晴読雨読。公園で読書するのもいいですよ


 先日、晴れの日でも雨の日でも関係なく本を持ち歩いて読む自分の習性を
「晴雨読」
と表現したのだけど、返信コメントで
「晴雨読、なんて良い言葉でしょう」
と仰っていただき、あれ誤字だと思われたかな……説明不足で申し訳ないな、と思いました。
「いや。そうではありません。晴雨読なんです!」
などと説明を始めたらまた話が長くなるし嫌な感じなので、否定せずありがたく受け取っておきました。

その昔、紙の本がまだ希少だった頃は本を持ち歩くことが難しかったでしょう。
だから過去生の自分を含め「昔の人」たちは、今の私が好きな公園読書は無理だったのではないかなと思います。
そういう時代でしたら「晴耕雨読」という表現が妥当でしょうね。雨の日、家に篭もる時しか読書が出来ません。

しかし現代の我々は文庫もあり、電子書籍まであります。読書好きにとっては便利で幸福な時代です。
二十年前はまだ電子書籍はなかったけど。
当時あまり仕事がなく読書三昧の生活をしていた私は、ジーンズの後ろポケットに文庫本を突っ込み、ふらふらと近所の公園へ行っては読書していたものです。
木陰のベンチに座り延々と本を読んでいたので、傍から見ればかなりの不審人物だったことでしょう(笑)。

春や秋、晴れた日の公園での読書は最高です。
もちろんカフェや図書館で読むのも好きなのですが、気持ちのいい風が吹く場所で読書するのは幸せの極みですね。


最近、世界は大きく変わりつつあります。
この平和な土地で読書などして過ごすことが出来るのは、もしかしたらあと少しの間かもしれない。

ニュースで悲惨な話を見るたびに、「こんな幸福に浸っていていいのか……」と罪悪感と焦燥感を覚える昨今ですが、幸福は身近にあるうちに味わっておかなければならないと思います。

私は、読書が出来る我が身の幸せを味わわなければと思う。

遠くのニュースに心を痛めるのは大切ですが、可能なうちに好きなことを愉しむのもまた大切。
愉しむこともまた我々が「生まれてきた意味」であり、人生に対するお返しになるはずです。

 

Share:

引き寄せの法則の是非 ~占星術と輪廻の観点から~

 

最近また『引き寄せの法則』という言葉を見かけることが多くなった気がするので、改めてこの件について書いてみます。

(以前書いた記事、『シークレットのシークレット』はまとまりがなかったから補足。繰り返しの部分もあります)

引き寄せ法則の是非と、陰謀論


近年はネット上でこの言葉を見かけることが多くなりましたね。
どうもネットの傾向としては批判的な意見が多いようです。
『成功哲学』や『引き寄せ法則』を教えるセミナーに通う人が増え、実行する人が増えた結果、実現できていないと感じる人の数が増えたのか。
それでネット上に、
「二十年経っても三十年経っても思考は実現しない!」
「引き寄せ法則など詐欺だ! 金返せ!」
とクレームを書き込む人が多くなったのではないかと思います。

さらに陰謀論者による
「引き寄せの法則は悪魔を呼び寄せる魔術だ!」
という主張も流行していますね。
例によって、ルシファーに操られた秘密結社がどうのこうの、という主張。
またフリーなんちゃらの陰謀論かと脱力します。ワンパターンな人たちです。

ただ、欲望にまみれた「引き寄せ法則」をなんとなく邪悪なものだと感じるのは、これらカルト教信者たちだけではないのも確かです。

私も「引き寄せ法則は生理的に受け付けない」と感じている一人。
「大金持ちになりたい」「有名になりたい」
といった、あからさまな欲望に拒絶感を抱いているからです。

もちろん人間として健全な範囲の欲望は構わないと思いますよ。
"夢を叶えたい"
"幸せになりたい"
"ポジティブに生きたい"
と願うのは結構なことです。
それだけなら微笑ましく、応援したくなります。
しかし「大富豪になって権威を得て、圧倒的な優位に立ちたい」という過度な欲望はまずいなと思う。

「悪魔を地上に呼び寄せる」
ということはなくても、利己主義の欲望に邪悪なエネルギーが集まって来ることは本当だと思います。
利己主義の欲望を持てば邪悪なエネルギーを引き寄せ、そのエネルギーとくっ付き取り込まれる。すると来世を含めた長期視点で見た場合に、魂にとっての不幸=激しく遠回りの奈落の底へ向かうことになります。
この意味で
「引き寄せ法則を使うと不幸になる」
と言うのは、あながち間違いではないでしょう。
まあ、セミナーへ大金を注ぎ込んで破産し家庭崩壊させた人の場合は、現世の物理次元で当然に「不幸となった」と言えるでしょうが。

人類という総合的な視点で考えても
「引き寄せ法則」
が普及することはまずいと思います。
全人類が個人的な欲望を無制限に貪り続けた場合、行き着く結末は物理次元破綻・地球上の生命滅亡です。
結果として、まるで
「悪魔を地上に呼び寄せた」
かのような地獄が現実のものとなることは避けられない。

物理次元で全人類が自己の欲望を徹底的に貪るだけの物質は存在していないのだということを、「引き寄せ法則」中毒の方々は少し冷静になって考えるべきではないでしょうか。
『成功哲学』や『シークレット』を全人類が読めば、全員が「セレブ」と呼ばれるような大富豪になれるのか? 
それは物理的、理論的に不可能です。
(もし全人類が同じだけの富を所有するのであれば、その所有は平均ということになり、「セレブ」ではなくなる)

地上的な意味で「悪魔」の正体は何かというと、無制限な利己主義のことです。
自己を食い殺すまで欲望を貪り続ける人間自身が悪魔だった、ということに最終的に気付くと思います。

※一神教信者の差別主義者もこの利己主義者=悪魔に含まれます



地上の引き寄せ法則は「方便」


私は「引き寄せ法則」を頭ごなしに否定する者ではありません。
「引き寄せ法則」は究極の次元では真実なのだと思っています。
あくまでも「究極次元」では真実。

しかしそれはそのまま、この地上に引用すると誤解される話です。
何故なら『引き寄せの法則』は地上で
「金持ちになりたい!」
「有名になりたい!」
という利己的な欲望を叶えるためのツールとして捉えられるだけだからです。
こういうことがあるから、地上においては言っていいことと悪いこととがあるのです。

地上を去って久しい高次元(地上から距離がある)の霊たちが忘れてしまっているのは、地上人が「実現させたい夢」というのはほとんど地上限定の肉体的欲望ばかり、ということです。
高次元の霊たちにとって「幸福」は魂としての芯からの幸福を意味する言葉です。魂としての芯からの幸福とは、自分で創造した人生計画を実現してカルマのバランスを取り究極の存在へ近付くことです。だから地上での苦難を経験することも「幸福」の一つです。
ところが地上人には「芯からの幸福」の意味が絶対に正しく伝わりません。地上にいると、金持ちになって・ラクをして・人間世界で優位に立ち・チヤホヤされる……という物質次元での欲望を満たすことが「幸福」という意味に変わってしまいます。
(もちろん欲望を満たすことだけが幸福ではない、と分かっている地上人も数多くいます。しかしそのような人はそもそも『引き寄せの法則』などに興味を持ちません。この法則に興味を持つ人に限って物欲が強い、ということがほとんどと思います)
これが、高次霊と地上人との齟齬です。
ここで翻訳の誤りが生じます。

だからこそ「方便」が必要となってきます。
昔の人は高次元語を地上人に伝わるように翻訳することを「方便」と呼びました。
「方便」とは「嘘」という意味ではなくて、真実を段階に応じて翻訳していくことでしょう。
次元に対応し翻訳することを忘れていきなり
「色即是空が真実である。即、現世放棄し、空を目指せ」
と言ったり
「引き寄せの法則は真実である。今すぐ夢を手に入れろ」
と説くのは、危険な行動を招くと思いますね。
それに誤りでもあります。次元に対応していないことは、その次元においては「真実ではない」と言えるからです。

引き寄せ法則が真実となるのは主に、死後~次の生まれ変わりまでの次元においてです。
もちろん生きている間も瞬間瞬間でこの法則が「起点」としてはたらいていますので、「念が未来を創造する」と言うのは超次元の真実ではあります。
しかし地上人が言うところの「真実」、つまり結果が実感されることになるのは来世です。
そして残念ながら結果の時点では、起因としての念は忘れてしまっている。だから地上においてはこの法則は実感されない。故に、地上次元では「真実ではない」と言うのが妥当となります。
 
【追記】おまけの話。『運命を回避するために宗教へ入れ? そんな必要なし』という記事で書きましたが、強く願えば計画されている負のカルマ解消の回避はできる場合が多いようです(裁判官=ガイドが認めれば)。ただしそれは返済の先延ばしに過ぎず、決して計画が変更されてカルマが消失したわけではありません。

「念で未来創造する」ポイントが限定されているのは何故でしょう?
それはこの地上次元が重く安定した物質世界だからです。
そもそも、我々が地上に生まれて来る理由は、時間に縛られた重い物質世界の「地上ルール」において固定化された人生ストーリーを経験するためです。
この「安定」こそが地上生活の醍醐味です。
物理的な安定を求めてわざわざ降りて来ているのですから、そう簡単に地上の現実が変わってしまったら困ります。
一時の地上的な欲望・気の迷いごときで、大勢の魂とともに緻密に織り成された「運命」のダイヤグラムに穴が開いたら大迷惑なのです。自分自身も、せっかく地上で生きる意味というものがなくなってしまいます。
だから、人生計画を決定するポイントは「死後~来世間」に限定されているわけです。

よく『引き寄せ』セミナーの講師が、夢が現実化しないとクレームをつける受講生たちに説明するのは
「思考が現実化するにはタイムラグがあるのだ。物質世界を変えるのは多大なエネルギーを蓄積せねばならず時間がかかるから」
という話。
これは正確とは言えません。
確かにタイムラグではあるんですが、人生計画を立てるポイント(つまり死後~来世間)に存在しなければ新たな計画は追加できないので、時間の長さだけが問題となっているわけではありませんね。
つまり20年や30年の長期間エネルギーをかけ続ければ夢が叶うかと言うとそうではないのです。そもそも超次元に時間は存在しませんから、期間は関係ないはずです。

運命変更のためには転がるボールに同じだけのエネルギーをかける以外に方法はありません。
この「同じエネルギーをかける」というのは、今世の行いだけに可能なことです。
繰り返すと、行いは確かに過去世及び出生前の想念を起点とします。だから超次元では「引き寄せ」が真実となります。
しかし、今世に限って見れば「行いだけが運命を変える」と言えるのです。

※「物質次元を変更するには相手の許可がいる。強く願い続ければ相手の許可が得られて望んだもの(恋愛成就など)が手に入る」と言う人もいますが、そういうこともありません。夫婦となるほどの縁のない魂と深い関係を作る計画は無いので、そのような相手との恋愛を望んでも永久に許可などは得られないでしょう。/『袖触り合うも多生の縁』 = 道ですれ違った人でさえ過去生で何度も縁を作った相手である。まして、終生添い遂げるほどの相手との絆はどれほど深いことか。相思相愛となる相手との縁は魂の兄弟なみに深いと思え


都合の良い勘違いと、騙しのトリック


では、何故に「思考が現実化した」ように見える人が存在するのか?
多くの人が勘違いしているのは、成功者と呼ばれる人たちが
「子供の頃から成功を確信していた」・「ありありと未来を思い描いていた」
と語るのを聞いて、
「そうか。過去に思い描いたことは未来に実現するのだ! 思考が未来を創造し、現実を引き寄せるのだ」
と思ってしまうことです。
これは時間軸が過去から未来へのみ流れる現世特有の勘違い。
『成功哲学』はこの勘違いを利用したトリックと言えます。

成功者たちが未来をありありと思い描くことができたのは、生まれる前に一度その人生をリハーサルしているからです。
と言うよりは夢の中で何度も未来に行き、実際にその未来を経験しているのだと言い換えることができるでしょう。
だって肉体のない次元では
「時間なんて存在しない」
のですから、過去に本物の未来を体験することも可能なわけです。
あるいは、守護霊(ガイド)が声をかけて未来の人生計画を知らせることもあります。

ただほとんどの人は生まれる前に自分で立てた人生計画を忘れているし、未来をありありと思い描いたこともないのに人生計画を実現させています。
実は、出生前に立てた計画実現のためにその計画を強く念じているかどうかということは関係ありません。
ただ流れのまま生きれば自然に実現します。それが生まれる前の人生計画というもの。
だから
「こうなると思わなかった」
と驚くような人生を送る人のほうが圧倒的に多い
はずです。
このことについてセミナー講師たちは説明しません。
不幸な人生となった人に対しては、「あなたが望まない人生となったのは、あなたの心の中に不安があったからだ。あなたの願い方が悪かったのだ」と激しく責め立てますが、逆のケースについてはだんまりです。
つまりたとえば、
「予想外に金持ちになってしまった」
とか
「まさかこんなに有名になるとは思わなかった」
と語る人たちも数多く実在する(むしろそのほうが多い)のに、それが一体何故なのか説明してくれる『引き寄せ法則』講師たちはいません。
たいてい見て見ぬ振り。存在を無視するだけです。
もし『引き寄せ法則』が地上における絶対真実なら、予想外の成功に驚いている人たちが存在することはおかしいのですがね。

もう一つ突っ込み。
暴虐な権力者たちの多くは、自分の権力が永遠に続くと心の底から信じています。信じているからこそ暴虐な態度を取ることができるのです。
『引き寄せ法則』的に言えば、心から信じた未来は実現し続けるはずなので、この暴虐者たちの権力は永遠となるはずです。
しかし現実には彼らの権力は永遠ではない。
むしろたいてい、短期間で権力を奪われ運命は覆されます。
「信じた未来は現実化し続ける」はずなのに何故? 不思議ですね。

これらの事実だけでも地上次元で『引き寄せの法則』が真実ではないことの証明になると思います。
そろそろ無駄なセミナーに大金を注ぐことはやめて、真っ当な人生に目覚めたほうが良いと思います。

――真っ当な人生とは何か。どうすれば「芯からの幸福」が得られるのか。
それはただ、普通に生きることです。
セミナーで植えつけられた画一的な「成功」という価値観を目指す必要はありません。それは他人の価値観です。
あなたは、あなただけの完全オリジナルな人生を生きれば良いのです。
全ての人が最善の人生計画を携えて生まれて来ています。



占星術の観点


占星術の観点から言うと、人の一生は最後まで出生時のホロスコープに表れています。
(ホロスコープから具体的な未来を予測するのは難しいのですが、人生終了後に照らし合わせてみると明らかに一致していることが分かります)
私が観たところ、だいたい35歳~45歳くらいの人が抱く夢は、出生時のホロスコープの方向性と合致しています。
本人が抱く夢ですら出生ホロスコープの通りであることが多いということです。
このことから、やはり出生前に人生計画が決まっているのは確かのようです。

