「どの三国志キャラがあなたにハマるのか!三国志英雄診断」やってみました。

 


お馴染みミラーズさんでこんなテストがあるのを知りました。

 ⇒どの三国志キャラがあなたにハマるのか!三国志英雄診断

年末なのにいつものネタで、すみません。これも読者様サービス。(?)

筆者結果。
あなたは「諸葛亮孔明」タイプです
あなたは三国志最大の知将「諸葛亮孔明」タイプ。「臥龍(身を伏せる龍)」の名の通り時が来るまではじっと身を潜め、理想の君主(劉備)に出会うや一気に才能を発揮したように、あなたも「人に使われて活きる」タイプじゃ。 他の英雄達のように自分で国を興すような個性の強さはないが、活躍の場さえ与えられれば誰にも負けない仕事をやってのけることじゃろう。 ただし、史実の諸葛亮の欠点として「人を見る目」がなかったことが挙げられるのう。自分ができることは他人もできると考えてしまうと、周囲からは浮いてしまう。「泣いて馬謖を斬る」はめにならぬよう、人付き合いは慎重に。 また、能力がある分すべてを抱え込みがちな一面もあるので、過労には十分に注意じゃ!
あ、はい、そうですか。
(的確な?)診断ありがとう。笑

史実をよく知っている方ですね。
追記 「諸葛亮孔明」とフル表記しているのだが、あまり知識のない一般人向けにあえてなのだろう。こう書かないと「間違っている」と勘違いの指摘をして来る人が多いから

それと他の診断もそうだけど、このサイトで診断テストを作っている方はそれなりにレベルが高い。痛いところを突く。

>自分ができることは他人もできると考えてしまうと、周囲からは浮いてしまう。

まさにその通りですね。
「自分ができることは他人もできて当然」と考えるのは、たぶん、私は自己評価がとても低いからだと思います。

>能力がある分すべてを抱え込みがちな一面

抱えている時点で「能力がある」とは言わないのでは? 笑
何か本当に、欠点だらけだよね。自分も奴も。


軽い自虐ネタのつもりだけど、これもまた重かったらすみません。

上の創作のキャラクターをご存知の方は、気軽に診断テストをお愉しみください。

※一応言っておきますが、私と同じ結果になったからと言ってショックを受けないように。あなたは単に読書好きなだけかもしれません。(他サイトと比べると優秀な診断テストですが、それほど精密なものではないと思います)


ご挨拶


今年も皆様ご来訪ありがとうございました。
それと、思いがけずたくさんページを閲覧してくださって、ありがとうございます。

2017年末に独自ドメインへ変更し、少しだけやる気になっています。
(ブログを真面目に続けていこうと思ったのは初めてかもしれない)

来年からまた少し記事を増やしていきますので、お気に召していただけたらシェアお願い致します。


【注意喚起】



Share:

「分をわきまえる」という言葉の本当の意味。自分さえ見失った現代人の不幸

 


 こんな記事が目に留まり、深く共鳴した。

 ⇒幸せのカギは「できること」と「できないこと」を分けること

「身の程を知れ! 分をわきまえろ!」と、若い頃、言われたことがある。「お前が本来できることと、できないことを考えろ」というわけだ。当時は「分をわきまえろ」と言われても、「夢は大きくもて。可能性は無限だ」と言う大人もいたので、私は「分をわきまえる」という言葉に納得できなかった。
運命論者 VS 自由意思論者 の戦いのような話。

そう、かつて『成功哲学』などが流行った時代には、あちこちでこの議論が繰り広げられていたなと思い出す。
「フリーダム!」と叫び際限のない夢を追うことが正義だとされた時代だったので、「分をわきまえろ」と言う大人たちが悪魔のごとく憎まれ、「可能性は無限大」との言葉を若者たちは信奉したのだった。

そのような時代の中から、「モラトリアム」が生まれた。
「自分らしさの檻のなかに閉じ込められる」ことを恐れた若者たちは「自分探しの旅」に出て、いつまでもいつまでも「モラトリアム(猶予期間)」に閉じ籠もり続けた。
結果、どうなったか?
就職もせずフリーターをしながら旅を続けた若者たちは何者にもならず、生活保護と社会不安が増えた。
なかには海外を彷徨ってカメラマンになるなど奇跡的に道を見出した者もいたが。それはほんの一部。

「フリーダム!」と叫んだかつての若者たちよりも下の世代(我々とその下世代)はさらに悲惨だった。何故このような空虚な社会に放り込まれたかの理由さえも分からず、先が見通せない社会で漠然とした不安を抱え鬱々と生きることになった。

上の記事を書いた桜井竜生氏は現在、漢方医となって多くの人の脈を診ているのだそうだが、
漢方医は脈を診ることで、他人の心の状態がわかるのだが、最近、海外のロイヤルファミリーを診察する機会があった。脈を診ると、普通の人よりイライラがなく、落ち着いた脈をしている。通常、お金や権力をもつ人の方がストレスは多い。社長や先生と呼ばれる人ほどストレスを感じている割合が多いのは、過去の診察からもわかっていた。

ロイヤルファミリーの心の平安が意外だったので、私は尋ねてみた。「何か精神安定のためにしていることはありますか?」と。すると、「何もしていないが、私たちにはできることとできないことがはっきりしている」と、おっしゃる。そういう状態が精神の安定に影響しているというのだ。
とのこと。

そして次のような結論を見出す。
できることとできないことを分けられる人の脈は落ち着いている。「医易同源」という言葉を思い出す。医の古典『易経』にある言葉で、「世の中には変わらないものがある」ことを示している。例えば、太陽の動き、潮の満ち引き、四季の移ろい、自分の性別、年齢、親、兄弟などだ。一方、変化するものとして、心のもちようや意思がある。易経では、変えられない「不易」と変えられる部分を分けて整理すると、幸せな生き方ができると説く。

「諦」という漢字は「あきらめ」という意味のほかに、「悟る」という意味がある。自分があと何年くらい働けるかを冷静に予測するだけでも、ある程度のことは諦めて捨てられるはずだ。今の自分にできることを常に意識している人こそ、幸せを感じられるのかもしれない。


全く同感だ。

今の社会不安は人々が
「自分らしさの檻」
を棄て去り、「フリーダム!」の叫びのもとに自分を見失ったから生まれたもの。

戦争中、若くして死んだ兵士たちは不幸だと我々は思っているが、実は目標を見失い彷徨っている我々のほうが遥かに不幸なのかもしれない。

自由のなかった昔の人々のほうが何故か我々よりも幸せに見えるのは、良い意味で「分をわきまえて」おり、「諦観」を持っていたからだろう。


再び
「運命論 VS 自由意思論」
を蒸し返すわけではないけど、人にはある程度、自分の運命というものがあり今世に持ち越した個性・才能がある。
それは全て、過去世で積み重ねた経験のこと。
言わば、魂が持てる唯一の財産と言える。
(私のように、人を傷付ける悪い癖もあるけどね。そのような癖も含めて全てが過去の積み重ね)

「分をわきまえろ」
とは一見、夢を断ち切る絶望的な言葉のように思えるが真意はそうではなく、「自分が持つ財産を確認しろ」ということ。
つまり数万年、人によっては数十万年に及ぶ魂の経験を大事にしろということだ。

――嘘だと思うなら、「自分」という言葉を見つめてみるべき。
「分」という言葉が入っているだろう?

「自分らしさの檻に閉じ込められたくない」
などと卑小なことを言って、本来の意味の「分」をかなぐり棄てるということは、その数十万年に及ぶ膨大な経験を棄ててしまうという意味になる。
そして本来持っていた人生計画も棄ててしまうわけだから、空虚となり彷徨って当然。
そこには絶望しかない。
社会不安は避けられないことだっただろう。


私が自分を標本とした占星術や心理テストなどを紹介していると、
「あなたはいつまでも自分探しをしているのですか? 大人げない」
と言われることが多いのだけど、それは完全に誤解。
実はモラトリアムと真逆で、他人に「自分らしさの檻」を再び与えて人生地図を取り戻させようとしている。

※検索でご来訪の方へ:占星術の話題は唐突な飛躍に思われるでしょうが、このブログは占星術サイトからリンクされ、占星術の話題も多く書いている場所です。ブログ主は、何も占星術だけが「自分らしさ」を知る手段だと考えている者ではありません。「自分らしさ」探求のヒントの一つにはなりうる、とは思っています。

ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは
「自分自身へ生まれ変われ!」
と叫んで世界中の自殺しかけた若者を救った。
おこがましいが、私もヘッセを遠い目標としている。

詩ではなく占星術という分かりやすい手段を選んでいるのは、ヘッセの時代と違い、今の人は明確な「自分」が何であるかさえ見失っているから。
(ヘッセの時代の若者は「自分」に迷うことはなかった。誰もが明確に自分自身を知っていた。その「自分」を、親などの権力が抑えて歪めようとしていただけなので、抵抗する言葉さえ与えれば前へ進むことができた)
そのため「自分自身へ生まれ変われ!」と言ったところで、今の人たちは「自分が何なのか分からない」とさらに迷うのみ。
十代の頃の私がそうだったように。

まずは、自分が何であるのか思い出させるところから始めなければならないのだ。
それだけ今の時代は「フリーダム」「モラトリアム」に侵され、重病にかかっているということだ。

自分自身さえ見失う。
これほどの不幸はない。

現代は人類がこれまで一度も経験したことがないほど、不幸で難儀な時代だと思う。

 

Share:

テイルへ向かうための読み方、例。スピラー解釈版

 ⇒ドラゴンヘッドを読む(5)スピラー本は、逆に読むべし


上の件、追加のメモです。
スピラー本による読み方の例として、筆者についての解釈を置いておきます。
おそらく『我傍に立つ』(筆者前世ストーリー)の読者様には、深くご納得いただける解釈だと思います。 
 

小説を読まれていない方はこちら。記憶している前世


筆者の出生ホロスコープより
ヘッド: 山羊座
テイル: 蟹座


スピラーの解釈を抜粋してみます。
※書籍で示されている読み方とは逆転させます。つまり、この場合「ドラゴンヘッド蟹座」のページを読みます。(なお、サイン解釈は対応する過去世だけではなく、前世を含む転生全般に当てはまることが多いはずと思います)
あなたを癒す言葉
「ものごとをコントロールしようとするとうまくいかない」
「感情を外に出すとうまくいく」
「他人が自分の力で処理する能力を認めるとうまくいく」
「感情を表しても構わない」
「すべてを管理できなくても構わない」
「私の感情を否定することは誰にもできない」
私には痛々しい言葉です。他人や物事をコントロールしようとしていた自覚はないのですが、私に対する他者のイメージはそうだったようです。

