VONVONなど、占い・診断サイトで名前や顔写真を送信しないようにしましょう

ここでもよくリンクしていた『vonvon.me』という診断エンタメサイト。
昨日眺めていて日本語がおかしいことに気付きました。

 

あなたの頭脳は男性脳?女性脳?より

 

 “呉”が簡体字になっていますね。そのわり“言”は繁体字という謎。
問題文の通り日本語としては「誤り」なのでこれが答えかなと思いましたが(笑)、他の問題にも簡体字が紛れていたのでどうやら本気のミスらしい。

それで、C国企業なのかなと疑い調べてみましたら韓国企業だそう。
なるほど… C国サイトほど日本語メチャクチャではないから今まで気付かなかった。

LINEが一時期騒がれていたように、韓国系の企業も個人情報を善からぬことに使っているのではないかという疑惑があります。

検索してみますと「VONVON危険!」という記事がたくさん出てきました。

スマホだとアプリをダウンロードさせる仕様になっているらしい。それで個人情報を抜き取られている可能性大とか。
また、Facebookと連携させるとアカウントを乗っ取られたとか何とか。
あくまでも疑惑であって運営会社は「個人情報を売ることはありません」と主張していますが、どこのサイトであっても用心するに越したことはありませんね。

よく見ると、このサイトには診断の名目で「氏名」を入力させたり(しかも本名を入れろと書いてある)、「顔写真」を送るように要求している診断もあります。
Facebookと連携しない人の情報もこういうお遊びテストで収集することは可能。

日本人の「本名+顔写真」情報はC国などが喉から手が出るほど欲しがっている情報です。
本当に売っていないのか? 怪しい。

私自身は普段、スマホからこういうサイトにアクセスすることはありません。
もちろんSNSに連携させることもないし、まして氏名や顔写真を送ることもない。
だから気付かなかったのですが、無防備にリンクして本当に申し訳ありませんでした。

遅ればせながら注意喚起させていただきます。



記事削除すべきでは?と思われるかもしれませんが、削除してしまうと逆に注意喚起が届かなくなるので今のままこれを掲げておきます。

また個人情報を収集している企業はVONVONなど占い・診断系だけではありませんので、安易に顔写真を送信したりしない癖をつけていただきたいと思います。
特に、TikTokやお遊びの顔変換アプリは使うべきではないと思いますね。

参考 https://twitter.com/mei98862477/status/1408968222724923393


男脳?女脳?テスト結果


ちなみに冒頭のテスト筆者結果、引用しておきますと
「あなたは100%男性型頭脳を持っています。」

難しい問題にぶつかったとき、優れた分析能力とセンスを基盤に、集中させて問題を解決し処理します。パターン分析に強みを持っており、一度好奇心を持った問題に対しては、最後までやり遂げる集中力を持っています。
いろんなことを同時にすることより、一つのことを終わらせてから次に進むタイプで、この過程を通してあなたの結論を後押ししてくれる、証拠と根拠を明らかにさせます。

とのことです。
そんな極端ではないつもりだったのですが(たいてい男性脳だが中間寄り)、最近は分析力が増しているのでしょうか?
では今回の推測も当たっているかもしれないですね。笑



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記憶喪失でも人格は変わりません。人格は脳・行動・魂の個性がつくる

 某ネット通販サイトで何気に購入した漫画のなかにこんな作品がありました。

『君が僕らを悪魔と呼んだ頃』


内容:

かつて、僕は悪魔だった。半年間の失踪を経て、記憶の全てを失ってしまった高校生、斎藤悠介。記憶喪失なりに平穏だった日常は、ある日、突然、破られた。次々に現れる過去を知る者、復讐者たち。覚えのない咎で断罪される瞬間、死肉に突きたてた刃の、幻を見た。━━さて。俺が殺したのは、どこの誰だ?

記憶喪失ものですね。
リアリティのなさと主人公のサイコパスぶりが気持ち悪くて耐えられず、私は一巻でギブアップ。

(酷評過ぎて申し訳ないと思ったので詳細レビューカット)

サイコパスだった人が記憶を失っただけで明るく健康的な人格にチェンジすることはありません。まして過去の自分の行いを知って反省することもあり得ません。

いくら漫画でも耐えられない破綻でした。
“文学的”とレビューしている人もいますが、文学だとすればなおさらこのような浅い人間観は許されないと思います。

記憶を失っただけで人は変わらない

 