「あなたはもう既に完璧である」
と言うのはこういう意味です。
せっかく完璧な人生計画を持って生まれて来たのだから、それを放棄して欲望に走ることは無意味なだけではなく有害です。

本当のことを言えば、占星術で読み取った宿命は回避できることもあります。
東洋占術では運命をコントロールし、今世限りの欲望を満たす手法も伝えられています。たとえば風水など。
しかしこれらはいわゆる「魔術の領域」であり、悪魔に魂を売る行為だと言うのも当たらずも遠からずです。(悪魔など存在しませんが、自分自身で運命を切り売りして地獄へ歩むという意味で)
そのような手法で刹那的な欲望を満たすのは自分のためにならない、と心得てください。
こちらの記事も参照していただければ幸いです。
 ⇒風水に中毒し過ぎてはならない理由


『引き寄せの法則』は、欲望を叶える魔術ではなく、日本古来の「言霊」などのように戒めと考えるのが最も良い使い方でしょう。

●人を呪わば穴二つ(=自分の行いは自分に返って来る)
●情けは人のためならず(=同上。良い行いをすればいずれ自分に返って来る)
●邪悪な念を持っていると、邪悪な霊を引き寄せる(=悪いエネルギーには悪いエネルギーが寄り付く)

このような諺や言い伝えは真実を教える教訓として非常に優れています。翻訳の誤りもなく、真実に近いと思います。

また、地上次元において最も正確に真実と言え、人間を導くに理想的なのはやはり『バランスの法則』です。

●陽極まれば陰に転ず
●過ぎたるは及ばざるがごとし

過剰に得たエネルギーはいずれ返還しなければなりません。
欠けているエネルギーは補われます。
(幸運が過ぎれば失い、失う不幸が多ければ幸運が見舞うということ)
世界の全てはバランスで出来ています。
偏りにはバランスを取ろうと反対の動きが生じます。
これは宇宙でも地球でも自然な法則です。

だから、行き過ぎた欲望を持つべきではないと言っているのです。
貪れば貪ったぶんだけ、そのツケを払わなければならなくなる。
この法則は人間の一生のおいて必ずしもすぐに実現するとは限りませんが、少なくとも近い来世では必ず実現します。
もちろん今世中でも比較的に実現することが多い現象ですから、地上でも目にしやすい真実と思います。


沖縄の『教訓茶碗』などは、見た目に分かりやすいですね。

茶碗の底に穴が空いている。不思議なことに八分目まではお茶を注いでもこぼれない。ところが欲張り過ぎて茶を注ぎ過ぎると穴からこぼれてしまう。
「欲張り過ぎるな」という古来の教訓を形にした物らしいです。
過剰な欲望を求め過ぎてしまう人は、こんな道具を手元に置いてみてはいかがでしょうか。

Share:

菜根譚~普通に生きるに優る修行はなし

 プライベートで最近、読み始めたのは『菜根譚』です。

『菜根譚』全訳注

もう十年以上前に購入して、長年読みたいと思ってきたのですが仕事本を優先していたため読めずに来ました。
先日コンビニで『菜根譚に学ぶ』という雑誌を見かけて思い出し、本棚の奥から発掘したものです。

コンビニに雑誌が並んでいるということは知らないうちに流行りだしたんですかね、『菜根譚』。
皆が本当の癒しを求めているようです。
分かるな。疲れるよなあ、現代。

私もここのところスピリチュアル本などで、人間の欲望がプンプン臭う『引き寄せの法則』を見かけるたび、モヤモヤして心が疲れていたので『菜根譚』に救われる想いがします。高原で深呼吸する気分です。

多くを求めず。
謙譲の精神で。
頭を低くして、日常を大切に生きる。
これこそ人間の幸福な生き方。

――『菜根譚』は書かれた時代からして仏教の影響を受けているのだけど、「解脱しなければならない」という脅迫すらもなく、自然体の人間らしい生き方を最善とします。
過激な修行を押し付けることもないのが何より良い。
仏教よりも、どちらかと言えば古来の道教の影響のほうが強いと私は感じます。
「満ちれば欠ける」。
つまり、
「陽極まれば陰に転ず」。
全てはバランスであり、得た物は返さねばならないのが宇宙の法則。
過剰に求めて貪る者は必ずツケを払わされる。
完全無欠な名声を得た者は後に危難に遭う。

私としては耳に痛い言葉も多いのだけど(「悪事を厳しく諫め過ぎるな」など。厳し過ぎるもんな……)、なんだか心の故郷に帰ってきた想いで癒されます。
これこそ馴染みある世界。
そう言えば自分(前世も?そしてもちろん現世も)は、幼い頃からこんな精神世界に棲んでいたのでした。

いつ頃から、『引き寄せ』だの、『夢(=欲望)を叶えなえれば人間失格』という脅迫に晒されてきたのだろう?
長い長い、孤独な闘いをしてきた気がします。
皆さんもそうではないですか。

現代人は何かいつも脅迫に晒されていますよね。
「貪れ、貪れ。もっと貪れ!」
「負け犬になったら笑い者になって恥をかくぞ。金を得よ、成功せよ。思考で欲望を引き寄せよ!!」
などと耳元で怒鳴る人が多い。
そうでなければ
「アセンションに乗り遅れるな! 今すぐ肉体を棄て個性を棄て、悟って解脱せよ!」
みたいな脅迫をする団体もあるな。
人間性を踏みにじる恐ろしい時代です。

金持ちになること、名声を得ることだけがそんなに素晴らしいのか?
あるいは解脱(個性を失う死)だけがそれほど素晴らしいのか?
どちらも他人より優位に立ちたいだけではないか。
つまり「勝ち組」に入って他人を見下ろしたいだけ、でしょう。それが本音。
「解脱」を最高とする人々よ、「他人より上に行きたい」と言うこと自体がエゴ丸出しだし、そんな人に「解脱」は無理だと思いますね。

たとえば私は『菜根譚』のこんな言葉が素晴らしく、真実と思います。

二一
 家庭に個の真仏あり、日用に種の真道あり。人よく誠心和気、愉色婉言もて、父母兄弟の間をして、形骸両つながら釈け、意気こもごも流れしめば、調息観心に勝ること万倍なり。

(どの家庭にも真の仏がいて、日常にこそ真実があるのだ。高度な瞑想や修行よりも、家族で人間らしく楽しく生きることのほうが、万倍も優れた修行だよ。ということ)

一万年の転生記憶を思い出した私も、魂の法則からこう保証します。
普通に生きるに優る修行はなし。と。


Share:

虹は見たか? 『永遠の雨、雲間の光』完結報告で雲間の光


 前記事に、
「『雲間の光』最後の三話を書いている間中、雨が降っていました。小説の世界観と一致して不思議な気分でした」
と書きましたが、さっき小説をUPし各サイトへ更新報告を終えたら、いきなり雲間から太陽が顔を出した。

おおー 
驚き。ちょっと怖い;

私が今回の長雨を連れて来たわけではないので、念のため(当たり前。笑)。
災害を招くような迷惑なことは願いません。

今、陽光が差したがまだ小雨が降っていますね。
こんな日は虹が出るはず。うちの窓からはまだ見えないです。皆さんは見ましたか?

Share:

ジャン・スピラーの『前世ソウルリーディング』検証~お奨めの読み方


 ※2017/11/23 この記事は筆者についてご存知であることを前提として話をしているため、初めてご来訪の方には分かりづらいかもしれません。占星術サイトで一般向けの記事をまとめています、先にこちらをどうぞ。⇒ドラゴンヘッドを読む(3) スピラー本で気付いた、ヘッド&テイル時間進行の誤り 

〔目次〕
スピラー本『前世ソウルリーディング』とは?
私が抱いたこの本への疑問
スピラー本は当たっているのか。実例で検証
辿り着いた推測
スピラー本の読み方お奨め。反対に読むこと
ヘッドとテイル、本当のところ
追記 スピラーへの罵詈雑言について


スピラー本とは?


おそらく西洋占星術の前世占いで最も有名な書籍は、ジャン・スピラー著『前世ソウルリーディング』ではないかと思います。
ネット上の「星占いで前世占い」と看板を掲げているサイトは、だいたいこの本の解釈をベースにしていますね。

前世ソウルリーディング [ ジャン・スピラー ]


スピラーの前世リーディングは、ドラゴンヘッドを前世カルマの恩恵・テイルを前世カルマの罪業とするインド占星術をベースにした理論と思われます。(もう少し正確に書くと、西洋占星術がインド占星術を取り入れた時、ヘッドを「恩恵」テイルを「罪業」と解釈したようです)
上の本ではドラゴンヘッドが入る星座(サイン)やハウスで辞書的に引いて、解釈を読ませるような構成になっています。
これは初心者の方でも分かりやすいように考えられた親切な構成だと思います。スピラー自身がお客さんに語りかけているように読める。

ただ解釈はヘッドの星座ではなく、対極(180度)の星座がメインとなっていますので占星術を勉強している人は注意が必要だと思います。
「テイルの弱点を乗り越えた場合にヘッドの長所へ到達出来る」とスピラーは考えているらしく、対極の弱点について延々と書いた後に「乗り越えた場合」として初めてヘッド自体の星座解釈が出てきます。

つまり大雑把に分解すると、
「伸ばしたい長所」 → ヘッドの星座解釈
「改善したい短所」 → テイルの星座解釈
となります。
(本文の中には二つの星座解釈が混ぜこぜに書かれている。初心者の方には分かりづらいかもしれない)


スピラー本への疑問


このようにある意味で数学的、理論に基づく忠実な解釈なのですが……。
実際、「前世リーディング」として当たるかどうかというと私は疑問です。

皆さんはどうでしたか? 当たっていましたか。
え、前世の記憶がないので分からない?
まあそうでしょう。
ほとんどの人は前世の記憶がないので、当たっているかどうか分からないのではないかなと思います。

なかには現世の短所としてスピラーの言葉がとてもヒットし、「この本のおかげで人生が変わった!」と言う人もいると思いますが、そう思えるかどうかは個人差が大きい気がします。

追記: 人によって、確かにテイルの星座の印象のほうが濃厚なタイプが存在するようです。このタイプはスピラーの解釈がそのまま「当たっている」と感じるでしょう。しかし他の感受点に比べて的中度に個人差が激しい。

上の楽天でも、アマゾンレビューでも「的確!」「当たった!」という評価が投稿されています。
さすが全米一当たると言われる占星術師……。
しかし本当のところどうなのでしょうか。


スピラー本は当たっているのか。実例で検証


では、いつものように筆者の例で検証してみます。

筆者はドラゴンヘッド山羊座テイル蟹座で、スピラーの解釈だとこうなります。
『ドラゴンヘッド山羊座の方』
あなたはこれまでの前世で温かい家庭や組織に恵まれてきました。現世でも家庭人でしょう。長い間、家庭などの集団という大きな傘のもとで暮らしてきたため、依存心が非常に強い人です。拒絶されることを極端に恐れていて、自分自身も他人を拒絶することが出来ません。曖昧な返事をして流されてしまいがちです。
また非常に感情が強い人です。冷静な思考力を持つことは最も苦手で、感情に押し流されることが多いはずです。恐怖や不安に襲われるとパニックを起こします。
このような弱点を乗り越えると、実は12星座中で最もリーダーに向く資質を持っています。繊細な感情で部下の気持ちを理解しますから、組織をうまく統率することが出来る理想的なトップとなります。
(要旨)
答え合わせ。

私の現状および前世はどうなのかと言うと。
ごめんなさい、全く当たっていません!
と言うより正反対ですね。
(スピラー信奉者の方、怒って攻撃して来ないでね。事実そうなのだから仕方がありません。嘘はつけません)
当たっていないのは「あなたは特別にカルマを解消している人だから」と言われるかもしれませんが、スピラーが説く件に関しては解消した記憶は全く無いのです。逆にその経験が全く無い。

事実を述べます。
私をご存知の方は、私が「家庭人」のイメージからあまりにも遠いことに賛同すると思います。
私は今世を含めた長い転生の間、「温かい家庭の傘の下で安心して暮らした」ことは一度もありませんでした。たいてい孤児で、親がいた場合も虐待を受けるか、冷たい待遇を受けました。
家庭で安心して育ったことがないせいか、自分自身も温かい家庭を作ることが出来ませんでした。
前世では記憶にある限り初めて結婚しましたが、仕事にかまけて家庭をかえりみず、子供を置いて出て行ったきり二度と帰りませんでした(幼い子を置いて死んだ)。

また、「感情に押し流される」経験も未だかつて経験したことがありません。
むしろ感情を抑制することに長けているらしく(本当は繊細らしく涙もろいが行動を制御出来る)、感情が欠けている・冷血人間・ロボットと称されることもあります

「依存心が強い」??
そうでしょうか。私は依存したいと思う時には頼れる相手が誰もいない、という悲しい状況ばかり経験しました。依存することが必要な幼少期ですら誰にも依存出来なかった。だから依存心が養われる機会は、皆無だったように思います。
「依存」も適度なら「絆」の基礎となります。依存心がゼロだとまずいですよね。
私は気を抜くと「独立独歩」になり過ぎて、縛られる環境から出奔して自由になりたがる癖があります。だから今は、なるべく意識して周囲に頼るよう努めています。

「拒絶を極度に恐れる」について。
これこそ真逆で、拒絶されることを恐れた記憶はない気がします。
私は拒絶を単なる「NO」という情報と認識するだけです。「NO→あっそう、了解」、以上。少々傷付くも、そんな自分の感情さえ意識される前に忘れる。縁がなかった、合わなかったと思うのみ。

……これ以上「当たっていない」ことの証明をする必要はないかな?

