感情は魂に属し、霊界にも来世にも持ち越される。「感情」と「肉体本能」は異なるもの

 


前記事を見直していて、「感情」「肉体的本能」などの定義が分かりづらく混乱しやすいかなと思いました。

ここに改めて当ブログの用語定義として解説しておきます。過去記事と重複する話が多いのですが、新たに来訪された方のために書くものです。ご容赦ください。

感情は肉体に属するか、精神に属するか


まず「感情」は地上・肉体だけに属して死後は消えてしまうものなのか? それとも死後も感情は続くのか? という話。

この点、スピリチュアル本によって見解が異なります。

そもそも「感情」とは、地上の一般用語で定義しますと
“他者との交流のなかで生まれる愛(絆)・憎悪・喜怒哀楽”
などの反応のことになると思います。
このなかで愛(絆)と憎悪は永く続きます。喜怒哀楽と違って、その場限りの反応ではなく心に定着するものだからですね。

そのような「感情」は地上の肉体だけのものだと説くスピリチュアル本が多いようです。
感情=エゴ=肉体本能、とネガティブに考える人が多いから、死後世界へ行くと感情が消えるとの推理が一般的になるのでしょうか? 
あるいは“悟り”を得た仏陀などには感情のない超然としたイメージがありますから、死ねば即悟りを得られる(輪廻などない)と信じている人たちは、「死=永遠の安息」で感情のない世界を想像するのかもしれません。

そのいっぽうで、死後世界の体験者たち…前回死んで生まれ変わるまでの間の記憶を持つ人々は「霊界にも感情がある」と口を揃えて語ります。

たとえばニュートン氏のレポートでは霊界で地上のごとく仲良しな魂同士で親しく交流している様子が述べられています。(血よりも濃い、グループソウルとの絆

また、死後世界を旅した人々の話によれば“地獄”のような次元もあるそうで、そこはネガティブな感情に囚われた魂たちが自ら留まっている世界だといいます。(一例:Aファーニス『死後世界地図』)

実は死後世界体験者の話だと、後者のほうが多勢。

自分の体験から言えること


私自身の考えも、後者(感情は死後も引き継がれる)のほうです。

これは単なる想像やスピ本をつなぎ合わせた発想ではなく自分の体験から思うこと。

私の記憶では前回の死の直後、肉体的な痛みや苦しみは消え去ったのですが、逆に感情は強まり圧倒されました。
むしろそこは感情しか無い世界だった、と言っても良いでしょう。

肉体を脱ぎ去った後だからこそ純粋な精神が解き放たれ、地上に比べて何倍にも増幅された感情を味わうことになるようです。
そこで地上の真実を悟ることができます。肉体の垣根に阻まれて知ることのできなかった相手の感情をダイレクトに感じ取ることができるからです。ごまかしのない相手の心が伝わるため、一切の嘘が入りようがありません。
だからこそ私は生きていた頃にはあまり気付いていなかった(自惚れまいとして信じ過ぎることを抑えていた)、魂の伴侶※のとてつもない信愛を知って衝撃に打たれたわけです。

※詳細は小説『我傍』または『死の後、数日間の話』

もちろんこのとき、自分自身の生前の感情もごまかしなく思い出されます。
嬉しかったことや楽しかったこと幸せだった日々の気持ちはもちろん、悲しかったことや辛かったことなどのネガティブな気持ちも増幅されて感じ取ることになります。
(出来事の具体的な事柄など、細かいことは省略されて場面と感情だを感じ取るのです。神経が剥き出しになった状態で味わう感覚を想像すれば近いかも。だから、ネガティブな感情が多い人の場合はきついだろうと思います)

このように肉体を失ったからこそ感情が純粋に増幅されたということは、感情は完全に精神すなわち魂に属するものだと考えることができます。

現実にも、何らかショックを受けて魂を失ったかのようになる離人症や記憶喪失の場合、感情に紐づけられているエピソード記憶が失われてしまいます。

【実例の話】魂が記憶しているもの、肉体が記憶しているもの

いっぽうで肉体のほうは生存のための記憶を持ち続けています。こちらの本能に関わる記憶は、どうやらDNAで受け継がれるようです。(生物学の実験結果からも肉体DNAが生存手段を記憶することが判明しました)

これらのことから、
 感情=精神・魂に属して死後も来世も持ち越す
 本能=肉体に属する記憶でDNAにて受け継がれる
と考えることが可能です。

魂と肉体は生きているときは一つに繋がっていますが、実は別々のものであり、魂は肉体という乗り物をお借りしているだけ。
このため魂(精神)と肉体とで記憶する担当が異なるのだと思われます。

「死んだら即感情を失う」とか「感情を持っている限りはエゴが強くて成仏できない」などと言うのは、“悟り”に対するイメージからの想像。
感情を超越した仙人(または仏陀)に憧れる人々の希望的観測、とも言えます。

あるいは、地上での体験から遠く離れた高次霊たちは本当に“感情”からも遠ざかっていて忘れてしまっているのかもしれません。
ただし感情は精神(心、魂)の軌跡そのものですから決して消えることはないでしょう。
感情を深め味わうためにこそ魂は地上へ降りて活動するわけです。そのような貴重な体験が消えるはずがないと思います。

肉体の欲望に翻弄されるのは、魂の願いから離れること


前回の記事で私が書いた
「ドロドロした本能に取り込まれて堕ちていく」
「魂が老いていけば肉体へのこだわりが薄れて本能が減っていきます」
とは、上の肉体反応や肉体記憶のことを指しています。

肉体はどこまでも生存して子孫を残すことだけを希求するもの。ですから、欲望の塊でもあります。
他者を蹴落として競争に打ち勝たないと肉体は生存し、子孫を残すことができません。そのため純然たる私利私欲だけで行動するようにインプットされています。

このような肉体の欲望を制御できずに翻弄されてしまうことを、若く未熟な魂は「心に従う素晴らしいこと」と混同しがち。
文学などの芸術作品にも、本能に翻弄され堕ちていくことを「精神性の高さ」だと勘違いし誇るものが多くあります。
しかし本能と精神性は全く逆方向のものなのです。

確かに恋愛など本能と区別しがたい感情もあるでしょうが…

他者を蹴落としたり殺したりしてまでも自分一人が勝ち残りたいという欲望が、本能。すなわち肉体に属するもの。
結果に関わらず感じ・抱き続け燃え続けるのが、感情。すなわち精神に属するもの。

――などと私は区別しています。
あくまでも過去世記憶を幾つか持つ私の考えです。

【当記事の話をまとめたイメージ図】


我欲は地獄への道、自分を突き動かす心(魂の意思)に従え


肉体は魂の乗り物に過ぎないとすれば、その肉体に属する「本能」に溺れてしまうといつまでも肉体に囚われ、地上の学習つまり輪廻転生から卒業できなくなってしまうでしょう。

さらに地上で肉体の欲望に溺れ続け、虐殺などの快楽に手を染めればネガティブなカルマも抱え込み、“地獄”という精神次元に堕ちていくことにもなります。
だから私は私利私欲に囚われて貪るべきではない、と述べています。

逆に「心に従うべき」と言うのは、精神・魂の願いに耳を傾けるべきということ。道しるべとなるのは純粋な精神に属する“想い(感情)”です。

感情を悪者扱いしないでください。感情を抹殺しようとしているカルト思想が地上へ出現させた地獄こそ、かの国々の悲惨な現実
地獄に堕ちたくなければ、心を信じましょう。魂発信の想いに生きましょう。

当ブログのスピリチュアル用語について、基本


最後に立場を明確にしておきますと、私は主に自分の体験を語っている者です。

誰か教祖に師事してその言葉を代弁しているのではないし、もちろん何かの団体に属して教義を布教する者でもありません。

また、何かのスピリチュアル本、たとえばシルバー・バーチやニュートン氏の本を信じて紹介するためのブログを運営しているわけでもありません。

ただ自分の体験に関わる手がかりとして読んだスピリチュアル本をご紹介することはあります。
このため、私がその本の著者の完全なる信者だと勘違いされることも時々あるようです。

たとえばこちらが典型でした…
筆者のことを完全なる「ニュートン氏」の信者だと思われ、筆者の意見がニュートン氏と完全に同一であると思われてしまった。
(引き合いに出してすみません。好例だったので)

【運命論まとめ】 「幸せ」って何ですか? 因果応報、カルマの受け取りも自分で選んだ道

一応、私は自分の意見と違うところは「違う」と書いていたつもりなのですが…分かりづらかったか。
それにしても本を紹介した場合、自分が述べていないことまで、「ニュートンがこう言っているからお前も同じに違いない」と決めつけられるのは少々恐ろしさを感じます。そのように思われてしまうなら何の本からも引用できなくなってしまう。

私が何かの本を紹介したからと言って、一から十まで信じ切って賛同していると思わないようにしてください。
好印象を抱いた本であっても、賛同するところもあれば違う意見の部分もある。本来これが当たり前です。

一から十まで聖書を信じるのは「宗教」信者の態度でしょう。〇〇主義者とも言いますね。

私は死ぬまで他者の考えに染まりきった〇〇主義者にはならない(他者の話を参考にするけれども無考えの信者には絶対ならない)という自信があります。
いや、死んだ後も永遠にかな。
 
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感情の密度が濃い作家は魂年齢が高いのか【返信】

 いただいたメールへの返信です。
11/16に受信したK様のメールより引用:

こんにちは
魂年齢のこと
とてもささったのですが
やはり
魂年齢というのは存在しますか?

感情の密度が濃い小説家とか
漫画家は魂年齢が高いのでしょうか?

こんにちは、ご来訪ありがとうございます。

「魂年齢」についての記事とは、たとえばこちらなどでしょうか?

サビアンシンボルと魂の年齢

霊格、「魂の年齢」を知るための詳しい話

主に書籍や匿名掲示板の書き込み引用ですが、私自身も魂の年齢というものはあると感じています。

古い魂だからといって全員が善い方向へ成長しているわけではないですがね。なかには悪事を重ね、悪い方へ向かい「魔王」のようになってしまう魂もいる。
でもたいていは色々な経験をしていますので、“人格”に相当する“魂の格”が成長し、完成に近づいてくるのではないでしょうか。

なお私も「過去世記憶」の多さを考えればたぶん古いほうの魂なのでしょうが、成長しきれていないと感じます。まだまだ悩み多き成人期でしょうね。


>感情の密度が濃い小説家とか漫画家は魂年齢が高いのでしょうか?

作家の場合は、たぶんそうだと思います。

本人が現実で感情豊かとは限らないのですが、過去にたくさんの人生を経験してきているので様々な感情について「予め知っている」ような感覚を持っているのでしょう。
それで感度が高くなり、密度の濃い表現ができるようになるのかと。

ただしそのような方の感情表現には、一種の“透明感”と言うか次元の高さを感じます。
たとえドロドロした現実を描写していても、泥のなかで咲く蓮のように孤高の美しさがある。それと真っ直ぐに空を目指すかのような、真理を忘れずに追い求める「青い闘志」を感じます。
(表現が独特ですみません。“青い闘志”とは、青く燃える炎というイメージ。永く続く消えない情熱のことを私はこう呼んでいます)

このように述べながら私が思い浮かべているのは、やはりゲーテやヘッセなどあの時代の芸術家たちなのですが。
現代では誰でしょうね…?

間違いやすいのは、ドロドロした本能に取り込まれて堕ちていく表現も「濃密」と感じやすいことです。
そのような作品も芸術ですから私は嫌いではないのですが、「魂年齢」という観点から言えば若いほうだと考えられます。
魂年齢が若いほど肉体的な欲望、本能に溺れやすく、感情の渦に取り込まれてしまいがちだからです。

魂が老いていけば肉体へのこだわりが薄れて本能が減っていきます。
感情が摩耗する人間の“老い”とは逆で、精神性が高まり鋭敏になるようです。
そのような芸術家たちが表現する世界は、泥沼を潜り抜けて光を見い出すような作品になるのではと思います。

……なんだか自分の世界に入って感性で語ってしまいましたが。
このような答えで回答になっていますかどうか。
しかし久しぶりに小説など芸術の話ができて嬉しかったです。私自身、癒されました。
良いご質問をありがとうございます。

*「感情」「本能」用語定義は次記事へ>>感情は魂に属し、霊界にも来世にも持ち越される。「感情」と「肉体本能」は異なるもの


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禅病・魔境落ちとは? 瞑想で陥る疾患、スピリチュアル好きの方は要注意

 


 一昨日、YODの記事(別館)にて
「誕生時での天才は単に過去生で努力したというだけの凡人です」
「才能がないと始めから諦めないで努力すればいい」
との話を再掲しました。
これは当ブログでもいつも書いてきたことですね。

上から目線で言うほど私自身が天才ではないので説得力がないのですが(笑)、生きている間の行為の何もかもが積み重なっていくというのは本当のことです。
だから、魂としてステップアップしたいなら“良い行いをする”こと。才能を身に付けたいなら、生きている間に努力すれば良いのだと言えます。すごく当たり前のことですが。

ただその「努力」を誤ってしまう人は、けっこう多いと思います。

誤った努力とは、たとえば瞑想だけをがんばってしまうことです。
私は昔から瞑想は必要ないと思ってきたのですが、スピリチュアルのジャンルでは「魂のステップアップ(次元上昇)をするために瞑想しなさい」とよく言われますね。
「引き寄せ」セミナーでも願望をかなえるための最も良い方法が瞑想(ワーク)だと言われ、瞑想に励むように言われると思います。

また最近ではビジネス界でマインド・フルネスというリラクゼーション法も流行っています。
これはスティーブ・ジョブズなどの著名人が実践していた欧米流の瞑想法。
「ストレスを軽減し、脳のパフォーマンスを上げてビジネスに貢献する」とのことで、科学の薫りがするエクササイズ的なイメージから多くの人が気軽に実践しています。
特にコロナ禍での自粛生活中、YouTubeを見ながらマインド・フルネスをする人が増えて爆発的に流行したらしい。

ところがそのような瞑想は「悟り」を得るにはもちろん、創造性や記憶力を高めることに全く貢献しない(逆効果)だけではなく、最近では病のもとだとして危険性が囁かれるようになりました。
瞑想人口が増えるにつれて「瞑想で精神病になった」との書き込みがネットのあちこちに見られるようになっています。

え??
瞑想で病気になる!?


心身ともに健康になる目的でやっているはずの瞑想で病気になるとは。
ちょっと意外な話なのですが、どうやらただの噂ではないようです。

当ブログ運営者は医学の専門ではありませんが、スピリチュアルに興味を持つ人が訪れることが多い場所ですので、注意を呼び掛けるために調べてみることにしました。

※当記事内の医学的な話は一般人による個人的な所感です。ここに書いた症状がある方は後日必ず、専門の病院を受診してください。


瞑想で陥る病の名は「禅病」


瞑想で惹き起こされる病とは、その名を「禅病(ぜんびょう)」といいます。昔から禅僧の間では知られていた症状だったようです。

日本のネットでの俗語としては「魔境落ち」「偏差」とも呼ばれます。欧米では「クンダリニー症候群」。
どれも同じように瞑想を行ったことで発症する病のことを指します。

仏教の瞑想、インドでの瞑想、スピリチュアルの引き寄せワーク、マインドフルネス…等々
その全てで報告されている症状です。

「スピリチュアルにはまる人だけが罹る病気」と思って馬鹿にしている人たちが、「マインドフルネスは科学だから安心」「私は科学を信じてるから大丈夫」と過信することによって“魔境落ち”している例も散見されますね。
科学の看板を信頼しがちな方は、危険性を軽視しやすいので特に注意が必要と思います。

一般には瞑想を頑張り過ぎること、長時間行い過ぎることで発症することが多いようですが、人によってはわずかな時間でも発症することがあるようですので気を付けてください。

では、「禅病」とは実際どのような症状なのか次項で見ていきましょう。



「禅病」の具体的症状


その昔、禅僧の白隠が陥った「禅病」の症状は文献に残っています。
下記のサイトから訳文のみ引用させていただきます。(原文を知りたい方は引用元URLへ)

『夜船閑話』 訳文:https://uchicomi.com/uchicomi-times/category/lifestyle/main/14418/より。数字は当ブログ筆者による加筆:
禅の修行を始めるにあたり、こう誓った。

「悟りを求めるために、勇猛心を発憤し、絶対に退かない」

かくて、ひたすら修行に精勤し刻苦勉励すること足かけ三年にして、一夜、悟りの境地に至った。これまで抱いていたいくつもの疑惑はその根底から氷解し、輪廻転生の初めからつきまとっていた業もまた完全に消え去った。

そして、こう思った。「究極の悟りの境地も、もうすぐだ。昔から何十年もかかるといわれてきたが、自分の場合はそうではなさそうだ」。嬉しくて嬉しくて、文字どおり狂喜乱舞の状態だった。

ところが、数カ月して、冷静に自分の状態をかえりみると、坐禅の動と静とがまったく合っていないことに気付いた。両極を行きつ戻りつするばかりで、そこからどうしても抜け出せない。〔1〕

そこで、こう思った。「なおいっそうの精進が必要だ。命がけで修行しなければならない」というので、歯を食いしばり、両眼をカッと見開き、寝ない、食べないで、頑張った。



一カ月もしないうちに、心臓はどきどきしっぱなし〔2〕、呼吸が苦しくなり〔3〕、下半身は氷に使っているように冷え〔4〕、谷の激しい流れのすぐそばにいるみたいな轟音が耳に響きっぱなしになり〔5〕、内臓は不調になり〔6〕、なにかにつけてひどく不安や恐怖にとらわれ〔7〕、心も体も疲労困憊し、寝ようとすれば悪い夢ばかり見る〔8〕。両脇はいつも汗をかきっぱなし〔4〕〔9〕、両眼はつねに涙で濡れている。
白隠の症状をまとめると、

1 双極的な精神症状(躁と鬱を行ったり来たり)
2 動悸
3 息切れ
4 体温調節機能障害
5 幻聴
6 (推測)胃腸障害
7 パニック障害
8 睡眠障害
9 発汗異常


等となりますか。
一部、現代医学での正確な病名が分からず一般語にしました。

他に現代人で「スピワーク」や「マインドフルネス」の体験者から報告されている症状は、白隠との重複を除けば

・身体の震え
・発熱、頭痛
・吐き気
・腹痛
・下痢
・めまい


等々が挙げられます。

これらの症状が起きても我慢して瞑想を続けていると、幻覚や幻聴が激しくなっていき統合失調症のような精神疾患を起こすことがあるといいます。
たとえばこちらの方などは精神疾患で入院、障碍者認定手前まで行かれたそう。

https://ameblo.jp/miroqmicro/entry-12658927731.html より引用:
えー
わたくし、表題のとおり

禅病&魔境落ち経験者です!

