「スピリチュアルを信じる人は知能(知性)が低い」という話の危険性

 


 

 「知能が低い人ほどスピリチュアルにはまりやすい」という研究論文※があるらしい。

こちらのブログ様が日本語まとめで最も分かりやすい。プロのライターさんですね。
 ⇒知性が低い人ほどスピリチュアルに走りがち!という研究結果

※論文 2015年11月『On the reception and detection of pseudo-profound bullshit』

論文のポイントと、感想


上ブログ様より論文の概要を引用

 

実験にあたって研究者は約800名の参加者を集めまして、全員に本当の名言とスピ系の迷言を見せて、「これは素晴らしい!」と思った言葉に点数をつけてもらったんですね。
……(略)……
そのうえで全員に思考力テストをおこなったところ、

27%の人はスピ系の迷言と実際の名言を見分けられなかった
迷言にダマされやすい人は、信仰心が高く陰謀論を信じるケースが多い
迷言にダマされない人は、言語的な知性と流動的知性が高い
迷言にダマされた人たちは、「新生児には定期的に注意を向けましょう」みたいな普通のアドバイスにまで高い点数をつけた

といった結果が出たんですね。言語的な知性は言葉を使った表現力のことで、流動的知性は論理的にものごとを考える能力のこと。つまり、スピリチュアルに引きつけられる人は知性が低いんだ、と。
研究者いわく、
“今回の結果により、スピ系のデタラメにダマされやすい人が一定数いることがわかった。たんなる懐疑主義だけでは、迷言を見抜くには物足りない。ばく然としたデタラメを見抜く洞察力が必要なのだ。
スピ系のデタラメに影響を受けやすい人たちは、ものごとを深く考えようとせず、数字や言語、流動的知性などの認知機能も低い。また、哲学的なたわごとや陰謀論、宗教、超常現象などにも引きつけられがちで、自然療法や代替療法といったニセ医学に手を出す傾向も高い。”
とのこと。いやーバッサリですね。 怒る人も多そうですけど個人的には共感しました。

 

うーん。どうだろうな、「迷信」「正しい格言」「宗教」の定義が曖昧で、公平性がないように思う。(バイアスがかかっている)

定義を曖昧にすればどんな研究でも「知能(知性)が低い」ほうが多くなるのは当たり前。
※たとえば“サイコパス”など具体的で診断可能な定義はこれとは別

だって、どの国でも知能(知性)が高い群は人数が少ないはずだから。
数のマジック。笑

「スピリチュアル」と知能の低い群を結び付けた結果、「スピリチュアルを信じる人は知能(知性)が低い」という結論が得られたという。
なんだか本末転倒している気がしなくもない。
でもまあ世間のイメージ通り、期待を裏切らない研究結果だと思う。
多くの人はこの結果を鵜呑みにし、飛びつくのでは? 

科学の装いをしていようと何だろうと、他人の話を何も考えずに鵜呑みにしている時点で、「スピリチュアル商法」にはまる人と完全に同じ穴のムジナと言えるのだけどね。

追記:つまり、数のマジックにさえ気付かず上の論文を喜んで鵜呑みにした時点であなたは騙されやすい人だと言えるから詐欺に注意したほうがいい、ということ。たとえば「デタラメなスピ話」という定義を鵜呑みにするなど、省略論法で容易に騙される。自分が持っている偏見にも無自覚なので誘導されやすいだろう。この種の人々は、大手メディアを強く信奉し、自分たちが「頭のいい群」で相手方は「デタラメを信じる知能の低い群」と思い込まされ煽動される。実は最も洗脳されやすい群と言える。
(ついでに言うと「スピリチュアルは馬鹿だけが信じるもの」というイメージも、ある特定カルト思想が目的を持って流しているプロパガンダ。そんなプロパガンダに騙されきっている彼らが、他人を指差し嘲笑うのは物凄く恥ずかしいことなのだが…。詳細は記事下、別館参照のこと)