【修正】後日。自分で思っていたほど感情抑制できていなかった、冷血ではなかったことに気付きました。
→私が「よく泣く」理由。パーソナリティは第1ハウスのサイン全てであること(占星術の基本に戻る)


辿り着いた推測


この答え合わせから推測されることは、スピラーの解釈は完全に方向性が逆であるということです。
「罪のカルマ」と呼ばれるテイルは決してキリスト教徒が想像するような罪、つまり「どっぷり浸かって抜けられない悪徳」などではなく、むしろ欠けているところ・向かうべきところを表すのではないか。
従って、スピラーの提案とは逆に、テイルの性質を補うように努力すべきである。
「テイルから離れるべき」とアドバイスするのは、医療であれば誤診となり、逆に人生を悪化させる恐れすらあるように思います。

少なくとも私の場合はそのようです。
私は今世で、家庭人として生きる経験をしなければならないらしい。せめて一回くらいは家庭のために身を捧げなければならないのです。
それを裏付けるように、私が仕事で外に出て行こうとすると(仕事が忙しくなりかけると)不思議な障害が起きて阻止されます。
家族が重い病にたおれたり、私自身が難病を発症したり。
仕事をセーブして家庭優先に戻ると、たちまち平穏が訪れます。
そのタイミングが絶妙で、露骨に背後の霊たち(指導霊)の仕業であることが分かり過ぎるほどです。
どうも私の指導霊は「実力行使」が得意であるらしい。
おかげで私は今世で着々と家庭人としての人生を歩んでおります。
もちろん家庭を優先することはとても苦手なのでストレスを感じており、「自分はどうしてこんなに不幸なのだろう」と思うこともあったのですが、これも全て人生計画の内だったと今は分かります。
いや、ジャン・スピラーの書籍を読んで初めて頭で納得出来た、という感じですね。

スピラー解釈は方向性が逆だったかもしれませんが、ホロスコープの重要ポイントを見抜いていたと言えます。
などと、世界で最も著名な占星術師の一人に私ごときがお墨付きを与えるのもアホですがね(笑)。
重要ポイントを突いているので、多くの人が「当たった」と感じるのだと思います。占星術に詳しくない人は何がどう当たっているのかうまく説明出来ないでしょうから、「なんとなく凄い」という感覚に留まると思いますが。

ただスピラー(他、西洋占星術師たち)は西洋人だから前世やカルマの正しい理解が難しかったかもしれません。
「カルマ」という言葉が、いまいち正しく翻訳されなかった可能性もあります。
もし「罪業」と訳されたのだとすると西洋人は瞬時にキリスト教的な「罪、悪徳」と考えるでしょう。人間は悪徳に囚われており、その罪を神に告白して贖うことで天国へ行けるという教育。だから罪にまみれた人間である現状を「テイル」、天国へ行ける昇華した状態を「ヘッド」と定義したのは無理もありません。


スピラー本の読み方お奨め。反対に読むこと


もし、スピラーの前世占いで「しっくりこないな」と思う人がいたら、正反対に引っ繰り返して解読してみてください。
※簡単な方法はテイル側の星座で解釈を読むこと
きっと自分に何が欠けているか、今は何を大切にすべきなのかが分かるはず。

 私の場合も、引っくり返して読むと的確過ぎて涙が出るところがたくさんあります。
 参考 ⇒テイルへ向かうための読み方、例。スピラー解釈版

本来、人が向かうべき目標というものはホロスコープ全体を読まなければ解読出来ないのですがね。
スピラーもノード(ドラゴンヘッド・テイル)だけで全人生を読めと主張しているわけではないはずです。ただ初心者の方には難しいので、分かりやすいポイントを抜粋しているだけでしょう。
だから、単純に鵜呑みにしないように。
常に自分の現実と照らし合わせる癖をつけてくださいね。


追記: スピラーの解釈がそのまま「当たる」人、つまりテイル星座の印象のほうが強い人は、設定されたカルマ課題を消化しつつある人なのだと思います。下で書くようにカルマは一度の人生だけで解消しきれるものではないので、何度も繰り返し行って訓練する必要があります。テイルの星座が「自分そのものだ」と感じる人は、今世で該当カリキュラムが終わりに差し掛かっている人です。実際、テイルの印象が濃厚な人の中には、テイル星座が太陽またはMC(今世の目標)と同じ人もいます。このような人はせっかく身に付けた性質を捨てずMCを目指して行動しなければなりません。
結論としてテイルは罪業などではありませんから、自然に受け入れてカリキュラムを終了すべきです。



ヘッドとテイル、本当のところ


ところでドラゴンヘッド・テイルと前世の関係は、本当のところどうなのか?

私自身や、鑑定させていただいたデータから述べると、
 ドラゴンヘッド = 幾つもある過去生のうち今世に対応する過去生
 ドラゴンテイル = その過去生を閉じるための理想的な方法

だと考えられます。

もっと分かりやすく言うと、
 ヘッド = プロローグ(今世に対応する過去生のあらすじ)
 テイル = エピローグ(エンディング)

です。

「閉じる」という表現は分かりづらいと思いますが、転生は輪になって初めて完結する物語でして、欠けているものがある限り完結することは出来ません。
だから、欠けている穴を補って輪を閉じる必要があります。
魂は全てプロローグを生きた者は、エピローグを生きるべき義務を負います。
そのエピローグこそが「カルマの解消」の正体です。

「カルマ」と言うと、キリスト教徒だけではなく日本人でさえ短絡的に恐ろしい罪を想像するらしく、「カルマを持つ者が明るい人生を送るはずがない。罪を背負っているのだから暗く下を向いて歩かなければならないはずだ」と筆者に言って来た人もいます。
これは差別に繋がるひどい誤りです。
(不幸な人が、前世で悪いことをしたのだと濡れ衣を着せる差別。バカげた大間違い)
「カルマ」は単なる、未消化の物語というだけの事実に過ぎません。
※正確な翻訳は「行い」です
必ずしも全員が殺人などの罪があるわけではありませんし、罰として地上に生まれたわけでもない。
ただ物語を終わらせる必要があるというだけのことです。

地上にいる人間は全て、未消化の物語を持ちます。「未消化の物語」という生存理由のない者が地上に生まれる資格は無いからです。
(稀に、輪廻を完結したマスタークラスの魂が地上に生まれて指導すると言われていますが、滅多にないことです)


なお、ドラゴンヘッドから具体的な過去生の物語を読むためには、星座やハウスだけでは不十分でしょう。
私の鑑定経験上、やはりピンポイントのサビアンシンボルが適しています。

ここで注意しなければならないのは、ドラゴンヘッドは「前世」とは限らないということです。
西洋系の翻訳書籍ではいまいち前世と過去生の区別がついていませんが、全ての魂は一つではなく多くの過去生を経験しています。
「前世(一つ前の人生) = 過去生」
ではないのです。
ドラゴンヘッドはあくまでも、今世に対応するカルマである過去生を表しています。一つ前とは限らず、十回前かもしれないし、百回前かもしれません。あるいは、何度も繰り返した魂の癖であるかもしれません。
一つ前の前世が知りたければ、月の星座を読んでください。
月星座をベースとした宿曜占星術が最も的確に前世を表しています。

ドラゴンヘッドのサビアンシンボルには具体的に、今世と対応する過去生がイメージの絵として浮かぶように設定されています。
読み方はこちらをご参照ください。
 ⇒前世、月とドラゴンヘッドへの表れ方

★注意
サビアンシンボルで読む場合は平均位置ではなく正確なノードで計算してください。数度の違いだけでシンボルはご自身にとって不可解なものとなります。
(ご指摘いただきました、感謝!)




追記

 前世を絶対否定する宗教信者たちによる、口汚い罵詈雑言について

ネットを検索していると、やはりプロの占星術師たちはドラゴンヘッドで前世を見る手法を口汚い言葉で全否定しています。
そういう人たちはほぼ全員「前世そのものが絶対の絶対にあり得ない」と主張していますね。根拠ゼロで。
曰く、「カルマという概念が嫌い」なんだとか。一人で嫌いと言って全宇宙に喧嘩を売ってもな。笑
まあせいぜい頑張って。

彼らは「前世が無い」と信じているわけだから、その信仰心だけを根拠として「前世占いは捏造だ」「オカルトに中毒したバカな西洋占星術師のお遊び」「こんなものを信じるとは日本の占星術のレベルは低い」「詐欺に騙されるな!」と言う。もちろん彼らが自分の説を裏付けるため鑑定で検証した跡はない。
追記 そもそも世間の人から見れば占星術こそ「オカルト」で「迷信」。関連記事:「占い」から逃げ続ける西洋占星術

彼らはスピラー信者を「詐欺師に洗脳されている」と決めつけているのだが、そもそも「前世などあり得ない」という考えも近代西洋に洗脳された教育だということに気付いていないようです。誰が最大の詐欺に騙されているのか、少し冷静に考えていただきたい。
ほんの二千年前に生まれたばかりの新興宗教キリスト教だけが正しく、古代からあるインド思想は詐欺と決めつける根拠は何? 現在の世界で多数派の権威に従っているだけ、「長い物に巻かれろ」主義なだけではないですか?

どうしても前世の存在を信じたくないという人はそれはそれで構わないし、永久に耳を塞ぎ目をつぶって生きていけば良いと思う。他人に迷惑を与えない限り何でも好きなものを信じればいいのです。
私はそういう人に全く用はありません。説得する気もありません。宇宙の彼方に存在して関わらないで欲しい。
ただ私は前世らしき映像を見て思い詰めている人限定に、「ホロスコープは前世を裏付ける情報だよ」という秘密を提供するのみです。

それにしてもこれだけ多くの人がスピラーの本を読み、「私のことが書かれている……」と的中の感覚を得ているのに無考えに始めから全否定する態度は、ちょっと恥ずかしいですね。
私もスピラー本の解釈には首を傾げる者ですが、彼女の「ドラゴンヘッドは前世と関係あるかも」という直観は正しいと思います。多くの人が関心を持っていることが何よりの根拠となります。

無考えに否定する人たちは占星術師なのに、「どうしてこれだけ多くの人がこのような感想を持つのだろう?」と疑問を持つことすらないのか。
こういう占い師が、お客さんの感覚を一切無視して自分の考えを押し付けるのでしょう。
「お前の太陽星座はこうだから、お前はこういう性格に決まってる! そうでなければお前の性格を太陽星座に合うよう直せ! 私に逆らうな!!」、と。


//生活の糧として占星術をやられている方々は死活問題で、既得権を守るため新参者を必死で叩きたくなるのも分かるのですが、そういう狭量なことをする前に業界の正当さを示すため新説も検証すべきなのでは。
まあ、どこの業界にも既得権にしがみつきたがる不誠実な嘘つきは存在し、この人々が社会を腐敗させているのだけどね。
これは占星術界に特有な犯罪と言うよりは、人間社会の性質か。医療も政治もひどく腐敗している。
Share:

「スピリチュアルを信じる人は知能(知性)が低い」という話の危険性

 


 

 「知能が低い人ほどスピリチュアルにはまりやすい」という研究論文※があるらしい。

こちらのブログ様が日本語まとめで最も分かりやすい。プロのライターさんですね。
 ⇒知性が低い人ほどスピリチュアルに走りがち!という研究結果

※論文 2015年11月『On the reception and detection of pseudo-profound bullshit』

論文のポイントと、感想


上ブログ様より論文の概要を引用

 

実験にあたって研究者は約800名の参加者を集めまして、全員に本当の名言とスピ系の迷言を見せて、「これは素晴らしい!」と思った言葉に点数をつけてもらったんですね。
……(略)……
そのうえで全員に思考力テストをおこなったところ、

27%の人はスピ系の迷言と実際の名言を見分けられなかった
迷言にダマされやすい人は、信仰心が高く陰謀論を信じるケースが多い
迷言にダマされない人は、言語的な知性と流動的知性が高い
迷言にダマされた人たちは、「新生児には定期的に注意を向けましょう」みたいな普通のアドバイスにまで高い点数をつけた

といった結果が出たんですね。言語的な知性は言葉を使った表現力のことで、流動的知性は論理的にものごとを考える能力のこと。つまり、スピリチュアルに引きつけられる人は知性が低いんだ、と。
研究者いわく、
“今回の結果により、スピ系のデタラメにダマされやすい人が一定数いることがわかった。たんなる懐疑主義だけでは、迷言を見抜くには物足りない。ばく然としたデタラメを見抜く洞察力が必要なのだ。
スピ系のデタラメに影響を受けやすい人たちは、ものごとを深く考えようとせず、数字や言語、流動的知性などの認知機能も低い。また、哲学的なたわごとや陰謀論、宗教、超常現象などにも引きつけられがちで、自然療法や代替療法といったニセ医学に手を出す傾向も高い。”
とのこと。いやーバッサリですね。 怒る人も多そうですけど個人的には共感しました。

 

うーん。どうだろうな、「迷信」「正しい格言」「宗教」の定義が曖昧で、公平性がないように思う。(バイアスがかかっている)

定義を曖昧にすればどんな研究でも「知能(知性)が低い」ほうが多くなるのは当たり前。
※たとえば“サイコパス”など具体的で診断可能な定義はこれとは別

だって、どの国でも知能(知性)が高い群は人数が少ないはずだから。
数のマジック。笑

「スピリチュアル」と知能の低い群を結び付けた結果、「スピリチュアルを信じる人は知能(知性)が低い」という結論が得られたという。
なんだか本末転倒している気がしなくもない。
でもまあ世間のイメージ通り、期待を裏切らない研究結果だと思う。
多くの人はこの結果を鵜呑みにし、飛びつくのでは? 

科学の装いをしていようと何だろうと、他人の話を何も考えずに鵜呑みにしている時点で、「スピリチュアル商法」にはまる人と完全に同じ穴のムジナと言えるのだけどね。

追記:つまり、数のマジックにさえ気付かず上の論文を喜んで鵜呑みにした時点であなたは騙されやすい人だと言えるから詐欺に注意したほうがいい、ということ。たとえば「デタラメなスピ話」という定義を鵜呑みにするなど、省略論法で容易に騙される。自分が持っている偏見にも無自覚なので誘導されやすいだろう。この種の人々は、大手メディアを強く信奉し、自分たちが「頭のいい群」で相手方は「デタラメを信じる知能の低い群」と思い込まされ煽動される。実は最も洗脳されやすい群と言える。
(ついでに言うと「スピリチュアルは馬鹿だけが信じるもの」というイメージも、ある特定カルト思想が目的を持って流しているプロパガンダ。そんなプロパガンダに騙されきっている彼らが、他人を指差し嘲笑うのは物凄く恥ずかしいことなのだが…。詳細は記事下、別館参照のこと)

分野に囚われず、本質を見ること


上の研究結果、または翻訳タイトルが危険だな、と感じるのは
「スピリチュアルさえ避けていれば大丈夫。安心安心」
「私はスピリチュアルなんかバカにして信じないから大丈夫。安心安心」
と多くの人に思わせてしまうであろうこと。
つまり、多くの人に次のような認識を与えてしまう危険性がある。

「知能が低い人だけがスピリチュアルを信じる」
 ↓
「頭の良い人はスピリチュアルを信じない」
 ↓
「アタシはスピリチュアルを信じていないから頭が良い」
 ↓
「アタシは頭が良いから何にも騙されない! 安心!」


すると、どうなるか。
彼女ら(彼ら)が成功哲学セミナーや金融セミナー、健康法にはまり出して引き留めた時に、
「これはスピリチュアルじゃないのよ、私はスピリチュアルなんか信じない人だから頭がいいの。だから絶対に騙されない。頭の良い私が認めたセミナーの主催者様は絶対に正しい!」
という反論が有効になってしまう。
(周りから見れば有効ではないのだけど、彼ら彼女らはもう「スピリチュアルでなければ大丈夫」と思い込んでいるので止めることができなくなる)

もう少し具体的に示してみる。
ジャンルを限定すべきではない、現実的な理由。
現実を眺めていると、以下の人々は全てイコールで結ばれる。
(本質的に同種の行動をしている、同種の人間である。一人で全て行う人もいる)

過激な健康法にはまる人
= 成功セミナー、金融セミナー、環境セミナー等へ通う人 
= アフィリブロガーの情報商材・セミナーを信じる人
= 方位吉凶(風水など)に過度にはまる人
= マルチ商法にはまる人 
= 占い師の言うなりに行動する人
= スピリチュアルに過度にはまる人 
= 原発等の政治セミナーへ参加し、活動団体へ入る人
= カルト宗教に入信する人
= カルトイデオロギー(※)を信じ続ける人
等々