経緯や詳細は伏せますが、
引き寄せこじらせて、精神病んで入院した過去があります。
(障害者認定の一歩手前までいきましたw ※医師の許可を得た上で、通院投薬ともに卒業済みです)
(そして、そこからまた自分に7桁以上課金して学んでるっていうんだからw←すごい執着よね)


うーん……。想像以上に深刻ですね。
精神疾患だけではなく7桁以上の課金とか、とても心配です。
「引き寄せ」好きの方は中毒し過ぎないよう本当に注意してください。



医学的な推察をしているサイトを見つけるのが難しい


さてこの「禅病」。
どう見ても身体症状――脳神経が起こしている肉体現象なのですが、いろいろ検索してみても医師が医学的な立場から言及しているサイトが少ないのが現状です。

ヒーラーや気功師などを専業とされている方々が
「気が頭に上っている状態だから下げなさい」
「オーラが過熱している状態だから冷やしなさい」
等々とスピリチュアル的な解釈で説明しているのみ。
または病名のもとになった禅宗の僧侶の方が、禅宗における伝統的な治療法を説かれています。

もちろんそれら多くの人たちを救ってきた伝統的な方法は薬物よりも有効だと思うのですが(たぶん経験で編み出された不調を治す手法なのです)、その前にどういった身体メカニズムで病気になるのか知りたいものですね。



禅病の正体は、「自律神経失調症」だと思う


私が一般人ながら常識的な知識をもって考えますと、「禅病」の症状は
自律神経失調症 
と考えて良いのではないでしょうか。

推測するに体内でこんな感じのことが起きています…

どちらかと言えば緊張型の人、常にストレスを感じている=交感神経がオンの人が瞑想をすることで、副交感神経へ無理やりスイッチを入れる。すると一時的にリラックスを得られる。
しかし瞑想をやめるとすぐ元の状態に戻るので、何度も瞑想を繰り返さなければならない。(瞑想の依存症となる)
交感神経 ⇔ 副交感神経
この二つのスイッチの切り替えが毎日激しく行われることで自律神経コントロールが利かなくなってしまう。自律神経失調症の発症です。

この時点で白隠の双極性障害のような状態、
「躁と鬱をジェットコースターのように行ったり来たり」
が説明できますし、多くの人が経験する頭痛・発熱・ほてり・冷汗・めまい・胃腸障害などの症状も説明できます。

さらに白隠など頑張り過ぎてしまうタイプの人は不調を自覚してからも瞑想を続けるので症状が悪化し、自律神経失調症からパニック障害へ移行していくようです。

パニック障害へ移行するとさらに動悸・呼吸障害・耳鳴り等が激しくなり、理由不明の恐怖感に苛まれて睡眠障害を起こします。
白隠の文献にある症状とほぼ重なりますね。

病院のサイト参考↓

【外部リンク】自律神経失調症とパニック障害

「禅病とは統合失調症のことである」とネットに書かれているのですが、それは勘違いかと。
統合失調症と自律神経失調症は似ているようですが症状は違い、原因も別々なのです。

統合失調症と自律神経失調症の違いより引用:
間違えないような対策とは

個人的な偏見ではありますが、統合失調症と自律神経失調症は似ていると感じられます。わたしは結果的に統合失調症と診断されましたが、それまではずっと自律神経失調症だと思い込んでいました。しかし症状的には身体においての影響はあまりなく精神的な負担がかなり多かったです。決定的な違いとはそこに隠れているのではないかと思われます。確かに精神的にはイライラ、落ち込み、不安感、無気力などの症状はまったく似ています。身体の症状などは全くなく、自律神経失調症とはあてはまらないぐらいでした。

ただし実際、この二つは併発することが多いといいます。
おそらく、パニック障害で睡眠がとれずにいるうちに脳へ負荷がかかり、統合失調症も併発してしまうのではないか…? と思います。



インスピレーションは統合失調症? 病気をなめないほうが


前項の話でお分かりの通り、禅病で統合失調症まで発症するのは相当に「がんばり過ぎた」ケース。
生半可な人はおそらく、統合失調症までたどり着くことはできないでしょう。
その前に身体の不調で入院するなどして、ストップせざるを得ないと思います。

ただそれでも瞑想で“お告げ”を聴いたり“仏”や“神”を見る人が多いのは、おそらく単に意識が半分眠っているために夢を見ているのと似た状態になっているだけです。

寝起きに金縛りにあったり、寝ぼけたことを言ったりするときの“半覚醒”状態。
つまり正常な脳活動の範囲です。
夢の全てが統合失調症の症状ではないのですよ(笑)。ご安心を。

幼稚園児ではないのだから、よく知りもしない病気のレッテルを他人に貼りまくるのはやめましょう。
ちょっと白昼夢を見たことがあるだけの人の全てに統合失調症の認定をしていたら、現実にその疾患をお持ちの方々に「なめるな!」と怒られると思います。そんなに生易しい病気ではないはずです。

【筆者の健康状態について】 念のため。筆者にも自律神経失調風の症状がありますが、これは生まれつきの副交感神経優位性質によるもので、瞑想などによる弊害ではありません(記事末の関連記事参照)。病院での検査の結果はこちら



無理に神秘体験する必要はない


この項目は少しスピリチュアル体験者側の立場から書きます。

体験者としてきっぱり言えばスピリチュアル的なインスピレーションというものは、たしかに存在すると思います。
死後世界との交流やメッセージも現実にあるでしょう。(死後世界は次元が違うので“現実”という言葉を使うのは難しいですが)

“半覚醒”の状態のときには潜在意識が活発となるため、実際に異次元からのインスピレーションを授かりやすくなるはずです。
お告げのように降ってくるアイディアは、ほとんどが脳の記憶整理から生まれる発想なのですが、なかには「ガイド」という高級霊サポーターからのアドバイスであることもあるでしょう。
睡眠時や半覚醒状態のときに死後世界と地上を行き来するツワモノもいますね。ユングなどが有名。

具体的に幻覚と神秘インスピレーションの違いを述べると――

仏や神の像が目の前にありありと浮かび、輝く光に取り込まれそうになるなど、誇大なインスピレーションは精神のバグ(幻覚)。ちょっと危険です。
耳のすぐ傍で囁いたり、怒鳴ったりする声などが聞こえた場合はそれこそ統合失調症の可能性がありますので注意してください。

それ以外で、たとえば遠くから伝わるアドバイス的なメッセージ(音ではない)が「ガイド」などからのサポートと思われます。
これはリアリティがあるか、現実の裏付けがあるか、正しい方向・良い方向へ導いてくれているか等を判断基準としてください。
多くの人は「霊なんか存在しない! そんなアドバイスも幻聴だ!」と言うでしょうが、現実の裏付けがあれば自分では否定しづらいと思います。他人を信じさせるために得るインスピレーションではないのですから自分一人で納得してください。

真実はどうあれ、現実に健全な生活ができるよう導かれたなら、たとえ幻想でも良い幻想だと言えるでしょう。

さて、古来、このような神秘体験を求めて人々は瞑想してきたのだと思います。
現にこういう話をすれば、「やっぱり自分もスピリチュアル体験したい!!」と言って瞑想に走る人もいそうです。

でも私は体験者だからこそ言えます。
スピリチュアル体験に瞑想は必要ない、と。

まして、次元上昇のための「解脱(輪廻転生からの卒業)」は瞑想と一切関係ありません。
卒業条件としてのカルマ解消は、現実現世を生きることでしか成し得ないからです。
白隠のように瞑想して「たちどころにカルマが解消した」ということはあり得ませんし、もしそのような感覚を掴んだとしても気のせいです。
(魂にはもともと罪はない、という真理を知覚することはありますがね。それと自分のカルマが消えるのとは別です。カルマは同エネルギーでの行いでしか清算できないのです。カルマの閉じ方参照)

【関連記事】 生きるに優る修行なし

私があえてスピリチュアルの体験者側からこのような話をするのは、「無理に神秘体験を求める必要はない」と言うためです。
ガイドさんはあなたがアドバイスを聴こうと聴くまいと常にサポートしています。だから瞑想でガイドの声を聴く必要はありません。
それに必要なら、無理やりに睡眠時の夢に割り込んででも“お告げ”を聴かせてきます。

わざわざ自分から神秘体験を求めて瞑想しても、言うべきことがなければガイドさんは何も声をかけてくれません。そのように無理をしたときに話しかけてくるのは、それこそ日本で「狐狗狸(こっくり)」と呼ばれる低級霊だけでしょう。



「悟り」を得たいなら瞑想より、現世を生きること!


まとめ。

どうやら、瞑想とは
自律神経へ人工的に手を加える行為
のようですね。

自然に動くシステムに浅知恵で手を加えれば、システムそのものが崩壊する。
あたかも「神の見えざる手」を奪い、計画経済という浅知恵で人々を飢え死にさせ、国家を滅ぼしたあの悪魔たちのように。

大いなる自然の摂理は人間の浅知恵でコントロールしきれるものではありません。
だから欲張り過ぎてはいけません。

不調を補うための少しの管理なら良いでしょう。
ストレスで緊張状態にある人は呼吸法を少し行うことで、一時的にリラックスを得られると思います。そのような休憩をとることはたぶん健康に良いこと。

でも瞑想に中毒するのは危険だと分かりましたね。
たぶん、たまに観光でお寺へ行って座禅を組むくらいの息抜きがちょうどいいのだと思います。

特に日ごろ副交感神経優位な人には瞑想は全く必要ありません。もう既に他人が瞑想で得ようとしている精神状態にある人なので。笑
むしろ瞑想をすることで副交感神経がさらに優位となってしまい、危険な状態に陥るのではないか?と想像します。
たぶんアレルギーや片頭痛、鬱の傾向が増すでしょうね。
(というわけで、副交感神経優位の私は絶対にやってはダメだと思いました)

副交感神経優位タイプの人は、瞑想ではなく真逆のアグレッシブになれる趣味が必要のようです。…と分かっていながらなかなか私は見つけられずにいますが。

【参考】自律神経のタイプを四分類! バランスチェックやってみた

なお、いわゆる「悟り」を得るために瞑想をするのは最もお奨めしません。
繰り返しますが、輪廻転生を卒業する唯一の方法は「生きてカルマを解消すること」です。
つまり、ただ地上の現実を生きること。

何度も言っていますが、修行とは「目の前のことに一所懸命に取り組む」だけで充分。充分過ぎるほどです。

 

 

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ディグラム診断 「先読みはお手の物!寡黙でクールな策士」…(誤りです)

 当ブログでは占星術や前世話などの補足分析のため、現代性格分析を活用しています。

今回ご紹介するのは「ディグラム診断」です。

〔2022/7/7 改稿。記事の途中でも書いていますが、ディグラム診断のN型=策士という解釈には誤りがあったようです。下記事ご参照ください〕
策士ではなく“ナイチンゲール”だったらしい【エゴグラム詳細】 

 

ディグラム診断とは?


「エゴグラム」という精神科医が作った有名な診断をベースに、マーケティング専門家の木原誠太郎氏が独自のデータを加味して開発した診断テスト、とのことです。
人との交流のしかたに重点を置いた分析で、適職診断などに使われているようです。

⇒ディグラム診断

2021年の筆者結果


この結果は昔受けたときと同じかな…? あまり記憶にないのですが、こんなに笑える結果文ではなかった気がします。
(それとも当時は受け入れられず、今は笑えるようになったということか)

結果:N型3「マイペースな平和主義者」

【波型イメージ】



優しさと協調性の数値が高く出たので安心しました。
(ちなみにここで「自由度」とは「子供っぽさ」のこと。水瓶座的、政治的な“自由”とは違いますね)

「平和主義」との評価は自分でも意外。
最近は「平和主義なんか棄てた」という態度で攻撃的になっている、つもりでしたが全然でしたね…。確信犯の演技だとバレていますか、笑。

基本性格:

 

先読みはお手の物!寡黙でクールな策士

自己肯定感強く、非常にマイペースなタイプです。プライドは高くなく、虚勢を張ったりせず、あくまで自然体を貫きます。自分が注目を浴びたり、期待されたりすることは嬉しく思うのですが、苦手意識があります。思慮深く、物事を突き詰めて考え、思いつきで行動したりすることはありません。新しいものを片っ端から触れたり、取り入れるよりも、自分が「良い」と思ったものだけを吸収していくので、求道的ともいえます。自分の好き嫌いははっきりしています。頑固で、融通のきかないところはありますが、基本的に平和主義者です。非常に繊細で、几帳面。なので、想定外のことが起きても動じずに、淡々と処理します。思考がロジカルで、集中力も高いので、一度教わったことはすぐ覚えることができます。ただ、考え過ぎなところもあり、行動がワンテンポ遅れるなど、フットワークは軽くありません。

 

>策士
に思わず笑う。

策士じゃない!! って何度言ったら。笑

策士のつもりはないですけどね。先読みもそんなにしていないつもり。
これは本当です。他者を陥れる策など何一つ練ったことがありません。実際、私を見ていれば謀略を持たないのはお分かりかと。「改善アイディア」ならいつも練っているけど。

 (略)

【2022/7/7追記】
この解釈は、やはり現実とは少し違っていたようです。
「人の話を聞かない、独裁者で父権主義者」との赤**氏の悪口は、逆N型(例:曹操)に当てはまります。

N型Ⅲの正しい解釈はこちら ⇒N型Ⅲは“知的ナイチンゲール”らしい


ついでにエゴグラムも受けてみました


ディグラム診断のベースとなっているエゴグラムも、この機会に再診してみました。
こちらは子供の頃から学校などでも受けるテストですが、やはり成人して以降・年を取るほど正確になっていくようです。

筆者結果:よしさんのエゴグラムは<A優位> 「インテリ秀才」タイプです。2021-10-27 21:48:26



⇒はじめての交流分析 さんにて診断



若干、ディグラムとは違った結果ですね。
全体に数値が低いのは相変わらず中央値(どちらでもない)を選ぶ癖があるからかと。

結果文はありきたりですが、


周囲から「落ち着いた人」という印象を持たれています

物事の本質によく気付き、他人に流されず自分の意見をしっかりと持っている


 

これらはよく言われるでしょうか。

 

それはともかく、

 に笑いました。赤線のだけ時代が違いませんか?笑



終わりに


結局、いつもの内容の繰り返しという感じでした。
やはり診断テストは年を取ると結果が似通ってくるようです。

だから、これ以上やっても意味がないのかなという気がします。
また面白い心理テストがあれば皆様の暇つぶしのために引用しますが、“役立つ性格診断”としてはグラム系、ユング系(MBTI)以上は出て来ないでしょうね。

最後に注意喚起:






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善悪の根幹を破壊する悪魔 『MONSTER』ヨハンとは何者だったのか

 

(C)MONSTER,浦沢直樹

 