>「他人が自分の力で処理する能力を認めるとうまくいく」

これができなかった点、前世の最大の欠点として指摘されています。

>「感情を表しても構わない」
>「すべてを管理できなくても構わない」

この言葉通りにできたら癒されるのだろうと思いました。
 前世であなたは社会的な権威や地位、名誉のある立場にいました。…あなた方は組織の長として下の者を治め、社会の正義を体現する象徴としての責任を果たしてきました。
 人々の注目を浴びる前世を繰り返し送ってきたため、あなた方は今生でも「観衆」を求めています。尊敬されることはあなた方にとって大切なことなのです。
 今生のあなたはいくら個人的な犠牲を払ってもそれに対する賞賛は得られないという運命を持っています。自分の道を確認するために他人の尊敬を尺度にすると、必ずと言ってよいほどあなたは道を誤ってしまいます。前世において他人の尊敬は確かにあなたの言動を計る物差しとして機能していました。しかしあなたは度重なる人生を公的立場の権威者として重責と禁欲の下に過ごしてきたため、周囲の社会から孤立してしまったのです。…
 あなた方は自分の長期目標と並行してもっと自分の個人的ニーズを満たすための人生を築いていく必要があります。
太字のところは当たっていますね。
最後の下線部分には涙が出ます。おそらく、今世では個人としての愉しみを実現する必要があるのだろうと思います。なかなかできないのですが。

他の文章は、他者から見た私(前世)のイメージだったのではないでしょうか。ステレオタイプなキャラクター。
実は私が「注目を浴びる過去世を繰り返し送ってきた」ということはなく、注目されたのは前の一度きり。
さらにその時の恐怖感から、「観衆」を求めているどころか注目から逃げ回ってきたつもりです。しかし無意識には注目された時の習慣からまだ抜け出せていないと言えるのかもしれません。

追記 ただしこのヘッドに対応する過去世(一覧10後半)では目的を果たす作戦のために「観衆」を求めた。古い記憶過ぎてあまり実感がないが。さらに追加しておくと、スピラーの解釈の通り全転生で「家庭環境に縁がなく」「(まるで修道院のような)一般社会から隔離された孤独の場にいた」のは事実。

 重要なゴールを目指すとき、あなた方は文句一つ言わずにどんな犠牲でも払います。勤勉はあなたの得意技なのです。あなた方は個人的な楽しみを諦め、リラックスするのをお預けにして、一日十二時間でも喜んで働き続けます。
うわー、それ以上、前世の個人情報を漁るのは勘弁してください(涙)。と思ってしまった。
凄いですねこの方。超能力者、あるいはハッカーみたいです。
しかし権威の座に親しんできた習慣から、リーダーの地位に就くとすぐに細部を他人に任せようとするのです。
これは逆だったみたいですね。
雑用までやろうとしたから駄目だったのだ、と。
あなたはすべて知っていると考え、ちょっと高慢なところもあります。
そう……思われているのでしょう。私を知る全ての方に。

「高慢」って。この最も痛い言葉に涙。
これも何故か他者のステレオタイプなイメージを表現しているのですが、その圧倒的で抵抗しようのないイメージもまた、私自身の頑なな態度が作り上げてしまったのだと分かります。
あなたは仕事に厳しい倫理観を持っていて、それを他人にも強要します。問題は、自分を理想として掲げてしまうので、他人のよいところが引き出されないのです。人を杓子定規にとらえることは不可能です。あなたは目標のためならどんなことでもしますが、他の人はそうではないのです。彼らは初めからあなたに圧倒され、あなたの理想には従えないからと全力で協力することをやめてしまいます。
そう……ですか。
杓子定規のつもりは全くなかったし、「倫理」とは当然の常識の範囲でしかないと思っていました。
また自分は無能だと思っていたので、他人を圧倒していることには全く気付かず……。

つい先日も、自分では「常識」で「正当」と思っている倫理感から人に意見を言ってしまい、「上から目線!」と責められたところです。
「またやってしまった……」と落ち込んでいます。
今まで相手を傷付けないよう気を遣い、遠回しに意見をしてきたが無意味だったので、最終手段として自分が悪者となって相手を危険から遠ざけようとしたのが真実。
ですが、やはり相手の感情を傷付けてしまいました。
とても好きな人だったし、ずっと優しくしていただいたのに、申し訳ないと思います。

モラハラとなりがちな自分。
それが嫌で、深みにはまる前に自分から人との関係を断つ癖があります。

寂しくないと言えば嘘になります。
「仕方がなかった」と自分に言い聞かせながら……(これは使っていいことわざなのかどうか迷いますが、他に妥当な言葉が思いつかない)、「馬謖を斬る」ことを避けるために軽い段階で関係を断っていく。
スピラーの言う通り、これこそ悪い癖です。
 あなた方は自分や周りの人の感情にきわめて敏感です。他人はあなたを感情に鈍感な人だと勘違いしていますが、実はあなたは過敏なだけに繊細で、自分や他人に起きている感情をどう処理したらよいかという方法を知らないだけなのです。
これは最も当たっているのではないかと思った。
「人の気持ちが分からない。鈍い。冷酷ロボット」
と言われるが、たぶん人一倍過敏なので人付き合いに疲れ、閉じ籠もっている……。


過去世の悪癖に関しての解釈は長いのでカットします。
サインの解釈は大雑把なので当たっていない部分もありますが、本質的には概ね正しいと思います。
追加 当たっていない部分の理由として「サインが大雑把」なことともう一つ、ヘッドサインを「性格」と勘違いして解釈しているからかもしれない。ヘッドの入るサインはここまで性格全てに影響するものではないと思う

最後に、解決法としてのアドバイス部分も引用しておきます。
これがテイルである「蟹座」へ向かう解釈になります。

 感情を抑制してきた前世経験から、あなたの心にある感情の領域は浄化されています。あなたの感情の動きには「隠された策略」がなく、あなたの感情は純粋で自然な反応なのです。あなたが自分の気持ちを表現すると、その場にいた人々がほっとするということが少なくありません。あなたの感情の領域は開かれていて、周りにいる人々の感情を汲み取っていることが多いのです。
 ……あなた方には人類という家族の一員としての責任ではなく、そのメリットや喜びを自分のものにする権利があります。あなたの毎日をスローギアに入れ直し、感情を味わうという、人間に与えられた最も贅沢な報酬を楽しむことにしてはどうでしょう。
心に沁みる温かい言葉。有難い。

客観的に眺めたとき、スピラーの解釈文は占星術師の綴る文章として最高峰だと思います。
占星術師の能力ではサイン解釈の正確さとポイントを見抜く目が重要ですが、文章もまた評価されるべき点だと思います。

【引用した文章】
『前世ソウルリーディング』ジャン・スピラー著 東川恭子訳(徳間書店) P162-197
引用文中の「…」は省略箇所
敬称略。


小説を読まれていない方向けの情報


占星術サイトより転載。一般向けに書いた解説です。

記憶している前世: 私は前世では一切家庭をかえりみることなく、仕事に生きて死にました。子供と会ったのも、記憶にあるのはたったの二回きり。妻にも子供にも申し訳なく思っています。

当時、私はある組織のリーダー格(二番手)であり、確かに主君との絆には恵まれました。しかし組織への依存心はなかったと思います。むしろ少しも依存しなかったこと、「孤高」を気取り援助を求めず、独りきりの世界に閉じ籠もったことが失敗のもとでした。
感情をコントロールすることには長けていたので、「冷静な思考の持ち主」と称されていましたが、ロボットのような冷たい人間だと思われてしまったようです。温かい血が流れていない、と言われることが今は最も辛いです。

実は当時キャパシティオーバーでパニックに陥ってもいたのですが、それすら周囲には伝わらなかった。もう少し感情を顔に出し、パニックに陥っていることも伝えていれば良かったのだと思います。
このような反省から、今世以降では感情表現して生きることが目標です。


続き。>>前世(仮)、ドラゴンテイルへ歩いた見本人生

 


Share:

前世(仮)、ドラゴンテイルへ歩いた見本人生

 <<前記事にて、
今世のドラゴンヘッドについて読んだついでに前世(仮)のドラゴンヘッドサインも見てみます。

あくまでも「仮」なので怒らないで欲しいのですが、私の前世のものと推測される出生ホロスコープでは
ドラゴンヘッド: 牡羊座
ドラゴンテイル: 天秤座

だったようです。

「スピラー本では解釈を逆に読む」という方法に従い、『ドラゴンヘッド天秤座』のページを読んでみます。

 あなたは個人的成功、自立、単独行動に象徴される人生を送ってきた結果、チームワークやパートナーシップを忘れてしまっています。ドラゴンヘッドを天秤座に持つ人々は前世の大半を戦士として過ごしてきたのです。
 …この影響からあなたは生き延びる欲望が過剰に開発され、自分対他人として考える習慣が染みついていて、それ以外のことに無知なのです。
「過去世の大半」ではないですが、確かにこの一つ前の転生では戦士(使い捨ての傭兵)として生き、若いうちに死んでいます。
さらに言うと、この人生までは長いこと一人きりで生きて来ました。
戦士だったことは一度しかありませんが、ほとんど孤児として過ごし、生き延びるだけで奇跡という状況が多かったように思います。
そのわり「生き延びる欲望」はあまり育たなかったように思いますが、自立心が突出してしまったということであれば当たっています。

 あなた方には怒りを爆発させるという非常に強い傾向があり、これは直す必要があります。あなたは子供のような感情を持っていて、自分の思い通りにならないと、きかん坊に豹変して周りの人を無理やり自分に従わせようとします。
残念ながら、ここは全く当たっていませんね。笑
やはりヘッドのサイン解釈を性格として読むには無理があるように思います。

全ての転生を通して、私は「直情的に生きる」ことが苦手です。
それは家族と過ごした経験がほとんどなかったので感情表現を学ぶことができなかったからとも言えるし、何よりアセンダントサイン(筆者のASCは感情表現が苦手な水瓶座)のほうが本当の性格であるからかもしれません。

孤児が生き延びるためには、エゴを発達させたり直情的に動く必要があるのですが、それにも関わらずエゴや感情が育たなかった。ASC性格は変わらなかったようです。環境よりも本質性格が強いという証です。
 あなた方は非常に強い自我意識があるため、他人にも同じように強い自我があると考え、無意識に自分と同じように強いパートナーを求めています。見つけた相手が自分と同じように強くないことが分かると大変失望し、苛立ちます。
うーん???
それこそ、全く無かったですねぇ。見た目だけが強い人、嫌い。前世も今世も。
前世で私は強いパートナーなど欲しいと思ったことが無いし、実際に惚れたパートナーは強い印象の人ではないし。
たぶん、彼は精神的には強いとは思いますが。
 あなた方はすばやい決断を下します。すぐに行動に移す習慣がついている
……そうなれたらいいなと思っています、いつも。
私は前世も今世も行動力に難があります。これはベース性格のせい。

〔補足〕筆者の前世については「決断が遅く、行動が遅い」との定評があります。まったく正しい評価だと思います。この性格は現在も同じ。
 あなた方は自己陶酔(ナルシスト)の傾向を抑制する必要があります。

笑った。
確かに、私は全体に容姿が良い人生を送ってきたらしく。
容姿その他、褒められることが多かったので他人が見たら「ナルシスト」ということになるのだろうけど、私自身は気持ちよく自己陶酔したことが一度もありません。
素直に自己陶酔できれば人生楽しいのだろうな、と想像します。