※ここで言うカルトイデオロギーとは、「独善・独裁・批判を許さない」、「自分たちの都合に合わせ事実を捻じ曲げる嘘をつく・歴史修正をする」、「暴力など実力行使で反論を封じる」、「殺戮と拷問を奨励する」というカルト宗教と同じ構造を持つ洗脳プログラムのことです。マルクス主義を代表とする共産社会主義が典型例。

悪徳な詐欺師や教祖にマインドコントロールされて身を亡ぼす人は、たいてい上に挙げたジャンルのどれかにはまった経験を持つ。
つまり、分野で特定することはできないということ。
上の項目のうち一つでもはまったことのある人は、言い方は悪いが「前科者 病歴あり」としていずれカルトに洗脳される可能性がある。

何かしら「ダイエット」や「健康法」にはまったことがある人は、既にカルト宗教・カルト思想へ入信する一歩を踏み出しているとも言える。
過激なはまり方でなければ危険はないが。逆に言えば、スピリチュアルやオカルトも過度ではなく他人に強要したり、危害を及ぼすものでなければ構わない。まして体験者は。……以下全てのジャンルに同じ。/ただし成功セミナー・マルチ商法・宗教・イデオロギーは一歩踏み出せば組織の力で強力に牽引され抜け出せなくなるから程度に関わらず近寄ってはダメ。

 参考記事 「玄米食をしている人たちなどは洗脳されやすい」と、洗脳評論家

そうならないように必要なのは自分の頭で考えること。可能なら自分で裏を取ること。
上のブログ主さんのようにエビデンスを大事にし、健康法を自分の身体で試している人はたぶん大丈夫とは思う。
そうではないズボラさんは、どうか気を付けて。


実は、過度にはまり過ぎて危険なのは偏差値が高い群


ここから下に書くことはあくまでも個人が体験的に感じたことです。

私の経験上では、「スピリチュアル」つまり心霊現象などを信じる人たちはIQや偏差値に関わらず、「差別を嫌う・心が広い人」たちであると感じる。
他人の意見を尊重し、他人の立場や人格を否定しない人たちだ。
自分が信じるかどうかはともかく、宗教的なことについて「どちらでもいい」と感じているし、実際「どちらでもいい」という言葉を口にする。
私にはむしろ、この人たちのほうが高度な知性を持つと感じられる。
知性が高くなければ他者に寛容にはなれない。

ところが時々、他人が唱えた教義を過度に信じ過ぎてしまう人がいる。

たとえば、商売としてのスピリチュアルを提唱する教祖に洗脳される人。
カルト宗教、成功哲学も同様。マルクス主義、社会主義もそう。
「科学」という宗教教義を過度に信じ過ぎている人たちも、意外だろうが完全に本質が同じ。

彼らは自分自身の体験がないだけではなく、考えることを嫌って書籍やセミナー主催者の言葉をそのまま鵜呑みにする。
あっさり洗脳され強烈に信じ込み、反対する人たちを敵対視して攻撃するなどの有害行為に及ぶ。場合によっては敵対者の殺人も平気で行うことができる。
いわゆる、「カルト信者」「極右・極左の原理主義者」となってしまう。

あくまでも経験上だが、このように過度に他人の言葉を信じ込む人々はどちらかと言えば世間で「知能が高い」とされている人々つまり偏差値や学歴が高い人に多い
(分かりやすい例として、オ×ム真理教や共産主義の信者たちに高学歴が多かったことが挙げられる/ただし知能が高い人が必ず洗脳されるわけでもないことには注意。追記参照

問題視すべきなのは漠然と信じやすい人たちよりも、こちらの過度に信じ込みやすい人たちのほうだろう。
この人たちの共通項を分析して、どう対処すればいいのか考えなければ、この種の研究は何ら社会の役に立たないと思った。役に立たないどころか、ただ無用な差別を生むだけ。さらに取りこぼしを助長するから有害

【関連記事】 
別館です。基礎的な話から洗脳への対処法まで。


改稿暦

2019/05/28 読みやすさのため文章修正
2020/01/20 過度にカルトにはまりやすい人の定義を、「知能が高い群」から「偏差値が高い群」へ変更しました。知能の高さと追従性(他者の話を鵜呑みにし言うことを聞く)は比例しないからです。その代わり、知識詰込み型の日本の学校教育における偏差値の高さは追従性とやや関連があるように思います、100%ではないにしても。
2021/10/18 別館リンク。読みやすさのため修正、加筆
2023/6/24 宗教だけに言及していたのは不公平でした。カルト思想(イデオロギー)にも言及。


Share:

又吉直樹は太宰治の生まれ変わり説

 失礼かなと思いつつ、「すたくろ」さんの記事をご紹介して雑談。
(私のような怪しい者がリンクして本当に申し訳ない。良質なサビアンサイトを知って個人的に嬉しい気持ちのため)

※本文常体。それと、すたくろさんが本気で言っているわけではないと分かりながら、真面目に考えて書いていますことご容赦ください。小説好きなもので

又吉は太宰の生まれ変わり?


この記事が面白かったので話題にしたくなった。
 ⇒太宰治と又吉直樹氏

ピースの又吉直樹さんが
芥川賞を受賞したわけでありますが
又吉さんは
太宰治を尊敬しているようで
そしてまた
嘘のような本当の話的な
不思議なご縁があったりして
(偶然にも太宰と同じ住所に住んでいた!みたいな)

まさかの
生まれ変わりなんじゃないのか
なんてことを
ふっと考えたりしてしまうわけですが

太宰治さんと又吉さん。

もしかしたら
本当に生まれ変わりということもありそうですよね。

(ごめんなさい)
まさか、それはない。
又吉に失礼と思う。笑

バッサリな言い方ですみません。

でも小説好きなら皆、口を揃えて同じことを言うだろう。
「まさか又吉が太宰治の生まれ変わりのわけがない。太宰にしては常識があり過ぎる!笑」
「たった一回の転生でどれだけ成長したんだよ。いくらなんでも、改心し過ぎだろ」
と。

太宰の熱狂的ファンである又吉にとっては、憧れの人の「生まれ変わり」と呼ばれたら卒倒しそうなほど嬉しいだろうけど、はたから見れば「生まれ変わり」呼ばわりは可哀想だと思う。
又吉のほうが人として遥かに上

真面目に考えると、太宰と又吉ではまず本質の性格タイプが違うね。
生きている時代による表面的な違いなどではなく、本質に流れる共通項があまりない。
太陽は同じ星座でも、おそらくアセンダントは異質なエレメントだろう。太宰は水、又吉は地、とか。
(いやその醸し出すエレメントの雰囲気は月のせいかもしれないが、アセンダントも真逆と推測する)

太宰が現代に生きていたら、間違いなく炎上キングとなるだろうな。
連日、百田尚樹あたりとツイッターで凄まじい悪口合戦を繰り広げてヤフーニュースのトップになりそう。ちょっとそのバトルは見てみたかったかもしれない。
いや個人的にはそれよりも三島由紀夫とのツイッターバトルが見たかったけどね。百田では相手として物足りないか。

それと太宰は炎上だけではなくスキャンダルキングともなるだろうな。
文春記者は太宰の後だけ追っていけば、彼が世を去るまで食べていける。

いっぽうの又吉直樹。
大人しく品行方正。真面目でありながら、さすが芸人。空気を読む術に長ける。
一作目で、日ごろ読書をしない方々から
「難解過ぎてよく意味が分からなかった」
という感想をもらったからといって
「二作目はもっと分かりやすく、ポピュラーな小説を書かなきゃ」
などと言う又吉。
そんな、コミュニケーション能力の高い文学家がいるか?笑

少なくとも太宰には無理な芸当だと思う。
太宰本人はサービス精神があるつもりで、相手におもねっているつもりなのだけど、根が独りよがりでピントはずれだから嫌われる。
だからこそ彼は芥川賞が取れなかった。
目的の文学賞を取るにはどのような雛形に沿った文章を書けばよいのか、その雛形がついに理解できなかったのだ。つまり彼は生まれつき不文律のルール、「空気」を読むことができない。
あまりにも、ありのまま生きている人間故に。ありのまま、裸のままの文章しか書けない。
でもそれが実は、「本物の作家」なのだよね。
日本ではこういう「本物」は賞が取れない

なんだか文学談義に逸れてしまったが、ともかくホロスコープ的にも二人は「生まれ変わり」とは言えない。
太陽星座が同じだけでは生まれ変わりとは言えないし(むしろ太陽星座は来世で変わるべき。来世で同じ太陽星座なのはイレギュラー)、ノードに表れるカルマも算数的には計算できない。

たぶん、物質に近い位置で起こる「生まれ変わり」とはこういうものではない。

見た目の相似よりも、本質タイプの共通項のほうが重要。
あとは生まれた時の環境や、家族関係、友人関係の共通項があるかどうか。

実は意外かもしれないが、同じ国や同じ地域に生まれていないことも「生まれ変わり」であることのポイントとなる。
魂は完全に同じテーマの人生を繰り返すことはないから、同じ国や地域に生まれることをなるべく避ける。
もちろん自殺した人の場合、同じテーマの人生を繰り返すということはあり得ると思う。
だけど全く同じ住所に住むことがあるかというと、難しい。
自殺したぶん、前よりもっと重い負債を背負うことになるので日本より過酷な場に飛ぶ可能性が高いのでは。
(私は自殺したことがないから分からないが、カルマの法則を考えれば)

それからもっと重要ポイント。
私の個人的な体験から述べると、自分の前世は決して「尊敬」できないし間違ってもファンにはなれない
(自分の前世であることを知らなくても反射的に嫌だと思うから誤ることはない)
だってあなたは本気で自分の「ファン」になれますか? 私は絶対に無理です!笑
家族に恋するよりもさらに無理。
たまにナルシストがいて「自分のファン」などと言っている人がいるが、私には信じられない。
どちらかと言えば生理的に最も嫌いな人。見ているだけでも気持ち悪いし恥ずかしく、いたたまれない。それなのに全ての行動について気持ちはよく分かる、という人だったら自分の前世の可能性がある。

生まれ変わりより可能性が高いこと


もちろん上のサイト主様は、あくまでも「たとえばこうだったら面白い」という話をされているだけで、本気で生まれ変わりだと主張されているわけではない。
だからこそ軽い乗りで、こうして楽しく談義できるわけだ。

皆さんもあまり本気にされないでね。

ただ上のサイト主様が仰る通り、太宰と又吉には不思議な縁があることは確かだと思う。

私が思うに、又吉は太宰の念に憑依されたのではないかなあ。
あまりにも好き過ぎて、その人の生前の想いにとり憑かれることはある。

又吉は幼い頃から読書が好きだったわけではなくて、あるとき太宰の小説を読んだことをきっかけに、突如として読書好きとなった。
そこから人格が変わったように本を貪り読んだ、らしい。
このように人生の途中で、病気などの理由もなく人格が変わる場合は「憑依状態」という。※

又吉の場合、太宰の霊そのものに憑依されたわけではなくて「想い=念」にとり憑かれたのだろうな。
もし本人の霊にとり憑かれたら少しまずいことになっていたかもしれない。

太宰を愛するがあまり彼の「想い」にとり憑かれ、太宰の無念をなんとかしたいと願い、受け継いで果たした。
又吉の優しい「想い」はたぶん、あの世にいる太宰の霊も慰撫したのではないか。
上のサイト主様が仰る、
今回の受賞で
太宰治が抱えた
魂の傷が癒えたとも
言えるのです。
これは全くその通りだと私も思う。

又吉は太宰の魂を慰めるために生まれてきたのかもしれない。
太宰の縁者であるか?
もしかしたら、前世で太宰を愛した女性の一人、だったりね。(あくまでも想像)

それだけに留まらず、又吉は我々読書好きの不遇も改善してくれた。
又吉のおかげで太宰ファンも救われたし、読書ファン全員を救ってくれた!
日本で少し本が読まれるようになったのは又吉のおかげ。
有難う、有難う。
深く感謝しているよ。

だから又吉には細かいことを気にせず、プレッシャーを無視して自由に小説を書いて欲しいな。
もう一度、読書そのものを愉しむことができるようになればいいね。


※憑依か、前世記憶かの見分け方


サイトにも書いたことだけど重要だから繰り返し書いておく。

よく、「前世の記憶を思い出した」と主張して急に人格が変わってしまう人がいるが、その場合はおそらく浮遊霊に憑依されている。
幼い頃から特別に恐れていた物や事柄もなかったのに、「前世記憶」と主張する映像を見たその時点から突如として何かを怖がるようになった場合も同様。
浮遊霊に見せられた他者の記憶を、自分のものと勘違いしてしまっただけ。

私などは幼い頃から一切、人格が変わっていない。
幼い頃から読書好きだったし、変人だった。笑
表面的には態度を変えることがあるが、根のところは変わっていないと思う。変わりたくても変われない。(成長が全くないとも言う)
もちろん「前世記憶が蘇った」という体験をした後も、性格は微塵も変わらなかった。
変わることを恐れた自分がバカだったと笑ってしまうくらい。
魂の性質は、生まれ変わっても簡単には変わらないものだ。

〔関連記事〕自分は自分にしかなれない、という話

この通り見せられたイメージが
「前世記憶」
なのか
「憑依した霊や念が見せた他人の記憶」
なのか見分けるポイントは、人格が変わるかどうかにある。

それと、幼い頃の自分を思い出してみることも役立つ。
自分の幼い頃とその「前世」の人生に何か共通項はあるか?
なければ憑依の可能性がとても高い。

又吉のように、おそらくその霊魂の縁者で、始めから霊魂を慰めるために生まれてきているなら念を受け継いでも構わない。
(「始めから計画していた」かどうかは、上の通り出生ホロスコープに計画の痕跡があるかどうかで分かる)

ただ縁者でもない、浮遊しているだけの霊にとり憑かれると死に誘導され危険な場合もあるから、なるべく早く忘れたほうがいい。
自分で対処できない場合は専門家に祓ってもらってください。

参考 ⇒他人の魂に憑依されたか否かの判別(チェックリスト)

――慣習に従い、この記事では作家について敬称略――
Share:

ライアン君の話と、織田信長の生まれ変わりにオートロック教えたい??