 昨夜は『鬼滅の刃』映画が初めて地上波で放送されましたね。今頃、ネットは鬼滅の話題で盛り上がっていることと思います。
こんなときに古いアニメの話をするのも何ですが、『MONSTER』最終話まで観ました。このアニメを観ながら思っていたことをメモします。

〔ネタバレあり〕 これから観る予定の方はご注意ください。


作品としての素晴らしさ


先にレビューから。

古いアニメながら、映像作品としてのクオリティが高くて堪能できました。丁寧かつ誠実な仕事には感動を覚えます。
脚本、場面展開に手抜きがなく、原作へのリスペクトを感じます。

時間をかけて描かれたのであろう画は美しかった。
音楽のセンスも良い。
オープニング、エンディング、ともに作品の世界観を引き立てることに徹している。夜中に放送されたアニメだからかもしれませんが、人気を得て収益を上げることをあまり考えていない、芸術に資す誠実さを感じました。
声優さんたちも素晴らしかったですね。

メインストーリーは、もともと漫画でも面白いと思いましたがアニメではさらに引き込まれました。
重厚でありながらスピード感のある展開で、「謎が解ける場面を観たい」という欲求で虜になってしまいます。

私はふだん殺人ミステリーに興味を持たないのですが、これは夢中で観てしまいました。謎解きで物語に入り込んでしまうことは、自分としてはとてもめずらしいことです。
(ミステリーは先が読めてしまうため、冒頭で興味を失いがち。殺人事件の謎解きを愉しむという設定にも興味が持てないし。しかしこれは現実の歴史や人間心理と絡めているため惹き込まれた)

メインストーリー周辺の温かいドラマ


“謎解き”という一般受けしそうなエンタメ要素もありつつ。
この作品の魅力は、インストーリーの間に差し挟まれている小話のほうにあると私は思います。
殺人犯に仕立てられ逃亡する主人公・天馬が、旅の途中で様々な人と出会い心を交わす。人間味溢れ、心温まるそれら一つ一つの小さな物語が、まるで古い映画やドラマのように完成度が高いのです。

「まるで古いヨーロッパ映画のような」と表現するのは、もしかしたら褒め言葉として良くないのかもしれません。
でも作者の映画に対するリスペクトの表れだということが分かるので、賛辞としてこう述べました。
きっと作者は子供の頃からヨーロッパやアメリカの番組が好きでたくさん観てきたのでしょう。メインストーリーが古典ドラマ『逃亡者』のようであるのは、分かりやすいリスペクトです。作者が子供時代に『逃亡者』などを夢中で観ていたのだろう、そんな思い出が伝わってきて温かい気持ちになります。

人の思い出を味わうことこそ創作の醍醐味だと思います。
だからこのアニメのような、思い出へのリスペクトを感じる作品が私は好きです。



結末は残念


肝心のメインストーリー結末は――

たぶん多くの人が抱く感想と同じく、私も「残念」と思いました。辛口ですみません。

【ここからネタバレです】

伏線を回収できなかったのは残念ですね。
二重人格の設定は忘れてしまったのか? それとも勘違いだったということでスルーですか。だとすればどこかで「勘違いでした」という言及があるべきだけど。
キンダーハイムでの虐待とは、具体的に何だった? ヨハンの計画ってあんなもの?
等々。

謎や秘密はぼんやりとは示されるのですが、伏線を回収しきれていないので謎解きのカタルシスが得られない。それが「モヤモヤ」を与えていると思います。

おそらくこの原作は設定だけ固めて連載を始めた種類のものだろうと思います。
結末は書きながら考えるパターン。つまり読者の反応を見て決めることにしていた、のでしょうきっと。
「ヨハン二重人格」などの伏線が回収されなかったのは、その時点では幼少期の殺人事件もアンナ(ニナ)が行っていた・ヨハンと記憶が入れ替わっていたという結末にする予定だったところ、察知した読者たちから「ニナを殺人犯にするな!」というクレームが殺到したため変更した。そのせいで、伏線が浮いてしまったのではないか? などと想像しています。

設定だけで始めるパターンは日本の連載漫画にはよくあることではないでしょうか。
だから、「めちゃくちゃ面白かった記憶はあるけど結末は知らない、思い出せない」という漫画が多いのでしょう。

物語とは過程を楽しむものだし、読者とともに創る作品というものも有りだと思うので、私はこの手法を否定しません。エンタメ漫画ではそのほうが良い場合もある。
しかし、『MONSTER』の重厚な世界観では合いませんでしたね。
せっかくシリアスで実際の歴史もテーマに入れているからこそ、こういう曖昧なぼかし方は罪にもなる。現実の歴史で殺された人々が気の毒。設定の細部と結末に責任を持つべき種類の作品なのでは。

この点、前記事でレビューした『BANANA FISH』とはちょうど反対です。
『BANANA FISH』はマフィアとの闘いが根幹テーマに必然を与えないので、細部をもっとぼかして良かった。
逆に、『MONSTER』は双子が体験した過去とヨハンの生む計画こそが根幹テーマだったので、細部を書き込んでほしかった。
つくづく惜しいなあと思います。



悪意の存在を知らない日本人


『MONSTER』で最も真面目に描いてほしかったのは洗脳実験の詳細です。
東欧~ソ連の社会主義国でいったいどのような非人間の犯罪が行われてきたのか、社会主義・共産主義とはどれほどの悪なのか。後世の子供たちに伝えるためにも、そこは手を抜かず真剣に歴史と向き合って描くべきでした。

【別館参照】 共産社会主義が世界中でしてきたこと(閲覧注意!画像はありませんがショッキングな内容です)

結局は「二人のトラウマの原因は母親だった」で終わらせるのはチープ過ぎる。
「一番怖いのは母親なのよね」などとしたり顔で納得するのは、カルト思想の闇を知らない日本人くらいではないでしょうか。

他にもたとえば…
子供たちに恐怖の実験を施していた施設の責任者が、体制崩壊とともに罪を悔いて子供に愛情を注ぐ優しい人格者へ変わる。
子供の心を壊して悪魔に育てる絵本を創作した作者も、老いてから罪に苛まれ静かに暮らしている。等々

このような甘い展開は現実にはあり得ないと言えます。
命令されて残虐なことをしていた兵士ならともかく、進んで洗脳システムを創り虐待を愉しんでいた首謀者が、本心から変わることはあり得ない。

サイコパスは死ぬまでサイコパス。※
地獄のリーダーたちの心の闇は、「母親によるトラウマ」などで説明できる程度のものではないというのに。

※サイコパスは本来生まれつきですが、嘘をつくことを習慣化することによって後天性サイコパスとなる者もいます。この後天性サイコパスも、残念ながら脳の構造自体が変わってしまうため治癒することはほとんどないそうです。来世でがんばれ。

何も考えず、安易な性善説に立つ人が多過ぎます。
無知、思考停止で「悪い人なんかこの世にいない」という願望にしがみつく。
自分が善人だけの世界に生きたいと願うことは構わないが、そのために現実を歪め、犯罪を「見て見ない振り」「無かったこと」にする。それは被害者をその足で踏みにじる行為で、“共犯”とも言えます。

ある意味でこの漫画の結末は現実の日本人を正しく描いていると思いました。
今の日本人は自分をごまかして悪魔を助け、大量の被害者を生み出している共犯者です。

共犯の例:
第二次大戦中~現在にかけて悪魔国家を援助し続け、虐殺の手助けをしてきた日本左翼。



天馬とヨハン、あなたはどちらに共鳴するか


ここからレビューではなく個人的な想いをメモしていきます。

結末については辛口となってしまいましたが、途中までは本当にずば抜けて面白い作品でしたし共鳴もしました。

途中までの天馬には、私も自分を重ね合わせて観てしまいました。
あれほどの根性も能力もありませんが、「これ以上の被害者を生まないために奴を止めなければ」と言ってヨハンを追い続ける気持ちは私も同じです。

よく私のことを「前世の復讐にかられた鬼」だと思い込んでいる人に遭遇します。私が復讐心だけで動いていると思ってらっしゃる? 発想が陳腐なのですよ。まったくどこの共産党員のマンガに洗脳されているんだか、笑。
私を動かしている気持ちは復讐などではなく、天馬と同じ「これ以上の被害者を生まないために阻止せねば」です。

初めて『MONSTER』を読んだ当時は、私にとって天馬は遥か遠くに見えるヒーローでした。憧れではあるけどとうてい届くはずのない本物の英雄。
しかし今は、天馬の背中が近付いたことに気付いて驚いています。
敵側に「妄想、妄想」と指差され、潰されそうになりながら独りで戦っているところだけ(笑)が共通項ですがね。
とにかく、若い頃はまさか自分が天馬の背中を追いかけることになろうとは夢にも思っていませんでした。

“人生はチョコレートの箱のようなもの、開けてみなければ中身は分からない”(フォレスト・ガンプ)
です、まさに。

ところで『MONSTER』では、ヨハンのほうへ共鳴して心酔・崇めてしまう人はけっこう大勢いるのでは?
美形で高知能のサイコパスは何故か、現代日本人の憧れの的。
あのようなタイプが大好きで、崇拝の対象とする人が多い。自分の欲望を満たしてくれる素晴らしい神様だと思って崇める。
残念ながらこの国には今、小さなサイコパスがとても多い気がします。

私のこともヨハン側、日本人の想像する「創作上のサイコパス」としてイメージしている方は絶対いる気がしますね。
確かにヨハンは同世代だし(…関係ない、笑)、現実に冷たいサイコパスのように見られることは多々あります。
ニナのように自分こそモンスターではないかと考えたこともあります。
しかし蓋を開けてみればダサい「弱虫テンマ」側でした。
これからもきっとダサく生きていくのでしょう。最終的に、天馬と同じ曖昧な結末を選ぶことのないようにしたいと思います。



ヨハンとは何者だったのか


今回このアニメを観ながら私は『曹操ってどんな人?(別館)』という記事を書いていました。そのため偶然にも、曹操とヨハンを並べて眺めることになった、とは前にも書きましたね。

おかげで
「サイコパスの定義は」
「悪とは何か」
「悪魔は存在するのか」
等々、昔から考えてきたことを改めて考える機会を得ました。

史実曹操は現代精神医学上のサイコパスで間違いないでしょう。
彼ら現実のサイコパスは単純明快な本能で私利私欲を求め、気に食わない人を殺しているだけのこと。動物と同じです。

ヨハン・リーベルトなどのような現代の魔物と比べれば分かります。
曹操には闇がありません。同時代に生きていれば憤りを覚えますし、街をうろつく肉食動物と同じように行動を止めなければと思いますが、動物に深い闇があるわけがないのです。ただ「食べたい」「殺したい」、これだけです。
むろん、善か悪かで言えば間違いなく悪ですけどね。(地上の価値観において)

いっぽうヨハンに象徴される現代の魔物には深い深い闇があります。
闇の底から湧いて出てきたような汚らわしさ、嫌らしさを存在自体が持っている。

『MONSTER』が素晴らしく上手だったのは、この“魔物”の表現。きれいな容姿をしていても悪を考えているから何とも嫌らしい顔になる、人をゾッとさせる表情がうまかった。
現実の歴史資料などから、あの嫌らしい者たちを観察して抽出した人物像なのだろうなと思います。

私は「このヨハン・リーベルトは何者に相当するのだろう?」と考えながら話を追っていました。
ヨハンはただの「サイコパス」とも言い難い。
幼少期のトラウマを要因として後天的にサイコパスとなった、という設定だったようですが、彼の悪魔性にはトラウマさえも必要がなかったという矛盾もある。

やはり、ヨハンは“悪魔”としか表現しようがない存在として描かれたのだろうと感じます。作中では悪魔と呼ぶのを避けて“怪物”と呼んでいますが。

そしてそのような悪魔はグリマーが叫んだように、
「善悪の根幹を破壊した」
結果として、今も現実に地獄から引き出されていると思います。


悪魔は存在するのか、悪とは何か


何度か書いてきた通り、私は「悪魔という生き物は存在しない」と考える者です。キリスト教徒ではないのだから当たり前。

ただ闇の次元に永く棲む、“地獄の底(地上から離れた負の極)”の主のような存在はいると感じます。
そのような究極の闇から引き出されて生まれた魂は、ヨハンのように地上で地獄を実現しようとするでしょう。

地獄とは、嘘が真実を覆い尽くす世界。
善悪(正義と悪)は反転され、心は踏みつぶされ、人の絆は奪われ、精神が殺される。
“魂の殺人”によって思考停止した人々は誰も信じることがなく、お互いを殺し合って喰い合う。

まさに今、あのカルト思想が実現しようとしている世界です。
このような地獄を求めること、そのための行いが地上における本当の悪だと思います。

決して単純に殺人だけが悪なのではないのですよ。
もちろん、悪癖を持つ魂は必ず平気で殺人しますので、殺人事件は彼らを見つける手がかりとなりますが。


グリマーさんの心の叫び


最後に、この作品中もっともリアルで正しいと思った台詞を引用しておきます。

キンダーハイムで実験対象として育ち、感情を失い、二重人格となったグリマーさんが心を取り戻した瞬間に叫んだ台詞です。

あんたがやったことがどれほどの罪なのか、人間の善悪を破壊するということが何を意味するのか、人間のなかの怪物を目覚めさせることで何が起きるのか!

…人間は、人間は食事をうまいと思わなければならない。
休日のピクニックを楽しみにしなければいけない。
仕事が終わった後のビールがうまいと思わなきゃいけない。
人間は…、人間は……、子供が死んだとき心の底から悲しいと思わなければいけない。


第70話 「殺戮の町」より。

欧州の社会主義国で行われていたことは、まさにこの「善悪の根幹を破壊」して感情を奪うという悪事でした。
そしてその犯罪はC国で文革という大虐殺を引き起こし、今も地上を大殺戮で埋め尽くすべく着々と遂行されています。

今回はアニメでしたが、どうかこのような創作をきっかけとしてでも歴史を知り、現在進行している事態に気付いていただきたいです。

“善悪の根幹”を破壊してはなりません。
“人と人との絆”を否定してはなりません。
“心、感情”を失ってはなりません。


【関連の深い記事】barabara.png


もし、あなたが今この現実で行われている洗脳(メディアで流され続けている嘘)を受け入れるなら、明日のモンスターはあなたです。
家族を殺すことに快楽を覚えて歓喜の涎を流しながら、地獄の底へ転がり堕ちていくことになります。


【追記】2022/6「一神教を忌むべきものとしながら善悪二元論だけ輸入しているコイツはダブルスタンダード」との中傷について回答。善悪という観念は一神教だけの専売特許ではない。
 ⇒とある集団が行っている善悪否定(破壊)とその目的
世界中で「悪なんか無い」「我々は何をやってもいいんだ」という言い訳で殺人の快楽を正当化してきたこの者たちの言動こそ、“地獄虫”の典型的な地上での現れです。


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大雨の後に架かる虹。神々の応援を信じて(2021年の虹)

 昨日、“旧暦の七夕(8月14日)に願いを!”などと書いたのに災害級の大雨で。なんだか申し訳ないです。

日本列島も酷い災害に見舞われていますが、大陸はもっと大規模な被害が出ているようでとても心配しています。洪水そのものも心配ながら、去年よりさらに深刻な食糧不足が起きるのではと。

⇒七夕に… 湖北省襄陽など 洪水で28万人被災

早く雨が上がるように祈っています。

願掛けのため、先日私が撮影した虹の写真を上げておきます。早く虹が我々の頭上に架かりますように。
(こんな写真で良ければDL・利用自由です)

これは短時間の天気雨で一瞬だけ架かった大きな虹。肉眼では三重に見えた素晴らしい虹でした。




縦長バージョン、高コントラスト。


繰り返しとなりますが、何故、私が虹が好きなのかと言うと奇跡を感じるからです。
小説を読まれた方はご存知の通り、虹は私にとって人生の始まりと勝利のシンボルでした。

虹が大切な時に現れるのは、神々(オーディエンス)たちからの祝福と応援を意味しているようです。

オーディエンスの記事、特に「天意」の記事ご参照ください。

どのようなときも高い次元から霊たちが応援してくれています。
大雨の後ほど大きな虹が架かるもの。
希望を捨てずに、青空を待ちましょう。


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「確信犯」として最強武器を前向きに生かしていきましょう【返信】

 ご質問の返信です。
10月半ばにいただいていたのですが、メールに気付かず大変遅くなってしまいました。申し訳ありません。

Q.