分野に囚われず、本質を見ること


上の研究結果、または翻訳タイトルが危険だな、と感じるのは
「スピリチュアルさえ避けていれば大丈夫。安心安心」
「私はスピリチュアルなんかバカにして信じないから大丈夫。安心安心」
と多くの人に思わせてしまうであろうこと。
つまり、多くの人に次のような認識を与えてしまう危険性がある。

「知能が低い人だけがスピリチュアルを信じる」
 ↓
「頭の良い人はスピリチュアルを信じない」
 ↓
「アタシはスピリチュアルを信じていないから頭が良い」
 ↓
「アタシは頭が良いから何にも騙されない! 安心!」


すると、どうなるか。
彼女ら(彼ら)が成功哲学セミナーや金融セミナー、健康法にはまり出して引き留めた時に、
「これはスピリチュアルじゃないのよ、私はスピリチュアルなんか信じない人だから頭がいいの。だから絶対に騙されない。頭の良い私が認めたセミナーの主催者様は絶対に正しい!」
という反論が有効になってしまう。
(周りから見れば有効ではないのだけど、彼ら彼女らはもう「スピリチュアルでなければ大丈夫」と思い込んでいるので止めることができなくなる)

もう少し具体的に示してみる。
ジャンルを限定すべきではない、現実的な理由。
現実を眺めていると、以下の人々は全てイコールで結ばれる。
(本質的に同種の行動をしている、同種の人間である。一人で全て行う人もいる)

過激な健康法にはまる人
= 成功セミナー、金融セミナー、環境セミナー等へ通う人 
= アフィリブロガーの情報商材・セミナーを信じる人
= 方位吉凶(風水など)に過度にはまる人
= マルチ商法にはまる人 
= 占い師の言うなりに行動する人
= スピリチュアルに過度にはまる人 
= 原発等の政治セミナーへ参加し、活動団体へ入る人
= カルト宗教に入信する人
= カルトイデオロギー(※)を信じ続ける人
等々


※ここで言うカルトイデオロギーとは、「独善・独裁・批判を許さない」、「自分たちの都合に合わせ事実を捻じ曲げる嘘をつく・歴史修正をする」、「暴力など実力行使で反論を封じる」、「殺戮と拷問を奨励する」というカルト宗教と同じ構造を持つ洗脳プログラムのことです。マルクス主義を代表とする共産社会主義が典型例。

悪徳な詐欺師や教祖にマインドコントロールされて身を亡ぼす人は、たいてい上に挙げたジャンルのどれかにはまった経験を持つ。
つまり、分野で特定することはできないということ。
上の項目のうち一つでもはまったことのある人は、言い方は悪いが「前科者 病歴あり」としていずれカルトに洗脳される可能性がある。

何かしら「ダイエット」や「健康法」にはまったことがある人は、既にカルト宗教・カルト思想へ入信する一歩を踏み出しているとも言える。
過激なはまり方でなければ危険はないが。逆に言えば、スピリチュアルやオカルトも過度ではなく他人に強要したり、危害を及ぼすものでなければ構わない。まして体験者は。……以下全てのジャンルに同じ。/ただし成功セミナー・マルチ商法・宗教・イデオロギーは一歩踏み出せば組織の力で強力に牽引され抜け出せなくなるから程度に関わらず近寄ってはダメ。

 参考記事 「玄米食をしている人たちなどは洗脳されやすい」と、洗脳評論家

そうならないように必要なのは自分の頭で考えること。可能なら自分で裏を取ること。
上のブログ主さんのようにエビデンスを大事にし、健康法を自分の身体で試している人はたぶん大丈夫とは思う。
そうではないズボラさんは、どうか気を付けて。


実は、過度にはまり過ぎて危険なのは偏差値が高い群


ここから下に書くことはあくまでも個人が体験的に感じたことです。

私の経験上では、「スピリチュアル」つまり心霊現象などを信じる人たちはIQや偏差値に関わらず、「差別を嫌う・心が広い人」たちであると感じる。
他人の意見を尊重し、他人の立場や人格を否定しない人たちだ。
自分が信じるかどうかはともかく、宗教的なことについて「どちらでもいい」と感じているし、実際「どちらでもいい」という言葉を口にする。
私にはむしろ、この人たちのほうが高度な知性を持つと感じられる。
知性が高くなければ他者に寛容にはなれない。