〔補足〕ナルシスどころか私には強めの自虐傾向があります。前世も今世の幼いころも、壮絶に称賛されてきたので自惚れる機会はたくさんありましたが、褒め言葉はスルーするか信じない癖がついているらしい(おそらく称賛のプレッシャーから心を守ろうとする自己防衛だったと思います)。このため自己評価は地の底ほど低く、「私は無能です」が口癖でした。病的で有害な自虐癖であり、現在ではアンチの誹謗中傷を助けているようなので、猛省して少しは称賛も受け入れられるようリハビリ中です。

……というわけで全体に性格は全く当たっていませんでした!
申し訳ない。
牡羊座性格が私のベース性格とかけ離れ過ぎなのです。

性格はともかく、スピラーが言いたかったのは
「あなたは独立独歩で生きている」
「今世でパートナーを見つけ、伴に生きる必要がある」
ということでしょう。

この点、当たっていましたし、その通りに生きることができました。
どうやら前世の私は早い段階でテイルを実現してしまったようです。
「仲間とパートナーシップを築き、天秤座(テイル)らしく生きる」というテーマです。

以降はどちらかと言うと天秤座に近い人生となり、仲間を支え人に奉仕することを喜びとして生きています。

こうして前世の私はテイルの方へ歩いて行ったため、カルマの輪が閉じ、一つのテーマが終わりました。
自分で言うのも何ですが、魂として優等生な人生だったと言えるでしょうか。

もし前世であの時、彼の手を握らずに背を向けて一人生きることを選んでいたら――それは再びヘッドの方向へ向かって生きるということなのですが、そうしていたら元の木阿弥。
独立独歩の孤独な人生を生き続け、今もまだ同じテーマに留まっていたことでしょう。

やはり、人生ではテイルの未来へ向かって歩かねばなりません。
早い段階でヘッド(過去)に別れを告げたほうが幸福になれるようです。


ちなみに前記事で書いた通り、今の私はまだヘッドの影響から抜け出せていないらしい。
もしかしたら今世で初めてこのカルマに取り組んでいるのかも? 
と言うことは、今世中にテーマを終えることは難しそう。まだもう少し転生を繰り返すことになるでしょうか。

【引用した文章】
『前世ソウルリーディング』ジャン・スピラー著 東川恭子訳(徳間書店) P278-319

 

Share:

古代人で冥王星クリーンヒット→死、の事例

 前に書いた「冥王星ログアウト説」の記事は読者限定の要パスワード。一部の方しかお読みいただけません。

★noteでも記事購入できるようになりました。『冥王星は、前世でログアウト(死亡)した月日かもしれない説


ただ、これだけはもしかしたら貴重な情報かもしれないと思ったので公開で置いておきます。
(このタイトル、もしかしたら歴史人物に対する激しい失礼に当たるか、または?の可能性がありますが。まあ気にしない。笑)

 

 古代人で、ネイタル太陽にトランジット冥王星がクリーンヒットして死んだ事例: 

資料は古代中国の実在人物、諸葛亮(西暦181-234)です。→彼のネイタルホロスコープはこちらで、ASCは推測ですが太陽は確実に正しい位置です。(追記 ただしこの通り死亡時の太陽が在泊したハウスを考えても、推測出生時間でのホロスコープがやはり妥当であったことが裏付けられます)
→諸葛亮の死亡日についてはこちら。Stargazer等で、西暦そのまま「太陽暦8月23日」と打ってはなりません。笑


【初心者の方へ解説】 冥王星は占星術で、「死と再生」を意味する星です。「死」は象徴に過ぎず、実占では「大きな喪失と再起」等々と読むもので、肉体の死と関連づけることは滅多にありません。ただし、生まれた時のホロスコープ上の太陽やアセンダントへその時の冥王星がヒットした場合は、稀に命をおびやかすようなことがあるため要注意と判断します。


上のチャートの人物が死亡時、234年。
当然、人類には全く冥王星が知られていない頃です。

どうやら、人類が発見していない天体でも影響は受けている(正しくは、その人生計画が現実の宇宙天体に表現されている)らしい、という仮説がこれで立てられます。
あくまでも「仮説」ですが。

私は長年、占星術において
「人類が重要と定めた惑星が影響を与えるのか?」
それとも
「人類が知らなくても、現実天体に既に運命は表れているのか?」
ということが疑問でした。
これは「時空ポイント」について、人類と死後世界の人々=高次霊たちとの共通概念が、何を基準としているのかという意味でもあります。
(私は占星術界でよく言われているように、惑星の重力が地球人類に影響を与えて様々な事象を起こす、と考える者ではありません。先に計画があり、その計画に沿った時空ポイントが出生点として選ばれるだけだと考えています。/もちろん完全に概念だけと考えているわけではありませんが。参照:魂を読むためのホロスコープマップ

冒頭の仮説が正しいとすると、正解は後者だったようです。

現代、冥王星は惑星から準惑星へ降格してしまいましたが、この事例を見ればこれからも占星術では冥王星を重視していくべきと私は考えます。


【初心者の方へ、特に注意していただきたいこと】
トランジット冥王星が、ネイタル太陽にヒットする時期に100%誰もが死ぬわけではありませんので騒がないように。
そのような拙速な断定を掲示板等で書き込まないよう、強くお願いします。

 2018/11/14追加 こちらも参考にしてください。
 ⇒読者様からご提供いただいた、冥王星ヒットを「再生」とした具体的な例

占星術では惑星の動きが現実へ影響を及ぼしているように見えることが多々あります。
だからと言って、過去に起きた事象と同じアスペクトが形成される未来に、100%同じことが起きるというわけではありません。

と言うのも、その時期のそのアスペクトは、「ある事象が起きる条件が整っている」というだけに過ぎず、実際にそれが起きる計画があるかどうかは地球人類には分からないことだからです。
これが西洋占星術で未来予測することが難しい理由です。
(なので、私はあまり未来予測して騒がない主義なのです。自分の進行経過さえ大事に考えずスルー。笑)

典型的な例としては、1999年や、2012年以降の連続グランドクロスでしょう。
1999年の大グランドクロスの時には、多くの占星術家が人類滅亡を予測しました。ノストラダムスが人類滅亡を予言していたかどうかについては疑義がありますが、彼がホロスコープを見て重大変化の時期と考えたのは間違いありません。物理学的に言っても、惑星重力の重なりで地球が反転していてもおかしくありませんでしたね。
2012年~2014年の連続グランドクロスは第二次世界大戦が始まる直前とそっくりだったため、「第三次世界大戦、確実!」と騒いでいた人が大勢いました。笑
結果、そうなっていないわけで、占星術の未来予測は確実ではないと分かります。
(ただし、上の壮大なグランドクロスに関しては人類が知覚できないところで変化が起きている可能性が高いと思います。あまりにも大きな事象だと、多くの人が知覚するのに時間がかかるからです。結果が見えるようになるのはこれからでしょう)

だから、「占いなんてやる意味ねー!」というご批判はごもっともだと思います。笑
「未来を知ったからと言っても何もできない。運命を変えないほうがいい」という占星術の思想としても、未来予測を目的とする占星術に意味はないと言えるでしょう。

ただし、そうなる条件が整っていることは確かなのですから、なるべく大事にならないよう準備することはできます。
たとえば冥王星がネイタル太陽にクリーンヒットする時期は、健康を害する人が多く出ることは鑑定経験上分かっています。
過剰に恐れる必要はないものの、その時期はなるべく無理をしないよう、心安らかに自重して過ごしてください。

――ちなみに、諸葛亮が上のホロスコープを知っていたら自重したかどうか? 
いや、しなかったでしょうね。
自重したくても出来る時期ではなかったわけだし、そもそも自分の命に関心があるタイプではなかった(だろうと思います)。
自分が死ぬだろうと分かっていたとしても、やるしかないという時は人間に必ずあります。
ですから、死ぬ時期は始めから決まっていた、とも言えるわけです。
占いの話としては元も子もないな。苦笑


この記事に関連する記事(誰もが占星術で、自分の弱い季節を知る方法
●自分の死期(弱い季節)を知る


Share:

私がインド占星術を選ばなかった理由


 私の占星術サイトを訪れる方は、
「このサイト主はアセンダントとかドラゴンヘッドが大事と言っているわりに、何故インド占星術を選ばなかったのか?」
と疑問に思われるはず。

そもそも、インド占星術のほうが古代の手法に近い。
私は日ごろ「古代手法に共鳴する」と言っているので、その意味でもインド占星術を選ぶのが妥当と思われるだろう。

でも既に中学生のころにインド占星術は選ばないと決めていた。
何故か。
理由は単純。始めの一歩の、性格占いが「当たらなかった」から。

インド占星術だと、西洋占星術と比べて今は一つ前のサインにアセンダントが来る。
だから私の場合、インド占星術ではアセンダントが「山羊座」となる。
そしてインド占星術はアセンダントを「魂の性格」と見るから、私は「山羊座の魂を持つ人」、ということになるのだが……。

私の感覚では、全く自分の本性は「山羊座」ではない。
確かに真面目に見られることは多いし、野心家で権威主義のように誤解されることもあるが(いや、それは前世晩年だけの話か。たまたま当時の地位のせいで。今は全くそう言われることはない)、身近な人たちは都合の良い誤解だと笑うだろう。

やはり、現代心理学の性格分析でも裏付けられている通り、自分なりの価値観を持つ「水瓶座」の解釈のほうが抵抗感がない。

こちらのインド占星術サイト様によれば、

西洋占星術とインド占星術では、アヤナムシャにより23~24度ずれているため、西洋占星術のアセンダントとインド占星術のラグナはだいたい1星座ずれます。「自分が見た自分の性格」は西洋占星術(トロピカル)で表され、「他人が見た自分の性格」はインド占星術(サイデリアル)で表されます。アセンダントは「仮面」を表すと言われますが、自分がつけている仮面と他人が思う仮面があるわけですね。

とのことだが、その通り私は他人からのイメージで山羊座風に見られることがあるかもしれない。
でも、だとすればそれは本来、12室が「他人からの印象」(古代解釈)であるため。
ということはやはり、トロピカルのほうが正しい本人の性質を表していることになる。
(そもそもアセンダントを「仮面」と解釈するのは近代西洋占星術の太陽星座派。古代のアセンダントは「魂」であり「自分」なのだから、インド占星術で「仮面」と定義するのは違う)

これはたまたま私だけなのか? 
と思って様々な人を調べてみたが、やはり西洋占星術の計算のほうが本人の性格を正しく表していると感じる。
不思議なことだけどネイタルに限っては、トロピカル計算がどうやら正しい。


と。
このようなわけで「インド占星術は当たらない」という印象を中学時代に持ってしまい、以降学ぶこともなかったのだが。
最近、もしかしたら未来予測としてはインド占星術のほうが優れているかも? と思い始めた。

もちろん輪廻転生の思想を学ぶにもインド占星術の知識が必須。
勉強を続けます。

2018/1/6 この話の続き。⇒サイデリアルとトロピカル、どちらのASCが当たるか?