初めまして。占星術のアスペクトについて質問です。
吉野様はトールハンマーという複合アスペクトをご存知でしょうか。
私はネイタルに海王星が頂点のトールハンマーを1つ持っているのですが、解釈がよくわからず戸惑っています。
このアスペクトに関して、吉野様の見解を教えていただけたら嬉しいです。


初めまして。ご質問ありがとうございます。
今回は別館のほうで記事とさせていただきました。

「神の槌」トールハンマーはブレイクスルーのための武器にもなる


 

 
別館の占星術講座は基礎的な話だけで終わりとなっていました。
アスペクトについてなど、他のサイト様が書かれている話はプロでもない自分があえて書く必要はないかな… と思って手を出さずにきたもの。
ご質問をきっかけにアスペクトの記事を執筆できてありがたく思います。

今回、書きながら新たな発見もしています。
実は私自身もネイタルにアセンダントを頂点とするトールハンマーを持っていまして。
アセンダントをアスペクト形成の感受点として数えない占星術師も多いので、あまり意識していなかったのですが、最近の自分の行い(別館での刺激的な発言)を考えれば「今トールハンマーが思いきり発動されているなあ」という感じがしますね。

私の場合、アセンダントが頂点なので魂~パーソナルな想いを刺激されて発動したようです。(具体的に言えば魂の芯から最も大切な思い出を誹謗中傷され穢され、許してはならない・自分が叫ばなければと思ったのがきっかけ)
そして三惑星が同エレメントであるせいか、かなり確信犯として行うことができています。

この複合アスペクトはやはり頂点となる惑星が“攻撃・改革・ブレイクスルー”の方向を決めると思いますね。
海王星の場合ですと、夢や理想、イマジネーションを刺激されたときに行動開始となるのではないでしょうか。

「確信犯」となる日が来たときは私のように引かれるでしょうし(苦笑)、批判にさらされることもあると思います。
人間、いくら精神を鍛練しても神経の細い人が太くはできせんから、打たれ強くなることは無理。ただ、論理的に筋の通らない話は聴く必要のない無駄話だと分かってきて、スルーできるようになるはずです。

いずれにせよトールハンマー持ちの方は「優れた武器」を持っているわけですから、ぜひ前向きに活用されてください。
巧く使いこなすために、意志や思考の鍛練が必要ですね。

メール返信続き…


(追記)
私は今年から吉野様のブログを読み始めました。
私自身のネイタルを読むときにとても助けられました。ありがとうございます。
吉野様が執筆されている本にも興味を持ちましたので、いずれ購入して読んでみたいと思います。


嬉しいお言葉! こちらこそ、通っていただきありがとうございます。
本…は、けっこう特殊なジャンルの小説ですが大丈夫でしょうか? もし気に入っていただけたら嬉しく思います。

今後とも当ブログをよろしくお願いします。

 

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VONVONなど、占い・診断サイトで名前や顔写真を送信しないようにしましょう

ここでもよくリンクしていた『vonvon.me』という診断エンタメサイト。
昨日眺めていて日本語がおかしいことに気付きました。

 

あなたの頭脳は男性脳?女性脳?より

 

 “呉”が簡体字になっていますね。そのわり“言”は繁体字という謎。
問題文の通り日本語としては「誤り」なのでこれが答えかなと思いましたが(笑)、他の問題にも簡体字が紛れていたのでどうやら本気のミスらしい。

それで、C国企業なのかなと疑い調べてみましたら韓国企業だそう。
なるほど… C国サイトほど日本語メチャクチャではないから今まで気付かなかった。

LINEが一時期騒がれていたように、韓国系の企業も個人情報を善からぬことに使っているのではないかという疑惑があります。

検索してみますと「VONVON危険!」という記事がたくさん出てきました。

スマホだとアプリをダウンロードさせる仕様になっているらしい。それで個人情報を抜き取られている可能性大とか。
また、Facebookと連携させるとアカウントを乗っ取られたとか何とか。
あくまでも疑惑であって運営会社は「個人情報を売ることはありません」と主張していますが、どこのサイトであっても用心するに越したことはありませんね。

よく見ると、このサイトには診断の名目で「氏名」を入力させたり(しかも本名を入れろと書いてある)、「顔写真」を送るように要求している診断もあります。
Facebookと連携しない人の情報もこういうお遊びテストで収集することは可能。

日本人の「本名+顔写真」情報はC国などが喉から手が出るほど欲しがっている情報です。
本当に売っていないのか? 怪しい。

私自身は普段、スマホからこういうサイトにアクセスすることはありません。
もちろんSNSに連携させることもないし、まして氏名や顔写真を送ることもない。
だから気付かなかったのですが、無防備にリンクして本当に申し訳ありませんでした。

遅ればせながら注意喚起させていただきます。



記事削除すべきでは?と思われるかもしれませんが、削除してしまうと逆に注意喚起が届かなくなるので今のままこれを掲げておきます。

また個人情報を収集している企業はVONVONなど占い・診断系だけではありませんので、安易に顔写真を送信したりしない癖をつけていただきたいと思います。
特に、TikTokやお遊びの顔変換アプリは使うべきではないと思いますね。

参考 https://twitter.com/mei98862477/status/1408968222724923393


男脳?女脳?テスト結果


ちなみに冒頭のテスト筆者結果、引用しておきますと
「あなたは100%男性型頭脳を持っています。」

難しい問題にぶつかったとき、優れた分析能力とセンスを基盤に、集中させて問題を解決し処理します。パターン分析に強みを持っており、一度好奇心を持った問題に対しては、最後までやり遂げる集中力を持っています。
いろんなことを同時にすることより、一つのことを終わらせてから次に進むタイプで、この過程を通してあなたの結論を後押ししてくれる、証拠と根拠を明らかにさせます。

とのことです。
そんな極端ではないつもりだったのですが(たいてい男性脳だが中間寄り)、最近は分析力が増しているのでしょうか?
では今回の推測も当たっているかもしれないですね。笑



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記憶喪失でも人格は変わりません。人格は脳・行動・魂の個性がつくる

 某ネット通販サイトで何気に購入した漫画のなかにこんな作品がありました。

『君が僕らを悪魔と呼んだ頃』


内容:

かつて、僕は悪魔だった。半年間の失踪を経て、記憶の全てを失ってしまった高校生、斎藤悠介。記憶喪失なりに平穏だった日常は、ある日、突然、破られた。次々に現れる過去を知る者、復讐者たち。覚えのない咎で断罪される瞬間、死肉に突きたてた刃の、幻を見た。━━さて。俺が殺したのは、どこの誰だ?

記憶喪失ものですね。
リアリティのなさと主人公のサイコパスぶりが気持ち悪くて耐えられず、私は一巻でギブアップ。

(酷評過ぎて申し訳ないと思ったので詳細レビューカット)

サイコパスだった人が記憶を失っただけで明るく健康的な人格にチェンジすることはありません。まして過去の自分の行いを知って反省することもあり得ません。

いくら漫画でも耐えられない破綻でした。
“文学的”とレビューしている人もいますが、文学だとすればなおさらこのような浅い人間観は許されないと思います。

記憶を失っただけで人は変わらない

 

別に漫画レビューを書きたくて記事を上げたわけではないのです。

この作品は多くの人の「記憶喪失」への誤解を描いた、典型的なものだと思ったので紹介しました。

今回この漫画を読んで気付いたのは、たいていの人が未だに
「人間は記憶を失えば人格チェンジできる」
と考えているということです。

そう言えば私も子供の頃はそう信じていましたっけ。
記憶を失ったら人格も変わるのだと想像して怖くなった覚えがあります。

逆に、失われていた記憶が蘇ったら人格チェンジしてスーパーな能力を持つ人間になれるかも、と夢想したことはありますね。
そういう設定のフィクションがけっこうあったからです。
有能なスパイだった人物が記憶を失って凡人として暮らしていたが、記憶を取り戻して大活躍するなどという設定は映画でもお馴染み。

現世で記憶喪失ではないが、前世の記憶を思い出して超人に変身する、という話もありましたね。(具体的な作品は思い出せませんが)
そのようなファンタジーは子供らしい変身願望を掻き立て、ワクワクさせてくれます。

しかし……、何度も書いてきた通り現実は違いま

記憶喪失の人でも、脳を損傷していない限りは人格が変わるなどということはありません。
何故なら脳の構造が変わらないからです。

たとえば冒頭で紹介した漫画のように、サイコパスだった人が記憶を失っただけで明るく善良な人格に変わるということは絶対あり得ないと言えます。
サイコパスは脳の一部(扁桃体)に先天的な異常があるか、著しく機能低下したときに現れる人格障碍。たとえ記憶を失ったとしてもそんな脳の構造は変わらないので、以前と全く同じように「残虐な行いを平気でする」「嘘をつく」「反省しない」という人格で生きることになるわけです。

確かに、後天的に身に付けた能力や態度は記憶で変化するでしょう。
仕事で培った知識を失えばその仕事ができなくなり、自信を失って暗くなっていく。逆に知識を取り戻せば復職し、自信を取り戻して明るくなる。このように状況によって一見人格が変化したかのように見える場合もあると思います。
でもそれは状況への反応。表面の変化に過ぎず、人格の根幹が変貌したわけではありません。

つまり現実では、
記憶が人間の人格を造っているわけではない
と言えることになります。

人格を造るのは行動

 

「記憶が人格を造るわけではない」という話をすると、極論として「では教育は完全に無意味なのか!」と考える人がいるのですがそうではありません。

行動が伴った“訓練”は現実に脳の構造を変え、人格も変化させます。
単なる知識としての記憶は人格に影響を与えないが、行動は人格に関与するということです。

この仕組みを悪用して「後天性サイコパス」を生む思想洗脳がありますね。
反対に、サイコパスを社会へ適応させるような行動療法も現実に行われています。
道徳の実践もサイコパスの芽をつみ、健常者の人格を高める基礎訓練でしょう。

では他者から受ける訓練によらず、無意識な状態で発揮される人格個性はどのように生まれるのでしょうか?
親の教育?
確かに親の育て方が人格へ与える影響はとても大きいと思います。しかし双子でも個性の違いが生まれるのですから、教育・環境だけが人格へ与える100%の要素であるとも考えにくい。

このような現実を観察していると、やはり「先天的な肉体の性質」「教育」以外の第三の要素が人格形成に大きな影響を与えているとしか思えません。

その“第三の要素”とは、(初訪問の人には少々飛躍していると思われるでしょうが)魂の個性です。
“魂は自分で肉体を選び、出生後も本来の個性に合わせてカスタマイズしていく”
と前に書いた通りの話。

【過去記事】 体は魂の性格でカスタマイズされる、という話

(もちろん生まれつき大きな脳の障碍がある場合は本来の個性を発揮していくことは困難と思いますが。その場合でも肉体を選んだのは魂自身です)

前世記憶を得ても人格が変わらなかった件


以上の話は私自身の体験から分かること。

私は「人格の同一性は、生きている間の記憶喪失だけではなく転生によって肉体を変えても保たれるのだ」と思い知った体験者です。

この話はちょうど最近私が書いていた記事にも関連します。
限定公開記事なので、関連するところだけ転載しますね。
昔から、何でもできる大活躍のフィクション(前世)が羨ましいと思ってきました。
若い頃は「いつか記憶を全て思い出せばフィクションにも近付けるのでは!?」などと夢見ていましたが、よく考えれば現実がさほどでもないからあり得ない。当たり前。

無い袖は振れない、現実ではないフィクションは体現できない、のです。残念ながら。
前世記憶を得てもスーパーな人間には変身できなかったという話。残念。

皆さんガッカリされているでしょうが、一番ガッカリしているのは私自身です。笑
「フィクションはフィクション」と分かっていながらも、心のどこかに変身願望があってファンタジーを夢見ていた若い頃がお恥ずかしい。

まあ、失われている言語知識などを全て取り戻せばそれなりに一家言ある人間になれるのかもしれません。ただ、古代知識は現代で役に立たないと思いますね。

しかも根本的に、私の言うことは前世とあまり変わらないのではないでしょうか?
「欲ばかり貪るな」
「くだらない言説に惑わされず自分で考えろ」
「道義に沿った行いは最終勝利する」
等々。
私がここに書いているような正論・説教は前世の記録文にも散見され、“昨日書いたのか?”と自分で見紛う既視感に襲われ赤面します。

あと、最近振り返って我ながら凄い一致だなと思うのは、今ここで書いた私の小説『我傍に立つ』を読んで泣いてくださった方が多いことです。
本当に全く泣かせるつもりで書いた文ではないのに、大勢の方を泣かせてしまった結果が前世と一致したのは不思議でした。

このような裏付けがあるので、半分記憶喪失であっても今の私は昔の気持ちを代弁できると考えています。

軽めの現代文は、当時とはまた違った印象を与えるかもしれません。表面しか読まない人はそういう点を指摘するのでしょう。
しかし根本の考えはたぶん変わっていません。

スーパーなフィクション人物に変身できなかったのは残念ですが、自分の人格を失わずに済んで良かったなと思っています。


私が思想統制? するわけないでしょう


(以下おまけの話)過去記事保存庫へ 
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タイムリープと輪廻転生の違いとは? 前世記憶を持つ人のアイデンティティ

 



こちら(要パス記事)で紹介した漫画『パリピ孔明』は、歴史人物が現代に“生まれ変わる”という設定になっているそうです。しかしファンタジーの種別として正確に言うなら、「タイムリープ」に該当するのではないかな?と思います。

“死後の移動だから転生”
と言われても……それは違うかな。
転生には新しい地で父や母がいて、兄弟や親族がいて、新たな名と居場所があります。

死んだときそのままの記憶・人格・名で、単に時間を移動しただけならタイムリープに当たるでしょうね。
定義にうるさくて申し訳ないですが。SFファンはたぶんもっと厳しいはず、笑。

【タイムリープ】
時間跳躍。SF用語で、肉体や人格そのまま過去から未来へ飛ぶこと。過去、未来に限定せず、アクシデントで時間移動する場合は「タイムスリップ」と呼ぶ。これらは和製英語だそうで、日本限定のSF用語です。

※2022年追記 実際アニメでこの作品を観て、この作品で言う「転生」定義は最近の「異世界転生」ジャンルにおける転生なのだと理解しました。普通はスライムになるなど姿かたちが変化するのですが、意識・記憶は完全に前のまま異世界へ移動するのがこのジャンルの特徴ですね。その場合、やはり本人から見た状況はタイムリープに近いと思います。

まあ、フィクション創作でのジャンル分けですからもちろん厳密ではなくても良いのですが、この「タイムリープ」と実際の「輪廻転生」を混同されてしまうと困るなと思います。

私もそうですが、現実に“前世記憶”を持つ人々が存在します。
その記憶が真正かどうかはともかく、前世記憶を持つ人々を「タイムリープしてきた昔の人」扱いされると話が噛み合いません。
(そもそも前世話を信じてそんな扱いする人いるのか!? と疑問に思われるでしょうが、ネットではけっこう遭遇します)

たとえば
「織田信長が現代に生まれ変わっていたら、オートロック教えたい!」
と言ってしまうような勘違いをされている人が多い。
現代に転生した信長さんなら、「君らと同じ時代に生まれ育ったのだからオートロックぐらい知ってるわ!!」と怒りますよ。

私だってこの通り現代でPCを使っていますし。サイトもブログも運営してきました。
スマホも使います。
もと古代人、というだけではなく昭和生まれなので(笑)スマホを使いこなせているかどうかは微妙ですが。

私は現代日本人です。
生まれた時から現代日本の文化に染まり、一般日本人の感覚で生きています。
観てきた映画やドラマ、アニメ、聴いていた音楽などもだいたい同世代の方と同じだと思います。

実を言えば、現代のギラギラした欲望の文化にはついて行けないと感じていたのは確か。
軽めの言葉遣いも苦手で、「真面目」「堅苦しい」とさんざん悪口を浴びたため修正してきました。
食べ物も素朴なものが好きでした。雑穀米や漬物が好きだったり。
おそらく、そのように無意識に関わるところは古代人の癖が抜けていないのだと思います。

この点が長期間を飛ばされた弊害でしょうね。
ブランクが長過ぎて地上情報のアップデートが難しい。
やはり100年内での短期間で転生してきた人のほうが、現代文化にすぐ馴染めて生き生きと暮らしているのでは。
たとえば現代でIT企業の社長などになって成功している人は、たぶん近代~現代を短期間で転生してきた人たちでしょう。

しかし私は現代にうまく溶け込めなくても、自分の「立ち位置」は今ここという認識があります。

このブログでも何度か書いてきた通り、私は自分が生まれた今の時代と文化が好きです。
特に子供の頃、ちょっと大人し過ぎるがごく普通(を装っていたとしても)の子として学校に通い、友達と楽しく遊んだ日々は貴重な体験でした。
平和のなかで生きられたことも良かった。
バブル期に過ごした子供時代は、振り返ってみれば楽しかったですよ。社会全体が明るくて。
私自身は一切バブリーなものに関わりない貧乏人でしたが(笑)、何の心配も要らない幸福な時代だったと懐かしく思い出します。

前世のアイデンティティとどう折り合いをつけるか


これも何度か繰り返し書いてきた気がします。でも、過去記事を読む人は少ないと思うので改めてお話ししておきます。

よく勘違いされるのですが、私の現在のアイデンティティは、他者曰く「前世という妄想w」で創作したものではありません

たとえば「お勉強ができる」「物静か」などの個性は、幼い頃に既にそうだったというだけ。
「末は博士か大臣か」は、実際に今の私が幼い頃にさんざん浴びた言葉です。
故に、現在の私のアイデンティティ(自己同一性)は、現在の人生で養われたものだと言えます。もちろん無意識には自覚できない前世の癖が影響していたでしょうが。

 参照→【質問】幼い頃、どんな子供でしたか?