ところが時々、他人が唱えた教義を過度に信じ過ぎてしまう人がいる。

たとえば、商売としてのスピリチュアルを提唱する教祖に洗脳される人。
カルト宗教、成功哲学も同様。マルクス主義、社会主義もそう。
「科学」という宗教教義を過度に信じ過ぎている人たちも、意外だろうが完全に本質が同じ。

彼らは自分自身の体験がないだけではなく、考えることを嫌って書籍やセミナー主催者の言葉をそのまま鵜呑みにする。
あっさり洗脳され強烈に信じ込み、反対する人たちを敵対視して攻撃するなどの有害行為に及ぶ。場合によっては敵対者の殺人も平気で行うことができる。
いわゆる、「カルト信者」「極右・極左の原理主義者」となってしまう。

あくまでも経験上だが、このように過度に他人の言葉を信じ込む人々はどちらかと言えば世間で「知能が高い」とされている人々つまり偏差値や学歴が高い人に多い
(分かりやすい例として、オ×ム真理教や共産主義の信者たちに高学歴が多かったことが挙げられる/ただし知能が高い人が必ず洗脳されるわけでもないことには注意。追記参照

問題視すべきなのは漠然と信じやすい人たちよりも、こちらの過度に信じ込みやすい人たちのほうだろう。
この人たちの共通項を分析して、どう対処すればいいのか考えなければ、この種の研究は何ら社会の役に立たないと思った。役に立たないどころか、ただ無用な差別を生むだけ。さらに取りこぼしを助長するから有害

【関連記事】 
別館です。基礎的な話から洗脳への対処法まで。


改稿暦

2019/05/28 読みやすさのため文章修正
2020/01/20 過度にカルトにはまりやすい人の定義を、「知能が高い群」から「偏差値が高い群」へ変更しました。知能の高さと追従性(他者の話を鵜呑みにし言うことを聞く)は比例しないからです。その代わり、知識詰込み型の日本の学校教育における偏差値の高さは追従性とやや関連があるように思います、100%ではないにしても。
2021/10/18 別館リンク。読みやすさのため修正、加筆
2023/6/24 宗教だけに言及していたのは不公平でした。カルト思想(イデオロギー)にも言及。


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又吉直樹は太宰治の生まれ変わり説

 失礼かなと思いつつ、「すたくろ」さんの記事をご紹介して雑談。
(私のような怪しい者がリンクして本当に申し訳ない。良質なサビアンサイトを知って個人的に嬉しい気持ちのため)

※本文常体。それと、すたくろさんが本気で言っているわけではないと分かりながら、真面目に考えて書いていますことご容赦ください。小説好きなもので

又吉は太宰の生まれ変わり?


この記事が面白かったので話題にしたくなった。
 ⇒太宰治と又吉直樹氏

ピースの又吉直樹さんが
芥川賞を受賞したわけでありますが
又吉さんは
太宰治を尊敬しているようで
そしてまた
嘘のような本当の話的な
不思議なご縁があったりして
(偶然にも太宰と同じ住所に住んでいた!みたいな)

まさかの
生まれ変わりなんじゃないのか
なんてことを
ふっと考えたりしてしまうわけですが

太宰治さんと又吉さん。

もしかしたら
本当に生まれ変わりということもありそうですよね。

(ごめんなさい)
まさか、それはない。
又吉に失礼と思う。笑

バッサリな言い方ですみません。

でも小説好きなら皆、口を揃えて同じことを言うだろう。
「まさか又吉が太宰治の生まれ変わりのわけがない。太宰にしては常識があり過ぎる!笑」
「たった一回の転生でどれだけ成長したんだよ。いくらなんでも、改心し過ぎだろ」
と。

太宰の熱狂的ファンである又吉にとっては、憧れの人の「生まれ変わり」と呼ばれたら卒倒しそうなほど嬉しいだろうけど、はたから見れば「生まれ変わり」呼ばわりは可哀想だと思う。
又吉のほうが人として遥かに上