 何かのテレビ番組で、1930年代にハリウッド俳優として生きた記憶を持つ「ライアン君」の話が特集され面白く見た。
例によって家族が録画した番組を横で見ていただけなので番組タイトル不明。

ライアン君の話とは:
 『前世の記憶を持つ5歳の少年、ハリウッドアクターの生まれ変わりだと主張』(リンク切れのためURLカット)

ライアン君の話によれば、前世では、ライアン君は世界中を旅していて、リタ・ヘイワース(40年代に活躍した女優)などと、ブロードウェイで共演したそうだ。


「これ、僕だよ。」
 
ライアン君が指さしていたのは、1932年の映画『Night After Night』のページに写っていた一人の男性だった。その男性はエキストラで、出演者名簿には載っていなかった。
 


この話の中で頷いたのは、ライアン君は前世の自分の名を覚えていなかったのだが
「今から言う名前のうち、自分の名だという感覚があるものがあったら教えて」
と言ってランダムに名前を言って行くと、ある名の時に
「あ! それだ!」
と指摘したらしい。そしてその名と上のエキストラの写真が一致。

そうそう、これが通常だと思う。
私も同じで名前は覚えていないのだが、パラパラ漫画をめくるときのようにスピードを出してページをめくっていくと、光るように目に留まる名前があった。その名と、記憶が完全一致した。(もちろんその時、その名も人生も全く知らなかった)

まあ私の場合はエキストラとかではないので世間的に説得力はなく、誰にも信じてもらえないのだけどね。
ライアン君がとてもとても羨ましくなる。
私はただもう知名度だけで嗤われ、「嘘でしょ」「妄想でしょ」「潜在記憶でしょ」と無考えに決めつけられてハイ終わり。話を聞いてさえもらえない。
差別である。
(それにしても皆さん考えることが大嫌いだな。細かい経緯も、理屈も一切無視。「有名」「無名」だけでレッテルを貼り無考えに決めつけバカにする)

信じてもらいたいわけではないのだが、「気軽に話ができない」というのが何より辛いんだよな。
家族とテレビを見ていて上のような場面に遭遇しても「そうそう」と頷きたくなるところぐっと堪え、言葉を飲み込む。
その反動でこんなところで書いていたりする。

愚痴はこのくらいにして笑ったのが下の話。

この特集の直後、MCの女子が
「現代に蘇って(生まれ変わって)欲しい人って誰ですか?」
と出演者たちに質問したところある芸人が
「織田信長!」
と答えた。そしてこう続けた。
織田信長が現代に生きていたら、オートロックとか教えたいですね。本能寺にオートロックかけられるように」

……うん?

いや、織田信長が現代に生まれ変わったとしても、0歳から君らと同じ時代に生きているのでオートロックくらい知っていますよ?

笑った、と言うか苦笑した。

皆さんタイムトリップと生まれ変わりの区別さえついていないのか?
困ったもんだな。


この番組を見て改めて思ったが、世間の人はいまいち「生まれ変わり」が何であるか理解していない。

タイムトリップと転生の区別がついていないのは酷いが、そうではなくても
「生まれ変わり = 同じ行動をする人」
だと思っている。

たとえば織田信長の生まれ変わりだったら天下統一を目指すはず、とかの定義だね。
現代日本に生まれ変わって天下統一を目指すわけないだろ(笑)と思うのだが、ここのところが理解できていない人が多い。

真面目に本当の話をすると、そもそも同一人物なら完全に同じ人生を歩むことはあり得ない。
違う人生を生きなければ「生まれ変わり」の意味がないからね。
魂は必ず同じ土地の同じ家系(子孫)に生まれ変わると信じている人たちもいるが、これもほとんどあり得ないらしい。人種も国も違う人生を選ぶのがほとんどで、子孫に生まれ変わるのは非常なレアケース。(ニュートン氏は「無い」と言っている。日本ではよく祖母が孫に生まれ変わった等の話があり、完全否定は出来ない)

前世で有名だったり、大変な人生を送った人は、来世では無名で穏やかな人生を選ぶのではないかと私は思う。

 

Share:

マスターナンバー33とは “役に立たないと生きている心地がしない”

 


マスターナンバー33について解説、考察した記事です。
二つの記事をまとめました。

〔メイン〕
マスターナンバーとは
最近注目され始めた「33」
役に立てないと生きている心地がしない

〔続き。自己犠牲しやすい33の方へ。滅私奉公とは何か〕
33は菩薩にならなければいけない?
特別な人間と思い込み過ぎないこと
33の人へメッセージ

★最近「マスターナンバー33 + サイコパス」でここを訪れる人が増えました。占い分類や性格診断分類に「サイコパス」のレッテルを貼ることが流行っているようです。残念なこと。少なくとも筆者はサイコパスではないとの診断結果が出ていますのでご安心を(笑)。サイコパスは脳障碍であり、占いや性格診断とは無関係です。⇒サイコパスについて正しい知識を得ましょう。


マスターナンバーとは


「マスターナンバー」という言葉をご存知でしょうか。

私もつい先日、ある方に教わって知ったのですが、カバラ数秘術のなかでも特殊なエネルギーを持つ数字のことだそうです。

『カバラ数秘術』とは、生年月日の数字を足して表れる数字で性格や運勢を読み解く占術のこと。
数秘術は私もかなり昔に少し勉強したことはありましたが、自分の数が
「6」
であり、これは
「事なかれ主義で温和な家族を大切にする人」
とのことでしたので、全く当たっていないなと感じて離れてしまったものです。
(私はとてもではないが家族を大切にする温和な人間とは言えません。お世辞でもそう言ってくれる人はいない)

あれから20年。
時代は変わったもので、今は『カバラ数秘術』も進化していて新しい解釈が生まれているようですね。
生まれている、と言うより、発掘された・もしくは秘められていたものが一般公開され始めたと言えるのかもしれません。

この新しい解釈とは、数のなかには二つの数が重なって出来ているものがある、という考え。

たとえば「1」+「1」で「2」など。

通常のカバラ占術では「2」で解釈されますが、高次元となったときには「1・1」という二つの数の重なりによる、高いエネルギーを持つ数字として解釈されるそうです。
その高次元のエネルギーを解放出来る人は少ないものの、可能性としては秘めているらしい。

それで、最も有名なマスターナンバーは
「1・1」
もしくは
「2・2」
で、占いサイトのなかにはこの二種類だけを「マスターナンバー」と定義するところもあります。


3・3の解釈引用


ところが最近になってマスターナンバーに加えられ注目され始めたのが
「3・3」
だそうです。
つまり、通常のカバラで言うところの「6」ですね。

どうやらこの「3・3」、高次元エネルギーを発揮するのは「1・1」や「2・2」より難しいらしく、そのためデータが少ないのだそうです。
だから通常は「6」で解釈したほうが当たるらしい。

ただもし、「6」で腑に落ちない、なんとなく当たっていないと感じられる人がいたら、もしかしたら「3・3」で解釈すると腑に落ちるかもしれません。
※最後の計算が3+3で6になる人のみ

私も3+3で6なのですが、今までは6の解釈を見て当たらないなと思ってきました。
そこで「3・3」の解釈を見たところ、確かに腑に落ちて驚きました。
自分の結果として引用しておきます。

ワケわからん… 理解不能な飛んでるあなたは『人類の愛の奉仕者』

「エンジェルナンバー33」のあなたは、
「人類の透明な奉仕者」。

生まれる前に自ら誓った大切なことを思い出せば、
意識と愛が宇宙に広がり、菩薩のような、
見返りを一切期待しない「無償の愛」を出すことができる人です。
周囲の人を大きく包み込む愛を表現できる、祈りの人。
「人類の平和」イコール「自分の幸せ」とまで想え、そのために奉仕し続けられます。
多くの人の人生に多大な影響を与え、
その生き方が人生のお手本になるような、スケールの大きな愛の人です。

幼い頃から、神秘的な能力に目覚め、
「目に見えない世界」のことを当たり前のように受け容れることのできる、
大きな包容力が備わっています。
その能力をどのようなカタチで活かしていくのかが、
人生最大のテーマになります。

【「誕生日占い」より引用。http://www.jba-net.com/】

 

まあ何か良いことばかり書かれているようですが、他のサイトで言われていることも含めて「33」を簡単にまとめると、
「変人」に「大」が付く
スペシャルな「大変人」らしいです。

「6」の解釈より遥かに当たっていると思います。

不思議と、『壁宿』の解釈とも合致していることにお気づきでしょうか。
(私は宿曜占星術において、壁宿です。これは奉仕の宿なのですが、同時に変人でもあります)

あと同じ「33」を持つ有名人のなかに、アインシュタイン様がいらっしゃいました。
あちら様のほうが遥か遥かに高次元で、私ごときは「天才」という33の共通項にはかすりもしないのですが(涙)、「変人」という部分では遠いところでなんとなくシンパシィ感じていましたよ。

(ところで、同じ数に「えなりかずき」さんもいるようです。彼は家庭的な感じだから6が当たっているかな。しかしあんなに常識人の彼もいつかこの変態 変人ワールドの仲間入りをするのでしょうか、笑)


なんだか初めて、『数秘術』に納得して興味を持てました。
教えてくださって感謝です。

かつて試してみて「当たらないな。価値ないな」と思った占いも、こうして進化することもあるので忘れた頃に調べてみると面白いかもしれませんね。


役に立てないと生きている心地がしない


マスターナンバー33の人の弱点は、「他者の役に立てているという実感」がないと生きている心地がしないことだそうです。
私もまさにその通りの人間です。

だから逆に言えば、人から求められない・役に立っていないと感じると死にたくすらなってしまうのです。

33に関する、«自分を、他者という「鏡」に映して確認している» という指摘はその通りと思います。

このような性格は非常に危険なもので、依存症にもつながると現代では考えられているでしょう。
私自身、そんな自分の欠点を心得ていましたから、一時期は
「他人から求められる自分」
を潰そうという荒療治に出ました。

無能で役に立たない自分、
誰にも求められない自分、というものを創り出したのです。

しかしその結果としてこの人生では非常に苦しむことになりました。

苦しい、と言うより申し訳ない想いでいっぱいとなったと言ったほうが正しいか。

せっかくお役に立てたはずの能力を自ら潰してしまったとは、なんて罪深いことをしてしまったんだと自分を責める日々が続きました。
天罰が下るだろうと思っていたものです。

しかし下のサイト様からメッセージを頂いた気がします。
それもこれも、全て自分で求めて受けた試練だったのかもしれないと。

以前あったサイト様より、「33」へのメッセージ引用


人はみな自分を、他者という「鏡」に映して確認している
自分が求められていないと知った時とは
すなはち自分の姿を確認する鏡を失ってしまった時なのだ

その人は、自分の姿を見失って途方にくれるだろう
その人の学びは、
自分の姿は他者ではなく
自身の深いレベルにある「意識」に映しだされることに気づかなくてはならない

それを実現した時
その人は、本当にマスターナンバー【33】のエネルギーを
生きていることになる


 

涙が出て心がほぐれました。

今また、人様のお役に立つという方向に動いている自分がいます。
あまりこれが行き過ぎるとまた、良くない結果となりそうです。

人のお役に立てなかったとしても自分は自分であること。
自身の鏡に映さなければならないこと。
忘れず生きていかねばと思います。

この占い情報を教えてくださった方に感謝。出会いと学びに感謝です。


★↓統合した続きの記事 『滅私奉公とは何か』

33は菩薩にならなければいけない?


ご紹介いただいた数秘術の先生のブログを読んでいましたら、
「自分はマスターナンバーの33なのだから菩薩にならなければ」
と思い込むあまり、菩薩を目指して自己犠牲を行い、尽くし過ぎて適応障害という心の病に至ったことがあるらしい。
(ご病気後は33の解釈を変えて救われたとか)

『数秘術 ライフパス33"神話"の誤解』
http://ameblo.jp/heals01358/entry-11779788995.html ※リンク切れ

占いをきっかけとしてこのように思い込み過ぎてしまい、結果的に心の病になってしまうこともあるとしたら、占いは有害となりますよね。

私は個人的に、33の人は占いなど知らなくてもそのような「自己犠牲」→「無理をして潰れる」という負のスパイラルに陥りやすいのではと思っています。

ただもしそのような性質を後押しする言葉として、「33神話=33の人は菩薩である」という解釈があるとしたら危険なので、思い込み過ぎないよう気を付けるべきでしょう。


特別な人間と思い込み過ぎないこと


あまり、「自分は特別な人間」などと思い込み過ぎても人生疲れるではないですか。

そもそも「自分は他人とは違う特別な人間である」と、何ら現実的な理由なく思い込むのは精神病の一種です。
現実に理由あって、「こういう部分について自分は特殊だ」と客観的に理解するのは正しい自己認識ですが。

……ここ強調しておきます。
「特殊さの認識」と「特別意識」は違いますよ

たとえば何か病気になったとき、「自分は他の健康な人とは違う体なのだ」と理解する。そして健康な人と同じような行動はしない。その病気なりの行動をとるよう心がける。これが、「自分は特殊だ」という正しい認識のしかたです。
そうではなく、何ら客観的な理由もなしに「自分は特別な能力を持つ人間だ」と、優位意識を持つ。これがちょっと壊れてしまった心による、特別意識です。

マスターナンバーの解釈には、前記事に引用したような


このゾロ目の数字はマスターナンバーといって、
非常に珍しくて、
人智を超えた能力を持ち、
まさに神に近い存在とされている。

こういう刺激的なことを言う人がいるので勘違いしやすく、「ちょっと壊れてしまった心による特別意識」に陥る人が出て来るかもしれない。
それだけではなく、マスターナンバーを崇めたりする人も出るかもしれませんね。
嫉妬から敵対心を持つ人も多いでしょう。
だから、テレビなどでああいう安易な解釈を流すのは危険だ、ヤメロと私は言うのです。

確かに、マスターナンバーを持つ人は数は少ない。
しかしだからと言って優れているわけではない。

魂の輪廻の回数が多くて経験値が高い、ということはたぶんあります。
つまり、「特殊」というのは客観的に正しい認識だということです。
ただその特殊性は「優位」なのではなくて、単に魂が年を取っているだけです。

全ての魂は同列で、平等です。
いずれ全ての魂が卒業し、先輩となり、後輩を指導するようになる。
それは時の流れとして今どの時点にいるか、ということに過ぎず、優劣などないんです。

年寄り嗤うな、往く道じゃ。 子供叱るな、来た道じゃ。
って言葉を知らないかな?
マスターナンバー等を特別と思ってしまいがちな人は、この言葉を胸で何度も繰り返すべきです。



メッセージ


最後に、33の人へメッセージ。

上の記事で先生も仰っている通り、同じ「33」でも色々なレベルの人がいると思います。
なかには奉仕ということに慣れていないので、間違った自己犠牲に陥る人がいる。
慣れない人はブレーキをかけることが出来ないのだろうと想像します。そんな時は本当に心身を壊してしまうでしょう。


私は早いうちからそんな自分の性質に気付いていて、奉仕にブレーキをかける癖がついています。
これはおそらく前世の経験がある故です。

私の場合、これと決めた相手や目的のためなら、死んでも構わないと思うんですよ。
前世でそうなったときは、自分は幸福な人間だと心の底から思いました。命を差し出して惜しくない人々のために死んだ。自分にとって、それ以上に幸福なことはないんです。

ただ尽くすのは、相手によります。笑

実は私は普通の人よりも好き嫌いが激しいほうで、嫌いな相手には指一本動かしたくないと思います。
だから相手によって態度が極端になります。嫌いな相手はバッサリ縁を断つ(そして周囲が恐怖におののく)。
そのため私に対して「優しい人」と言う人がいるいっぽうで、「サイテー」「心底怖い」と言う人もいる。
そういうところが「悪魔的」と言われるのかもしれないが、むしろそれが「33らしさ」なのではないでしょうか?