私の場合、“前世記憶”は成長した後に思い出したもの。
そのときは既に高校生だったので、揺るぎない自我、個性が育った後です。

揺るぎない現世の自分と、前世記憶のなかの自分は、確かに同一で「続いている」自己という認識があります。

しかしそんな自己同一性を持つ前世記憶と、自分の脳から離れた場所にある現実の“記録”や他者評価は別物です。
長いことその現実記録と自分とを感覚で一致させることはできなかったため、他人として眺めることも可能です。
だからわりと客観的に、他者のように解説文を書くことができるわけです。
ふと状況を思い出すと物凄く恥ずかしいですが――どうせ他人が私の体験を信じることは永久にないでしょうし、一致した人物として見られることも決してありませんから関係ないと開き直っていますね。笑
「信じてもらえない」という状況を逆手にとって自由に語らせていただいています。

2018年頃から現実との人格一致(つまり、その記録文が確かに自分に対するものだという確信)を体験することが多くなりました。

先日も、「遠隔エゴサーチ」をやり過ぎて現世の幼い頃より前世が近くなってしまったと書きました。→前世のほうが、幼い頃より近くなる

こういう弊害がありますから、前世記憶をお持ちの方は今の私の真似をしないでいただきたいです。

今、私が遠隔エゴサしているのは逼迫する現代の事情あってのこと。
現代の危機がなければこのようなことはしていません。
私が大切なのはあくまでも今ここ・現代。今と未来の人々のためだけに過去を使いたいと考えています。


過去に乗っ取られたくないという願い


前世記憶を得てから長いこと現実に向き合わなかったのは、怖かったのと、
「前世に現世を乗っ取られたくない」
と思ったからでもありました。

結果として今現在を考えると、もしかしたら「前世に現世を乗っ取られている」状況と言えるのかもしれません。
前世記憶に心を揺らし、遠隔エゴサで痛みや怒りを覚える毎日ですから。

何より前世について考える時間の多さと、ブログ(別館)記事を書くことに費やす時間、この一切報いのない労働に我ながら人生損をしているなと感じます。

何らか使命があると思うのでこの苦役を続けているのですが、いよいよ今の人生が終わりに近付いたら全て放り出し、自己の日常だけを楽しむでしょう。

結局、私は今が大事です。
生きている時間が愛おしいと思う人間です。

(こう思うのも転生の記憶があるから、なのですが。つくづく矛盾していますね)

紫陽花について


冒頭アイキャッチ画像に紫陽花の写真を掲げたのは、今が見ごろの紫陽花を愉しみたいという想いから。(PAKUTASOさんより。自分の写真は下手なので、お借りしました。すみません)

散歩で出会う紫陽花が今、輝いて見えます。

これほど季節ごとに美しい花々が咲き、日常の散歩で愉しめる時代・国は他にないのでは。
究極に特別な今この場を愛でたいものです。


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三国志史実キャラクター論、思いがけず筆が乗りました

 


MBTI、今回の結果を受けて歴史館の記事を大幅に改稿・追記しました。

 
【別館】「三国志(正史)でMBTI」、参考に考えてみた

 

 いただいたツイート主さんのご意見のおかげで、思いがけず刺激されて色々と文を追加することができました。
(いつものことながら感謝する相手にも反論してしまうのは申し訳ないですね。史実に反することは述べざるを得ない。ほんとうに他意も悪意も無い)

今回、劉備についての記述が増えました。
「上品ではない」などと、きっとファンの方は怒ると思いますが、貶めているわけでは決してないです。
上品ではない史実(現実)のほうが私は圧倒で好きですけどね…。当たり前ですが。

それから関羽さん・張飛さん・姜維についてMBTIを推測しています。短文で恐縮です。

孔明については遠慮なく変更、追記。
INTPという推定で書き替え、前回リンクしたサイト様を参考として追記しています。また、反論への反論で補足が増えました。
この間まで自分自身についてもINTJと思い込んでいたくらいですから、このたびの変更も絶対に正しいと主張するわけではないですが(そもそも性格分析の定義は絶対的ではないのです)、MBTIについて以前より詳しくなった今の目で見るとやはり孔明はINTPのほうが妥当と思います。

…等々

このように語ることができて良かった。

実はメジャーな三国志人物について、史実の解説文を書かなければとずっと思ってきました。しかし気が引けてしまって書けずにいました。
やはり孔明と違って他の人物に対しては遠慮があります。

孔明は遠慮ゼロで表現できるから筆が進むわけです。それと不当な貶めに反論の必要があるので書いてきました。別に好きだから記事が多くなってるのではありません。笑
好きな人ほど筆が進みませんね。
劉備の話はきっと書けば幸福で楽しいのでしょうが(今回少し書いただけで楽しかった)、あれこれ考え過ぎて単記事化に躊躇しています。

劉備だけではなく、たとえ曹操でも、遠慮なくがつがつ書くというわけにはいきません。
もっとフィクションなども勉強してから書こう…。などと考えているうち、時が過ぎ。結局いつまでも書かずじまいとなっていました。

このたびMBTIに乗っかった形ですが、こうして少しでも彼らの史実についてお話ができたことは良かったと思っています。
刺激をくださったツイート主さんには深く感謝。

INTJかPか? デスノで言えば


余談です。

今回、自分も晴れて?INTPということで結論が出てスッキリしました。
それで少し他のサイトでもINTPの解釈を読んでいたのですが、Jよりも圧倒でしっくりきますね! 「違う違う」と抗議したくなるところが、あまりない。

一点だけ、あるMBTIサイトで
『デスノート』で言えば、LがINTP
と書かれていたとき抵抗したくなりました。

★デスノートについて以前書いた記事はこちら。『手段を選ばず、について私が思うこと

L……かあ… エルは嫌だなあ(笑)と。
申し訳ない。

自分は身なりに気を遣えない感じではないし、あれほど見るからにの変人じゃないよと思ってしまう。
これも外見上はJを装っているということでしょうか? 一応はがんばって身なりに気を遣、っているつもりです。
このため見た目にはライトのほうになると思います。たぶん。
(勘違い?? あそこまでスマートでお洒落ではないか。意外と身近な人に言わせれば「エルっぽいところあるある」と答えが返ってきそうで怖い)

何よりLの、甘い物だけ山盛りにして貪り食べる生活は嫌ですねえ。絶対に見習いたくない。

…ただしそう思うのは「甘い物」だからかもしれません。スイーツが苦手なだけという話も。笑
確かに甘い物でなければ偏食の気があり、ううむ。

まあ抵抗しているが、確かにLのほうに近いのかもしれません。

ライトには当初の動機には共感しましたが、保身のために無実の人を殺し始める辺りから「いい加減にしろよテメー」と思うようになりました。
もちろん読者の全員がそう思うように話を造られているわけですが、私は「絶対にお前みたいな奴は許さない」と思う程度が強いと思います。
エルの振りかざす道徳には気恥ずかしくなるものの、確かに今も現実あのような台詞を連発して「正義を振りかざす偽善者」と叩かれているわけです。だから、エルで妥当と言えるでしょうか。

ところで、この『デスノート』の喩えで気付きましたが、世の中の人たちはINTJ×INTPの知略戦が好きなのかも?

ライトとエルの戦いはINTJ VS INTPということになります。
昔から、司馬仲達 VS 諸葛孔明の戦いで盛り上がる伝統があるのもそのせいかもしれない。

現実の戦場では『超限戦』で「手段を選ばず」なINTJのほうが強いのであのような結果となるわけですが、長期的に見ればどうなのでしょうか。
人として、道義は守ったほうがいいと思うな。

 

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INTP・フクロウ型「非凡な知性を持った研究家」でした【MBTI結論】

 


 

以前から自分でも疑問に思っていた、INTJというテスト結果はやはり修正の必要性があるようです。

MBTI決定版に巡り合う


今回、良質なサイトに巡り合って結論が出ました。
こちらのサイトは決定版と言って良さそう。心理学の基礎を踏まえ、MBTIに関する世間の迷信を排除した詳細な分析です。私もようやく納得がいきました。

2021/5/29現在 筆者結果:
『yoshi』の性格タイプ/
非凡な知性を持った研究家
フクロウ型
(INTP-メインスキル思考力)
*あなたはフクロウ型の中でも、思考力に特徴を持っているフクロウ型ですので、メインスキルは、『思考力』になりました。


yoshiさんの属しているフクロウ型(INTP)は、多くのIT長者や偉大な学者が属していると推測されるタイプであり、全動物タイプの中でも最も高い知性を持っていると言われている研究者のようなタイプです。…多くの理論や発明が、このフクロウ型の高度な思考力によりもたらされていることは言うまでもないでしょう。…
フクロウ型は天才と言われることが多いかもしれませんが、それと同時に孤独を抱えることになるでしょう。また、コミュニケーション能力が低いことも多いので、他人の気持ちを理解できず空回りをすることも多い欠点を抱えています。

16TEST 精密性格診断テストより ※一部有料 このリンクはアフィリエイトではありません


>天才並みの思考力

はいはい。天才天才。ありがとう。
リハビリで慣れ、笑。慣れつつあるのが我ながら怖いです。何度も書きますが、実際はそれほどでもありません)

>コミュニケーション能力が低い

ここは当たりです。

最も腑に落ちたのは以下の解釈。
INTPの特技は、発生した問題の根本的な原因や矛盾点、および欠陥を素早く特定すること。そして彼らは、これらの問題を解決に導く戦略的で斬新な計画、および最適な解決策を速やかに構築し、それを遂行することができますし、状況に応じて柔軟に変更を加えることもできます。…

彼らは“世界”を理解するために、常に頭の中では独自の理論や枠組みを作り出しています。つまり難解な問いは常に彼らの中に存在していて、それは彼らを語るうえでは欠かすことができないピースなのです。

そんなINTPが愛するのは、アイデアや理論を練り固め、そして昇華させる知的な討論。INTPは他のNTタイプと同じく、常識とされている見方を疑問視し、再考して、独自の答えを出すことを好みます。そのため彼らは、物事を額面通りに受け取ることを非常に嫌悪します。

INTPの性格を理解するために
その通り。
常にずっと何度でも、頭のなかで考えを反芻しています(このため非常にカロリーを消費して疲労します)。
まあ他者から見たらくだらない考えであるらしく、興味を持たれることはありませんが。
思考の結果、生み出した“枠組み”も独自過ぎるのか他人に理解されることはほぼありません。

あとこの欠点は的確過ぎます。
「批判」や「皮肉」に向き合う、理解されないINTP

INTPとは、浮世離れした思想家です。そのため、彼らは多数に迎合もせず、協調もしません。そして彼らはわざと波風を立てるように、立場を問わず、真っ向から異議を申し立てたり、批判をしたりします。

INTPには、誰かを害したり傷つけたりするつもりは一切ありません。彼らは状況を分析し、問題が起きた原因を追及し、改善するよう促しているだけで、他意があることはまずあり得ないのですが、そんなINTPのスタンスに周囲が理解を示すケースは稀です。大抵の場合、INTPは周囲の人々の反感を買うことになるでしょう。

そして周囲がINTPに対して怒りはじめると、INTPは自らが発した言葉に対する周囲の過剰反応にしばしば驚き、周囲の感情的すぎる態度を「浅はかである」や「理性的でない」などと、面と向かって罵倒し始めるでしょう。それによりINTPは破壊的な衝突を招くことがあります。
まさにこの通り……。
現在現状で、いつもやらかしていますよね。

申し訳ない。平謝り。
迷惑かけていることは分かっているのですが、アイディアを提供しないで死ぬのは嫌なので譲れないのです。
常に本当のことを言っているだけで他意はありません。
なのでINTPに対する正しい対応は、彼らの言葉を額面どおりに受け入れることです。彼らの言葉には隠された意図などありませんし、彼らは誰かを傷つけようともしていません。INTPの言葉は、状況に対する正直で正当な評価でしかありませんので、変に勘ぐったり、深読みをしないほうがいいでしょう。
そうしていただけると、非常にありがたいですね。
でも「額面通り」言葉だけを受け取る人はほとんどいない。
勘繰り、深読みされてばかり。
嘘をつくことが苦手過ぎるので、逆に勘繰られてしまうのでしょうか。

最後に衝撃的だった解釈がこれ、
INTPは何よりも公平性と正義を強く信じており、すべての決定は合理的であるべきだし、それでいて人間としての道理に従うべきであると考えています。

ああ……「合理=道理」! 自分以外の文章でこんな言葉を見かけたのは初めて。
義や公平性は人間の道理と等しい・そうでなければ義でも公平でもない、ということを何度も言って来たが、信じてもらえることは稀。
見知らぬ他人に初めて理解してもらった想いです。感謝。



INTJと混同された理由


他サイトでINTJと診断されてしまったのは、こちら「後天的に身に付いた意識の方向」のせいであるようです。
意識の方向は、yoshiさんの意識が主に自分の方向に向いているか、社会の方向に向いているかを意味しています。自分の方向に向いている内向型は創造的、社会の方向に向いている外向型は社交的である傾向にあります。

最初、「判断(J)のほうが若干高い? これだと「INTJ」なのではないか…」と思ったのですが、
何故上記パラメーターとタイプが異なるのか?

上記のパラメータはあくまで傾向でありINFPタイプでもINFJの傾向が出ることがあります。これは本質的に分類されたタイプとは異なり、後天的に育んだ要素であると16TESTでは位置付けています。
なるほど。
そうではないかと思いました。
だから「INTP-INTJ混合型」で仕事によって使い分けている、と自分で感じるのでしょう。実際に使い分けている可能性もあります。

上サイトのINTJ解釈のなかに
合理主義な軍師気質のINTJ

INTJの性格を理解するために
とあって笑ったのですが、もしかしたら私は世間のイメージに自分から寄せて行こうとしていたのかもしれません。
これは今ではなくて、過去のことです。今は世間から受ける評価など皆無なので自然体でいられますが、過去の癖がそのまま残っているのかもしれない。
”狡猾な戦略家”なINTJタイプ…
「安牌」よりも「トリッキーな一手」で勝ちたい

INTJかもしれない兆候
などもそうでしょうか。
「トリッキー」どころか現実は「安牌」タイプですが。ずっと安牌を取りつつも、最後の一手で逆転したいという“憧れ”はあったのかもしれません。憧れと言うか、求められるからそう演じる義務感を持っていたのでしょう。

しかし、自分はINTJの有名人として例に挙がっているカール・マルクスらのタイプでは明らかになく、アインシュタインやユング、孔子(笑)のほうに共鳴します。
同じ「INT」なのでどちらも合理主義ではあるのですが、
「理想を現実で実現する」のではなく「現実のほうを理想に近づける」

(善悪反転、嘘をついてでも事実を歪めて変えようとする)
ということは自分には絶対ない。これをやったらおしまい… それこそマルクスの思想がもたらした地獄の結果になってしまいます。

私は、理想を現実で実現しようとあがくほうですね。当然ながら現実の壁は高くて叶わず苦しむことになるのですが、嘘を唱えて現実を歪めようとするより圧倒で報われるはずです。

この辺りがINTJとPの根本的違いかもしれません。僅かな違いだが、結果が大きく異なります。

ただしINTJの感覚過敏や繊細さで暴走したりするという解釈は共鳴します。きっとNTとして劣等機能が同じなので、弱点も似ているのでしょう。

【上サイトで参考になるページ】INTJとINTPの違いについて

 

まとめ


以上で結論とし、MBTIの記事は最後とします。

私のベースは「INTP」ということで間違いなさそうです。
過去では職務上、計画立案する必要がある・トリッキーな軍師キャラを求められる 等々で、INTJらしい振る舞いが身に付いたということでしょう。
水瓶座の解釈だと不思議とINTJとP、どちらも当てはまるのですが、Jの「野心がある」ということだけ明らかに水瓶座とは違いますね。

(水瓶座は不動宮のためJではないか?というご意見もおありでしょう。しかし、たぶん星座の三区分はそういう表面ではなくもっと精神的、根本の性質だと思います。たとえば水瓶座の人は工夫好き、発明好きが多いのですが、自分の発想に関しては頑固で譲りません)