真面目に考えると、太宰と又吉ではまず本質の性格タイプが違うね。
生きている時代による表面的な違いなどではなく、本質に流れる共通項があまりない。
太陽は同じ星座でも、おそらくアセンダントは異質なエレメントだろう。太宰は水、又吉は地、とか。
(いやその醸し出すエレメントの雰囲気は月のせいかもしれないが、アセンダントも真逆と推測する)

太宰が現代に生きていたら、間違いなく炎上キングとなるだろうな。
連日、百田尚樹あたりとツイッターで凄まじい悪口合戦を繰り広げてヤフーニュースのトップになりそう。ちょっとそのバトルは見てみたかったかもしれない。
いや個人的にはそれよりも三島由紀夫とのツイッターバトルが見たかったけどね。百田では相手として物足りないか。

それと太宰は炎上だけではなくスキャンダルキングともなるだろうな。
文春記者は太宰の後だけ追っていけば、彼が世を去るまで食べていける。

いっぽうの又吉直樹。
大人しく品行方正。真面目でありながら、さすが芸人。空気を読む術に長ける。
一作目で、日ごろ読書をしない方々から
「難解過ぎてよく意味が分からなかった」
という感想をもらったからといって
「二作目はもっと分かりやすく、ポピュラーな小説を書かなきゃ」
などと言う又吉。
そんな、コミュニケーション能力の高い文学家がいるか?笑

少なくとも太宰には無理な芸当だと思う。
太宰本人はサービス精神があるつもりで、相手におもねっているつもりなのだけど、根が独りよがりでピントはずれだから嫌われる。
だからこそ彼は芥川賞が取れなかった。
目的の文学賞を取るにはどのような雛形に沿った文章を書けばよいのか、その雛形がついに理解できなかったのだ。つまり彼は生まれつき不文律のルール、「空気」を読むことができない。
あまりにも、ありのまま生きている人間故に。ありのまま、裸のままの文章しか書けない。
でもそれが実は、「本物の作家」なのだよね。
日本ではこういう「本物」は賞が取れない

なんだか文学談義に逸れてしまったが、ともかくホロスコープ的にも二人は「生まれ変わり」とは言えない。
太陽星座が同じだけでは生まれ変わりとは言えないし(むしろ太陽星座は来世で変わるべき。来世で同じ太陽星座なのはイレギュラー)、ノードに表れるカルマも算数的には計算できない。

たぶん、物質に近い位置で起こる「生まれ変わり」とはこういうものではない。

見た目の相似よりも、本質タイプの共通項のほうが重要。
あとは生まれた時の環境や、家族関係、友人関係の共通項があるかどうか。

実は意外かもしれないが、同じ国や同じ地域に生まれていないことも「生まれ変わり」であることのポイントとなる。
魂は完全に同じテーマの人生を繰り返すことはないから、同じ国や地域に生まれることをなるべく避ける。
もちろん自殺した人の場合、同じテーマの人生を繰り返すということはあり得ると思う。
だけど全く同じ住所に住むことがあるかというと、難しい。
自殺したぶん、前よりもっと重い負債を背負うことになるので日本より過酷な場に飛ぶ可能性が高いのでは。
(私は自殺したことがないから分からないが、カルマの法則を考えれば)

それからもっと重要ポイント。
私の個人的な体験から述べると、自分の前世は決して「尊敬」できないし間違ってもファンにはなれない
(自分の前世であることを知らなくても反射的に嫌だと思うから誤ることはない)
だってあなたは本気で自分の「ファン」になれますか? 私は絶対に無理です!笑
家族に恋するよりもさらに無理。
たまにナルシストがいて「自分のファン」などと言っている人がいるが、私には信じられない。
どちらかと言えば生理的に最も嫌いな人。見ているだけでも気持ち悪いし恥ずかしく、いたたまれない。それなのに全ての行動について気持ちはよく分かる、という人だったら自分の前世の可能性がある。

生まれ変わりより可能性が高いこと


もちろん上のサイト主様は、あくまでも「たとえばこうだったら面白い」という話をされているだけで、本気で生まれ変わりだと主張されているわけではない。
だからこそ軽い乗りで、こうして楽しく談義できるわけだ。

