「平成の孔明」鈴木星翔さんの宿占い(無料版)。結果 /参考記事など追加

 このオンライン占い、面白かったです。

⇒平成の諸葛孔明こと、鈴木星翔氏の宿曜占い
https://web.archive.org/web/20100418163015/http://www.nifty.com/taisei_zap/index.html(閉鎖のためアーカイブ)

天才軍師の玄孫に弟子入りした「平成の諸葛亮孔明」が、あなたの人生を占います! 最終的には必ず成功する、という秘策を持って、あなたの明日を占います。明日はどんな事が起こるでしょうか?

その“天才軍師”が誰なのか気になるし(清帝国の参謀ですか?)、玄孫さんも気になって仕方ない。
もしその人が占い師なのだとしたら、「軍師」という言葉を正しく使われていない可能性もあるねえ。用語は正しく使っていただきたいな。

【現実知識(別館)】 軍師とは何か

【質問回答】 どうやって占いを戦争で使ったんですか? (作戦家は占い師とイコールではないという話)


それと個人的事情にて、「平成の諸葛孔明からの助言」という文言にどうしても引っ掛かる。
孔明先生、助言ありがとうございます。笑

嫌味はこのへんでやめて。オンライン占いとしては当たっているほうで面白かったです。

参考までに引用しておきます。

何かのゲームキャラのグラフに見えるね、これ…


筆者の結果。

決断力:87
行動力:69
智恵力:95
魅力:76
対人力:88
財力:85

【一部無料の人生鑑定より人格評価】とても世話好きな人物です。温厚で気取りがなく、飾らない素朴さが魅力です。表に立つことはあまり好まず、どちらかというと縁の下の力持ちとしての役割を引き受けるでしょう。だからといって人の顔色をうかがったり、媚びたりすることはなく、どこかひょうひょうとしています。普段は目立たない存在ですが、本質的には参謀型……

おー。
智力が高いですね。
まるでゲームで見る某人物の戦闘力グラフのよう。笑

行動力と魅力が低めで、笑った。
まあそんなものでしょう。

財力が意外に高めですね。確かに壁宿だとそのように解釈するのが正しいのですが、現状はいまいち反映されていないかな。

壁宿の皆さん、いかがです?
同じ宿だと全員同じ値が出るようになっているのかな。


運勢解釈はメッセージのようだった


無論、私も占星術サイトで宿曜のページを持っているので解釈は知っていますが、同じ解釈でも表現次第で上等・下等と分かれます。鈴木先生は、表現のしかたがお上手で的確だと思いました。

個人的には下に表示された『明日の運勢』が現状へのメッセージのように感じられ、参考になりました。

【平成の諸葛亮孔明が無料で占う】明日のあなたの運勢と実際に起こる事

明日、Kさんは新しいチャンスをいろいろと与えられることになります。それに対してあなたは、少し躊躇(ちゅうちょ)した気持ちを抱えてしまいます。「自分なんかに無理では?」、「新しいことをやるのは怖い」などの弱気な部分を顔が見せるからです。しかしそれなら、自分の現状のことを考えてみましょう。Kさんは自分の現状に満足していますか? 「今いる場所ではないところにいきたい」と考えていると思います。あなたは昔、「自分がなりたかった自分」になれていないのです。それなら目の前のチャンスには、チャレンジをするべきなのです。万が一失敗をしてもいいではないですか。やり直せない出来事も、やり直せない年齢も存在しません。そのようなものは社会の常識が作った幻想です。明日は自分をちょっとだけレボリューションしてみましょう。毎日のちょっとの挑戦が、未来の驚くべき奇跡へとつながっていくのですから。


>あなたは、少し躊躇(ちゅうちょ)した気持ちを抱えてしまいます。
>「自分なんかに無理では?」

ここの箇所は、まるで前記事で私が書いたことへのオーディエンスからのメッセージのようです。
“明日”と言うよりは近未来でしょう。

>あなたは昔、「自分がなりたかった自分」になれていない

なりたかった自分って、何だろうなあと考えてみました。
少なくとも羽を持ったりするのは「なりたかった自分」では無いですよ! 絶対に!笑

本音を言えば普通に暮らしたかったですね。
いわゆる昔で言うところの「中流家庭」をつくり、平凡を堪能して生きていく。そんな人生に憧れていた。子供も二人は欲しかったな…。