別に漫画レビューを書きたくて記事を上げたわけではないのです。

この作品は多くの人の「記憶喪失」への誤解を描いた、典型的なものだと思ったので紹介しました。

今回この漫画を読んで気付いたのは、たいていの人が未だに
「人間は記憶を失えば人格チェンジできる」
と考えているということです。

そう言えば私も子供の頃はそう信じていましたっけ。
記憶を失ったら人格も変わるのだと想像して怖くなった覚えがあります。

逆に、失われていた記憶が蘇ったら人格チェンジしてスーパーな能力を持つ人間になれるかも、と夢想したことはありますね。
そういう設定のフィクションがけっこうあったからです。
有能なスパイだった人物が記憶を失って凡人として暮らしていたが、記憶を取り戻して大活躍するなどという設定は映画でもお馴染み。

現世で記憶喪失ではないが、前世の記憶を思い出して超人に変身する、という話もありましたね。(具体的な作品は思い出せませんが)
そのようなファンタジーは子供らしい変身願望を掻き立て、ワクワクさせてくれます。

しかし……、何度も書いてきた通り現実は違いま

記憶喪失の人でも、脳を損傷していない限りは人格が変わるなどということはありません。
何故なら脳の構造が変わらないからです。

たとえば冒頭で紹介した漫画のように、サイコパスだった人が記憶を失っただけで明るく善良な人格に変わるということは絶対あり得ないと言えます。
サイコパスは脳の一部(扁桃体)に先天的な異常があるか、著しく機能低下したときに現れる人格障碍。たとえ記憶を失ったとしてもそんな脳の構造は変わらないので、以前と全く同じように「残虐な行いを平気でする」「嘘をつく」「反省しない」という人格で生きることになるわけです。

確かに、後天的に身に付けた能力や態度は記憶で変化するでしょう。
仕事で培った知識を失えばその仕事ができなくなり、自信を失って暗くなっていく。逆に知識を取り戻せば復職し、自信を取り戻して明るくなる。このように状況によって一見人格が変化したかのように見える場合もあると思います。
でもそれは状況への反応。表面の変化に過ぎず、人格の根幹が変貌したわけではありません。

つまり現実では、
記憶が人間の人格を造っているわけではない
と言えることになります。

人格を造るのは行動

 

「記憶が人格を造るわけではない」という話をすると、極論として「では教育は完全に無意味なのか!」と考える人がいるのですがそうではありません。

行動が伴った“訓練”は現実に脳の構造を変え、人格も変化させます。
単なる知識としての記憶は人格に影響を与えないが、行動は人格に関与するということです。

この仕組みを悪用して「後天性サイコパス」を生む思想洗脳がありますね。
反対に、サイコパスを社会へ適応させるような行動療法も現実に行われています。
道徳の実践もサイコパスの芽をつみ、健常者の人格を高める基礎訓練でしょう。

では他者から受ける訓練によらず、無意識な状態で発揮される人格個性はどのように生まれるのでしょうか?
親の教育?
確かに親の育て方が人格へ与える影響はとても大きいと思います。しかし双子でも個性の違いが生まれるのですから、教育・環境だけが人格へ与える100%の要素であるとも考えにくい。

このような現実を観察していると、やはり「先天的な肉体の性質」「教育」以外の第三の要素が人格形成に大きな影響を与えているとしか思えません。

その“第三の要素”とは、(初訪問の人には少々飛躍していると思われるでしょうが)魂の個性です。
“魂は自分で肉体を選び、出生後も本来の個性に合わせてカスタマイズしていく”
と前に書いた通りの話。

【過去記事】 体は魂の性格でカスタマイズされる、という話

(もちろん生まれつき大きな脳の障碍がある場合は本来の個性を発揮していくことは困難と思いますが。その場合でも肉体を選んだのは魂自身です)

前世記憶を得ても人格が変わらなかった件


以上の話は私自身の体験から分かること。

私は「人格の同一性は、生きている間の記憶喪失だけではなく転生によって肉体を変えても保たれるのだ」と思い知った体験者です。

この話はちょうど最近私が書いていた記事にも関連します。
限定公開記事なので、関連するところだけ転載しますね。
昔から、何でもできる大活躍のフィクション(前世)が羨ましいと思ってきました。
若い頃は「いつか記憶を全て思い出せばフィクションにも近付けるのでは!?」などと夢見ていましたが、よく考えれば現実がさほどでもないからあり得ない。当たり前。

無い袖は振れない、現実ではないフィクションは体現できない、のです。残念ながら。
前世記憶を得てもスーパーな人間には変身できなかったという話。残念。

皆さんガッカリされているでしょうが、一番ガッカリしているのは私自身です。笑
「フィクションはフィクション」と分かっていながらも、心のどこかに変身願望があってファンタジーを夢見ていた若い頃がお恥ずかしい。