皆さんもあまり本気にされないでね。

ただ上のサイト主様が仰る通り、太宰と又吉には不思議な縁があることは確かだと思う。

私が思うに、又吉は太宰の念に憑依されたのではないかなあ。
あまりにも好き過ぎて、その人の生前の想いにとり憑かれることはある。

又吉は幼い頃から読書が好きだったわけではなくて、あるとき太宰の小説を読んだことをきっかけに、突如として読書好きとなった。
そこから人格が変わったように本を貪り読んだ、らしい。
このように人生の途中で、病気などの理由もなく人格が変わる場合は「憑依状態」という。※

又吉の場合、太宰の霊そのものに憑依されたわけではなくて「想い=念」にとり憑かれたのだろうな。
もし本人の霊にとり憑かれたら少しまずいことになっていたかもしれない。

太宰を愛するがあまり彼の「想い」にとり憑かれ、太宰の無念をなんとかしたいと願い、受け継いで果たした。
又吉の優しい「想い」はたぶん、あの世にいる太宰の霊も慰撫したのではないか。
上のサイト主様が仰る、
今回の受賞で
太宰治が抱えた
魂の傷が癒えたとも
言えるのです。
これは全くその通りだと私も思う。

又吉は太宰の魂を慰めるために生まれてきたのかもしれない。
太宰の縁者であるか?
もしかしたら、前世で太宰を愛した女性の一人、だったりね。(あくまでも想像)

それだけに留まらず、又吉は我々読書好きの不遇も改善してくれた。
又吉のおかげで太宰ファンも救われたし、読書ファン全員を救ってくれた!
日本で少し本が読まれるようになったのは又吉のおかげ。
有難う、有難う。
深く感謝しているよ。

だから又吉には細かいことを気にせず、プレッシャーを無視して自由に小説を書いて欲しいな。
もう一度、読書そのものを愉しむことができるようになればいいね。


※憑依か、前世記憶かの見分け方


サイトにも書いたことだけど重要だから繰り返し書いておく。

よく、「前世の記憶を思い出した」と主張して急に人格が変わってしまう人がいるが、その場合はおそらく浮遊霊に憑依されている。
幼い頃から特別に恐れていた物や事柄もなかったのに、「前世記憶」と主張する映像を見たその時点から突如として何かを怖がるようになった場合も同様。
浮遊霊に見せられた他者の記憶を、自分のものと勘違いしてしまっただけ。

私などは幼い頃から一切、人格が変わっていない。
幼い頃から読書好きだったし、変人だった。笑
表面的には態度を変えることがあるが、根のところは変わっていないと思う。変わりたくても変われない。(成長が全くないとも言う)
もちろん「前世記憶が蘇った」という体験をした後も、性格は微塵も変わらなかった。
変わることを恐れた自分がバカだったと笑ってしまうくらい。
魂の性質は、生まれ変わっても簡単には変わらないものだ。

〔関連記事〕自分は自分にしかなれない、という話

この通り見せられたイメージが
「前世記憶」
なのか
「憑依した霊や念が見せた他人の記憶」
なのか見分けるポイントは、人格が変わるかどうかにある。

それと、幼い頃の自分を思い出してみることも役立つ。
自分の幼い頃とその「前世」の人生に何か共通項はあるか?
なければ憑依の可能性がとても高い。

又吉のように、おそらくその霊魂の縁者で、始めから霊魂を慰めるために生まれてきているなら念を受け継いでも構わない。
(「始めから計画していた」かどうかは、上の通り出生ホロスコープに計画の痕跡があるかどうかで分かる)

ただ縁者でもない、浮遊しているだけの霊にとり憑かれると死に誘導され危険な場合もあるから、なるべく早く忘れたほうがいい。
自分で対処できない場合は専門家に祓ってもらってください。

参考 ⇒他人の魂に憑依されたか否かの判別(チェックリスト)

――慣習に従い、この記事では作家について敬称略――
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ライアン君の話と、織田信長の生まれ変わりにオートロック教えたい??