余談 標本としてこの結果を掲げる


今またこのような性格診断の記事を上げるのは、相変わらず誹謗中傷されている“彼”の真実を伝えるためです。
最近ますます膨大な貶めの記事が書かれ、歴史捏造学者の書籍までたくさん出版されて、史実と全く違う人物像をばらまかれています。それこそ「INTJ」を悪く解釈したかのような、悪役戦略家のイメージを捏造されている。幼稚園児かと疑ってしまうほど知的レベルの低い者たち。例→久々に恥三を見てまた酷くなっていることを実感しました

私と彼との結びつきを信じる人はほぼいないでしょうが、あの嘘つきたちだけは嫌がらせで今の私と結び付けて悪口に利用する可能性があります(例の嘘つき犯罪者たちは、悪用できるものなら何でも使うので)。だからせめて性格診断などの情報くらいは正確なものを上げておきたいと思う次第です。
本音を言えば、私自身は今それほど自分の性格診断に興味は無いです。さすがにこの年齢ではもう、どんな結果が出ても似たようなものですね。今さら自分の強みを知ったところで役立てる時間がありませんし、笑。
だから全ては未来の人のため。真正な文化を伝えるため。


【INTPはサイコパス!?】最近「MBTIの分類 + サイコパス」でここを訪れる人が増えました(占い分類や性格診断分類に「サイコパス」のレッテルを貼ることが流行っているようです。残念なこと)。少なくとも筆者はサイコパスではないとの診断結果が出ていますのでご安心を(笑)。サイコパスは脳障碍であり、占いや性格診断とは無関係です。⇒サイコパスについて正しい知識を得ましょう。

 

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補足、オーディエンスを感じたいなら易などの託宣(オラクル)がお奨めです


 昨日の記事『オーディエンス(ガイド霊、マスター霊、見物霊)について、体験まとめ 』へ書き忘れた体験があったので追記しておきました。

※タイトル変更。「神託」→「託宣」

追記した件


追記したのは易占の話です。

若い頃に易占をしていたところ、ほとんど“チャット返信”のように会話が成立して怖くなったこと。
数年前に久しぶりに占ってみたらもっと露骨になっていて参った… という、若干オカルトな(笑)話。

天気を変えてみせるなどの壮大なメッセージも感動しましたが、オーディエンスの存在を最も感じたのはこの易占通信でした。
やはり言語変換できるメッセージはインパクトがあります。
そんな易占で会話が成立してしまえば、背後に誰かが存在することを感じざるを得ないですね。

それに数字や言語変換されたメッセージは「気のせいかな」とごまかすことができません。
夢の中のイメージは「ただの夢」と自分に言い聞かせることが可能ですし、天気が動いたことも「気のせい」と見なかったことにできる。
でも数字などはメモすれば現実に残ってしまうので、「気のせい」と思い続けることが難しいのです。
だからこそ易占などを使った瞬間、話しかける機会を待ち構えているオーディエンスはすかさずメッセージを送ってくるのでしょう。

読者様も、もしオーディエンスの存在を確実に感じたいと思っているなら易占などが手軽でお奨めです。
(ただし依存し過ぎないよう注意してください。私は露骨なメッセージが返ってくるので怖いのと、振り回されたくないので今はもう問わないようにしています)

易占などで通信できる理由


何故、易占などで通信できるのか。
他の記事にも書いたと思いますがここにも繰り返し説明を載せておきます。

死んだばかりの霊でない限り、オーディエンスたちは地上の言葉を使うことができないらしいです。
だから浮遊している低級霊を避けて上位のガイド霊と通信するために、昔から東では易占、西ではタロットなどの託宣(神託、オラクル)ツールが使われてきたのでしょう。

死後世界の方々が使えるのは数字・記号・図形(図柄)であるらしい。
漢字は図形として判断されるのか、かろうじて使うことができるようです。
(私は夢の中のメッセージで一度だけ漢字を見せられたことがあります。ただ全体にボンヤリしていて、認識できたのは四文字中で一文字でした)

陰陽の組み合わせだけで64種のメッセージができる易経は、記号として最もシンプル。たぶん向こうの方々にとっていちばん使いやすいのではないでしょうか。

とは言え、現代日本人には『易経』の表現は難解だと思いますので……
馴染みやすいタロットカードや、最近人気のオラクルカードを使ってもいいでしょう。

人気オラクルカードランキング(アマゾン。ただのリンクです)

ただしなるべくシンプルで、記号や数字が主となっているものを選んでください。
自分にとっても死後世界の霊にとっても分かりやすいものが良いかと思います。
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オーディエンス(ガイド霊・マスター霊・見物霊)について、体験まとめ


 こちらはご質問の回答です。他の読者様も気になっていることかもしれない、とのこと。

Q.

霊感がないように話されてましたが、オーディエンスや見守ってくれる存在を感じ取っていますよね。それはどういう感覚でわかるのですか?

(自分のサポーターに対しては感じ取ることができないので)
たまに一方的にものすごく感謝したくなるんです。もちろん伝わってはいると思うのですが、私も相手を感じられたらどんなに良いか、と欲張りに思う時があるんです。
はい。
そうですね、私には霊感がありませんから守護霊(ガイドさん)の姿かたちは視えません。

最近話している「核」
は霊感で感じ取っているわけではなく、もう少し遠い次元で直観に関わります。
思うに霊感とは直観よりも感覚(体感)に近いものです。たいていの霊は地上近くにいますから、肉体感覚に鋭い人のほうが霊視のチャンネルを合わせやすいはずです。だから霊感は遺伝するのでしょう(肉体DNAの素質が重要)。
私はたぶん体感が弱いほうだから、霊を視ようとしても難しいのではと思います。

「この人はサポーターに守られているなあ」
と私が言うときは、占星術でホロスコープを見て分かる場合です。
あとはご本人の生き方などを眺めて全体の印象として思うもの。分析的に。

そんな私が
「オーディエンス(地上の人々を見つめる死者たち)が実際にいる」
と確信しているのは、霊感がない人間にさえ分かりやすい現実の事象で存在を示してくれたからです。

始まりは16~7歳の頃


子供のころの私はあまり霊魂に関心を持っていませんでした。
たまにオカルト番組を観て怖がるような普通の子で、霊の存在を感じるような出来事も無かったと思います。
まだ祖母も生きていたし、「先祖の守護霊がついているかも…」などという考えもピンと来ませんでした。
むしろ自分のことを恵まれない子供だと思っていたので、「自分に守護霊なんかついているわけない」と考えていましたね。

神秘的な出来事と言えば、家の玄関に白蛇が来訪したことくらいでしょうか。(古代のおとぎ話みたいですね、笑)
自分に会いに来てくれたような気がしないでもないですが、残念ながら蛇嫌いの母が大騒ぎして追い返したので、私は姿を見ることができませんでした。

本格的にコンタクトが始まったのは16歳から。
心理学の本を読み、夢日記をつけてみようと枕元にノートを置いて寝たその日の明け方、「狼の夢」のなかでマスター的な存在からメッセージを受け取りました。
(このときの夢の内容は拙著『僕が見つけた前世』にて詳しく書いています。または要パス記事、経緯3にて)

“マスター的な存在”とは、たとえば地球など広い地域を担当する偉大な霊、という意味。人間感覚では“神様”と呼んでもいいようなイメージです。
姿かたちは見えず、言葉や音によらない意味だけの声が遠くから響いてくる。ただし響くメッセージはとても明瞭。
存在が大きいのだと思います。たぶん古代だったら私も「神様」と呼んでいたでしょう。

この同じマスターが、17歳のときの退行催眠で記憶を再生したときにも登場しました。
死後に私が人生を振り返っている際に指導してくれ、生まれ変わる先を示してくれた存在として。

【詳しい話】死の後、数日間の話

それからしばらくの間、この大マスターが地上の私へ直接に指導してくれた気がします。

明白だったのはあの「証拠を出せ!」の時です。
あとは『僕前』に書いた通り。
マスターから受け取った証拠、記憶、何もかもが現実であるという衝撃の体験を経て、「霊魂は存在する」「死後世界はある」「輪廻転生は現実の現象だ」「我々を見守ってくれている先輩霊たちが存在する」…ということを確信したわけです。
確信せざるを得なかったとも言えます。

霊たちを「オーディエンス」と呼んでいる理由


ところで私は自分の周囲にいる死者たちのことをいつも「オーディエンス」と呼んでいて、スピリチュアルジャンルで一般的な「ガイド霊」や「守護霊」と呼ぶことはあまりありません。
これは見守ってくれている霊が様々な種類と段階の方々だ、と知ったからです。

大マスターから身近なサポーターまで、それと特に干渉はして来ないが遠くから眺めている死者たちも含めて「死者オーディエンス(観客)」と呼んでいます。

色々な種類の霊たちが自分のことを見てくれているのだなあ、と実感することは折に触れてありました。
だいたい現実で体験する小さな事象で「いるな」と理解することが多いです。

その体験は過去記事にもしていますが、たとえば…


ある古い神社で大群の蝶に出迎えられた話:これは人間に生まれたことのない精霊や、とても古い時代に人間だった霊たちではないかと思います(スピの知識に照らし合わせれば)。

白い羽と蝶のメッセージ:マスターに近い霊からのメッセージだと思います。

鳥居の奥から黒アゲハ蝶:エンジェルナンバーを大量に見ていた時期のお出迎え。霊感の無い私でも神秘を感じてゾクゾクしました。高級霊である気がします。

虹を見せてくれた霊たち:これは感動しました。たくさんのオーディエンス霊たちが存在を示してくれた体験です。

小説全編完結後、「雲間の光」:小説内容に合った天気ショーは祝福してくれているかのようでした。

〔書き忘れを追記〕
地水師の卦など:若い頃から道に迷うと易占で尋ねていましたが、一時期ほとんど会話のように答えが返ってきて怖かったため中断しました。2015年に久しぶりに易占をしたところ連続して「地水師」の卦が。メッセージがあからさま過ぎてオーディエンスの存在を感じざるを得ませんでした。(良くも悪くも)

【補足】易占について解説。オーディエンスを感じたいなら易経などの神託(オラクル)がお奨めです

等々、
たいてい天気や蝶などファンタジックな体験で申し訳ないのですが、たぶん遠くにいるオーディエンスや精霊たちの祝福はこんな形になるのでしょう。

もっと身近な守護霊ならば実行力があり、事故や怪我などから救ってくれるのだと思います。
私には大事故や大病の経験がありませんので、今のところ「守護霊様が守ってくれた」という実力行使エピソードが皆無。遠くから大勢の霊に囲まれて守られているせいかもしれません。

あまりにも守りが堅牢過ぎて、私自身が“封印”されていると感じるときがあります。(自分のネイタル占星図についての感想も“封印”ですが)
現実に仕事が忙しくなりかけると不可解なタイミングで邪魔が入り、駄目になってしまうという出来事が連続してありました。
他にも進学することが叶わなかったことなど、現代現世において身動きを封じられている。私のこの状態は確かに“封印”と呼べるのではないでしょうか。

もしかしたら過労死を心配されて忙しさから遠ざけられているのか?
それとも私が外へ出れば危険な状況なのか?
とにかく「箱入り」過ぎ、悠々自適過ぎる人生です。

夢で告げられた「オーディエンス」の存在


もう一つ。
私が霊たちを「オーディエンス」と呼んでいる理由は、このような夢を見たことがあるからです。
あくまでも夢なのですが、前世記憶を見たときと同じく妙にリアルな雰囲気がありました。

〔夢の内容〕
私は暗い墓の上を飛んでいる。
たくさんの霊(よく見えないがおそらく悪霊)に背後から追いかけられて、恐怖を覚える。

好意的な霊たちからのメッセージが響いた。
「悪意を持つ者たちが追って来ている。
我々があなたを強力に守っているが、気を付けろ」

その直後、明るい場面へ変わった。
私は現代の立食パーティ会場で立っている。
ピンクのドレスを着た「霊能者」と名乗る女性がにこやかに近付いてきた。

「あなたの背後に守護霊が見えますよ。武将の霊で、名は……」
と告げられ、二文字がはっきり浮かぶ。

起きてからネット検索したところその名が現実に存在したので驚いた。
(当時、私はその名を知らず読むことさえできなかった。夢で知った読み方を入力したらヒットした)

【後半の詳細】夢で告げられた守護霊の名

この夢を見たので、自分には好意的な霊とともに敵意を持つ霊も追って来ているのではないかと思いました。

余談ですが後年、この夢を思い浮かべながら
「私には悪い霊もつきまとっているらしい」
などという雑談をブログで書いたところ、
「あなたの先祖が悪いことをしたから悪霊に憑かれているのですよ! 騙されたと思って、我が教団にお金を払ってお祓いしなさい」
などと悪徳宗教に勧誘されてしまったという滑稽な話もあります。
(きっと現代現実に不幸を抱えている人間なのだと思われたのでしょう。宗教は弱みを見せると付け込んでくるから参る)

悪い者たちが追いかけて来るのは先祖のせいではなくて、私自身の過去生のせいです。
ファンが多ければアンチも増えてしまうというだけのこと。

あの夢を見た二十代の頃はまだ理解できませんでしたが、今なら理解できます。
現に今、私の前世はあの悪霊たちによって壮絶に吊るされていますね。歴史殺しのジェノサイド活動として。

「たくさんの善良な霊たちが応援し守ってくれているが、悪意を持つアンチたちも追って来ている」
との夢の話は現実で裏付けられてしまいました。

現実と霊たちの世界は重なっている


まとめ。
このようにボンヤリした回答で申し訳ありませんが、霊たちが現実で存在を示そうとした体験を積み重ね、総合して「オーディエンスは存在している」という確信に至ったわけです。

決して日常的にいつもオーディエンスから干渉を受けているわけではありませんし、私もその存在をずっと意識しているわけではありません。
ただ確信した後なので、もうオーディエンスの存在を疑うことはないでしょう。

“封印”が解けたらどうなってしまうのか。
恐れつつも、強力なマスターと先輩方・守護してくれるかつての部下たち、ファンの皆さん(主に死者。ここの読者の一部の方も)がついてくれていると分かっているので落ち着いています。

 

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知識は害毒か? 真理探究で落とし穴にはまらない学習法

 

 

ご質問ではないのですが、いただいたメールのなかから最近私が上げた記事に関連する話を採り上げます。


知識についての話です。




直観を持つ人たち

 

S様のメールより引用。
ゲーテを読んでいて気付いたことだそうです。

引用文中、筆者に対する呼称については(筆者)と変換

全員というわけではないが、古典文学だったり偉人と称された人というのは真理を体感して、文字や芸術と各々の手法に変換してるなと思ったんです。

(筆者)もですが、誰に教えられるわけでもなく感じ取るじゃないですか。

私なんかはバーチの本を通して、勉強のような形で差し出された答えを少しずつ学んでいくのですが、(筆者)達のような方は自分たちで自ずと受け取っている。

その違いに気付いて、ものすごく凄い事だとつくづく感嘆させられました。
恐縮なお話。
私だってバーチの本には学ぶところがたくさんありますよ……。

ただ確かにバーチの本を読んでも知識として受け取るだけではありません。
自分の中に既にあるセンサーで真理を感じ取り、響き合わせている感じです。

このことは全ての文学、芸術、思想に対して同様です。

センサーを持つのはたぶん、一度真理とつながる体験をしたからだと思います。
『永遠1』の回答でお話しした通り)
真理とつながった体験は消えることなく、魂のセンサーが開いた状態を保ったまま転生を続けるのでしょう。

同じ体験をした人たちは幼い頃から何も学習しなくても真理を感じるセンサーを持つため、傍目には「直観」の強い人に見えるはず。
通常は前世の記憶などありませんから、自分でも何故その直観があるのか分からないと思います。私も子供の頃は分かりませんでした。

なお「直観」という言葉は単なる思いつきなどの意味で使われることもありますが、心理学者ユング言うところの定義なら、悟りに近いインスピレーションのことになります。
学習を経ずに知覚する能力の指標。色覚や嗅覚・味覚などの鋭さを示す「感覚」とは別物で、この二種の能力は何故かたいてい反比例します。(反比例するのは、直観のほうが強くなると肉体感覚から離れていくからでしょう)

生まれつきそんなセンサーを持つからといって直観タイプの人間が特別に凄いわけでも何でもなく、優位というわけですらありません。

こういう話をすると嫉妬したり、「お前なんかが。嘘に決まってる」と必死で否定したり、憎んだりする人がいますがそんなことには何の意味もないわけです。
嫉妬して相手を貶めたところで、相対的に自分が“悟りの境地”という地位に上がれるわけがない。そういう大奥のような次元の話ではないのです。
真理を求める道に地位などありませんから。

(地上に属する話ではないのに“位”を得ようとして、他者へ嫉妬し引きずり降ろして自分がその地位に上がろうとしている。それは真理の道と真逆を進むこと)

知識は真理の探究に何の役にも立たない?