>やり直せない出来事も、やり直せない年齢も存在しません。そのようなものは社会の常識が作った幻想

まあ年齢で絶対的に無理なこともありますよね。今から「普通の」家庭をつくるのは不可能です、物理的にも。
夢を叶えるのはまた、来世に持ち越しとなるかな。(他の星へ行ったりして)

とにかくも前半部分はシンクロのメッセージとして受け取っておきます。

 


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初めて「自分スゲー」と思った話(ただし過去形)。皆が思う頭の良さ、って何なの?


 〔常体記事です〕

三国志フィクションの感想を聴いて色々思った


最近、上司がGyaoで配信している『三国志TK』にはまり毎日のように感想を言ってくるので、面白いけど内心動揺することが多い。

この間は、ちょうど赤壁のフィクション全開のあたりを観ていたようで、少し興奮気味に
「孔明って奴は凄いな!! 一回聞いただけで長文を暗記してスラスラ言うんだ。あれって本当なのか?」
と言ってきた。

なんだその阿呆設定…… と内心笑っていたのだが、初心者さんに無粋なことは言えず。
「本当のわけないでしょう。頼むから、“あれって本当”とか聞かないでくださいな。三国志フィクションで史実のことはあまり無いから。特に、赤壁あたりの孔明の設定は」
と答えておいたのだけど、相変わらず翌日からも「あれって本当!?」攻撃がやまなかった。笑

(マニアックな話は略)

【今のところの関連記事】 史実の孔明についてマニアの意見。 孔明ファンそして孔明本人を勇気づける、かもしれないネット書き込み

以下本題。


記憶力の高さを「頭の良さ」と定義する価値観、浅過ぎるでしょう


上司のエピソードで考えたのは、「皆が思う頭の良さって何なんだろうか?」ということだった。

『三国志TK』で諸葛孔明が賢いということを表現するのに、長文を一瞬見ただけで覚え、滔々と語るなどという設定を用意する。

え、ただ長文を記憶するだけで賢い?
それって表現としても、価値観としても浅くないか!? …と思って脱力してしまった。

日本の漫画家や小説家などは、こんな設定は恥ずかしいから避けるだろう。
たとえばノースコリア工作員の、フォトリーディング(写真のように文書を記憶する)技能習得者として描くならまだしも。
あるいは、サヴァン症候群など障碍を持つ方の特殊な才能として表現するなら現実的で、避けられない設定でもある。たとえば『レインマン』、『ATARU』等。

逆に言えば、特殊訓練・もしくはサヴァンという前提が無い限りは非現実的となってストーリーに齟齬が生じるので、現代のフィクションでは禁忌と思う。

大昔の『三國演義』(14世紀頃、明の時代)にそういう設定があるのだろうから仕方ない……と思ってみたのだが、問題はあれが2010年の現代創作として放送されたことだ。
例の国の「賢さ」という基準、大丈夫か? と心配になった。

さらに私の上司のように単純に「スゴイ!」と思ってしまう日本人がいることも心配になる。
彼は本気で記憶力が良いだけの人を「賢い」と呼んで崇めるようなタイプではないのだが(単純に特殊技能としてスゲーと思っただけ)、一般日本人でただ記憶力だけを崇める人が多いだろうと想像した。

中華で言えば科挙の弊害、日本もかつての詰め込み教育・受験戦争の弊害から抜け切れていないと思った。

〔追記〕
ちなみに三国時代には「一瞬見ただけの長文を暗記してスラスラ再生する」人も実在したし、速読できる人も実在した。それは確かに凄い特殊技能で称賛されるべきだったが、ただその特殊技能だけで引き立てられたり史書で称賛されることはなかったようだ。