 

Share:

有名人や成功者をレベル高い魂と思うのは、魂が未熟な証拠

 「前世の記憶を思い出す方法」で検索していたら、こちらがトップでヒットしました。

 『記憶をよみがえらせるヒント集 前世の記憶を思い出す方法』
 https://uranailady.com/07_zensei1.html
※お手数ですが営利濃厚なキュレーションサイトのためコピペ移動でお願いします


ディスる(批判する)つもりは全くないのですが、少し「違うのでは?」と気になった点だけ指摘してみます。

〔目次〕
人間は価値が高くて、他の動物は価値が低い?
他の動物が人間に生まれ変わることがないのは本当?
「人間は価値が高い」と言いながら…
「優れた人間性」の定義が、「有名であること」と言う次元の低さ
高次元な人々は、「凡人」のなかにいる

引用について: 上ページには「他サイトへの転記を禁じます」とありますが、閲覧者を限定せずに公開された文章は著作権法第32条で報道・批評等のための「引用」が許されています


人間は価値が高くて、他の動物は価値が低い?


上記事で冒頭からこの発言は気になりました。
まず大前提として、人間の前世は人間です。
よく「私の前世は犬だった」とか動物にたとえますが、何度生まれ変わっても動物の魂は人間にはなりません。
それは人間のほうが、動物より価値の高い生き物だからです。


人間のほうが、(他の)動物より価値が高い……?
何の疑問も持たずこのような表現をすることに唖然としてしまいます。

私は人間と動物を「価値」の高低で考えたことがありません。そもそも、人間も動物のうちの一種類に過ぎませんから、「人間と動物」という表現さえおかしいと思う。「人間と他の動物」と表現するならまだしも。

つまり、私の中で人間と動物はこんなイメージ。現代の生物学的考えですね。
(実際「動物」の円はもっと遥かに巨大ですが、便宜上ミニサイズとなっています)

ところが上の方はこう考えている。
赤い線は永久に越えられない格の壁で、何故か人間だけは動物ですらなく、別格に「偉い」魂なわけです。

 

「人間は高等で価値がある。動物は下等で価値が低い。だから動物が人間に生まれ変わることはない」
との考え方は、近年のスピリチュアリストたちが声高に叫び始めた話です。
思うにこれはキリスト教の影響でしょう。

キリスト教は、元々「輪廻転生」を否定します。
それは人間(その中でも自分の宗教信者だけ、特に宗教上の権威者)を絶対的優位に置きたいと考える宗教だからです。
支配者層である人間と、人間に隷属するほかの動物が混ざり合って生まれ変わり、入れ替わる。もしかしたら来世で自分は隷属する側に周り酷い目に遭うかもしれない――このように考えるのは彼らにとって最大の恐怖で、絶対に許せない想像でした。だから輪廻転生説を唱える人を殺してまで、強固に否定してきました。

近年の欧米ではそのような残虐な行いの反省から、多様な思想が認められつつあります。
おかげで欧米でも徐々に「生まれ変わり」の事例を語る人が増えました。輪廻転生を信じる、心の広い人も増えたと思います。
しかしそれでもまだ、「自分たち人間は絶対に偉い」「他の動物は下等で隷属すべきもの」という考えを捨てきるのは難しいのでしょう。
「生まれ変わりは認めるけど、人間だけは別」と思いたい。
長年、上の教義に支配されてきた文化圏なのだから仕方がないと言えます。

でもアジアはそうではありません。
アジアで信者の多い仏教は
「一切衆生」(全ての生き物。植物も含める)
を同じ一つの魂と考え、その全てに同格の仏性がある
と説いています。
これは古代インドの考えを受け継いだ思想です。

アジアのなかでも日本は多くの神々を認める多神教が浸透していますが、これは全ての神や生き物を受け入れる度量があることを表しています。

(実はこの多神教的な思想は古代ギリシャと同じ。古代、西洋も多神教で、人間と動物との差別はありませんでした。それどころか動物のほうが格上だと信じられていた時代もありました。人間だけを優位に置く傲慢な考えは、権力と結び付いた宗教が人々に押し付けたものです。このような傲慢な考えは生物として歪んでいて真実とは言えないでしょう)

「人間だけが別格に偉い」とする考え方は、少なくともアジアには馴染まないし、真実でもないと私は思います。


他の動物が人間に生まれ変わることがないのは本当?


とは言っても、究極の真実と、地上に近い階層での準物理システムは分けて考えねばなりません。

私には死後世界の記憶がないので、
「人間が他の動物に、他の動物が人間に生まれ変わることはない」
という話が事実か間違っているかは分かりません。

前に読んだマイケル・ニュートン氏の『死後世界レポート』でも、人間と他の動物はそれぞれ別の場所で過ごしている話が報告されています。
これもキリスト教圏で出された本のため、キリスト教の影響があると考えることもできますが、アジア人も共通して同じことを言っているようです。
日本の有能な霊能者と考えられる人々も最近は同じことを言っています。

彼らの話を信じるならば。
もしかしたらこの地上に近い「死後世界」では、魂は種類によって分けられているのかもしれません。
個体・液体・気体で言うと、魂は気体のようなものなので本質によって自然に分かれてしまうだけでしょうが。

何度も書くように、究極の次元では全ての魂は同格です。
同じ一つの根元から生まれるわけなので。
ただ、どうやら、「魂」というものとして根元から分離された時点でその「魂」には固有の個性が与えられているようです。
この本質個性によって、気体が分かれるように死後は同種の者同士で過ごすことになる。

だからあくまでも地上に近い低次元に限って、
「人間と他の動物は別の個性を持ち、別の場で過ごす」
という話が妥当ということになりますね。

なお、生まれ変わる場合はより物質的な制約が生まれますから、魂の本質によって乗りこなせる肉体が変わるはずです。
犬や猫サイズに合う魂は、なかなか人間の肉体という容量の大きな乗り物を使いこなすのが難しいと思います。

逆も真なりで、人間の肉体で過ごしてきた魂は、それなりのスペックを持つ肉体でなければ乗ることができないでしょう。
来世に持ち越す記憶やエネルギーは少ないとは言っても、人間の場合は相当なものです。容量の少ない肉体では一瞬で容量オーバーとなり壊れてしまいます。
(モバイル機器にパソコンの情報量を入れるとパンクするのと同じ)

まとめると、人間と他の動物がお互いに入れ替わることがないのは、
 人間だけが格が高いとか価値があるからではなく、単純に容量の制約があるから
というだけのことです。

無論、全てのことに「絶対」はないのですから、イレギュラーはあるのかもしれません。
たとえば相当に次元の高い魂が、自分の一部を小さな虫などに乗せてメッセージを運ぶことはあると思います。
(地上でのカルマをクリアした高次元の魂は、地上での目的を果たす必要がないので魂のほんの一部だけを地上へ送ることができるはずです)
これがよく仏教で語られる、「お釈迦様が動物に生まれ変わって人間を諭す」などの伝説となっているのでしょう。


「人間は価値が高い」と言いながら…


“動物は人間に生まれ変わることはない”という話に関連して、あとは上記事の矛盾点を指摘しておきます。
また動物が死んだときはもちろん、動物霊につかれた人間が亡くなると、魂が重いので上の世界には上がれません。ふたたび動物に生まれ変わったり、成仏できずにその辺をさまようこともあります。

いまのあなたが堕落的な生活を送れば、魂レベルが下がってしまい、来世は動物になり下がるかもしれません。

「人間だけは価値が高く他の動物とは違う」と定義しながら、動物に生まれ変わることもあると言う……(笑)。
何故ここだけ急に「動物落ち」が有りうるという話になるのか? 矛盾していますね。

普通レベルの人間が生まれ変わると、普通以下にしか生まれ変わらないのです。レベルが落ちることはあっても、上がることはありません。

この考えでは、魂は永久にレベルアップできず下がるだけとなります。
ということは全ての魂がいずれ最下層に行き着くことになる。理屈に合いません。

追記: 「別人に生まれ変わることはない」という意味なら正しい。魂は、死んで生まれ変わっただけでスーパーマンに変身することは絶対にない。「レベルアップ」したいなら、生きているうちに自分を磨かなければならない。ただし前世のエネルギーの全てを来世に持ち越すとは限らないし、肉体スペックも違うので完全に同一の姿・同一能力ではない。そもそも地上における肉体能力・処理能力と、魂のレベルは関係がない


ちなみに一般的なスピリチュアルの書籍では、
「人間と他の動物は違う」
と定義した場合、絶対に人間が動物に落ちることはないと説きます。
(当たり前。矛盾してしまう)

それどころか「魂のレベル落ち」すら、有りえないとされています
何故なら一度クリアした修行はアカシックレコードにストックされるから(…と言うよりは、閉じたカルマの輪が開くことは二度とないから)だろうと思います。

その代わりに「停滞」はあるそうです。
何度生まれ変わっても同じ段階でループする、という。
これはこれで辛い。

さらに言うと、現世で自らの欲望に負けて虐殺を繰り返すなど、更生不能な癖を身に付けてしまった場合は動物に落ちるチャンスすら与えられずに
「エネルギー解体」
されるらしい。(指導霊たちによって)
これはエネルギーが消滅するわけではなく構成を変えられることなのだそうですが、魂としての個性はなくなってしまうわけで、「個性の死刑」に相当すると言えるでしょう。

私が考えているのはもっと宇宙物理的で、厳格なもの。
システム的な因果応報です。
転生は上の階級に上がるための「修行」と言うよりは、プラス・マイナスの均等化。
カルマがプラスかマイナスに偏った場合、自動的に平均を採ろうとするため反対のエネルギーで補います。
この時、苦難が襲ったり幸運が訪れたりします。これを因果応報と呼びます。
完全にカルマが均等となり全てのストーリーを終えたときが「輪が閉じる=上がり(悟り)」と言って、次元アップする瞬間になります。

今世で怠惰な生活を送った場合、来世ではその反動として重荷を背負うことはあるでしょう。
その逆に前世で重荷を背負った人は、今世では穏やかに過ごしているはずです。
どちらもレベルダウンしたわけではなく、システム上の因果応報です。

いずれにしても、罰としての「動物落ち」や「レベル落ち」は有りえないということになります。



「優れた人間性」の定義が、「有名であること」と言う次元の低さ


次に、ここの箇所は思わず笑ってしまいました。
よく「あなたの前世はクレオパトラです」とか、有名な人物にたとえますよね。それも本当の前世占いではなく、お遊びです。

上記の説明でわかるとおり、前世の自分と同レベル以上には生まれ変わらないのですから、
もしいまのあなたが凡人であるなら、前世がクレオパトラであった可能性はゼロです。
(夢を壊すようですみません)

 

 

お言葉ですが……クレオパトラさんが、それほど格の高い魂だったとは私には思えません。
私にはごく普通の幸福を求めただけの女性に思えますが?

隣近所に住む主婦たちも、クレオパトラさんも完全に同じレベルの魂です。
違いはただ、生まれた状況が違い、結果として有名になったかどうかだけです。
(クレオパトラさんはその辛い状況に耐えられるだけの強さがあり、経験値もあった魂であるとは言えます)

上の方の
「有名人なら問答無用でレベル高い魂」
「無名な人たちは全員、凡人」
という価値基準に失笑してしまいます。

有名人スゲー、カッケー、超リスペクト!!
有名でもないし金も持ってない奴に一切価値なし。ゴミ!