まあ、失われている言語知識などを全て取り戻せばそれなりに一家言ある人間になれるのかもしれません。ただ、古代知識は現代で役に立たないと思いますね。

しかも根本的に、私の言うことは前世とあまり変わらないのではないでしょうか?
「欲ばかり貪るな」
「くだらない言説に惑わされず自分で考えろ」
「道義に沿った行いは最終勝利する」
等々。
私がここに書いているような正論・説教は前世の記録文にも散見され、“昨日書いたのか?”と自分で見紛う既視感に襲われ赤面します。

あと、最近振り返って我ながら凄い一致だなと思うのは、今ここで書いた私の小説『我傍に立つ』を読んで泣いてくださった方が多いことです。
本当に全く泣かせるつもりで書いた文ではないのに、大勢の方を泣かせてしまった結果が前世と一致したのは不思議でした。

このような裏付けがあるので、半分記憶喪失であっても今の私は昔の気持ちを代弁できると考えています。

軽めの現代文は、当時とはまた違った印象を与えるかもしれません。表面しか読まない人はそういう点を指摘するのでしょう。
しかし根本の考えはたぶん変わっていません。

スーパーなフィクション人物に変身できなかったのは残念ですが、自分の人格を失わずに済んで良かったなと思っています。


私が思想統制? するわけないでしょう


(以下おまけの話)過去記事保存庫へ 
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タイムリープと輪廻転生の違いとは? 前世記憶を持つ人のアイデンティティ

 



こちら(要パス記事)で紹介した漫画『パリピ孔明』は、歴史人物が現代に“生まれ変わる”という設定になっているそうです。しかしファンタジーの種別として正確に言うなら、「タイムリープ」に該当するのではないかな?と思います。

“死後の移動だから転生”
と言われても……それは違うかな。
転生には新しい地で父や母がいて、兄弟や親族がいて、新たな名と居場所があります。

死んだときそのままの記憶・人格・名で、単に時間を移動しただけならタイムリープに当たるでしょうね。
定義にうるさくて申し訳ないですが。SFファンはたぶんもっと厳しいはず、笑。

【タイムリープ】
時間跳躍。SF用語で、肉体や人格そのまま過去から未来へ飛ぶこと。過去、未来に限定せず、アクシデントで時間移動する場合は「タイムスリップ」と呼ぶ。これらは和製英語だそうで、日本限定のSF用語です。

※2022年追記 実際アニメでこの作品を観て、この作品で言う「転生」定義は最近の「異世界転生」ジャンルにおける転生なのだと理解しました。普通はスライムになるなど姿かたちが変化するのですが、意識・記憶は完全に前のまま異世界へ移動するのがこのジャンルの特徴ですね。その場合、やはり本人から見た状況はタイムリープに近いと思います。

まあ、フィクション創作でのジャンル分けですからもちろん厳密ではなくても良いのですが、この「タイムリープ」と実際の「輪廻転生」を混同されてしまうと困るなと思います。

私もそうですが、現実に“前世記憶”を持つ人々が存在します。
その記憶が真正かどうかはともかく、前世記憶を持つ人々を「タイムリープしてきた昔の人」扱いされると話が噛み合いません。
(そもそも前世話を信じてそんな扱いする人いるのか!? と疑問に思われるでしょうが、ネットではけっこう遭遇します)

たとえば
「織田信長が現代に生まれ変わっていたら、オートロック教えたい!」
と言ってしまうような勘違いをされている人が多い。
現代に転生した信長さんなら、「君らと同じ時代に生まれ育ったのだからオートロックぐらい知ってるわ!!」と怒りますよ。

私だってこの通り現代でPCを使っていますし。サイトもブログも運営してきました。
スマホも使います。
もと古代人、というだけではなく昭和生まれなので(笑)スマホを使いこなせているかどうかは微妙ですが。

私は現代日本人です。
生まれた時から現代日本の文化に染まり、一般日本人の感覚で生きています。
観てきた映画やドラマ、アニメ、聴いていた音楽などもだいたい同世代の方と同じだと思います。

実を言えば、現代のギラギラした欲望の文化にはついて行けないと感じていたのは確か。
軽めの言葉遣いも苦手で、「真面目」「堅苦しい」とさんざん悪口を浴びたため修正してきました。
食べ物も素朴なものが好きでした。雑穀米や漬物が好きだったり。
おそらく、そのように無意識に関わるところは古代人の癖が抜けていないのだと思います。