自分の場合


一応ここは私のプライベートブログなので自分語りをしておく。

きっと孔明自身もそうだったろうが、幼い頃に「頭イイ」とチヤホヤされた私・吉野も、上のフィクション孔明のようなフォトリーディングはできない。
だって、ノースコリアで特殊訓練を受けたことはないのでね。
フラッシュ暗算もできない。その種の塾に通ったことは無いし。

それでも「賢い子」とチヤホヤされたのが何故なのか、はっきりした理由は分からない。
(今となっては幼い頃さえまるで前世のよう)

ただ、他記事の繰り返しになるが、アイディアがあることはよく褒められたな。「君には何でも工夫がある」と言われた。特許を目指すほどの発明はしないが、笑。実用新案くらいは日常。
それと、「理解力が高い」とは頻繁に言われた。確かにポイントを掴むことが得意だった。
文書などを正確に記憶する必要は無いと思っていたので、長文の暗記などをやろうと思ったことは無い。と言うか、そもそも私は暗記じたいに興味が無い。

いつも書いている通り
「暗記などノートかPCに任せておけば充分だろ。必要なら後で調べればよろし」
そう考えるタイプなので、細部の単語記憶が荒い――適当なことは自分で欠点と思う。
だから、受験戦争を経た人たちからは「山川も読んでいないのか」と責められるほど記憶の穴が多いはず。

それでも記憶力が低いかと言うとたぶんそうでもなく、勉強は授業で一回聞けば充分、懸命に学習した覚えが無くてもテストになれば回答が浮かんで来た。
だから、よほど重要な試験(受験など)でない限り、家で予習・復習したことはない。中学以降は家に教科書を持って帰らなかった。

こういうことを書くと子供たちが「それでいいんだ」と思ってしまって勉強をおろそかにする可能性がある。親御さんたちからクレームが来そうなのでここでも改めて注意しておくと、態度だけ真似しても駄目だからね。
家へ教科書を持って帰らない、復習しないなどの態度だけ真似していると本当にただ勉強できないだけの人になるから注意。笑

ポイントを掴むこと。
骨格を理解して重要度を判断することが、まず大事。

諸葛亮の記録で
「テキストを一回読んだ限りで後で読み返すこともしなかった」
とはアンチが誹謗中傷しているように、「孔明は勉強嫌いで勉強しなかったんだ」という意味ではないし、一回読んでテキストを全て覚えたわけでもない。
そう言う人はよほど勉強ができないのだろうなと想像する。
「テキストざっと一読」の勉強法で充分という感覚は確かに、同じタイプでなければ分からないことかもしれない。

意外に自分はスゴイのかも、と知った件(過去形)


私も諸葛亮も、たぶん『ギフテッド』の定義に当てはまるほうのタイプなのだろうな、とは最近気付いた話。

・記憶よりも推測、分析、アイディアに興味を持つ
・学校で優等生というよりは突飛で孤独を好む
・授業は真面目に聞かない、退屈してしまう

というあたりが完全に当てはまる。
あとは、「自分の能力を隠しがち」との定義が胸に突き刺さるな。もし同じギフテッドの人が読んでいたら必ず目に涙が浮かんでしまう箇所だろう。

だいたい私がこういう話を始めたのも人生を半分以上過ぎて、今からなら逃げ切れると思ったため。日本では、前世などの電波な話よりも「自分は勉強ができた」というカミングアウトのほうが社会生活に支障が出る。
ここ数年の私はようやく、人生残り少ないから何でも書こうキャンペーン開始という感じだ。


もう一つ、恥ずかしながら最近ようやく知ったこと――かつての自分の偏差値。

私は子供時代、偏差値というものに全く興味が無かったため、自分の偏差値を知らないまま生きてきた。
こう言うとよく驚かれるのだが、そもそも自分の望み通りの学校を受験できる可能性がゼロだったのだから、知る必要のない情報だった。

ただ高校受験の頃に教師から
「あなたの偏差値だと学区内の全ての高校に、余裕で入れます」
と言われたことだけ覚えている。
(でも金が無かったので、交通費がかからない範囲の学校ということで自動的に決まった。選択肢は初めから無かった)