って……子供か。笑

まあ、このような価値基準を持つ人は現代には多いでしょう。
有名人を無条件で格上として崇め、その他の人はゴミと考えて大切にしない。家族など身近な人すらゴミ扱いで、ないがしろにする。
つまり、
 名誉や金だけ
に興味を持ち、現世での成功者を崇めて生きている。

私には、名誉や金しか興味のない人々こそ魂のレベルが低いように思えます。
「レベルが低い」という言い方が違うなら、「未熟」です。生まれたての子供に近い魂なのだと考えられます。

これは意外なことかもしれませんが、ぜひ覚えてください。
有名人のほとんどは魂レベルとしてはまだ未熟なほうです。
なにしろ現世の次元に合わせて成功をつかむためには、現世レベルの低次元な発想を持たねば不可能ですから。
(例外はあって、過酷な境遇に身を置いて魂を磨きたいと考える者は、重荷を負うために有名となる人生を選ぶこともある)

 参考: スピリチュアル本まとめ板によれば、高次元の霊たちは私と同意見らしい →霊格、「魂の年齢」を知るための詳しい話

このため、有名人ばかり価値があると思っている人は、自ら低い次元に留まることになります。

有名も無名も完全に同じ。
地位や名前などの外観に囚われず本質が見られるようになれば、魂が大人に近付いたと言えるのではないでしょうか。


追記: ところで前の項目でこの方は、「生まれ変わるとレベル落ちはあってもレベルアップは絶対ない」と書いている。と言うことは、この方の説を受け入れた場合クレオパトラ(この人の定義では最高レベル)が、無名な人(この人の定義では底辺)にレベルダウンすることはある、という理屈になるが? だって下がることはあるんだよね? ……全体に矛盾しているな。
→算数の問題風に書くと分かりやすいのでは。「問題:全ての物はA地点からB地点へ移動して売ると、値が上がることは絶対にありませんが、下がることはあります。では、今B地点で100ポイントの物が、かつてA地点で200ポイントだった可能性はありますか? 答え:ある」。この方はこの問題で、「ない」と答えているから意味不明。
上の引用箇所を正しい文にするなら、「前世の自分と同レベル以上には生まれ変わらないのですから」を「以下」に直すか、前段そのままの場合「もしいまのあなたが凡人であるなら、前世がクレオパトラであった可能性はゼロです」を「あります。」にする。
真実を言えば、「今のあなたが凡人であるなら、前世がクレオパトラであった可能性は充分にある」が正解です。「大は小を兼ねる」という諺をご存知ないでしょうか? 経験値の高い魂はいかなる人生も送ることができます、凡人だろうと有名人だろうと(まあ有名人となる人生は難関試験のようなものなので、たいていの魂は二度と望まないでしょうが)。ここで「凡人」をレベル落ちと定義する低次元な発想こそが間違っているのです。


高次元な人々は、「凡人」のなかにいる


未熟な魂たちが「凡人」と蔑む穏やかな暮らしをしている人のなかに、有名人以上の優れた人が存在するのは事実です。
私などは、『家、ついて行ってイイですか?』の番組を観ていると、どの人も素晴らしく価値があり学べるところがあるので目が離せなくなってしまいます。
あの宝石のような魂の輝きに気付かないとは、どれだけフシアナさんなのか。
幼稚な人々に崇められている「有名人」など、私には学ぶところが少ないように思え、観ていて退屈です。

ニュートン氏の本でも、次元の高い老練な魂ほど穏やかで静かで、無名な人生を送っていると証言されています。
彼らはまだ魂が若かった頃、有名人となり波乱万丈な人生を送ったこともあったそうです。
その経験で魂を磨き、成長し、今は静かな人生のなかで使命を果たそうとしています。

私も鑑定経験から証言しますが、この現代にもかつて有名だった人々が生まれ変わっているようです。
明らかに出生ホロスコープが特殊なのに自分で気付いていない方もいるし、前世記憶を持ち、苦悩しながら生きている人もいます。
そのたいていの人々が無名で、穏やかな日々を送ってらっしゃいます。
烈しい生き方を経験した人ほど今世では無名で静かな人生を望むというのは本当のようです。

また、エネルギーの法則からも妥当です。
エネルギーはバランスをとろうとするものですから、前世が烈しければ、次の人生は穏やかになると考えるほうが理屈にかなっています。
(無論、例外はあります。前世で課題をクリアせず亡くなった方は再び同じような人生を送らなければならなかったり)

最後に私の持論になりますが、他記事で書いた文を転載しておきます。
真実として思うのは、こう。
現世では有名になってもならなくても、どちらでもいいんです。
社会的には成功しても失敗してもいい。
ただ、目の前にあることを懸命に、誠実にこなしていくべきだと思う。それだけです。
ズルいことをしたらいけない。
他人に嫉妬して悪さをしたらいけない。
自己の我がままのために人を虐殺したり、快楽で虐待するのはもってのほか。
貪るな、欲張るな。
ただひたすら人間として、まっとうな生き方をすべき。


よく「高い志を持て」などと言うけど、本当に高い志とは「まっとうな生き方をすること」です。
それが人にとって最も難しく最も高い位置にある目標だからです。

狭い視野で生きている人たちは、「高い志」をビジネス上の成功だの、地位だの名誉だの金だのとしか捉えられません。
それこそ低いんだよ。低次元な意識なんだよ、と思います。
もっと視野を広げ、真実を見なければなりません。

本当に大切なことは平凡な日常のなかにしかない。
昔の人はスピリチュアリズムなど知らなくても、自然とこういう感覚があったものでしょう。

『死後の世界の記憶がある人のスレ~』より



Share:

妻の知能が低いと離婚する? 善悪のIQで判断すべき

 〔常体記事〕

さっき相方の見ていたテレビ番組で
「夫のほうが妻より賢い夫婦は、離婚する確率が高い。妻が賢い夫婦か、同程度のほうが長続きする」
と言っていた。

何故?
学歴が高くエリート意識のある男は女を虐げようとする傾向があるのか? 

と私はDVが蔓延する世情と照らして考えてしまったのだが、そうではなく夫側の意見で
「妻と会話が合わない。自分が仕事で失敗し、落ち込んだ時にも支えになってくれないから」
だとか。

共感してしまった。

確かに……疲れて帰って来ているのに近所の奥様への嫉妬や、姑の悪口など、頭の悪い話を浴びせられたら神経が参ってしまう。
あと買い物依存だとか、安易に怪しげなセミナー等々出かけるとか宗教にはまるという人も勘弁。警戒心が無さ過ぎて誰にでもついて行ってしまうタイプは、こちらの生活が振り回され、家族が危険にさらされるからお近づきになりたくない。
それから、すぐばれる謎の嘘をつく人も嫌だね。嘘をついた理由すら理解できない想像を絶する不可解な嘘をつかれるとこちらが精神的にダメージを受ける。

考えてみれば全て人間性の問題でもあるな。
愚か過ぎる人は平気で嘘をつき他人に嫉妬し他人の悪口を言って貶めようとする。
そんな犯罪者になり得る「人間性バカ」は、私も生理的に無理だ。


子供の頃から私は
「知識のない人のほうが好み」
「勉強が苦手な人がタイプ」
と言っていて、実際に現在のパートナー(配偶者)は勉強が苦手なタイプだ。当然、読書もしない。

でも相方の知能が低いかと言うとたぶんそんなことはない。
むしろ知識を越えた鋭さを持ち、いざという時は的確な答えを瞬時に出すところ賢いと思う。とてもリスペクトしている。

きっと昔から私は
「知識は持たないのに実は真の意味で賢く、鋭い」
というタイプを尊敬してしまうのだろう。
(前世の主人がそういうタイプだったからか?)

思うに価値観、つまり善悪の基準は深層の知能レベルと関係している。
それは表面的な知識ともIQとも違う、現在のテストでは測ることが難しい種類の知能。
夫婦やパートナーでこの善悪に関わる知能が一致していることが大切なのだろうな。

Share:

前世記憶とは何か~クラウドとモバイル機器

 


 基本的なお話です。

「前世記憶」ってどのようなものでしょうか?
通常の肉体の記憶と、どう違うの?
そのような疑問にお答えするため、ここでは筆者の体験や他の方々の話から推測できることをお話ししておきます。
(ブログなどでバラバラに書いていた話のまとめです)



前世記憶は、バックアップファイルである


これは大人になってから前世記憶を思い出した人の場合※ですが、思い出すときはマンガや映画で描かれているように、脳の奥から無理に記憶を引き出すような感じではありません。
前世記憶は今世中の記憶と違って脳などの肉体器官で保存しているわけではないからです。

※前世記憶を持って生まれた子供の場合とは少し違うようです

私が初めて前世記憶を思い出した時は、どこかに預けておいた記憶を一気にダウンロードしたように感じました。
それが自分の記憶だと分かったのは、ダウンロードの早い段階で「確かに自分の過去だ」という感覚があったから。つまり、今の自分と前世の自分との「深層の人格(魂の自我)」が完全一致したからです。

これはたとえるなら、クラウドに預けていた自分の記憶ファイルをダウンロードするような感じです。その際、「自我」が一致したことによってアクセス権の認証(?)が行われたようにも思います。

※クラウドとは:インターネット経由で使えるサービス全般のこと。ここでは自作ファイルを預けておける世界共有の巨大サーバーとしてイメージしてください。

ここで「クラウド」と喩えている前世記憶置き場は、神秘主義者たちから「アカシックレコード」と呼ばれてきたものだと思います。
古くから、次元を超えた場所に世界の全てを記録する書庫のような場があると信じられてきました。
古代では文字通り膨大な本を保管している「書庫」としてイメージされていますが、二十世紀には記録媒体のレコードとしてイメージされ、最近ではインターネット上のクラウドのように説明されることが多いです。

時代によって説明の仕方は変わりますが、多くの人々が証言しているように確かに「アカシックレコード」に相当する記憶置き場は存在するのだと思います。書庫やサーバーのような物質的な場ではないとは思いますが。

私は個人的に、「クラウド・システム」のイメージはアカシックレコードを表すのに最も近いと感じています。何故なら神様などが地上の情報を収集し保存しているのではなく、個々の魂自身がそれぞれ自分の記憶をアップロードし、活用し、結果としてビッグデータとなっていると思われるからです。

ところで、このアカシックレコードへ自由にアクセスできる人たちがいます。
それが霊能者や、透視能力者などと呼ばれる人々です。
彼らはアクセス権がないのに他人の情報を覗き見ることができるのだから、もしかしたら「ハッカー」と言えるのかもしれません。
または、霊的な治療行為など何らかの使命を与えられ、アクセスする権限を持って生まれているのかもしれない。言わばプログラムの修正技術者でしょうか。
いずれにせよ、通常はその記憶ファイルを作成した本人だけがアクセス可能な情報だと思います。
また、本人でも必要がなければアクセスすることはありません


何故、ほとんどの人に前世記憶がないのか


アカシックレコードに前世のバックアップファイルがあるなら、どうして誰もが自由にアクセスし、ダウンロードできないのでしょうか。
前世があるなら、どうして全員が前世記憶を持っていないのか?