この点が長期間を飛ばされた弊害でしょうね。
ブランクが長過ぎて地上情報のアップデートが難しい。
やはり100年内での短期間で転生してきた人のほうが、現代文化にすぐ馴染めて生き生きと暮らしているのでは。
たとえば現代でIT企業の社長などになって成功している人は、たぶん近代~現代を短期間で転生してきた人たちでしょう。

しかし私は現代にうまく溶け込めなくても、自分の「立ち位置」は今ここという認識があります。

このブログでも何度か書いてきた通り、私は自分が生まれた今の時代と文化が好きです。
特に子供の頃、ちょっと大人し過ぎるがごく普通(を装っていたとしても)の子として学校に通い、友達と楽しく遊んだ日々は貴重な体験でした。
平和のなかで生きられたことも良かった。
バブル期に過ごした子供時代は、振り返ってみれば楽しかったですよ。社会全体が明るくて。
私自身は一切バブリーなものに関わりない貧乏人でしたが(笑)、何の心配も要らない幸福な時代だったと懐かしく思い出します。

前世のアイデンティティとどう折り合いをつけるか


これも何度か繰り返し書いてきた気がします。でも、過去記事を読む人は少ないと思うので改めてお話ししておきます。

よく勘違いされるのですが、私の現在のアイデンティティは、他者曰く「前世という妄想w」で創作したものではありません

たとえば「お勉強ができる」「物静か」などの個性は、幼い頃に既にそうだったというだけ。
「末は博士か大臣か」は、実際に今の私が幼い頃にさんざん浴びた言葉です。
故に、現在の私のアイデンティティ(自己同一性)は、現在の人生で養われたものだと言えます。もちろん無意識には自覚できない前世の癖が影響していたでしょうが。

 参照→【質問】幼い頃、どんな子供でしたか?

私の場合、“前世記憶”は成長した後に思い出したもの。
そのときは既に高校生だったので、揺るぎない自我、個性が育った後です。

揺るぎない現世の自分と、前世記憶のなかの自分は、確かに同一で「続いている」自己という認識があります。

しかしそんな自己同一性を持つ前世記憶と、自分の脳から離れた場所にある現実の“記録”や他者評価は別物です。
長いことその現実記録と自分とを感覚で一致させることはできなかったため、他人として眺めることも可能です。
だからわりと客観的に、他者のように解説文を書くことができるわけです。
ふと状況を思い出すと物凄く恥ずかしいですが――どうせ他人が私の体験を信じることは永久にないでしょうし、一致した人物として見られることも決してありませんから関係ないと開き直っていますね。笑
「信じてもらえない」という状況を逆手にとって自由に語らせていただいています。

2018年頃から現実との人格一致(つまり、その記録文が確かに自分に対するものだという確信)を体験することが多くなりました。

先日も、「遠隔エゴサーチ」をやり過ぎて現世の幼い頃より前世が近くなってしまったと書きました。→前世のほうが、幼い頃より近くなる

こういう弊害がありますから、前世記憶をお持ちの方は今の私の真似をしないでいただきたいです。

今、私が遠隔エゴサしているのは逼迫する現代の事情あってのこと。
現代の危機がなければこのようなことはしていません。
私が大切なのはあくまでも今ここ・現代。今と未来の人々のためだけに過去を使いたいと考えています。


過去に乗っ取られたくないという願い


前世記憶を得てから長いこと現実に向き合わなかったのは、怖かったのと、
「前世に現世を乗っ取られたくない」
と思ったからでもありました。

結果として今現在を考えると、もしかしたら「前世に現世を乗っ取られている」状況と言えるのかもしれません。
前世記憶に心を揺らし、遠隔エゴサで痛みや怒りを覚える毎日ですから。

何より前世について考える時間の多さと、ブログ(別館)記事を書くことに費やす時間、この一切報いのない労働に我ながら人生損をしているなと感じます。

何らか使命があると思うのでこの苦役を続けているのですが、いよいよ今の人生が終わりに近付いたら全て放り出し、自己の日常だけを楽しむでしょう。

結局、私は今が大事です。
生きている時間が愛おしいと思う人間です。

(こう思うのも転生の記憶があるから、なのですが。つくづく矛盾していますね)

紫陽花について


冒頭アイキャッチ画像に紫陽花の写真を掲げたのは、今が見ごろの紫陽花を愉しみたいという想いから。(PAKUTASOさんより。自分の写真は下手なので、お借りしました。すみません)

散歩で出会う紫陽花が今、輝いて見えます。

これほど季節ごとに美しい花々が咲き、日常の散歩で愉しめる時代・国は他にないのでは。
究極に特別な今この場を愛でたいものです。


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