 

しかし私も何の理由もなく、瞑想だけで突然に真理を悟ったわけではありませんね。

前々世の人生であのインスピレーションを得るに至るまで、長い長い人生の旅を経てきました。

他人から踏みつけにされる経験をし、痛みと苦しみを味わい、人間社会の悲惨と闇を嫌というほど見て……。
最後に私の「先生」と出会って教え導きを受け、死に際の瞬間に“真理”とつながる感覚を得ました。

私自身が人生の旅のなかで考え抜き積み重ねた経験が主でしたが、最終的に先生の教えが背中を押してくれたことは間違いありません。

つまり知識だけで真理へ辿り着くことは絶対不可能だが、経験が全てというわけではない。

だから、
「知識は完全に無意味で役に立たないもの」
とは言えませんね。
(私自身、知識至上主義者は嫌いですが知識絶対否定論者でもありません)

前の話と矛盾するようですが、知識も心の鍛錬とともに積み重ねるならいつか真理へ届く足掛かりとなるのです。


90%の経験 + 10%の知識

感覚としてはそんな割合です。
経験と学びの総合で、真理探究のために必要な階段を昇るという感じでしょうか。

しかしどちらに対しても自分で考えることが必要でした。
“心が一番大事”
とは自分の心に耳を傾けて考えるべきだ、と言っています。

よく、お釈迦様のような人が静かに座り瞑想をして悟りの境地に達する――などという話がありますが、あれはただ「自分の心に耳を傾けている」様子をファンタジーで表しているのではないかと思います。

経験でも知識でも口を開けて呑み込むだけでは何の栄養にもなりません。
特に知識は自分の心に照らし合わせて吟味しなければ有害な毒にもなります。
何故なら人々を誤った方向へ誘導するために、“罠”としての知識をばらまいている者たちがいるからです。

知識が毒となる現代。狂気の罠に落ちやすい学習方法とは

 

前回も私は知識に関してこのように書きました。これは真理に関する話ではなく地上の知識についてでしたが。

「まず知ることが第一」、その通りです。
でも、実際はなかなか正しい知識を仕入れることも難しい。
大きな看板を掲げる者たちが叫んでいることを「知識」だと信じて行動するだけでは駄目なのだと思います。大声で叫ぶ者たちが、人々を煽動しようと罠を仕掛けていることもよくありますから。

“一次情報をチェックせよ”と言われますが、現地へ取材に行けるわけがない一般人には不可能です。
実際には不可能だと知りながら、「ファクトチェックせよ!」と大声で叫ぶ。そのうえで「我々がファクトチェックしてみました!」などと情報を提供するのは、人々を一網打尽に絡めとる罠だと悟るべきです。
知識というものは罠として扱いやすい道具なのです。
何故なら簡単に歪めることができるわりに、人々を誘導する力を持つからです。

上の転載文は政治など現実的な事柄についてでした。
しかし、真理の話をするジャンルでもたくさんの罠がばらまかれていますね。

最近はスピリチュアルよりもネットワークビジネスのほうが流行りのようです。しかし今でも時々スピリチュアルを使った詐欺があるらしいので気を付けてください。
セミナー、ワーク、オンラインサロン……等々。手法は様々です。
宗教という形をとっていないことがほとんどだから、「宗教ではないから大丈夫」などと見た目で安心してはいけません。
本質の構造で観れば、ビジネスサロンも左翼団体もスピワークも、カルト宗教と同じものなのですから。

スピリチュアルだろうとビジネスだろうと、とにかく受け身で知識にしがみつこうとしないこと。
あなたがた自身が教祖や主催者の言葉を繰り返すだけの、コピーロボットにならないことです。
(私のブログでもそうですよ。知識再生のコピーロボットで自分の考えを持たない読者さんはお断りです。…と、こんな素っ気ないことを言って突き放すからあまり人気にならないのだろうけど)

知識にしがみつくと洗脳・マインドコントロールという落とし穴に落ちてしまいます。
ただ他者の意見を脳に刷り込んだだけであるのに、何故か自分がレベルアップしたような気分になって「自分は真理を得たのだ」と勘違いしてしまう。
そうなれば教祖の思うがまま。
好き放題に操られて搾取されたあげく、教祖の言うなりで殺人まで実行する脳を失った奴隷となるでしょう。


狂気に堕ちやすい人のタイプ

 

どういう人が学習によってそのような狂気に堕ちやすいのか? と言うと、残念ながら“頑張り屋さん”の人です。(その他のタイプはこの記事の最後にリンクした別館記事をご参照ください)

特に、学校の成績が良い「秀才」だった人は狂信の度合いが強く、カルト教団のなかでも幹部クラスになる傾向があるようです。

おそらく秀才タイプの信者は自分が学習した知識に自信を持つのでしょう、教祖(思想書)から与えられた教義を絶対的に正しいものとして信奉します。
そうなれば、どのような誤りを指摘されても決して目が覚めることはありません。
嘘をつくことや殺人などの犯罪を強要されたとしても、「それは正しい理想のために必要なことだ」という歪んだ理屈を考え出し、自分が与えられた知識の正当性をなおさら強固に唱えるようになるだけです。
過ちを認めたくないという秀才のプライドも手伝って、自己正当化のためだけに他者の口を封じ始める。
そうなればもはや狂気。壊れた殺人ロボットでしかありません。

このような狂気に堕ちた秀才は、日本で有名な事件を起こしたカルト宗教の幹部や、世界革命という理想のために今も破壊活動を続けている左翼たちに典型例を見ることができます。

どうして現代はこのように愚かな秀才が生まれやすいのか?
それはよく言われていることですが、詰め込み教育の弊害ではないかと思います。
最も良くないのが、コピーロボットとして知識を暗唱できた子供だけが、良い成績をとって褒められる世界をつくっていること。
そんなコピーロボット化の調教ばかりしていれば、教祖やリーダーの命令に従いやすい“無脳な”奴隷たちが大量生産されるわけです。

私も前世~今世前半までは一応インテリ側でした。
それでも今のところ他者のコピーロボットになったことがないのは、いわゆる「秀才タイプ」ではなかったからでしょう。
知識だけ鵜呑みにすることは無かった。自分なりに考えるほうが好きだった。
(優等生っぽく見られるけど秀才ではなかったらしいですね。ギフテッドの特徴に合致)
現代では私のような他人の台本に従わないタイプは浮いてしまって、どこのグループからも除け者にされています。しかし他者の奴隷となるよりは幸福な人生だと言えます。

もしも真理とつながるセンサーを持ちたいなら、まず「秀才」であることをやめるべきです。
少々孤独ではありますが、知識ではなく分析を中心として学習するようにしてみては?

知識は程々で構いません。とにかく“頑張り屋さん”をやめましょう。
教祖にとっての「イイ子」を演じないように。私に対して「イイ信者」を演じてもすぐに見抜きますよ。

真理への旅路には先を歩くか後を歩くかという違いはあるけど、生まれ持った能力の優劣や、「教祖・信者」の別はありません。
スタートラインは皆、同じ。
違って見えるのはただ、今この地上時点で魂が若いか老いているかの違いだけです。

だから、焦らないでください。
焦って欲張ることが一番、危険です。

いつも書いていることですが、我々に与えられている使命は
「ただ目の前の人生を必死に生きること」。
それだけ。
人によっては今世の人生計画が政治家になることかもしれない、芸術家かもしれない、主婦かもしれない。他人を苦しめる悪行以外、否定される生き方など何もありません。
そんな人それぞれの人生計画を精一杯に生きることです。
そうすれば、自ずからカルマの回収が行われて善い方へ向かっていきます。

特別な宗教儀式や修行など要らないのです。
人生に裏技なんか無い。※
そういった“裏技”を求めてサロンやカルト宗教に近付くのは、他人より先に行きたい・優位に立って他人を見下したいという欲望なのだと気付いてください。

※風水や「引き寄せ法則」を教えている人たちは、人生を変える魔法があって今すぐ金持ちになれるのだ・カルマなんて存在しないと主張しています。これは欲望を煽る危険な考え方。少なくとも「引き寄せ」は悪魔崇拝を起源とするため注意したほうが良いです。欲張って地上で優位に立つ力を先取りすれば、必ず後で莫大なツケを払うことになります。
【関連記事】現世での成功は果たして、最善の選択か? 魂の目的と肉体の欲求との違い

まとめ 最善の学習法

最後に、カルトという落とし穴にはまらない最善の学習法についてまとめておきます。
これは特に真理探究したい人向きですが、全てのジャンルの学習に言えることです。

1.一人の著者、一つのジャンルの本だけ読まない

危険な思想にはまってしまう人の典型的な本の読み方は、一人の著者・一つのジャンルの本だけ延々と読み続けることです。
読書を「学ぶ手段」としてではなく、自分の願望を強化する知識武装のためのツールとして悪用してしまうのです。

カルトな思想や健康法にはまる人たちは、
「私はたくさんの本を読んで知識を身に付けている。あなたよりたくさん知っている。だから私が誤ることは絶対にない(間違っているのはあなたのほうだ)」
と主張します。
しかしそのような人たちが読んでいる本は、全てそのカルト思想を推奨する本ばかりなのです。
同じ種類の本をいくらたくさん読んでも知識が広がっていくことは永久にありません。
むしろ、願望を先鋭化して狂信を深めていくだけです。

2.知識だけを過剰に信頼しない

前回も書きましたが、大手メディアがプロパガンダするときは必ず
「ファクトチェックせよ!」
と叫んだ後に
「我々がファクトチェックしました~。どうぞお受け取りください」
と言って情報を差し出します。
看板の大きな会社がファクトチェックしてくれたんだ、だったら真実に違いない、と思い込んだ民衆は容易く騙されて煽動されてしまいます。

何故このような罠にはまるのか?
――原因は、「知識」だけを妄信し依存しているからです。

たとえば戦場では入手した情報が正しいか誤りなのか、取材に行って確認している暇などありません。
緊急性が高ければ高いほど、ファクトチェックなどというものは不可能になるのです。
したがってファクトチェックに依存している者は、戦場では全く使い物にならないと言えます。

学問でも現実の政治でも、重要なのは自分のなかに基準をもって知識と向き合うことです。
まして真理についての学習ならなおさら。自分自身の心と常に照らし合わせながら響かせて吟味しなければ1ミリも理解できませんし、悪い宗教の信者として囚われてしまうことがあります。
繰り返しますが、妄信して依存するだけの知識は毒にしかなりません。

3.広く雑多な学習をする

1と同じ。(1を逆から言っている)
学習したいなら一人の著者、一つのジャンルだけに留まらず、広く何でも読むべきです。

コミックやライトノベルだけ読み続けない。(最近の日本漫画やライトノベルは妙な思想に汚染されているようです)
一種の思想書(たとえば左側)ばかり深読みしないこと。
スピリチュアル好きな人でも、スピばかり読んでいては駄目。
健康法では賛同者の本ばかり読み漁らない。

日本では「広く浅く」の読書が馬鹿にされる傾向があるのですが、外国人はわりと「広く浅く」の読書を好む人が多いようです。私はそんな外国読みのほうに共鳴します。そのほうが確かに視野が広がるし、知識を妄信する危険も少ないと思います。

【この件について】二流の読書でバカになる? 広く浅くの雑読を後押しする、嬉しい言葉

4.肩肘張らない、頑張り過ぎない。秀才をやめよう

本文の繰り返しになりますが、勉強を頑張り過ぎないこと。とにかくこれが大事。

秀才をやめましょう、教祖の言うなりをやめましょう。

人生の旅路はとてつもなく長いのです。
焦らずに、目の前の人生に向き合ってください。せっかくの人生を大切にしてください。
“心”を主体として行動していけば必ず真理へ到達できます。


【別館リンク】
最後にもう一つ別館記事。一般向けですが参考になれば幸い。



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核(本質)の説明と、いつの世も心に従って生きるのが一番良いという話【返信】

 有意義なメールをいただいたので返信させていただきます。

※当記事には別館記事へのリンクが含まれます。リンク先には政治的な話がありますので、政治が苦手な方、メンタルの弱い方はクリックしないでください

一の集合体を人間社会で再現しようとすると、ただの「地獄」になること


こんにちは。
年始に『永遠の雨、雲間の光』第一話の感想と真理の質問をさせていただいたYです。

Y様、こんにちは。再びのメールありがとうございます!

私の大霊と真理への理解はまだ始まったばかりで、これからしっかり勉強していきたいと思っております。
"核"が見えるとのお話はとても新鮮でした。あれから人の中に核は見えるか?感じるかと意識してみるのですが、残念ながら私にはまだ分かりません...
でも、全ての個は、高次元の一つの存在から生まれた価値の等しい存在達で、そのそれぞれが高次元の可能性を秘めていると今は理解するようになりました。

本当にいつも勉強になります。ありがとうございます。
今後もまたこんな風に真理についての対話をさせていただけたら嬉しいです。

こちらこそ!です。
どうしてもキナ臭い現実へ意識が向いてしまう昨今、ここで書くべき話が思いつかず書きあぐねていました。
本質の対話へ連れ戻してくださるY様のお話、とてもありがたく思います。

>"核"が見えるとのお話はとても新鮮でした。あれから人の中に核は見えるか?感じるかと意識してみるのですが

私も何か超能力的な感覚で、人のオーラのように見えるわけではないのでどうかご無理なさらずに…。
あくまでもイマジネーションなのです。

たとえば物質について分子や原子を考えるとき、我々の頭の中には下図のようなイメージが浮かびますよね。でも専門的な機材を持っているわけではありませんから、その場において顕微鏡などで現実に見ているわけではありません。

 



私の感じている核は、このようにイマジネーションで想起しているものです。
(追記:ただし単なる空想と違うのは、実際にその核が“在る”ことを魂で知覚していることです)

もう少し現実的・現世的に言えば“本質を見る”という言葉に近くなります。
物事の中心。こじれてしまった問題を解きほぐすための点、のようなもの。
私が口癖で言ってしまう「構造を読む」ということも、この核、“本質”へ意識を向けることから始まる気がします。

……ややこしい表現ですね。すみません。
自分でも無意識に行っているイメージなので、うまい表現ができず申し訳ないです。

>全ての個は、高次元の一つの存在から生まれた価値の等しい存在達

仰る通り。
世界の全てと個は等しいのですから、個を踏みにじってはならないわけ――と言うより魂の世界では一個が他の個を支配することは絶対不可能――です。

誰も他の誰かに屈服させられて、何かを強制させられるべきではない。つまり全体主義は真理に照らして誤っている。
私がこう思うのは何かの思想教育を受けた結果ではなく、単にそれが宇宙の真理だから、というだけのことです。

「万物は一から生まれた」は真理なのですが、人間社会において「全ての人間は一つの社会制度に支配されるべきである」ということは言えません。
大霊と同等のエネルギーを持つ魂すべてを、同等の魂一個が呑み込んで永久支配することは不可能。
だから当たり前ですが人間社会において“大霊”の状態を実現することは100%不可能です。
それ風の社会を造ることは可能であってもハリボテに過ぎません。個が意志を失って支配され奴隷を演じる世界は、天国などではなくただの「地獄」と呼ばれます


我々はこの世で何ができるか

これからも真理についての勉強を続けたいから、このキナ臭い時代と社会に対して、ちっぽけな私にも何か出来ることはないだろうかと考えてみました。

巨大な問題や力に対して個人はどうするのが望ましいと思われますか?
まず知ることが第一だと思いますが、一般人はその後具体的にどうしたらいいのでしょう...

身近な例でいえば、買い物をするとき、出来るだけ国産を選んで国内生産者を応援するとか、応援したい国や地域、企業の製品を自分でしっかり調べてから買うよう心掛けるとか、でしょうか?
安い物はなぜ安く売られているのか、どこでどのように作られているのか、また廃棄したときの環境への影響はどうか...等々調べるポイントは色々ありますものね。

我々消費者の意識と行動が変われば、企業も商品企画やサプライチェーンを変えていくと思います。個人と企業が歩調を合わせれば、きっと社会は変わるはずです。最近その動きが出始めている気がしていて、時代の潮目は確実にしかも急速に変わりつつあると感じます。

欲しいから買う、安いから買う、ではなく、未来を考えて建設的に物や暮らし方を選ぶ。一人一人の行動が、欲望よりも人としてあるべき理想の姿に基づいたものになり、その動きが伝播していけば世界は変えられる、との希望を持っています。
>巨大な問題や力に対して個人はどうするのが望ましいと思われますか?