この素朴な疑問に回答するため、宗教は様々な説明をしてきました。
たとえば、
「生まれ変わる際に、忘却の水を飲まなければならないルールだからです。(でも我が宗教会員様限定の水を飲めば、忘れずに来世へ行けますよ。ご入会、いかがですか?)」
とか。
「神でなければ前世記憶を持ち越すことはできないからだ。(我が宗教の教祖は神だから、世界中でただ一人だけ前世記憶を持ち越している。どうだ我が教祖は凄いだろう。入信せよ!)」
とか。
どれもその宗教へ入るよう誘うための勧誘文句のような気がして、嫌ですね。

もっと現実的で、筋の通る話を好む人たちはこう言います。
「前世の記憶を持って生まれたら不都合だから。もし全員が前世の記憶を保ったまま生まれ変わることになったら、大変なことになる。復讐が横行し、殺人事件があちこちで起きるだろう。過去など忘れたほうがいいから、忘れるシステムになっているのだ」
私はこの最後の意見に同感です。
全ての人が前世記憶を持たずに生まれ変わっていて、良かったと思っています。皆が前世記憶を持って生まれ変わっていたら、前世の宿敵同士、お互いに復讐し合って争いが絶えることはない気がします。
(その代わり、今現実で起きている国家間戦争や民族紛争は消え去ると思いますが。全ての人が前世記憶を持っていれば、国家同士や民族同士の復讐し合いはバカバカしいことだと分かるはずです。前世で自分は相手の国、相手の血筋に生まれていたかもしれないからです)

しかし理由はもっと単純、かつ現実的だと思います。
真相をはっきり言ってしまえば、地球上の肉体(脳)の記憶容量が、全ての転生記憶を持ち運ぶには圧倒で足りないからです。


サクサク生きる、のが人生の優先事項


残念ながら、地球に生きる我々の肉体のスペックはそれほど高くありません。
極限まで小型化されたモバイル機器に近いものです。電池はそれほどもたないし、記憶容量もとても少ない体です。
この小さな肉体の脳に、過去世全ての記憶ファイルをダウンロードしたらどうなるでしょう?
転生回数が多い魂の場合、情報量の多さによって一瞬でパンクします。
まだ数回しか生まれていない魂はパンクしないまでも、重くてほとんど動けなくなることは避けられません。
そこで肉体を持って生まれ変わる際には、その人生で活動するために最低限必要な記憶と魂のエネルギーだけ持って生まれることにしているようです。

死後世界を記憶している人たちが、生まれる前の準備について語った話によれば、
「魂は地上へ持って行くエネルギーを自分で決めている。エネルギーの分量はその人生によって違うが、マックスで持って行くことはない。肉体が耐えきれず壊れてしまうから」
ということです。

たとえばパソコンやスマートフォンでも、使っているうちにファイルとプログラム(アプリ)が増え、重くなってしまうことがあるでしょう。
こうなった場合は「初期化」することと思います。あるいは、新しいパソコン・スマートフォンを買うでしょう。
初期化または買い替えの際にはクラウドなどへファイルを移すはず。
ところで新しいパソコン・スマートフォンを完全に以前と同じ環境にするために、ファイルやプログラムを全て元通り復元しますでしょうか? それではまた前と同じように重くなり使えなくなってしまうから、新しくしたことが無意味となります。
新しい機器ではサクサク使うことが何より大事です。このため過去ファイルの全ダウンロードは通常行わず、不要ファイルは外部に保存したままにしておくはずです。

これと同じことが転生の際に起きているようです。
新しい人生を生きる際には、「サクサク生きる」ことが最優先事項。
身軽になって、今この時を懸命に生きる必要があります。
地上に生きる我々は過去を忘れるということを寂しいと感じがちです。でも大丈夫、過去の記憶は本当に失われたわけではありません。魂は死後世界で自由に記憶を見ることも学ぶこともできます。


前世を思い出す人がいるのは何故か


現世を生きるに必要ないどころか邪魔になってしまうものなら、稀に前世の記憶を持つ人がいるのは何故でしょうか?

前世記憶を持つ人には二つのタイプがいます。
第一のタイプは、幼い頃だけ前世記憶を持っているタイプ。この人たちは物心がつき始めると前世記憶を忘れていきます。スティーブンソン博士著『前世を記憶する子供たち』で収集されたケースはほぼこちらのタイプです。

第二のタイプは、成長してから前世を思い出すタイプ。この人たちは一度思い出すと、そのイメージを再び忘れることはありません。

おそらく第一のタイプは単に記憶データの消え残りです。
このタイプのほとんどのケースで共通していることは、生まれ変わるまでの期間が数十年以内など短いこと。ほんの数か月前に死んですぐ生まれ変わった、というケースもあります。
このことから、新しい人生を得るまでの期間が短いと前世記憶を完全に消しきる前に生まれてくる場合がある、と分かります。
魂の記憶は物質的なデータとは違うので、アカシックレコードには地上の行動とともに瞬時に保存されています。だからデータの移行に時間がかかるわけではないのですが、物質次元で記憶を消し去るには時間が必要なのかもしれません。このため霊魂を覆う物質に近い「幽体(またはその少し内側の衣)」など何らかの次元に記憶データが残ったまま、生まれ変わる場合があるのだと推測されます。
この場合に限り、物質次元の記憶として言語記憶を持ち越す場合もあるようです。それが習ったことがないはずの前世の言葉を話す子供たちです。
(また物質次元に近い情報を持ち越しているからこそ、肉体にも前世で致命傷となった傷が出現しやすい)
しかしもちろん消し損ねた残骸データを保ったまま生活するのは不便ですから、成長するにつれ消えていくわけです。

いっぽう成長してから前世記憶を思い出す第二のタイプは、思い出すことに理由がある人たちです。
ワイス博士著『前世療法』に記されている患者たちはこちらのタイプ。筆者もこのタイプです。
魂は前世の具体的な記憶――行動記憶――をアカシックレコードに置いたまま、初期化された状態で新しい人生を歩み始めます。
しかし実際に行動する魂という「主体」は、決して過去の人生を忘れたわけではありません。行動記憶のデータは外部に残してきているため具体的なことは思い出せないのですが、過去に受けた傷を刺激するような出来事に遭遇すると魂が反応します。この情動が肉体にまで及ぶことがあります。
「理由は分からないが、なんだか苦しい」
「何故かとても怖い」
という状態です。
人によってはこの反応が過剰となり、新しい人生を生きる支障となっていることがあります。
あまりにも生活が困難となり、自殺を考えるほどになれば「エラー」と言え、修復する必要が出てきます。
これはパソコンで喩えると、ショートカットの残骸だけデスクトップに残り、クリックしても起動できないのでパソコンが混乱してフリーズしている状態です。こうなると元データの一部を復元したうえで残骸と繋げ、フリーズしないようにしてあげる必要があります。
この場合、指導霊などの判断で問題となっている過去世(一つ前とは限りません)の人生の一部を見せられることになります。
つまりアカシックレコードから古いデータをダウンロードし、エラーを起こしている箇所と繋げるわけです。こうすることでフリーズしなくなり、スムーズに動くことができるようになります。

なお、修復のために必要最低限のデータのみ再ダウンロードするので、言語記憶など余計なものが蘇ることはありません。ほとんどの人は人生全ての記憶を思い出すことはなく、恐怖の原因となっている一部の場面のみ思い出しています。
また必要最低限の最小データだけ持つことになりますので、生活の妨げになることもありません。再ダウンロードした過去の記憶は今世の記憶として持ったまま生きることができます。このため、こちらのタイプが一度思い出した前世記憶を忘れることはないのです。
もちろん、必要がないといって忘れてしまう人もいると思いますが。
人によりけり、今世での使命によりけりです。

私は多くの人に輪廻転生の真実を伝える使命があると感じるので、この通り忘れることなく生きています。


前世記憶という勘違いに注意


最後に注意点を書いておきますが、前世記憶を持つ人はほぼ上の二パターンに分けられると覚えておいてください。

このパターンで分けられない場合、たとえば
「成長してから唐突に前世を思い出した。そこから急に前世の言葉が話せるようになり、急に恐怖を感じるようになった」
などという時は前世記憶ではなく憑依(ひょうい)だと思います。
上に書いた通り、幽体などは準物質であるため、記憶媒体としての機能も持ちます。死んでからも現世に留まり、生前の記憶を持ち続けています。
この幽体が生きている人の肉体に入り込むことがあります。この状態を「憑依」と呼びます。憑依されると、当然ながら幽体の記憶も肉体に取り込まれます。するとその時点から別の人生記憶が脳内で再生されるようになります。
これがあたかも「前世を思い出した」かのように感じられることがあります。
つまり、自分では前世記憶だと思っているけれども、実は他者の記憶だったということがあるわけです。

カウンセラーのもとへ通い、思い出す必要もないのに無理やり前世を思い出そうとすると、憑依したがっている霊体の思うつぼでとり憑かれてしまう可能性があります。
日本で「前世療法」を看板に掲げるカウンセラーたちの中には、憑依と前世記憶との見分けが全くついていない人もいるので注意してください。

前世記憶か憑依か見分けるポイントは⇒『前世を思い出す方法 自催Ver.』に詳しく書きました。参考にしていただきたいと思います。

上記事から抜粋しておくと、急に見知らぬ国の言語を話せるようになった、などは簡単に見分けられるポイントです。幼少期ではなく、成長してから思い出した前世で他国の言語が話せるようになることはまずありません。言語記憶は特に再ダウンロードの必要がない、邪魔なデータだからです。(稀に自分や親しい人の名などキーワードだけ思い出す場合はあるようです。→記事下の補足2、「音声について」参照)
記憶を思い出してから唐突に恐怖を感じるようになった場合、これは間違いなく憑依です。前世記憶なら逆にその時点から恐怖が和らぎます。

また、人格に変化があるかどうかは最も重要です。
謎の記憶が頭の中で再生されるようになった頃から、親しい人たちに
「なんだか最近、感じが変わったね」
などと言われ始めたら要注意です。

憑依されると悪い行いへ誘導されることもあるようですから、意識を強くもって何らか対処してください。

生まれ変わりは別人になることではありません
だから前世記憶を思い出しても別人に変わってしまうことは絶対にありません。

この点、勘違いしているために「憑依」を前世記憶と誤解してしまう人がとても多いと思います。
前世療法が変身願望を満たしたい人たちの遊び道具となっているのは残念なことだし、実際に危険なので注意していただきたいです。


補足


補足1 
前世記憶がある人のうち、第二タイプの記憶についてどんな感じなのかもう少し詳しい話。
このタイプの人たちが前世記憶をいったん再ダウンロードした後は、ダウンロードした部分に関して今世中の記憶と全く同じように再生することができます。(私はそうなのですが、他の人もそうだと思います)
最初だけ特別にニュース映像のようなリアリティを伴いますが、その後は常に神秘的な世界から引き出して来るような感じではありません。
まったく素朴な日常の思い出と同じトーンで思い出されますので、今世の記憶と混同してしまうことさえあります。筆者の場合は兄弟のことについて、今世のつもりで話していて前世のことだったという間違いがよくあり少々困ります。
他の人が前世に関して想像するようなファンタジー感がないのはちょっと残念です。笑