最近になって検索し調べてみたところ、当時の自分の学区内(公立学校)で最も難関だった学校の偏差値は70。
「余裕」と言われたということは、70を少し超えていたのか…? 60くらいだと思っていた。
ふむ。
周りからは当時さんざん言われたが、確かに大人目線だともったいなかったのだな。

実は当時、ほとんど勉強していなかった。
それどころか目立つことの恐怖がピークとなっていた時期。だから中学の三年間は特に成績コントロールに必死だった。
テストでも適宜(わざと)回答を間違えていたし、授業もほとんど内職をして聞かないよう心掛けていた。
最重要なテストの時だけ少し勉強したのだが、あとは今振り返っても教育内容の記憶が無いくらい学業を放棄していた。
それで偏差値70が取れたのは、なかなかだったのでは? 自分で言うのも痛いが初めて「スゴイのかも」と思った。

もし本気になっていたら、そして学校へ行く金があったなら、行きたい世界へ行けたのだろう……社会のお役にも立てていたのだろう。
今さらながら悔いている。

もちろん全て過去形
こんなことは、過去にスポーツ万能だった人が「オリンピック選手になれたかも」と思うのと同じようなもの。結果が無いのだから何の意味もない。
こんな今の自分でも認めてくれる人たちには感謝している。


才能を求めるのは構わないが、本質を見極めて欲しい


最初のテーマに戻る。

記憶力だけが良い人を「頭イイ」と定義する価値観は浅過ぎて、お話にならない。
そのような価値観の人々と私は絶対に話が合わない。話をする時間が無駄。
その浅い価値観に基づき、マウントを取ろうと絡んでくる人たちも未だに後を絶たないが、本当にいい加減うっとおしいからやめて欲しい。無視して良いかな?

偏差値で判断することもそれと同様、浅いとは思う。
そもそも学校の成績が良い=頭イイ とは限らない。
ただ今回調べて知った偏差値は、自分が学業をがんばらずに獲得していた値なので「ポイントを掴むのがうまい」という基礎能力を表していたとは言える。この場合はたぶん、個性の表れでもある。

私はそんな自分を分かってくれる少数の人さえいればいい、と思っている。
死ぬまでに世間の人々全員から理解してもらえるなどと期待していない。


しかし今は少しずつギフテッドの話なども語られるようになったから、若い子たちの未来は明るいのでは。

これからの未来、もし私のようなタイプの子を理解し認める人がいたとするなら、そういう人は世間一般の「頭の良さ」などという基準を持っていないはずだ。
本質だけを見て、何が重要か・どのような素質がどこで役に立つのかを考えている。
社会を良くしていくのはそのような価値観を持つ人々だろう。

日本も含めて中華も、東アジアの人たちは上のような浅薄な設定を信じるのをやめて、そろそろ本当の価値基準に目覚めたらどうだろうか?
高い才能を求めるのは別に構わないのだが、記憶力や計算力などではなく本質を見ることが必要だ。

【関連記事】
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グランドクインタイル(五芒星形アスペクト)はどう解釈する? 他、占星術以外の五芒星シンボルの意味

 


 占星術の話。
複合アスペクトであるクインタイル/キンタイルについてご質問をいただきました。ありがとうございます。

✔はじめに注意喚起。
某カルト団体が五芒星や太陽など自然界の全てのシンボルへ「悪魔」のレッテルを貼り攻撃対象としています。この者たちの攻撃に注意してください。また、このようなカルト宗教を信じてついていかないでください。
【参照】 陰謀論カルトに気を付けて。都市伝説に仕掛けられた罠



ご質問の内容


役立つ話としてメールから引用させていただきますが、個人情報を伏せるためこちらで質問文を作ります。

Q.クインタイルは創造性を表すアスペクトですが、「五芒星(グランドクインタイル)になると守りの作用を持つ」という話が不思議です。知人にグランドクインタイルの一つ欠け(四つ角)のネイタルを持つ人がいて、その人は守られていないハードな人生を送っています。

