストして、母がコージーコーナーでプリンを買って来ました。
少し食べた後、
「ちょっと寝る」
と言って寝室へ。
数時間後、彼が息をしていないことに気付いた母が救急車を呼びました。
私は仕事中に「彼が死んじゃった」との狼狽した母の電話を受けて駆け付けたのですが、あまりにも急なことに信じられませんでした。その前日には会って会話していたからです。声は弱かったものの、目には意思の輝きがあって普段通りの彼でした。
弟も当日の昼に電話したとき彼の元気な声を聴いています。だから弟に電話で知らせた時、やはり信じられなかったらしく数秒黙った後、「嘘でしょ?」と言っていました。

自宅へ帰って来た義父は、体は冷たくなっていたもののやはり眠っているかのようでした。
ベッドに寝ているといつ起きてもおかしくないと思ってしまう。つい、亡くなっていることを忘れてしまいそうなほど、死が非現実的に思えます。



究極の、「我がままではない人」の亡くなり方


義父が急逝したのは思うに、入院したくなかったからかもしれません。

「入院が嫌だったから死んじゃったのかもよ?」
などと私が言うと、「あの人らしい」と言って義父を知る人たちは笑います。
しかしこれは冗談。
本当は自分の我がままで病院から逃げたわけではなく、家族のために逝ってしまったのではないかと感じます。
おそらく、お金のことや看病で家族に迷惑をかけることが嫌だったのではないかと。

とにかく我がままを言わない人でした。
長年ずっと他人に親切ばかりしていましたが、自分自身は誰かの手をわずらわせることを厭いました。
具合が悪くて歩くことさえままならなかったのに、診察のために病院へ車で送ってもらうことも断っていたという徹底ぶりでした。

癌だったのだから相当に痛かったはずだし、苦しかったはず。
しかしその苦しみを訴えることもありませんでした。
「大丈夫」が口癖。
亡くなる前日でさえ、電話した弟に「大丈夫だよ!」と叫んだというのだから驚いてしまいます。

その「迷惑をかけたくない」という気持ちが死さえもコントロールし、入院する直前に逝ってしまったのだと私は悟り、感動して震えました。

行き過ぎた強がりは、家族としては寂しいものがあります。
もう少し助けを求めて欲しかった。手助けしたかった。
しかしこれは彼なりの生き方の美学を貫いた結果だろうと思うので、責める気持ちはありません。

他人第一、自分は後。
我がままを言わない。迷惑をかけない。

そんなポリシーを徹底した美しい去り方に、感動を覚えるとともに深い尊敬の念を抱かずにいられませんでした。
このように稀有な魂を持つ人と縁を持てた自分は幸せ者だと思います。
心から、「ありがとう」と言いたいです。


死にざまは人柄を映し出す


昔から言われていることに、
「死にざまに人生が反映される」
というものがあります。
悪いことをした人に「お前は、ろくな死に方をしないよ!」という言葉を投げるのは、この考えから来ています。
反対に善人は安楽に死ぬものだと考えられているわけです。

現実には必ずしもそうとは言えず、善人が虐待・拷問に遭うなどして悲惨な死に方をすることはよくあることです。むしろそのほうが多いかもしれない。
いっぽう犯罪者がのうのうと生きて楽な死に方をすることも多く、その理不尽さに怒る人もいるでしょう。

実は立派な人は自ら苦しみを選択する傾向があります。
反対に我がままな人は苦しみを避けるので、安楽に生きて安楽に死ぬことが多いと言えます。
だから、悲惨な死に方をした善人に「裏では悪いことをしていたのかも」と思うのは間違っています。それに差別的でもあります。

ただこのたび、義父の美しい死を目の当りにして思い知りました。
「死に方(死因)」に人柄は関係ないが、「死にざま」は確かに人柄を反映するのだと。

我がままではない人は、できるだけ他人に負担をかけまいとするので、ぎりぎりまで苦痛を我慢して急逝してしまう。こういう人が早死にの傾向があるのも、ストレスを自分だけで何とかしようとするから。理屈でも当然だと思います。
いっぽうの我がままな人は、たいした病気ではなくてもグズグズと苦痛を訴え、長いこと他人に迷惑ばかりかけて死んでいく傾向があるように思います。

「憎まれっ子、世にはばかる」(=善い人は早く去ってしまう)
ということわざは、この意味で真実なのだなと実感しました。
昔の人は現実を眺めて的確に真実を述べていたようです。


死に際の美しさと、死後


死に方によって死後どのような次元へ行くのか、スピリチュアル的なことは私には分かりません。

ただ自分の体験を述べるなら、我がままではない生き方をしたほうが死後も幸福な心地でいられると思います。

義父のように美しい死に方をした人が、あの清々しい青空の世界へ旅立つことは間違いないでしょう。

(こう信じたいだけかもしれませんが。今の義父が幸福な次元にいることを私は強く信じています)
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