現世の記憶がそうであるように、記憶の色褪せと時間経過は必ずしも比例していません。(追記 これは数式で表されるように全ての記憶が時間経過という法則に従って薄れるわけではない、という意味です。概ね時間と距離は似ています。一つ前の人生よりもっと前はボンヤリしか思い出せません。
筆者はだいたい幼少期の思い出と同じくらいの色褪せで前世記憶(一つ前の)を思い出します。
全ては淡く白いフィルターがかかっているように遠く感じられるが、感情を刺激されると昨日のことのように思い出されることもあります。
月日など具体的な記憶はほとんどないので、現実で具体的な話を知ったとき「そうだったのか」と驚くことはあります。これは幼少期のおぼろげな思い出について、親戚から「あの時こうだったんだよ」と現実の話を聞かされて驚く感覚と完全に同じです。
思い出の細部が間違っていることがある点も、幼少期の思い出と同じ。大枠のこと、肝心の全体的な経緯は合っているという感じです。


補足2 音声について
私は以前、「はっきりとした音声の場合は幻聴の可能性があるから注意」と書きました。何故なら精神医の意見もそうであるし、私自身が音声で言語を記憶していないからです。
補足1で書いた通り、ダウンロード後の前世記憶は「幼い頃のおぼろげな記憶」と同じです。皆さまもご自分の幼稚園時代のことを思い出せば分かると思いますが、お友達との会話は全て音声として再生されるのではなく、意味だけで覚えているはずです(その子がどんなに可愛い声をしていたか、という付随情報は覚えているかもしれませんが)。前世記憶もこれと全く同じで、音が現に耳へ響くわけではなく会話内容を思い出しているだけです。
ただ人によって、夢の中などで「自分の名を呼びかけられた」と仰る方はいます。この場合は、夢なのですから記憶を素材として音声が作成されることはあるでしょう。
いずれにしても目が覚めた状態で、正確な外国語の発音で過去の言語を発声することはできないはずです。このことこそ、「言語記憶は不要だからダウンロードされない」という証拠です。

⇒占いサイトへ戻る
Share:

孔明が死んだ日、8月23日は間違い

占星術作業のため、「諸葛亮 死んだ日」で検索していて脱力した。

検索画面トップに表示されるまとめ


いや、それは西暦(年)と陰暦(月日)が混ざっているように思う……。
(しかも「8月23日」はフィクション由来です)

相変わらず歴史界隈の人たちの頭が悪いのか?
それとも情報収集のやり方が悪いのだろうか。


調べたら、どうもG先生が悪いらしい。
演義(フィクション)で8月23日ということになっているとネット上に書かれていただけで、太陽暦とは書いていない。

8月23日、陽暦に直すとだいたい10月始め頃か?

10月は中国では日本より寒いはずで、もう寒露だから、「秋風」と形容するのは少し違う気がする。

イメージ的にもう少し早い気がするな……、せめて秋分頃。太陽暦9月終わり頃など。

※正しい命日の推測: →正確な命日の推測はこちらで行っていますが(読者様限定、要パスワード)、異次元の仮説を含むため要注意です。

 

 

Share:

今さらながら「現代の予言者・松原照子さん騒動」を眺めてみた


 かつて流行った「松原照子さんの予言検証」を検証してみます。

松原照子さんを知る


先日コンビニで『聞いてビックリ「あの世」の仕組み』という本を見つけた。著者は松原照子。

帯に
「実は、あの世にいる大切な人とつながるホットラインがあるんです。」
とあり、ちょうど大切な人が旅立ったばかりの私は「そんなホットラインがあるものなら知りたい」と思い手に取った。

宗教の本には用はないのだが、霊能力のある人が「幽霊さんに聞いてみました」というコンセプトなら興味を抱いてしまう私。
自分が体験者だからだろうか。
純粋な体験談にはとりあえず耳を傾けてみることにしている。
(ただ霊能者さんに鑑定してもらいたいとは思っていないので私を勧誘しても無駄ですよ、悪しからず)

松原照子さん。
存じ上げなかった。ネットのスピ事情に疎くて申し訳ない。
3.11を予言したことで一躍有名になった人であるらしい。

読んでみたところこの本の中に矛盾はなく、悪い印象も受けなかった。
これは「信じるに値する」という意味ではなくて、「少なくともこの本の中では矛盾する箇所が見当たらない」ということ。「霊が視える」等の体験談が嘘かどうかという根本のところまでは、裏の取りようがないので分からない。
ただ言っておくと、他のスピ本の多くは一見「裏の取りようがない」ように見えても、東洋思想の中途半端なパクりだったりして誤謬が多いので矛盾を突っ込める。
上の本にそれが無いということは、愉しく読んで害はなし、ということ。
仮にゴーストライター執筆の創作だとしたらかなり腕の良い人だと思った。

上の本に書かれていた内容について。
死ぬ時の「痛み」は、「天寿をまっとうして死ねば痛みはなく、自殺した人はどんな手段であっても死後延々と痛みが続く」という話は興味深い。
死者とのホットラインをつなげる方法は参考になった。
「地上で自分のことを思い出す人がいなくなればホットラインがなくなる」
という話は、私の経験上、正しいと思う。

「不思議な世界の人々」(死者たち、たぶん松原さんのガイド霊)
が名を名乗り、身元証明までしてしまう話は面白かった。
フィクションであったとしても面白い。
よく「名乗る霊は低級霊」と言われるがそうとは限らず、地上で生きた時代が近いなら名乗る霊もいるかもしれない。自己顕示のためではなくて、霊の存在を証明するために。
とにかく霊というものは、霊が存在することを地上で証明したくてたまらないらしい。

※補足: 本人の前世については事情が違う。枕元に立った霊が「お前の前世は〇〇であ~る(たいてい有名人)」と名を囁く場合はかなり怪しい。高次霊は地上で生きている人間の名に関心がないし、そもそも地上の音声で表現することができない。だから名を伝えて来る者はいたずら目的の低級霊(地上に近い浮遊霊)である可能性が高いと思う。ただ本人が自分の記憶の中で、呼びかけられる名を聞いてそれが自分の名だと認識することはあるかな。私は名を一切記憶していなかったのだけど、記憶の程度は人によるかもしれない。
【関連記事】夢枕で有名な名を告げられた時の判断

まあフィクションか事実の体験か分からないけれども、全体にお高くとまっていない文章が良かった。
久々に古典的な霊能者の体験談を楽しく読むことができた。
冝保愛子さんなどを思い出したな。

祭りのレビューほど信頼できないものはない


ところがこの本、アマゾンのレビューを見ると残念ながら酷評。
 ⇒松原アマゾンレビュー
批判には2ちゃんねる臭が漂う。ははあ、祭りの結果であるか。工作員だらけ。信用ならないレビューだな。

このレビューを見て、何が起きたのだろうと興味が湧きネット検索してみたところ、たくさんの人々が彼女の「震災予言」が真実かどうか議論していることを知った。

この議論が面白い。
否定論者も、ただ単に「予言とか絶対あり得ない、科学的じゃない!」と一つ覚えのヒステリックな批判に終始しているわけではなくて真面目に真偽を検証しようとしているので面白かった。

ただ、「真面目」と言ってもやはり「インチキ」と言いたいだけの結論ありきだったり、システム的な知識がなくて勘違いしている人も多いのは残念。

否定論者はざっとこの二種に分かれる。
●否定論者の説その1: 松原照子は、3月12日以降にブログ改ざんして予言記事を上げた
●否定論者の説その2: プロによって「その1」説が否定され、どうやら3月11日に予言記事がUPされたのは事実らしいと気付いた人たちが、「松原照子は科学者で地震予知システムを特許申請していた」と言い出した

「その1」の人たちはあまり知識がないらしく、「ウェブ魚拓に3月11日の記事がない。だからブログを改ざん・捏造したんだ!」とそれが決定的な証拠であるかのように主張している人もいる。
(彼らはどうやら「ウェブ魚拓」にはインターネット上のサイトの全てのページが自動登録されていると勘違いしているらしく、記録されていない日付のところは本人が削除したのだと思っている。笑)
そんなの3月11日時点で注目されていないから誰も保存していないだけ、当たり前。ネット初心者か。

また記録上、記事のカテゴリー変更や構築し直しを「改ざんの証拠」で「捏造」だと主張している人も多いが、カテゴリー変更は捏造には当たらない。
こちら非常に参考になります:参考になった記事
※ <世見> 2011/2/16日の書き込みの文章は改ざんはないようです。
当時、松原照子さんの世見をコピーペーストしていたサイトがあり
2月16日の書き込みを2月の27日にコピーペーストをしていた記事がありました。
照らし合わせると、文章と日付の改ざんはありませんでした
しかし、カテゴリーは「世見」だけでしたので、やはり「地震・自然災害」のカテゴリーは2011年3月11日に
作成して、記事を目立つようにされたようです。
よって、当時当方も世見ぺーじのサーバー最終更新時刻をジャバスクリプトで見た時に
3月11日になっていたのは、カテゴリーを新しく追加した更新記録時間だったようです。


ちなみに転載していたブログの魚拓はこちら(魚拓には18禁広告あり、注意)。⇒http://megalodon.jp/2011-0326-2038-11/ameblo.jp/kinkonkan1107/archive4-201102.html
魚拓日が3月26日なので確実な証明とはならないが、さすがに26日の時点で他ブログを装ってまで手を回すのは難しいかな。
(上記は2008年から始まるブログで、こう装うことも不可能ではないけれどもコメントを含めて日時の整合性を合わせなければならないことを考えると、偽装は考えにくい)

アメブロのアーカイブで最も早いログは2011年4月2日で、魚拓より少し遅れている。
インターネットアーカイブはアクセス集中した日でなければ保存されないからね。使えないなあ。
(誰かがアメブロを見つけて魚拓保存。→掲示板貼り付け。→4月2日頃アクセス集中、という流れが読める)

大元である松原照子さんURLの、記事アップした2月時点のネットアーカイブが残っていれば確実なのだが残念ながらそれはなし、と。
証明不能か。

ただこの証拠だけでも、「どうやら捏造はされていない」という判断のほうが有力と思う。

こういう証拠が残っているために、徐々に「その1」の分が悪くなってきた模様。
すると急に浮上するのが、
「松原照子は地震予測システムの特許を申請していた」
という説。その特許で地震予測しただけだ、と言うのだが。

うーん??
発明したのだとすれば、それはそれで凄いことだけどね。

特許に関してはこちらのブログが詳しい。
『松原照子さん、嘘だったんだよね』 http://kayskayomura.com/node/39

上のブログ主さんによれば特許出願はこれ、か……。 ⇒http://www.patentjp.com/12/O/O100798/DA10002.html
て、あれ? これはどう見ても地震予測のための機械ではないよな。バーナって(笑)。
地震予測はこっちだろうな。特許庁の検索システムはリンク不可なので番号にて。
【公開番号】特開2000-131449(P2000-131449A)

なるほど。この発明を使って地震予測したのかな。だとすれば霊能などではなく「機械で予測しました」と言えばいいのに。そのほうが遥かに有益だし稼げるはず。
(それにしてもこんな方法を発明したのなら、その後の彼女の地震予知精度が低いのは何故? 機械だったらあり得ないが)

この特許出願している方が同姓同名の他人ではなく本人である、ということの裏は取れているのだろうか。
「特許を取った出願した科学者」の女性が著者本人であるとの確証はないにも関わらず、本人だと断定して語っているのは法的にちょっとまずい。

それと上のブログ主さん、コメントで書き込まれた「松原氏は地震だけではなく、トンネル事故や中国列車事故も当てた」という事例に関しては完全にスルーしている。
詐欺師を糾弾したいなら詐欺を立証するために都合の悪い事例をスルーしては絶対に駄目でしょう。
目の前で語られた事例さえも無視する『ホンマでっか!?TV』の学者たちと同じになってしまう。

もし本当に詐欺の指摘をしたいのであれば、論理が脆弱過ぎる。証拠がないのは痛い。
裏も取れないのに人を犯罪者呼ばわりしては、むしろ糾弾した側のほうが名誉毀損罪で逮捕される可能性がある
松原氏の発言が嘘だということを証明できなければ免責もされないので、刑罰を受けることになるよ。

そもそも刑法上の詐欺を立証するのも、松原氏の場合では難しい。
いったい松原照子氏は、契約上のどの箇所について欺罔をはたらいたのか? 
「霊視」が嘘であることか。だとするなら、「霊視」が嘘であることを完全立証しなければならないが、立証できるのか?