はい。回答は後に。
以下は個人情報に関わらないと思うので引用。
それで何度か五芒星について調べたのですよ。
ただグランドセクスタイルってネットで検索するとかなりのサイトが出てくるのですが、ホームベースではない五芒星(グランドクインタイル)って検索しても詳しい情報ってそんなにないんです。(略)
ですから今のところ、五芒星を取り上げてきちんと説明しているのは、先生の鍵付きホロスコープブログぐらいではないかな?と思うくらいです。笑

先生は五芒星と縁深いですし、掘り下げた見解を勉強させてもらえたら幸いです。


>五芒星を取り上げてきちんと説明しているのは、先生の鍵付きホロスコープブログぐらい

そうなんですか。私のアスペクトは正五芒星ではないのでちょっと違うかもしれませんが…。笑

実は私も、今まで六芒星・五芒星の意味について書きたいとは思っていました。占星術に限定せずシンボルとしても興味深いテーマです。
しかしなにしろ「五芒星・六芒星は悪魔教シンボル」などと叫ぶ危険なカルト宗教団体がネット上を跋扈していたから、書けなかったのです。最近は信者も減ってきたようだから※警戒を解いて書きますが。また危険な情勢になったらここにも鍵をかけることにします。
※「信者が減った」のではなく宗教団体として先鋭化したため拡散されなくなってきただけらしい。本格的な「信者」は増えているとのこと。冒頭リンク参照

(五芒星と六芒星は、古代から「神秘」「天使」や神々の奇跡を表す最大吉のシンボルとして知られています。植物の形状・惑星の軌道など、宇宙法則でも頻繁に表れてくる形状であることが、真理に関わる証。
あれらを「悪魔のシンボル」などと呼ぶのは、善悪を反転させて暴力を貪り、世界を破壊したいと望んでいる者たち。さてさて…、宇宙法則に適った者と宇宙法則を呪う者、どちらが悪魔だと思いますか?

複合アスペクトは事例自体が少ないため、実際どういう人生結果となるのか検証されていないのだと思います。
私自身は、今のところ鑑定をしていて正五芒星を見たことはありませんね。歴史人物などでご存知でしょうか?

六芒星(グランドセクスタイル)も「奇跡」と呼ばれているくらいですから、たぶん体現した人は少ないのでしょう。
おそらくこれらは現実に発生はするものの、巨大なエネルギーを持つだけに実人生で活かすことが難しいのではないかと想像します。
たとえば六芒星は現実化してしまうと良くも悪くも、嵐の中に放り投げられ回されている感覚になります。本人は「嵐の中心にいるようで何がなんだか分からない」状態。けっこう大変です。




五芒星アスペクト、プロの解釈


いつも通り、私の考えを書くより先にプロの解釈を書いておきます。お馴染み、松村潔氏の解釈を引用。ハーモニックの説明は省きます。
(…は略、青地・太字は当ブログ筆者による)

…このハーモニック図の中では、ハーモニック・ナンバー5の図が、キンタイル(クインタイル)に対応します。…
ハーモニックナンバー5の図は、個人の生命力、活動衝動、人生に対する種つけ衝動、子供的な遊び心の爆発などを意味します。…

安倍晴明のセーマンに限らず、世の中には五角形の図形が非常に頻繁に出てきます。これは異物を廃して、個人としての人間性を防衛し、純粋な個人としての可能性を拡張する図形です。人のことに構う気はなく、単独の個人としての夢を広げるのです。
たとえば、牡羊座0度の春分点を起点にしてキンタイルのアスペクトを作ると、その先は獅子座の12・00度になります。獅子座の12・00度は、表現の揺れやダイナミックさ、受ける脚色をするという意味です。さらに、体に埋め込まれた資質の発芽を示す、牡牛座の0度を起点にしてキンタイルのアスペクトを作り出すと、その先は乙女座の12・00度になります。乙女座の12・00度は、個人の資質の力強さで状況の混乱を抑え、個人の力のすごさを派手に見せつける度数です。また、すべてのサインの12・00~12・99度は、スタンドプレーやちょっとした危険を楽しむ度数になっています。そこから、キンタイルのアスペクトをスタンドプレー、個人の可能性の強力な押しと考えてもよいでしょう。この解釈だと、ハーモニック5の意味と同一です。
『完全マスター西洋占星術』P298-299