 何かのテレビ番組で、1930年代にハリウッド俳優として生きた記憶を持つ「ライアン君」の話が特集され面白く見た。
例によって家族が録画した番組を横で見ていただけなので番組タイトル不明。

ライアン君の話とは:
 『前世の記憶を持つ5歳の少年、ハリウッドアクターの生まれ変わりだと主張』(リンク切れのためURLカット)

ライアン君の話によれば、前世では、ライアン君は世界中を旅していて、リタ・ヘイワース(40年代に活躍した女優)などと、ブロードウェイで共演したそうだ。


「これ、僕だよ。」
 
ライアン君が指さしていたのは、1932年の映画『Night After Night』のページに写っていた一人の男性だった。その男性はエキストラで、出演者名簿には載っていなかった。
 


この話の中で頷いたのは、ライアン君は前世の自分の名を覚えていなかったのだが
「今から言う名前のうち、自分の名だという感覚があるものがあったら教えて」
と言ってランダムに名前を言って行くと、ある名の時に
「あ! それだ!」
と指摘したらしい。そしてその名と上のエキストラの写真が一致。

そうそう、これが通常だと思う。
私も同じで名前は覚えていないのだが、パラパラ漫画をめくるときのようにスピードを出してページをめくっていくと、光るように目に留まる名前があった。その名と、記憶が完全一致した。(もちろんその時、その名も人生も全く知らなかった)

まあ私の場合はエキストラとかではないので世間的に説得力はなく、誰にも信じてもらえないのだけどね。
ライアン君がとてもとても羨ましくなる。
私はただもう知名度だけで嗤われ、「嘘でしょ」「妄想でしょ」「潜在記憶でしょ」と無考えに決めつけられてハイ終わり。話を聞いてさえもらえない。
差別である。
(それにしても皆さん考えることが大嫌いだな。細かい経緯も、理屈も一切無視。「有名」「無名」だけでレッテルを貼り無考えに決めつけバカにする)

信じてもらいたいわけではないのだが、「気軽に話ができない」というのが何より辛いんだよな。
家族とテレビを見ていて上のような場面に遭遇しても「そうそう」と頷きたくなるところぐっと堪え、言葉を飲み込む。
その反動でこんなところで書いていたりする。

愚痴はこのくらいにして笑ったのが下の話。

この特集の直後、MCの女子が
「現代に蘇って(生まれ変わって)欲しい人って誰ですか?」
と出演者たちに質問したところある芸人が
「織田信長!」
と答えた。そしてこう続けた。
織田信長が現代に生きていたら、オートロックとか教えたいですね。本能寺にオートロックかけられるように」

……うん?

いや、織田信長が現代に生まれ変わったとしても、0歳から君らと同じ時代に生きているのでオートロックくらい知っていますよ?

笑った、と言うか苦笑した。

皆さんタイムトリップと生まれ変わりの区別さえついていないのか?
困ったもんだな。


この番組を見て改めて思ったが、世間の人はいまいち「生まれ変わり」が何であるか理解していない。

タイムトリップと転生の区別がついていないのは酷いが、そうではなくても
「生まれ変わり = 同じ行動をする人」
だと思っている。

たとえば織田信長の生まれ変わりだったら天下統一を目指すはず、とかの定義だね。
現代日本に生まれ変わって天下統一を目指すわけないだろ(笑)と思うのだが、ここのところが理解できていない人が多い。

真面目に本当の話をすると、そもそも同一人物なら完全に同じ人生を歩むことはあり得ない。
違う人生を生きなければ「生まれ変わり」の意味がないからね。
魂は必ず同じ土地の同じ家系(子孫)に生まれ変わると信じている人たちもいるが、これもほとんどあり得ないらしい。人種も国も違う人生を選ぶのがほとんどで、子孫に生まれ変わるのは非常なレアケース。(ニュートン氏は「無い」と言っている。日本ではよく祖母が孫に生まれ変わった等の話があり、完全否定は出来ない)

前世で有名だったり、大変な人生を送った人は、来世では無名で穏やかな人生を選ぶのではないかと私は思う。

 

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