はい、私も巨大な力に対して何ができるか常に悩んでいます。
無名な個人に過ぎない自分の無力さが辛くて歯噛みする日々です。
それでも一個の口を持つ人間としてできることはある、と信じて発言・行動しています。

消費者として国内生産者を応援するために、国内産を買うのはとても良い行動だと思います。
個人ができることは意志を示す発言と行動のみ。
そのような意志が集まればきっと大きな力となります。これがほんとうの「民意」というものです。

ただそのためには個人それぞれが自分で考え、意志を持つことが不可欠でしょう。

「まず知ることが第一」、その通りです。
でも、実際はなかなか正しい知識を仕入れることも難しい。
大きな看板を掲げる者たちが叫んでいることを「知識」だと信じて行動するだけでは駄目なのだと思います。大声で叫ぶ者たちが、人々を煽動しようと罠を仕掛けていることもよくありますから。

“一次情報をチェックせよ”と言われますが、現地へ取材に行けるわけがない一般人には不可能です。
実際には不可能だと知りながら、「ファクトチェックせよ!」と大声で叫ぶ。そのうえで「我々がファクトチェックしてみました!」などと情報を提供するのは、人々を一網打尽に絡めとる罠だと悟るべきです。
例として2020年には「ファクトチェックせよ」と叫んでいるメディアが虚偽の情報を流して思想誘導した、という現実がありました。

このような虚偽を見抜くのはなかなか難しいかもしれません。
でも少し距離をもって遠目に眺め、冷静になって本筋を考えれば矛盾くらいには気付くはずです。その場合、鵜呑みにしてついて行くという行動にはつながらないでしょう。

結局は、個々人が「自分の頭で考えることが大事」ということになります。
それも難しいことなのですが、ただ自分を持ち続けるということだけでも必要です。

ちょっと古風な表現になって難しいかもしれませんが……
「天道・人道に照らして義を貫く」
これが人間社会では大霊とつながり、幸せに生きる唯一の道と思います。

【天道とは】天に存在する法理のこと。世の真実や究極の道徳のことを指す。「おてんと様に照らして恥ずかしくない行い」のオテントは「お天道」と書き、東洋における道徳心の源となっている。「人道」はその「天道」に対応する人としての道理のこと。「義」は、天道・人道に沿った正しい行い。

大きな看板や肩書に目を奪われずに。
SNSの大勢に流されず。
幼い頃から変わることのない「自分の心」によって、何が道義か考える。

たとえば殺人など犯罪を強いる集団があったら、道義に照らして拒否する。ついて行かない。
これだけでも社会を守る免疫になるでしょう。

また、奴隷を使って安い服を作っている会社の店で買い物をしない。
これも「天道・人道に照らした行い」ということになります。
もし個々人がそのように自分で道徳心を持ち考えながら行動していくなら、社会を善いほうへ変えていく力となるはずです。


個々人が自分の生き方を持つことが水瓶座時代

私たちは他者に「~して欲しい」「何で~してくれないの?」と、とかく要求や否定をしがちですが、少し立ち止まって、これを止めてみることを私は提案したいと思います。要求すれば要求が、否定すれば否定が、返ってくるだけですしね(カルマの法則による)。
ですから私たちは肯定的な行いで意思を表さなければなりません。もっと理想をいうならば(他者に)与える行いをしなければなりません。そうすれば他者からきっと与えられるはずです。
つまり、他者や社会を変えようとする前に、まず自分自身を改革することが必要だと思うのです。己が変われば周囲が変わり、自動的に社会が変革されていく。そしてこういうのが水瓶座時代の生き方なのかな、と最近思うようになってきました。

仰る通りですね。
要求ばかりしている人は、自由と我がままをはき違えています。
あるいは明確に社会破壊の目的をもって、わざと攻撃的な要求をしている者たちもいますが。そのような破壊魔が増えれば社会が破壊されるだけではなく、彼ら自身の人生も破壊されるでしょう。

>(他者に)与える行いをしなければなりません。そうすれば他者からきっと与えられるはず

はい、そうですね。「情けは人のためならず」。
(この諺の意味:他者へ温情をかければ因果応報で自分へ還る。だから積極的に他者のためになる行いをしなさい、という仏教の教え)

ただ一つだけ、批判について私の持論を述べれば。
批判を禁止して口封じ※する世の中ほど危険なものはありません。それは全体主義そのものです。

※批判を禁止して口封じ~:昨今若い人たちに大流行しているオンラインサロンは、批判を禁止することで詐欺やカルト宗教の温床となっている。このように批判を禁止し信者集めする手法は、K産主義など全体主義社会形成への基礎となる 【関連記事】オンラインサロンに違和感

「批判すると批判が還ってくる」
という理屈は、確かに現実そうなのですが今の世ではその弊害ばかりが過剰にクローズアップされ、犯罪者が逃れる手段として悪用されています。
「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」
と言い、被害者をさらに打ちのめして口封じしてしまう。そして犯罪者はいくら罪を重ねても批難されることなく、蛮行にふけることが許される社会の素地を造っている。

「引き寄せの法則」というものが声高に叫ばれていますが、これも同じ目的で創られた可能性があります。
引き寄せの理屈によれば
「批判が批判を引き寄せるから、罪を責めることはやめろ」
「正義を振りかざすのは悪だ」
と主張することが可能になる。
そうなれば犯罪者を裁くことさえ「悪」ということになる。こうして世界の善悪が反転し、蛮行やりたい放題の世が実現する……。

今の世にはこのような欺瞞が溢れ道徳が封じられていること、我々は騙されて悪魔たち(蛮行を愉しむ悪癖を持つ霊たち)の奴隷となりかけていることには、気付くべきと思います。

実際、批判すれば敵を生んで面倒な立場に追い込まれる。
これはカルマの法則と言うより、地上の人間行動学に照らして事実でしょう。

私も今、他者の悪行を指摘しているので不利な状況に追い込まれていますね。
SNSで凍結はしょっちゅうのこと。このブログも大手検索会社からは検索八分を受けていますし、一部ブラウザで表示されなくなっているのも検閲・言論弾圧の一種かもしれません。
私ごとき、たかが無力な個人の発言に対してこのような圧力がかかるのですから、著名な批判者たちは命も狙われているでしょう。

でもだからと言って我々のような批判者が口を閉ざしてしまえば、嘘だけがまかり通る世の中となります。(既になりかけています)
全体主義に侵されてしまった国々では、皆がそのように口を閉ざし暴力を許したので地獄化したのです。

Y様の仰りたいことは分かります。
最近の私の発言を眺めて心を痛めてらっしゃるのでしょう……。攻撃的で汚い言葉ばかり発してしまい、本当にすみません。
ここのブログに通ってくださった方々の多くが離れてしまったことは承知しています。

柄にもない発言を続けることは、私も辛いのです。攻撃的なキャラを演じることは疲れますし精神的に参っています。
それでも地獄化する世の中を歓迎するわけにはいかないので、発言を引っ込めることはしません。
ナチュラルキラー細胞はただ危険だというメッセージを叫びウイルスに討たれて死ぬ運命。嫌われるだけで密かに死んでいくのだとしても、免疫として死ぬなら本望です。

>私たちは肯定的な行いで意思を表さなければなりません。

Y様も他の皆様も、どうかそのようにポジティブな生き方をされてください。
暗い世の中が過ぎた後には、ポジティブに未来を創造する人々の存在が何よりも必要です。

>己が変われば周囲が変わり、自動的に社会が変革されていく。

そうですね、私もそう思いますよ。
変革というものは穏やかに、人のなかの本能を発揮して(天道とつながって)自動的に成されるものです。
無理に社会を改革しようとした者たちが招いた地獄が20世紀の東側です。

残念ながら、社会改革という看板の裏で世界を滅ぼしたい・地獄を招きたいという野心を持つ者たちはいつの時代でも一定数います。
そのような地獄化へ反抗し、密かに死んできたのがナチュラルキラー細胞として生まれてきた人々でしょう。
そんな免疫たる人々の行動も、魂の本性に基づきます。
“ナチュラル”という名がふさわしい自然由来の免疫です。そのように生きざるを得ないのです。
人の幸せを保つために、陰でひっそりと死んできたNK細胞たちの存在も知っていただけたら嬉しいなと思います。
批判の言葉は誰かを傷付けたい言い訳としての「正義の暴走」などではなく、ただ守るためだけに使われています。暴力と混同して、口封じしようとする人たちが多いのは残念なことです。

他者を貪る蛮行を除けば、様々な生き方が許されています。一種類だけの決まりきった「べき」という生き方などありません。

あなたには、あなたの。
私には、私の相応しい生き方があります。

個が個を保ち、個の心に従って生きる。
それが水瓶座らしい生き方だろう、と水瓶座を負って生まれた私は自信を持って言えます。

「心に従って生きる」へ帰結

マスクや消毒、外出自粛の行動変容はウィルスに強いられてのものですが、大人の魂に必要なのは自発的・自律的な行動変容ですよね。
これには、正しい知識と情熱、絶対やるんだという強い意志が必要でしょう。
決して簡単な道のりではないけれど、先に待つ明るい社会を1日でも早く手繰り寄せるために、自己改革の練習を繰り返していきたい、と強く思います。
はい。とても心強い、ご立派な決意だと思います。
ぜひ明るい未来を信じてポジティブに歩まれてください。

でもどうか気負わずに。
気負って勉強しようとすると、外部の思想に誘導されてしまうこともあります。

人生の旅路は、がんばらなくても焦らなくても大丈夫です。きっと心の声に耳を傾けていれば、自然と自分の生きるべき行動へ導かれていきますよ。

眼を閉じて。
外部からの音を遮断し。
しん、とした自分のなかの静寂だけに耳を澄ましてみてください。

行動しながら心の声を聴くことも大切です。
自分を見失わずにいれば、行動するほどに心の声が強くなっていくのを感じるでしょう。

先日tumblrでメモしておいた言葉が真理だと感じましたので、引用しておきますね。



目を奪われるものがたくさんあるだろう。
しかし、心奪われるものだけを追い求めて生きなさい。

「ネイティブアメリカンの言葉」 mayoshimaさんのメモより
“心奪われる”とは欲望のことではありません、と言ってもなかなか見極めが難しいのですがね。
セミナーや思想本に心奪われたつもりになってカルト思想を追い求める人もいます。それは心の声ではなく、欲望にとり憑かれただけなのだと気付けない。

「目を奪われるもの」とは肉体次元の物事、という意味でしょう。それは実は「耳に囁くもの」でもあります。近くで囁く声は、悪魔(悪霊)の囁きであることがほとんど。

心の声=魂の声、だと言えます。心こそが、我々人間の“核”です。
心の声は、遠くから響いてきます。あるいは体の中心、もっとも深いところから。
だから目も耳も塞いで心の声に耳を澄ますことが大事。
真の智恵は外ではなく、内にある。

――長く語ってきましたが、こんな感じで答えになっていますかどうか。

結局は冒頭のご質問、
「巨大な問題や力に対して個人はどうするのが望ましいと思われますか?」
に対して
心に従って生きるのが一番良い
という回答に帰結します。
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ギフテッドの苦悩が初めて光を浴びた。今の時代に生まれた君たちへ(移動)

 2019/9/6筆 はてなブログからの移動記事です。
プライベート話なので本来ここへ置くべきでした。
YOD解釈を修正した機会に移動しておきます。

本文常体。


ギフテッドの苦悩がテレビで放送された驚き


クローズアップ現代で『ギフテッド』が特集され、おそらく日本で初めてこの言葉が注目を浴びた。
ここで語られたギフテッドたちの苦悩は私が子供の頃から一人きりで抱え続けたものだった。
決して社会では語られることがなかった、語ることが許されない話だったので、日本のテレビ番組で放送されたことに衝撃を覚えている。

知られざる天才 “ギフテッド”の素顔">


あるギフテッド(日本人)の呟き
「自分は幼稚園の頃から空気を読み、周りに合わせて生きてきた。
学校の成績でも一位を取らないように調整した」

心の底から驚いた。
「成績調整」という隠された話が全国放送で流れる時を迎えるとは。

私も幼稚園の時からこの人と同じだった。
そして藤子F作品の高畑に出会い、「同じことをしていた人が存在した!」(漫画キャラだがおそらく作者の実体験)と知るまでは完全な孤独の世界へ閉じこめられていた。

こんな話を口にしたが最後徹底的に叩かれて潰されるから声を出せない。だから「他にも同じことをしている人がいる」という仲間の存在に気付けない。
まるでディストピア国家の反体制派みたいだが、特殊なタイプは孤独のなかに隠れざるを得ないのが現実だ。

私の声は届かなかった


私は同じような生きづらさを感じているギフテッドの子たちのために、今まで小説やブログで自分の体験を語ってきたつもり。
だけど小さな声過ぎて、とうてい届かなかったね。

他人の反応。
「理解できない」
「信じられない」
「そんなこと(成績調整)する人間がこの世にいるわけない」
「お前は嘘をついて自慢したいだけ」
「お前は最低のクズ。ナルシス」
このようなレッテルを貼られ、軽蔑され批判を浴びるだけだった。

叩くことまでしない人でも、真剣に話を聞いてくれる人はほとんどいない。
自分の体験を話した瞬間に相手の表情が変わり、こちらの話をシャットアウトするポーズを示されるのでそれ以上話せなくなってしまうのだ。
実際それ以上話をしても応答してもらえない、または強制的に話を変えられるから黙り込むしかない。

むしろ「前世体験」などのスピ系体験のほうが興味を持って聞いてもらえるという謎。
前段の、「褒められて苦しかった」という話のシャットアウトぶりはスピリチュアル話以上だ。不可解だな。

海外のギフテッドの語りかけには、思わず涙が出てしまった。
「頭がいいと生きやすくなると思っているでしょう? そうでもない」
「ギフテッドはどこの国にもいる。君は孤独じゃないと知って欲しい」

本当にこの通り!
こんな言葉を自分が子供の頃に耳にしていれば自殺を考えることもなかっただろうに……。

ああ自分もこんなふうに、孤独に苦しんでいる子を救える側の人間になりたかったなと思った。
ただ私はこの社会で潰れてしまったため今こんな状態で何のメッセージ力もない。
そもそも今はギフテッドのカテゴリーに当てはまる人間ではないしな。

社会のせいにするわけではないが、私には能力を伸ばす機会が一切無かった。社会に寄ってたかって潰された※という感覚もある。

※振り返れば、“寄ってたかって潰しに来た”のは非保守勢力だった。近現代日本の極端過ぎる「出る杭を打つ」習慣には、国家を衰退させようとする目的があるのかもしれない

「ギフテッド」
という言葉に巡り合うことが可能で、助けを求めれば差し伸べる手もある現代に生きている子供たちが羨ましいと本気で思う。

これからの子供たちへ。
どうかこの幸運な機会を活かして欲しい。
自分は自分らしく・能力も発揮していいのだ、能力を発揮することは許されているのだということを知って欲しい。

とにかく何を選ぶにしても選択肢が示されているということが今の子供たちの幸運。
私は幽霊のごとく存在を消されたような子供だったので、存在していられるだけで幸せと気付いて欲しい。
どうか潜伏していてもいつかは花開けるのだと信じて生きてください。

そもそもの疑問


大前提として私は「ギフテッド」だったのか?という疑問があるのだけど、幼い頃は確かにそれなりに目立っていたらしい。

上の番組で取り上げられていたギフテッドの子たちのように、変わった子・宇宙人のような子と呼ばれていたのは同じ。「空気が読めないので論理的に筋が通っているなら爆弾発言でもしてしまう」のも同じ。(変人キャラクターは今もか。笑)
なお、上の「幼稚園の頃から空気を読んで成績調整」と矛盾しているようだけど、本人的には空気を読んでいるつもりなのである。ただ言わねばならないと思うことを言ってしまう性質を持つために、周りから見て「空気が読めない奴」と思われるだけ。

小学校入学前にIQテストを受けたとき、かなり高かったらしく母が呼び出されて「大切に育ててください」と囁かれたらしい。
※当時の数値は親にも伝えられないルールだったとのことで不明

ところが我が家では誰も私の教育などに関心を持たなかったし、家も貧困で金がなかったので今こういう残念な結果に。
今現在は完全に普通の人。普通以下。

ここに書いたことは何一つ自慢ではないし、一切の嘘もない。何の意図もなく全て事実のまま書いているだけ。
「今は凡人」ということも事実だから本当に期待しないでください。(必死で叩かなくても大丈夫。笑)
これはインポスター回避の卑下でも何でもないので念のため。

【関連記事】過去記事倉庫です
「合理的かつ独創的」な子、周りは大変? ギフテッドの子育てに学ぶ

“肉体は魂の形を覆う服に過ぎない。ギフテッドも努力の結果だと言う理由

 2023/3/24追記:
読み返してみると“衰退ポルノ”と誤解されそうな社会批判の表現がありました。お詫びして訂正致します。ただし社会に潰された感覚があるのは事実ですので、そこの表現はそのままに。


 

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