いかが?
太字の箇所など、知人の方の生き方にもきっと通じるところがあるはず。

「スタンドプレー」と表現するのは少し偏見強めですよね。松村氏は個性の強い人が苦手で時々悪口めいたことを書くのです、笑。五芒星持ちの方は気分を害されませんように。
ここは
「雑音など意に介さず、ぶれずに自分の想いを貫く。我が道を行く」
という堂々たる態度と考えれば正しいでしょう。
個性を貫けるのでアーティストに多いと言われているのかも。

アスペクトは性格ではなく活動力とその性質を表しますから、魂の人格(ASC他)によって良く出る場合と悪く出る場合とあります。

ただ、この複合アスペクトの持主は、我が道を行き過ぎて他人と歩調を合わせようとしない点で共通しているはず。そのために周囲とトラブルを起こしやすいかもしれません。
そんな理由からも組織を抜けて独立し、独特の生き方をしやすい。
知人の方も他者のアスペクトで四つ角の欠けが補われたら、おそらくそんな生き方が増すのでしょう。


筆者の場合。「封印」と言っている事情


私が自分のネイタル・アスペクトを「封印」と称しているのは若干の自虐もありまして……。
守られているのと同時に“身動きできない人生”であることを表現しています。

実際、クインタイルではなくヨッドが主の変形五芒星なので、創造性とは無縁なのでしょう。縛り付けられたように身動きができない状態です。
(ヨッドは惑星の動きを縛り付けた緊張状態、張りつめた矢に似ている)
これが多重なのでまさに「封印」状態と言えるでしょう。
おそらく本当に封印されているのでしょうが。

ただ、
「一切の余計なもの(魔)が廃され、個人性(私人としての生活)が守られている」
という意味ではクインタイルと同じと言えます。

あのアスペクトを「護符」と表現してくださったのは、当ブログの読者様です。
私がいつも「封印されている」と自虐していたために、「護符としても読めます」と仰ってくださった。
それで私も自虐してばかりではいけないなと気付き、以降「護符」と前向きに表現させていただくことにしました。

あとは私の場合、プログレスの守護もあると思います。
多数の事例で検証してはいませんが、三重円でプログレスのほうがトランジットより強く(遠い惑星で形成されたアスペクトがある)吉角で支援されている場合、トランジットの凶角が作用せずに現象として「守護を受けている・凪」状態となることがあるようです。
私の幼少期から今まではそんな感じ。
だからやはり全体的に自分は守られているのかなあ。と思っています。ありがたし。


世界で五芒星が護符として使われる理由


ここからは占星術ではなく古代幾何学・シンボル学の話。
古代シンボル学は当然のことながら占星術にも影響していると思われます。

古来、五芒星は護符として使われているシンボルです。
安倍晴明の五芒星は中華道教の五行図――のはずなのですが、何故か西洋魔術的な“護符”として使われている気がします。
日本という島国には遠く西の果てから直接に流れ着いた人々が多かったのかもしれません。


五芒星は
「守護」
「魔術」(※冒頭のイメージ図は魔法陣)
の意味があることから、魔術的な守りの技術が必要とされる「軍事」のシンボルとしてよく使われます。



五芒星を使った軍事施設として有名なのは、アメリカの国防省本庁舎ペンタゴン。
日本の五稜郭も有名ですね。984788_s.jpgACより。五稜郭を模したマンホール

これらは欧州の城が元となっており、守備に最も適した形状の建物だとされています。
※芒に当たる箇所に見張り兵を配置。これで死角なく、敵に攻撃された時も反撃しやすい。城として最も理にかなった形

そのように力学的に完璧な形であることからも、五芒星がお守りとして崇められ軍人が身に付けることが多かったのだと思います。

これは余談ですが、以前『八陣図』の記事でも書いた通り古代のシンボルは力を発揮しやすい形であるため、軍事から現代宇宙工学まで現実に活かすことができるのです。このようなことからも、古代シンボルを「悪魔」と呼んで破壊を叫ぶのは天に唾吐く行為だと分かるでしょう。