ここで用語のご紹介。

「滅私奉公(めっしぼうこう)」という言葉をご存じでしょうか。
この言葉は一人歩きしていて正しく理解されていないと私は思います。思考停止して、自分の意志を失い、嫌な相手にも無条件で尽くす操り人形となるのが「滅私奉公」だと誤解されているようなのです。
マスターナンバー33を菩薩だと思い込み過ぎてしまう人は、この誤った「滅私奉公」をしてしまいがちではないでしょうか。

本当の「滅私」とは、私利私欲を捨てることです。「私」とは利己主義のことで、意志を失うことではありません。
心と頭を正しく持ち、主人のため他者のため何が最適かを考え、自己犠牲のもと尽くす。
場合によっては主人であっても諌めることをする。
これが本当の滅私奉公と考えられます。

少なくとも、私はそのように致します。

この記事は、2013年6月30日にブログ『K'sblog』にて執筆した記事です。多くの拍手をいただきました、ありがとうございました。
2018/10/19 リンク切れがあったため改稿、二つの記事を統合
Share:

前世、月とドラゴンヘッドへの表れ方

 占星術サイト『K'sLabo』にていただいたメールで、「前世記憶がある」と仰る何人かの方のお話を伺うことができ、ホロスコープのどこに前世が表れているのか推測が進みました。本当に有難うございます。
まだ推測の段階ですが、忘れないようにメモしておきます。
(一部サイトと重複あり)

※この記事は筆者についてご存知であることを前提として話をしているため、初めてご来訪の方には分かりづらいかもしれません。占星術サイトで一般向けの記事をまとめています、先にこちらをどうぞ。⇒ドラゴンヘッドを読む(6)実践補足 月とドラゴンヘッド、読み方の違い

〔目次〕
月とドラゴンヘッド、表れ方の違い
カルマの複雑さ。月だけでは分からないこと
ドラゴンヘッドへの過去世の表れ方、例
追記


月とドラゴンヘッド、表れ方の違い


どうもよく言われているように、ドラゴンヘッド(ノースノード)は過去世を表わしているらしい。

いや正確に言うと、ドラゴンヘッドには、長い転生のうちの「今世に対応するカルマ」が表れているようです。

直近、つまり一つ前の過去世の生き方はあくまでも月に表れています。
前世を月から読もうとする場合、月ピンポイントのサビアンシンボルを手掛かりとすべきなのは言うまでもなく、さらに月の入る星座全体でイメージを捉えると正しく読み取ることができます。
もっと言えば、前後の星座も含めて総合的に見ればより正しくなります。
だからこそ何度も書く通り、宿曜占星術で導き出される「宿」が最も正確な前世推測※となります。

※宿の解釈は、毎年その日に月が通る可能性がある星座解釈を、確率によって按分して作成されたものであるらしい


【宿で前世を読む場合】
筆者の今世の宿は「壁宿」、代表的な参謀星
 ↓
筆者の記憶にある前世は戦争作戦家(=参謀
性格や生き方の解釈も正解。
この通り、宿は前世を詳細かつ具体的に的中させている。

参照 →筆者ホロスコープ/月と宿曜占星術

【月だけで前世を読む場合】
筆者の月は水瓶座にあるが、後半24度であるため魚座も加味して読む必要がある。
具体的に言うと、前世としては水瓶座の持つ「天才性」や「改革性」という特質から「科学者・発明家・革命家」等が推測できる。しかし魚座のメランコリックさ、繊細さも含めて考えると少なくとも革命家は除外されるだろう。サビアンシンボルから、冷静な判断力が要求される人生だったと推測できる。
(と、かなり曖昧ながら、総合的に解釈すればイメージが現実前世へ近付く)


カルマの複雑さ。月だけでは分からないこと


しかし、月では今世に影響しているカルマまでは分かりません。
何故ならカルマとは複雑なもので、一つ前の人生で起きた事件だけで作られるものではないからです。

そもそも一つ前の人生で起きた事件は、その遥か昔の過去世の行いが惹き起こしたものです。
前世でそのカルマにどう対応したかによって、次の人生である今世に対応するカルマが決定しています。

つまりものすごく単純に言えば、
「君は一つ前の人生で、Aというカルマを解消したね。
 じゃあ、次の人生ではBのカルマを解消してみようか」
という感じでカルマを過去から引き出され設定されるわけです。
(ガイドからの提案という形になります。命令されるわけではない。実際に生まれる前には自分でその課題を受け入れるかどうか選択します)

このカルマの設定によって・さらに今世でどのような生き方をしたいかという望みによって、太陽という今世課題が決定されるのではないかと筆者は推測しています。
ノードは月と太陽の軌道の交点。
アセンダント(魂)によるカルマ選択が先で、太陽という課題は後で決まるのでは。


お気付きの通り、来世でどのようなカルマが選択可能となるかは、あくまでも今世の生き方が前提となります。あるカルマを解消できなければ、いずれ同じカルマ設定で生まれることになるはずです。

だから運命は遠い過去から神様に決められているものではなく、自分の生き方次第ということになりますね。
そもそも、カルマそのものが全て自分の行いで得たものですから、全てが自分で選んだことであると言えます。

※何度も書く通り、カルマを「罪」と訳すのは誤りです。カルマとはあくまでも過去の行いのこと。事実、罪だけがカルマではないのです。困難なカルマを持つ魂が「犯罪者」として下を向いて生きなければならないと主張するのは大間違いです


ドラゴンヘッドへの過去世の表れ方、例


具体的な例で解説します。
他人のディープな個人情報を使うわけにはいかないので、いつも通り自分をサンプルにしますが、この解説は私一人に当てはまるわけではないこと強調しておきます。

【筆者のドラゴンヘッド】



 

 

山羊座6度、
サビアンシンボル山羊座7度『力のあるベールに隠れた預言者』


共同体に対する強い発言力を持ちますが、同時に反発も激しく、共同体や社会に対する否定的な考えに取り憑かれることもあります。社会の終末に対して鋭い見解を示します。/松村潔解釈

 

このカルマはどうも、過去生記憶一覧10の後半に対応しているようです。
このままでは国家も人々も破滅すると予測し、「異端集団」として自然回帰を呼びかけた行動のことです。(詳細な話は小説にて描いています)

追記
なお、私のドラゴンヘッドは一つ前の前世における「反省点」としても読むことができます。
→テイルへ向かうための読み方、スピラー解釈版

【筆者の一つ前の人生(仮)のドラゴンヘッド】



 

 

 

牡羊座12度、
サビアンシンボル牡羊座13度『成功しなかった爆弾の爆破』


社会を早急に改革しようとしたり、新しい概念による画期的な変革をもたらそうとしますが、あまりにもせっかちで深い考えもないために、たいていは不発に終わります。…/同上


あまりにも分かりやすいシンボルです。
これは同じく過去生記憶一覧10の前半、および9に対応しています。
――以下もまた小説ネタバレです。
つまり仲間とともに独裁者へ対抗して革命を起こそうとしたが失敗した、という過去です。
この遠い過去世のリベンジが一つ前の過去世(前世)です。結果は独裁者に対する物理的な「勝利」とは言えませんが、それを上回る精神上の「勝利」が得られカルマが輪として閉じて終結しています。 (『我傍に立つ』

しかしまだ10後半のカルマが残っていました。
その後半を今、解消しようとしています。
つまり私は、10のカルマを二つの人生にわたり閉じようとしているのだと言えます。



筆者は数多くの過去世記憶があって分かりづらいのですが、他の方は「唯一重要な過去生」の記憶のみ思い出していて、その時のカルマがやはりドラゴンヘッドに分かりやすく表れています。
このことから、一つ前の前世ではなく、「今世に対応する重要な過去生」を読み取りたいならドラゴンヘッドを読むのが最も正確だと分かります。

ところで一般に言われている
「ヘッドは過去生の恩恵、テイルは罪業」
という説はこうして実態を照らし合わせると少し誤っているようで、ヘッドは出生時に設定された「解消すべきカルマ」、テイルは「カルマの理想的な閉じ方(あるいは閉じるための最良の方策)」と思われます。

いずれにしても、ドラゴンヘッド・テイルが過去世と関わりが深いのは確かのようです。

★ドラゴンヘッドについて筆者の考え、詳しい記事はこちら(別館) ⇒ドラゴンヘッドを読む。ヘッドとテイルの読み方は逆ではないか?説


追記


この話は以前書いた記事「前世の生き方の姿勢が今世の太陽を決定する」とこの記事が矛盾していると思われるかもしれません。
しかしどこも矛盾していないはずです。

「ドラゴンヘッドと太陽のどちらが前世の結果なのか?」という問いへの答えは、「どちらも」です。
ホロスコープは総合的な計算と選択の結果。
言わばアングルを除き、ホロスコープ内の全てが前世の行いの反映と言えます。

(この件についてはまた詳しく書きます)

占い師の方へお願い: たいした内容ではありませんが、この記事に書いたことは筆者独自の体験と個人的に所有する鑑定データをもとに考察した占い方法です。この方法で占う場合は、恐縮ながら参照サイトとして当記事URLへリンクお願い致します。(掲載日2016年5月21日)
Share:

前世との「共通項」の見方、転生の「流れ」とは

 前世との共通項について、以前に書いた注意書きです。

 ……このように、退行催眠で見た前世記憶が本当に自分自身のものであれば、現世の事実や出生ホロスコープ・「宿」に必ず投影されています

注意:「投影されている」とは、たとえば家柄の格が前世と似通っているとか、兄弟関係が似ているという程度です。つまり、流れとして環境を受け継いでい る、という意味になります(これは理由もなくいきなりカルマが変わることはないからです。ガイドからの指示によって、環境チェンジにトライすることはある そうです)。魂が前世と全く同じ課題を繰り返すことはあり得ませんので、出生地・家族や兄弟との年齢差が前世と100%一致することはほぼありません完全一致する場合はむしろ不自然ですから、「転生」ではなく他の理由(他の魂が同じ役回りを選ぶケースなど)と思います。魂の転生かどうかを判断する場合、完璧な数の一致にはこだわらないでください。
むしろ重要なのは人格(根本的キャラクタータイプ、考え方のパターン)に共通項があるかどうかです。学習能力や体力など数値により測定可能で、その数値が上下する要素は魂エネルギーを現世にどのくらい持って来るか(あるいは選んだ肉体のスペック)によって決まりますから、前世と今世で数値が異なる場合があります。


ご自分の前世記憶を判断する際に、
「兄弟との年齢差が完全に一致していないから、前世ではないと思う」
と仰る方がいたためこの注意書きを置いたものです。

もしそんな数字的な「完全一致」にこだわるなら、同じ緯度経度・同じ血筋・同じ生年月日時に生まれていないことも「違う」という理由になってしまいませんか? 
転生である限り同一地の同一生年月日に生まれることはあり得ないことです。それは単に肉体的な双子という。

何故に魂が転生するのかと言うと、他パターンの他人生を経験するためでしょう。
と言うことは、前世と完全一致の環境には生まれるわけがないということです。

よく「先祖」と「前世」の区別がつかない人がいて、「同じ血筋でなければ生まれ変わりはない!」などと主張している人を見かけるのですが、これもあり得ない話です。
むしろ近いDNA上のラインに生まれることを避ける、というのが、魂の目的(違う人生を経験する)から見て妥当です。
(なお前世記憶はDNA記憶ではありません。何故なら皆さん死んだ瞬間の記憶もお持ちなわけで、これが物理的なDNA記憶だとしたら死後の性行為があったと考えなければならなくなります。「ゾンビが子作り」するのは不可能です)

ただし、いきなり激しく環境チェンジすると文化的ギャップでショックを受け、人生挫折してしまう魂が多いのでたいていは「似たような文化」を持つ地に生まれるのではないかと思います。
つまり地球の裏側よりも、お隣の国などが理想的ですね。
同じ理由で、違う惑星に転生させられるケースも少ないと思います。地球を学習地に選んだ魂はまず地球に慣れ、地球での訓練を終えるのが先決のようです。

私自身の記憶で言えば、地球上では
「西 →→→ 東」
と少しずつ移動して転生してきました。今がだいたい地球一周分なのかもしれない。
ただ前世の時は、西から東へ飛ばされた距離が長かったので、相当に厳しい文化的ギャップがあり周囲との軋轢を起こしています。

※具体的に言うと、長く西洋で転生し一つ前の人生ではアテナイで民主・法治に慣らされていた私は前世でいきなり東洋に飛ばされ、人治主義に触れて混乱した様子があります。おそらく無意識的には、重度の「東洋嫌い」だったでしょう(東西の違いを知ることができる時代ではなかったため、それは単に「現世嫌い」という意識になって現れましたが)。このため晩年、人治主義が当たり前な東洋人たちと軋轢を起こしてしまったわけです。
今も「東洋嫌い」を引きずっているものの、前世で受けた教育のおかげか、無意識的に東洋思想が刷り込まれているように感じます。なお現代日本は古代東洋の文化が残っているため、前世からの流れで言えば「和食」「和室」などギャップがなく過ごしやすいです。


このように「ギャップを起こさない程度」で前世と似通った環境に生まれているはず、と私は言っているわけです。
だから家柄の格などは似たところがあっても、兄弟の数や年齢差などは違っていて当然です。


なお、ニュートン氏の本によれば、ガイド(指導霊)に
「そろそろ違った環境に生まれてみない?」
と言われる場合があるとのこと。
その環境での学びを終えた時に、違う環境を選ぶよう促されるそうです。

あるいは、裕福だった人生で貧しい人々を虐げてしまうと、虐げられる側の気持ちを経験するために
「次は貧しい家に生まれてみない?」
と促される。

私が思うに、それらの選択肢が出現するかどうかは数学的なカルマ法則に縛られていると思うのですが、出現した選択肢のうちなら選択の自由はあるようです。
カルマ法則・自己選択、いずれにしても、このように理由あれば環境がガラッと変わります。

だから判断基準として重要なのは今の環境に生まれていることに「理由」があるかないか、ということになりますね。
理由もないのに
「アタシは昔、貴族様だったのぉ〜♪」
と庶民の方々が口にする前世は、たいてい妄想だろうと推測されます。


何事も四角四面にガチガチに考え、数字にこだわって判断を誤るべきではありません。

曖昧な言い方ですが、
「前世~今世が一つラインの流れに乗っているかどうか」
を俯瞰の目で見るといいと思います。

しょせん人間ごときにカルマの複雑な法則は分からないと思ってください。小学生の算数レベルでは、物理学者の公式を解くのは不可能。
だから全てケースバイケースと考え、そのケースごとに精査してください。 

 

Share:

孔明の星座は何?