ブログ主さん曰く
>ただ僕は詐欺に関する法律を調べたことがあるんだけど、人の誤解を訂正しないこともやっぱり詐欺なんだよね。

ん。これは気になるご発言。
本当に刑法を調べたことがおありなのだろうか?(調べたけどよく分からなかったのだろうな)

まず詐欺罪を構成する要件には、大前提として「資産価値のある財物を騙し取られた」等という事実が必要。その事実がない限りは成立しない。

もちろんネット上で嘘をついたとしても詐欺罪は成立しない。(嘘の結果としてどこかの店等が休業や閉鎖に追い込まれたら、威力業務妨害など他の罪となる)

まして、「人の誤解を訂正しないこと」だけでは詐欺罪は構成されない。
「誤解を訂正しないだけで犯罪者」などと言えば、世の中のありとあらゆる誤解について、誤解された側の人が逮捕されることになってしまう。
と言うか普通、誤解されている側は被害者のはずだけどね。

本の印税で稼いだり有料サイトを運営すること自体は、一般的な営利活動であり違法でも何でもないしな。
不当に高い鑑定料を払った被害者がいるというのであれば、不当利得ということで返還請求するか。
しかし「正当な料金」が霊視には無きに等しいので難しい。
「買わなければ死ぬと脅迫され数百万円の壺を売りつけられた」、という話なら脅迫罪が成立する可能性はある。
そのような脅迫がなく、依頼者合意のもと、たかだか一万円の鑑定料を払っただけで「詐欺罪」を立件するのは不可能だな。

今のところ否定論者のほうが頭が悪い。でも全面的に信じるのもな


……等々

ネット上を漁って眺めてみた限りでは、否定論者のほうが筋が通っておらず分が悪い印象。
雑感としては、松原照子氏は事実として2011年3月11日の震災を予言したらしいということ。
だからと言って彼女の言うことが全て正しいわけではないから、鵜呑みにしないほうがいい。

誤解されると困るのだが、私は松原氏の擁護をしている者ではない。
ただ上の否定論者のような明らかな間違いに基づく決めつけを見ると指摘したくなる本能を持つだけ。

たとえ本物の予言者であっても100%予言的中することはないし、まして彼女は予知能力者として能力が高いほうではないらしいので、信じて右往左往しては駄目だと思う。
あと、彼女自身の人格が高いかどうかも不明。
能力があることと人格とはさほど関係がない。
たとえ能力者であっても彼女が欲に走り、宗教団体を作り出したら憲法上アンタッチャブルとなってしまうから、洗脳には気を付けておいて欲しい。

だいたい霊感商法で刑罰を科すのは不可能に近い。
今まで逮捕された霊能者は、「脅迫罪」や「暴行罪」や「殺人罪」を犯しているから。でも、そこまでされたら終わりでしょう。
だから近付く前に注意しないとね。

少なくとも松原氏の話で、法人設立?の件は怪しい匂いがするので、出資などすべきではないことは言うまでもない。
「著作権侵害」については、もしそれが本当であるのなら立証可能だと思うし、罪に問うことが可能な犯罪だ。
被害者の方は弁護士に相談してみては。著作権侵害の証拠を裁判所に提出することができるなら、の話だが。

あと松原氏を罪に問える可能性としては、威力業務妨害罪くらいだね。
占星術のマンデーンもそうだが、この罪で逮捕される可能性があるので予知・予測などは大々的にやるべきではない。
有料化して一部の人だけが見られるようにしているのは、むしろ妥当。

※補足:
 「ブログの有料化」について、月数百円くらいなら妥当だと思うが、後で高額セミナーに誘う手法などもあるため入会はお奨めしない。近付かないのが無難ではある


まとめ


霊能者と呼ばれる人たちの話が真実か嘘か。
肯定派も否定派も、どちらも鵜呑みにしてはいけないなと思った。
フェイクニュースが多い昨今、証拠が提示されないならデマであると考えて眺めるのが正しいと思う。
2020年の事件のように大手メディアが「デマデマ」叫んだからといってほんとうにデマなのではない。左翼メディアや左翼工作員に事実を認定する権利はない、公式の裁判等で検証すべきこと)

私の話も含め、ね。「精神病者だ」「妄想だ」と一つ覚えでヒステリックな否定をするだけではなく、ちゃんと頭で考えて欲しい。万能の「妄想」呼ばわりで否定する癖をつけると、脳が退化する。

私は彼女を追いかけてウォッチするほど暇ではないのでここで終わりとしたいが、考察することを愉しめたのは感謝。

Share:

現世での成功は果たして、最善の選択か? 魂の目的と肉体の欲求との違い


 前記事ではまた成功哲学セミナーへ通う人へ嫌味を言ってしまい、すみません。騙されて欲しくないんです。

これは笑い話だが。なんと私をセミナーに勧誘して来る猛者もいます。
曰く、
「現状に不満なら私のセミナーに来てください!」
だそうです。

よくまあ、私などを勧誘するよな、とその勇気にむしろ感心する。相手を知らないにも程がある。

それにしても、彼らの言うところの「現状に不満」な人とは100%「貧乏」という意味だろう。
貧乏な人を騙して金をむしり取って、自分だけ成功者の顔をして「自称セレブ生活」にあぐらをかいて恥ずかしくないのか。
まあ、弱者から金を獲る人の脳に「恥」という言葉は記憶されていないか……。憐れ。


私もこういう、『ご愛読に感謝。真面目に生きたいです 』のような現状を吐露する記事を書くからいけないのですが。

上の記事を読めば私が現状に不満を持っていると誤解されても仕方がないと思います。

確かに私が現世的な意味で「成功者」ではなく、現状として金持ちではないのは事実です。
家族と自分の肉体を養うことに不安があるのも事実。
(現在は食べることで困っていませんが、将来を考えれば悩みが多い)

それと私が絶望感を覚えているのは、現世で計画した仕事などの目標が全て断たれてしまうことでしょうか。
目標が叶う寸前に、あからさまな見えない存在からの阻止を受けて断念させられてしまう。
※図々しいかもしれないが、火事を起こされたエドガー・ケーシーが受けたような阻止に似ている。実力行使で、あからさま過ぎる

このように阻止されることは現世の自分的には「絶望」なのだけど、生まれてきた目的に照らせばきっと正しい人生を歩んでいるのだろうと感じています。

何度も書いてきた通り、私はこの世に自分の人生を叶えるために生まれて来たわけではないと記憶しています。
冷静に自分のホロスコープを見ても「まともに生きられる図ではない」と述べるのが妥当。あれを見れば現状、こうして自由に動ける身であることが奇跡であると思うくらいです。
だから現世的な、人としての「成功」や「肉体的幸福」くらい阻止されて当然だと思っています。
仕事上の目標は私にとって必要のない寄り道に過ぎず、むしろ邪魔になるのだと考えればアドバイザー霊が阻止するのは親切でしょう。

ただ、食べられなくなるのは困りますが。
「現世で肉体維持できなければ本来の目的も果たすことができないのですよ」
ということだけ、現世事情に疎いアドバイザーさんたちに注意しておきたいですね。(笑)
あと十数年ほどの生存が可能なくらいの金はください、と願っています。


現代では受け入れられづらい本当のことを言えば、
現世で生きる肉体の欲求と魂の目的には食い違いがあります

たいてい肉体は
「金が欲しい」
「有名になりたい、チヤホヤされたい」
という欲望だけを求めます。
肉体は苦しみを全て避けたいし、仕事せずに遊んで暮らしたいと思っている。

現代人はそんな肉体の欲望ばかりに耳を傾ける人が多く、そのような人たちが信奉するのが「成功哲学」や「引き寄せの法則」です。

肉体の声に従った場合は、「金」「名誉」という欲望の成就だけを「成功」と考えるでしょう。
事実、肉体の奴隷と化した現代人が崇めるのは「金」「名誉」を手にするという成功です。それが現代人の呼ぶ「夢」という誤解。

でも本来の我々が生きる目的とは、魂が抱いている計画のことだけを指します。

魂の目的はたいてい肉体にとって辛いことばかり。
貧しさに喘いだり、病に苦しんだりする人生がほとんどです。

苦しみを嘆くのは肉体。
本来はその体験こそ生まれる前に魂が求めたものです。
苦しみだけが魂を磨き、それが永遠の財産になるのだと気付けば、現世で安楽ばかり求めるのは愚かなことだと理解するのではないでしょうか?

あえて魂の計画にない苦しみまで求めるのは間違っていますが(わざわざ必要のない修行をするのはお奨めしない)、金や名誉ばかりを求めるのは自分の魂を衰えさせ、本当の意味の財産を失うことだと分かっていたほうが良いです。


繰り返しますが、本来の計画にないのに「引き寄せ法則」などで金や名誉だけの成功を得ることは、負債を負うことになります。
魂の計画上、今世で金持ちや有名人の立場を経験するために生まれて来た人は別です)

だから、現世で成功者となることは最善の選択だとは言えないはずです。
肉体の欲望ばかり追求するのは決して「悪」ではありませんが、自分が転がり落ちる道であり、遠回りとなるため結果的にはなおさら苦しみます。

 参考: 風水に中毒し過ぎてはならない理由

もしも肉体の欲望だけを充たす道を阻止されたのなら、自分には強力な助っ人(守護霊)がついていて転がり落ちるのを防いでくれたのだ、と思ってください。
あなたの守護霊は、本当にあなたのためを思っています。優しくて親切です。
むしろ軽々しく金を与えるような守護霊はあなたを見放しており、冷淡なのだと言えます。

苦難を体験できる人生を感謝したいですね。
なかなか苦しい時は感謝するのが難しいけど(私もそう)、魂レベルの本心では苦難こそ有り難いのだと分かっているはずです。


――このようなことは昔の人類なら本能的に分かっていて、慎ましく苦難を受け取ったもの。
現代人は浅ましく欲望を貪って良いと思っている。
何故、そんなに成功したいのか? 何故、そんなに貪りたいのか? 自分の胸に問うて欲しい。
少しは「恥」という言葉を学んで慎みを覚えたほうがいい。 

 

Share:

新着

アーカイブ

もっと見る

Blog Archive