 検索で訪れた方向けのご案内記事です。


諸葛亮の星座は何? という質問のショートカット回答


諸葛亮の誕生日は今の暦に直すと、西暦181年8月19日となります。(プロ占星術師による信頼に足る計算)
これにより、太陽星座は獅子座だったことが分かります。

獅子座は「明るい性格で派手好き、リーダーシップ抜群」と言われる星座。
どこが? と思いませんか。
地味なタイプでリーダーの器ではないと呼ばれた孔明には当たっていないように感じるはずです。→史実の諸葛亮


何故当たっていないのかというと、一般に雑誌やテレビなどで言われている星座とは「太陽」の星座のことだから。実は、太陽星座が性格として当たっている人は少数派です。


おそらく諸葛亮の性格を最も正しく表しているのは、ASC星座の水瓶座です。※
これは「合理主義かつ独自視点を持つ天才風」の星座。 
性格から推測したので当たっていて当然なのですが、他の点を考えてもたぶんこれで正解だと思います。

諸葛亮の詳細な出生ホロスコープ解読はこちらの別館記事へ移動しました:
諸葛亮のネイタルホロスコープを読む

 


 ※何故、アセンダント(ASC)でベース性格を調べるのか?
 参考 「基本性格の占い方」 上昇宮 最重要視論

 

Share:

危険なスピリチュアル、「色即是空」の甘い罠

 



スピリチュアルには二分野ある


前世に関する小説を書くようになって以降、「やむを得ないこと」として私はスピリチュアルウォッチをしてきました。

それで最近分かってきたのは、スピリチュアルには二分野あるということです。



 1.科学者が霊現象や転生記憶などの事象を報告するもの
 2.人間に降りた高次元の霊が、真理や救いを説くもの

 

私が抵抗なく読めるのは1のジャンルです。
ここで紹介したニュートン氏の本やワイス博士の本を面白いなと思ったのは、著者が迷いながらも「目の前で起きた事象」を報告しているだけの本だからです。
もちろん彼らの報告を全て鵜呑みにしているわけではなく、たとえば被験者の名も病状も記していないニュートン氏などは100%正しいわけではないだろうと思っているのですが(概ね私の体験と一致しているので作り話ではないと思う。ただ一部、医師も無自覚な誘導が可能だったかもしれない)、事実だとしたら面白いし役に立つなと考えます。純粋に、体験報告記として。
脳外科医が自分の臨死体験について分析した『プルーフ・オブ・ヘヴン』などは、さらに分析的で面白そうだなと思います。

でも、1のジャンルはスピリチュアル漬けの人たちにむしろ好まれませんね。

ご盛況なのは2のほうです。
大元は『バシャール』や『バーソロミュー』なのでしょうか。そこから派生し、影響を受けたジャンルのことです。
(『シルバーバーチ』は後にも書きますがこれとは異質です)

まず、2のジャンルはたいてい「色即是空」的な思想を説きます。
正確に言うと仏教の色即是空とは違い、もっと精神的な「現実 即 幻影」という考え方です。
このジャンルでは、「人間に責任はない」と説かれます。
「過去も未来も幻影で、罪はない」と主張される。今すぐ罪からも輪廻からも解き放たれて自由になるべきだ、そうしなければ「アセンション(高次元への移行)」に乗り遅れると急かす。
また自我を蔑み、エゴを棄てなさいと言う。思考は無意味、自分の考えを棄てろ、とも言う。

私は2系のスピリチュアル本を通しで読んだことがありませんが(読む気になれません)、丸ごと転載している人のブログをご紹介いただき、少し読みました。
一見、高尚な思想のように思えます。
しかし私はすぐにこう思いました、
これは西洋人が知らないのをいいことに、仏教や陰陽道を適当にパクって繋ぎ合わせただけの詐欺思想じゃないか?」。

東洋思想を少し齧れば、2のスピリチュアルジャンルの本はすぐに書けてしまいます。
何も知らない西洋人を騙すのはいたって簡単です。
東洋の新奇な思想は西洋人には理解が及ばないため、適当に抜き書きして繋ぎ合わせればものすごく高尚に見えるでしょう。

もちろん、こうも言えます。
「仏教や陰陽道の始祖と同じ次元の霊が降りて、宇宙真理を語った。だから一致しているのだ。パクりではない」と。
そうかもしれません。
だとすれば仏教や陰陽道を学べばいいのではと思いますが、そうしないのは何故?
『老子』では満たされない何かを2のスピリチュアルは満たしてくれるのでしょうか?


「色即是空」の安易な解釈は危険


生半可な「色即是空」は甘い罠です。

思うに、
「物質は幻影。時間は存在しない。過去も未来も無い。罪など幻」
という仏教思想は遠い究極においては真理です。
でもそれは地上に住む人間ごときがすぐに飛びつくべき思想ではないでしょう。

仏教では究極の目標として真理を明かすと同時に、「自分が解脱している」と誤解する傲慢・責任放棄を戒めているはずです。
しかし半端に仏教を齧っただけの知識人は、「現実は幻影」「死 即 無」という思想だけに飛びつきたがる。
何故なら、そのほうがラクだからです。
死後に即、無となるなら、自殺だって気楽にできる。殺人もそう。

2のスピリチュアルジャンルはもっと極端で、生きているうちに即、「現実否定」ができることになっています。
いや、「アセンションに乗り遅れて人類滅亡に巻きこまれないため」に現実を今すぐ棄て、思考を棄て、高次元のスピリチュアル思想(=教祖の言葉)を受け入れろと脅迫します。
アセンションのためなら殺人も善行となるようです。何故なら、彼ら曰く「罪は幻影で責任はない」のだから。

カルト教団に利用されるのは、まさにこの「悪しき色即是空」です。

色即是空を誤読しての、責任放棄。
地上では何をしても罪はない、殺人も自由、過去の責任に囚われるのはエゴ。
そんなことは全くあり得ないのですが、こちらのジャンルのほうが圧倒で流行る。
「責任はない」と説く思想のほうが甘いために誘われやすいのだと思います。

真理を語る系で私が異質だと思ったのが、『シルバーバーチ』です。
書かれた状況から言えば2のジャンルに入るのかもしれませんが、内容的に1ジャンルに近い。
バーチは徹底して因果律を説いています。自己責任の極みです。教祖様の助けすら必要ないと説く。
そしてアセンションだの何だので焦らせることがありません。むしろ「この道は長い道のり、気長に行け」と説いています。
(あくまでもシルバーバーチ1巻について述べています。後は未読)
どちらかと言うとこちらのほうが本来の仏教的だなと私は思います。仏教が世界で最もマイナーなのは、このように完全自己責任論で甘さがないからです。お金で罪を贖うという逃げ道さえ用意されていません。
自己責任の厳しい思想は人類にあまり受け入れられないようです。
スピリチュアルを利用しようとする人にとっても、『バーチ』の因果律は個人の責任に拠り過ぎていて隙がなく、使いづらいでしょう。
(不幸な人を差別するために使われることはありますが。金を巻き上げるための詐欺では使いづらいので世界中、爆発的には流行らない)

スピリチュアルが暴力になる場合


「色即是空」は本人にとっては罠ですが、他人に対しては暴力にもなり得ます。

私はたびたび、2のスピリチュアルマニアから
「あなたは過去に囚われている。過去は幻影。今すぐ棄てろ」
と攻撃されます。

スピリチュアルマニアと言ってもむろん、自身では体験を持たない人たちです。
前世記憶を持つ人など滅多にいないから「幻影」と嘲笑しやすいのでしょうか。
私はもとから嘲笑されることが分かっていて発表しましたので、今さらこんなことくらいで傷付きはしません。相手に対して幻滅はしますが。

でも同じ論理を他の傷付いている人に用いるのは許せませんね。

たとえば大震災で家族を失った人に対し、
「過去は幻影なのよ。忘れなさい」
と言う。
幼い頃にDVの被害に遭い、成人してもPTSDで苦しんでいる人に対して平気で
「過去に囚われているから苦しむの。今すぐ棄てなさい」
と言う。

これは暴力です。

どうしてこういう無神経なことが平気で言える?

「スピリチュアルは心の麻酔。スピ漬けになると他人の痛みに無神経となる」
と言われているが、本当かもしれないと思いました。


生半可な色即是空では、誰も救われません。
「過去は幻影」と題目を唱えたところで過去は消えません。

過去は過去。
この次元で起きたことは、幻影でも何でもなく現実に起きたことです。過去は覆すことができないし、消えない。
「忘れられないのは心が弱いから」でもない。
過去を無かったことにできるならそんなに簡単なことはないが、記憶の奥底に沈めて忘れた振りをしていても、本当に忘れたわけではない。
過去は在ったこととして、乗り越えたうえで「今を大切に」生きるしかないんです。

前世も、現世記憶が長期となっただけで全く同じなんだけどね。忘れたようで本当は誰も忘れていないのが前世。
そのことはワイス博士の本に書かれているのだが、読んだ人でも理解できないようです。
「前世記憶は現実の記憶と違う」
という差別心が根底にあるのか。

前世まで想像が及ばないのは、やむを得ないことと思う。
でも不幸な目に遭って苦しみ続けている人を非難するのは、明らかに違いますね。


もう一つご紹介。
2に属するものでやはり異質なのがモーゼス『霊訓』。
これは地上に合わせた話をする霊で、やはり性急な悟りを得ようとする人間の怠慢を戒めています。

問『生命は永遠?』

(略)恐らく向上進歩の最極限に到達した、遠い遠い無限の未来に於て、われ等が過去世の一切から離れ去り、天帝の真光に浴しつつ静かに黙想の生活に入るときが、ないではあるまいかと思う。それにつきては、われわれは何も言えない。それは余りにも高きに過ぎる。地上の人間として、そこまで考えようとするのは、けだし早きに失する。

(翻訳者の評釈)

……かの印度思想にかぶれた者は、ややもすれば、途中の大切な階段を無視して、一躍最後の理想郷を求めんとするが、これは百弊ありて一利なしである。何の得る所なき自己陶酔、キザな神様気取りの、聖者気取りの穀潰しが、一人出来上がるだけである。


以上モーゼス『霊訓』より引用


【関連記事】
「一括り」に考えてはならないことと、同じと考えるべきこと

2023年の記事です。スピリチュアルを利用した罠の本質的な工作に気付いた後に書いています。
「恥を知らない」人ほど魂レベルが低い。成長するほど恥を知る(反転思想に注意) 

 

 

Share:

ニュートン本の結論:「運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」

 


長々とニュートン本のレポを書いてきましたが、この記事にて締めたいと思います。
(メインテーマとして取り上げるのはこの記事で最後とします。また他の話で引用することはあります)

※「ニュートン本」とは:前世だけではなく死後世界について、たくさんの退行催眠被験者の証言を集めたレポート。マイケル・ニュートン著。⇒ニュートン本、サイトでのご紹介記事

〔目次〕
ニュートン本の結論
仏教圏ではない国に住む人々の、意外過ぎる反応
欧米化で日本でも進む思想の衰退
私が占星術で考えていたこと。運命VS自由意志
人生計画が変えられないように見えるのは、変えると損をするから
ニュートン氏の被験者たちも同じことを言っていた
私の結論。東と西を足した話が真実である


ニュートン本の結論


二冊の著書の最後のほうで、ニュートン氏が章タイトルとして掲げた結論に私は驚いてしまいました。
「自由意志と運命――運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
驚いた理由は、私にはあまりにも当たり前過ぎることだったからです。
あれだけ多くの被験者を催眠にかけ、大量の霊界情報を仕入れた結論がこんな当たり前のこととは。

ただ思えば私も前世記憶がない頃、このような考え方は「当たり前」ではなかったかもしれません。
もちろん私は仏教圏の日本育ちですから「因果応報」や「カルマ」といった用語はよく耳にしていましたが、ただの道徳としか捉えておらずまさか本当のことだとは思っていなかったものです。
(おそらく皆様も現在そうではないでしょうか?)

それでも仏教圏に住む我々は、キリスト教圏の人たちと比べれば「因果応報」「自業自得」といった仏教用語を日常的に使っていますので、まだこの考え方に馴染みがあるほうですね。


仏教圏ではない国に住む人々の、意外過ぎる反応


「人間の運命は神が決めたもの」と幼い頃から教え込まれているキリスト教圏の人々は、上の結論を聞くと本気で混乱してしまうようです。

たとえばニュートン氏がバンクーバーで講演をしたとき、ある取り乱した女性からこのように叫ばれたらしい。
「あなたのようなニューエイジの専門家は、私たちには人生の選択をする自由があると言い、一方で過去のカルマのせいで何かの計画に従う運命にあると言いますが、いったいどっちなんですか。私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから。私の人生は悲しみでいっぱいです」
葬儀などで僧侶の説法中に、こんなクレーム発言をする人はいませんよね?笑
僧侶の説法を本気で信じているわけではないにしても、「全く理解が出来ずに取り乱してしまう」という人は存在しないかと思います。

アメリカと比較して、日本人は思想的に幅広い発想ができる教育を受けたという点、恵まれているのだなと思いました。


欧米化で進む思想の衰退


しかし最近は日本でも、
「運命 VS 自由意志」
の対立で悩む若者が増えているようです。
欧米文化が流入して久しく、「因果応報」の考えが理解しづらくなっているからでしょうか。

特に占いでは、「運命 VS 自由意志」で二派に分裂していることを感じます。

西洋占星術でも中国占術でも、生まれた時に定まる運命(運勢)を読む手法がありますが、その結果を提示されたとたん
「私は自由意志で生きる! 運命 = 神に抗ってやる!」
と激しい反発を見せる人がいるのです。
自由意志で生きると決めている人が、どうして占いで自分の運命を知りたがるのかは謎ですが、ともかく「人間は自由意志でどのような運命にも対抗できる」と頑なに信じている人たちはかなりの人数存在するわけです。
この人たちは中国系の風水など、運勢を変えて金持ちになれるという「裏ワザ」にはまりやすくなります。

いっぽうで、ニュートン氏の講演で取り乱した女性のように
「私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから」
と信じている人たちも多くいます。
西洋占星術を選ぶのはこちら派の人が多い。
西洋占星術ではこの女性の発言が真実であるとしか思えない場面に遭遇します。確定的な運命、大筋の人生計画というものは現実にあり、それは予め出生時のホロスコープに書き込まれているようなのです。
ある人の死後にホロスコープを開いてみたら、全ては始めから決められたことだったと知って愕然とするという体験は、西洋占星術をやる者なら皆がしていると思います。

このように見てくるとまるで矛盾しているように思えますね。
上の女性が「いったいどっちなんですか!?」と混乱してしまうのも当然と言えます。

でもそう思ってしまうのは、視点が現世という狭い時限にしかないからです。


私が占星術で考えていたこと。運命VS自由意志


「運命 VS 自由意志」、どちらが真実か?

私が自分の記憶から確信していることは、「どちらも真実」です。

つまり視点を現世に限ったときには
人生計画の大筋は誕生時に確定している
が真実となります。

しかし視点を三世(…過去世、現世、来世…)に広げると、
魂は自分の運命を自分で決定していく
が真実となります。

このことをお寺の説法風にではなく、分かりやすくするため現代のゲームルール風に表現しますと、こうなります。

1.ログイン(出生)前に自分のアバタ―(肉体)を自分で選択。魂の属性や経験値により、選択可能なアバタ―候補がいくつか提示される。
2.アバタ―のスペック(才能)は、過去ログイン履歴の経験値によって決まる。
3.アバタ―に与えられる課題(運命)も、過去のログイン履歴から自動計算され設定される。
4.ログイン後に大筋のシナリオを変更することは原則として不可。
5.次回のログイン(来世)時に選べるアバタ―・シナリオはこれまでの履歴に今回の行動を加味して計算され提示される。

「4」の項目でお気付きかもしれませんが、シナリオを変更することは“原則として”不可となっています。
つまり人生計画のシナリオは変更することが、現実には可能なのです。それを実行しているのがおそらく風水などの裏ワザを使って大金持ちになったりしている人たちでしょう。
あるいは西洋占星術でも、予め何月何日に交通事故に遭うことを知っていたら外出を控え、事故に遭う運命を避けることができると言えます。
最大の計画変更は、自殺です。課題を消化する以前に自殺するという計画は誰のシナリオにもない(ホロスコープにも表れません)ので、自殺した者は生まれる前のシナリオを変更したことになります。

このように計画変更した人たちにとっては、
「私には自由意志はありません。抵抗できない力に翻弄されていますから。」
という上の女性の発言が真実とはならないわけです。

しかし多くの人がシナリオ変更を選ばないですね。
まるで決定された運命の通りに生きているように見える。
何故なのか。
それは、シナリオを変更してしまえば自分自身が来世で(あるいは霊界で)損をするからです。

人生計画が変えられないように見えるのは、変えると損をするから


運命変更の裏ワザを使って金持ちになったりすることや、自殺することは、せっかく経験値を上げるために与えられた人生というチャンスを逃すことになります。
マイナスに振れたバランスを取るために計画された課題だとしたら、その放棄によってさらにマイナスに転じます。そして来世にはもっと苦しい課題を与えられることになる。

自殺した場合は何度も書いてきましたが「始めからやり直し」となります。同じ人生、いや、おそらくもっと重い課題を負う人生が繰り返されることになります。※
裏ワザを使って金持ちになった場合は、来世の運勢を前借りしてしまった可能性が高くなります。無意味に気楽に生きた人生によって、もっとマイナスのカルマを負うことになるでしょう。(前にも書いたように、これは負債を返すべき時に返さず、借金を重ねることに似ています)

だから人間界で金や名誉ばかりを望むのは間違っているし、欲望を満たす生活に溺れてはいけず、苦しいことがあったからといってすぐに逃げてはいけないのです。

※ニュートン氏の本では例外として、「病気などで肉体に耐え難い痛みがあった」場合にのみ自殺はやむを得ないことと表記されています。しかし私が思うにそう公式通りではなく、個別の事情によるでしょう。たとえば、本来なら死ぬべきだった肉体が無理に延命されている場合に、延命を拒否することは「自殺」とはなりません。


ニュートン氏の被験者たちも同じことを言っていた


以上のように私は自分の記憶から考えてきましたが、ニュートン氏の被験者たちも口を揃えて同じことを言っていると知って驚きました。
(このことから、ニュートン氏の被験者たちの記録は解釈を除いて真実だろうと考えた次第です)

正直、来世はもっと自由に計画するものと考えていたのですが、先に肉体候補がありその中から選ぶのは意外でした。でも理に適っています。
若い魂には因果応報の計算式を使うことが難しいので、「タイムマスター」と呼ばれる専門家が計算したものを受け取るという感じですかね。言わば、会計士などのサービスを受けるようなものでしょうか? 

付け加えると、ニュートン氏の結論
「運命とは何千年にもわたる転生と選択の結果である」
の「何千年にもわたる」という箇所は特に重要です。
日本では「前世で悪いことしたから今世で酷い目に遭ったんだ。自業自得だ」などと言って差別することがありますが、運命の法則はそんなに単純ではありません。
何故なら、現世の運命は過去何千年にもわたるカルマが積み重なった結果だからです。
運命計画は宇宙法則に加え、「タイムマスター」なる専門職が計算して初めて選択肢を提示できるものらしいので、地上に生きている人間ごときが想像することは不可能です。

ちなみに、東西の占いで導き出されるホロスコープや推命といったものは、「タイムマスター」が計算した出生地点を示す座標と思われます。
出生する肉体は、この地上における誕生日時+場所によって示されます。
マスターがピンで刺した誕生日時+場所を目指し、魂たちは降りていくのでしょう。
(だから占いが当たると言うのは、始めから計画通りの目標地点に降りていくため当然なのです)

このピンを刺すことのできる適切な地点を探すのは、実は非常に困難なことです。
たとえば「魂は死後30年で転生する。転生回数は7回」といった宗教教義を信じている人たちは
「数千年間も転生していない? そんなことはあり得ない!」
などと言いますが、そんなことはざらにあります(笑)。
ニュートン氏の被験者たちも証言しているように、千年や二千年、適切な肉体を待っている魂はたくさんいるようです。
宗教の教義はたいてい、教祖にとって都合の良いフィクションが混ざっているから鵜呑みにしないのが賢明です。


私の結論。東と西を足した話が真実である


ニュートン本レポも最後になるので書いておきますと、私は常々、
「東の思想と西の思想を足した話が真実である」
と思ってきました。

西のキリスト教以降の思想は、全く真実からかけ離れています。
民衆から搾取しようと目論むキリスト教会による、教会のためだけの教義は、新興の悪徳宗教と変わらない欺瞞に埋め尽くされています。そんな都合の良い宗教パンフレットは微塵も信じるに値しません。
ただしキリスト信者たちの「神の言葉を直接に聴きたい」という願望から、現代のスピリチュアリズムが生まれているため、その敬虔な姿勢には感謝します。

東の仏教は仏教で、死んだらすぐに輪廻から解脱できて悟りを得られ無に至ると信じているのは、飛躍し過ぎ。
悟りに憧れるあまり、人間たちが堕落して傲慢になってしまったようです。
「神に耳を傾ける」という姿勢すら失ったことは残念です。おかげでマスターたちとの通信手段を失い、東洋に神託は降りなくなりました。
しかし飛躍さえしなければ、仏教思想は完全なる真実を表わしています。
仏教徒が省略してしまった中間の思想――古代ギリシャ的な「個を保ったままの転生思想(ファンタジーにあるような生まれ変わり)」、西洋人や日本人が語る「天国と地獄」などの概念を取り入れたら完璧になるはずです。


ニュートン氏の本によって上の推測が当たっていたと感じています。
裏付けていただいたこと、本当に感謝しています。

 

Share:

前世と今世、兄弟関係の縁(グループソウルの話)

ニュートン本レポ、続き。

ニュートン氏の解釈はともかく、この本に登場する被験者たちが語る話には確かに自分の記憶を裏付けるものが数多くあります。

「自分の記憶」と言っても、私の場合はスピリット世界(霊界)の記憶がなく、一万年ほどの地球上?での記憶があるだけですが。
(思うにこのことには理由があって、スピリット世界を思い出してしまうと地上の役柄に打ち込むことができなくなってしまうからでしょう。特に私は大根役者っぽいのでスピリット界の関係は思い出さないほうが良さそうです。笑)

この本で自分の記憶を裏付けてもらって最も嬉しかったのは、
・同じグループの魂は、血縁者として生まれることは少ない
という話でした。

血縁者として生まれるのは近隣のグループから来た魂であることが多いそうです。
稀に、同じグループの魂がお互いに大きな影響を与え合う目的で家族に生まれることはありますが、ほとんどの血縁者はさほど深い関係にはない「遠縁」の魂同士なのだとか。

なるほど、これで納得です。
私は全ての前世において血縁者との関係が薄く、後で巡り合う他人と「血よりも濃い」関係を結ぶことがほとんど。
「他人のほうがまるで本物の家族みたいだ」
と思うことが多いです。
(これは今世も同じ)

私の場合、特殊な事情で自ら孤児となることを願ったため、愛情の薄い両親のもとに生まれ棄てられる運命ばかり選んできました。
だから他の方よりもなおさら、家族との魂関係は希薄だったと思います。
顔も覚えていない家族ばかりなので、おそらく近隣グループよりもっと遠いグループから来た魂たちだったでしょう。スピリット世界でほとんど会うことのないような。

前世と今世だけは少し事情が違います。
今の血族は、前々世で仲間に入れていただいた一族の方々だと思います。
前々世でも私は孤児だったのですが、ある貴族的な老人(私が先生と呼ぶ人です)に拾われ、その家族に入れていただきました。先生の一族とは冷たい関係でしたが、その時の「貴族的な家系(名家)」との縁は前世~今世で続いています。

“袖振り合うも多生の縁”
とはよく言いまして、私は今世でも血族にあまり温かい感情を抱いてきませんでしたが、上の記憶を思い出した後はこの縁を有り難く思っています。
あの時、先生の一族との縁がなければ、私は今も孤児として生まれていたでしょう。


ところで兄弟はどうなのかな?
実は私はあまり、「前世の誰々は今世の誰々」ということを考えません。
そういうことを考えていたら日常生活が送れなくなってしまうからです。
特に前世の主人が今の身近な人だったことを想像すると恐ろしい。翌日から突然に平身低頭し、敬語で話してしまう恐れがあり、頭がおかしくなったと思われ入院させられる可能性大です。と言うか恥ずかしくてまともに話せないね。だから前世記憶のブロックは大事です。

そんなわけで、今世の兄弟が前世の誰だったのかも考えません。
実際、前世の兄弟の記憶は曖昧で、兄については存在したことすら覚えていないのでよく分からないというのが正直なところです。(今世に異母兄がいるため前世が裏付けられたというだけ)
ただ前世の兄と今世の兄とでは個性がまるで違うので、別の魂だと感じています。

弟は……もしかしたら同じか?
断片的な記憶にある弟と今世の弟は、個性が似ている気がする。


一つだけ確かなことは、私が「兄弟を持つ」という運命を前世から持ち越しているということです。※
これは「兄弟枠」という権利が与えられたようなものかなと思っています。

※今世も前世も私には姉妹はいません。「姉妹枠」がないという感じです。前世で「妹」または「姉」となったのは引き取られた先の従妹たちだと思います。今世でも伯父に引き取られる運命はあり、義理のきょうだいを持つ予定だったみたいですが、運命が逸れて違う方向に行きました


この通りスピリット界では遠縁の魂とはいえ、血縁者とも運命的な理由がなければ同時期を過ごすことができないのです。
誰もが遠い昔、家族と縁を持ったからこそ今の関係があります。
そう思うとつくづく、
「有り難し (有ることが奇跡)」
なんです。

続き >>血よりも濃い、グループソウルとの絆 

 

Share:

不可抗力で読書しよう


 又吉の『火花』を貸してくれる人がいたので、昨日から読んでいます。切なく心優しい誠実な小説で、私は好きです。
でもこれは芥川賞的な作品ではないですね。
「美しい」なんて言葉、芥川賞文学で使ったらいけないよ。
(使う小説のほうが私は好きなのですが)
普段こういうピュアな作品に賞を与えることなどないのに、話題性だけを求めて信念を簡単に変える。まったく節操のない賞だな。

火花 (文春e-book)


読書感想は他で書くとして世間話。

芸人が賞を取ったという話題性だけでこの本を買い、「あたし芥川賞読んだよ!」とFBやツイッターで写真を投稿し自慢している人たちのことを、私はなんだかな……と多少引きつつ眺めております。

いつから本は、「読んだ自慢」を他人にするために買うものになったのだろう?

「子供の頃、友達が読んだ本よりあえて難しい本を選んで読み、相手に自慢して見下すのが楽しかった」
こんなエピソードを当たり前のこととして語っていた人がいたが、全く理解できず「気色悪い」と思ってしまった。

本は、読みたいなら読めばいい。

読書嫌いな人に「読むな」と言っているわけではありませんよ。
読書は何歳から始めてもいいと思います。
始め苦痛でも読んでいるうちに楽しくなって、本を好きになってくれたなら嬉しいのです。

でも「他人に自慢するため」「他人と競うため」「頭良さげアピール」をするためだけに読むなら、どうか本を読むことをやめて欲しい。
あなた方のおかげで、ますます中身のない、話題性だけのクズ本ばかりが増えてしまう。(又吉の小説はさすが彼自身が読書好きだけあってクズではなかったのが救い)
本は、あなたの身を飾るファッションではないんだよ


他記事にて、
かつて公園読書が趣味だった
と書きました。
(ああそう、お気付きかもしれないが、私は「晴読雨読」の人間です。笑)

普通にただ事実としての過去の日常を書いているだけなのに、「頭良さげアピ」「読書家ぶってキモい~」等と言う人たちがいます。なんなのだろうあの捻くれた僻み根性は。

私が日常的に本を読むのは、ただ習慣だからで、どうしてもやめることができないからです。

それと正直ずっと「貧乏」だったせいもあります。
他の趣味に走るほどの金がなかった。
だから不可抗力で、一番金のかからない読書という趣味を選択するしかなかったという……。
世間様から見れば私は不憫な人間なのです。

なおマンガに走ることができないのは、画像がどうも苦手だからです。
ストーリー的には今の小説家よりマンガ家が創った話のほうが圧倒で好きなのですが、私はどうも脳が活字を処理するほうに向いているらしく、絵があるとそれが邪魔になって苦痛になってしまう。マンガは一時間も読んでいると疲れる。
テレビも映画も、家族が「見て見て」と誘うものは付き合って見ていますが、本当はそれほど得意ではない。動画を眺め続けることは苦手。
だから、ゲームもあまりやりません。

たぶんこれは自慢できることではなくて、画像処理が追いつかないということは脳の機能が劣っている、あるいは古臭いのかもしれません。
(よくお年寄りが「マンガやテレビは疲れる」と言いますよね。要するに私は子供の頃からずっと年寄りなのです。笑)


そのようなわけで、私の読書という趣味は不可抗力です。

そもそも趣味とは不可抗力なものではないでしょうか?
不可抗力ではないものを「趣味」と呼ぶのはおかしいですね。


心理学者によれば、読書という行為を始めると数分で心拍が落ち着き、精神的に安定してくるそうです。
この話を聞いて気付きました。私は精神安定剤代わりにずっと読書をしてきて、もはやこの薬の中毒となり、やめられなくなっているのだと思います。

もしこれから読書を趣味にしたい! と思っているなら、どうか中毒になるまで少し我慢して活字に浸ってください。
そのうち、活字に触れていないと禁断症状が出て辞書まで読むようになるでしょう。

え、そんなキモい奴になりたくない?(笑)
だったら他人と張り合って嘘ばかりついていないで、もっと素直になり、自分らしい趣味を選んでください。
Share:

新着

アーカイブ

もっと見る

Blog Archive