プラトン「アカデメイア」基礎の紋章


それから元々、西洋で五芒星が「魔術」として認識されていたのはプラトン幾何学によるところが大きいのではないでしょうか?
プラトンは自らが建てた大学校アカデメイアの門に
「幾何学を修めぬ者は、この門を潜ってはならない」
という宣言を掲げました。

プラトンが傾倒し、アカデメイアの教えの基礎ともなったのがピタゴラスの幾何学。
そのピタゴラス学派の紋章こそが五芒星だったとか。

https://seijimania.blog.fc2.com/blog-entry-57.html(リンク切れ)より引用。感銘を受けたので長め。
さて、プラトンはアカデメイア学園を開設する前、40歳頃、
イタリア、シケリア島、エジプトを遍歴しています。
その時に、イタリアのシケリア島でピタゴラス学派に影響を受け
のちに、アカデメイア学園に算術、幾何学、天文学といった研究を取り入れました。
特に幾何学を重視しており、学校の入り口の門には
「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」との額が掲げられていたといいます。

ピタゴラス学派とは、古代ギリシアにおいて哲学者のピタゴラスによって創設されたとされる
一種の秘密結社であり、数学、音楽、哲学の研究を重んじていました。

ピタゴラス自身も古代オリエント世界の各地を旅し、エジプトで幾何学と宗教の密儀を学び、
フェニキアで算術と比率、カルディア人から天文学を学んだといわれています。

ピタゴラス学派が宗教秘密結社と言われるのは、
古代ギリシャからあるオルペウス教の影響であり、
オルペウス教とは、魂と肉体の二元論、転生、輪廻からの最終解脱(終末論)を教義とし、
秘儀的な入信儀式や禁欲的道徳律を定めていました。
これはマニ教、ゾロアスター教や道教と同じく二元論が基礎となっています。

わたしが考えるには、プラトンはピタゴラスに影響を受けたものの
彼が重視したのは幾何学であった。
つまり、多面的であり立体的思想であった。

しかし、ピタゴラスは二元論にあまりにも集中してしまい、
宇宙のすべては人間の主観ではなく数の法則に従うのであり、
数字と計算によって解明できるという思想を確立してしまった。
そしてその思想は宗教的になってしまい、
彼の思想を否定する無理数を見つけてしまった教団のメンバーは
死刑になったほどだそうです。

ちなみに、ピタゴラス教団は、古代世界で最も著名な数学の研究機関となり、
この学派は当時信じられていた宇宙の五元素を示す、五芒星を紋章としたそうです。
「宇宙の全ては数から成り立つ」と宣言したピタゴラス。
多分、ユダヤ密教である「カバラ」はこういったところから
アイデアを受けたのだと思います。
また、陰謀論でよく言われる数字の関係も五芒星を悪魔に仕立てたのも
こうしたものがオカルト的に発展していったのだと思います。


六芒星と五芒星は、対極同士である


最後に六芒星と五芒星のシンボル学的な意味をまとめると、こうなります。
鍵付きの記事より転載。

六芒星 … 解放、拡散、活動
五芒星 … 集約、集中、凝縮


これどこで読んだのか忘れましたが、理に適っていると思ったので載せていました。結論に相応しいと思います。

六芒星はダブル・グランドトラインが基礎。
活動的で、「拡大・拡散」していく形ですので、必然的に多くの人に恩恵を与えます。無私の奉仕です。
良くも悪くも拡散力が絶大ですから、ネイタルにこの複合アスペクトを持つ人はスケールの大きな有名人ともなりやすいでしょう。

いっぽうの五芒星は、プラトンらが“完全な人間の形”と呼ぶように完成を表します。
外側に向かう力ではなく内側に向かう力のほうが強まるため、「集中・凝縮」を意味します。そのため護符となる。
また、五芒星は「永遠」を表すともされます。五芒星のなかに五芒星が生まれ… 永遠に続く。何ごとかを永遠へ固定する。
私がよく「永遠」「固定」と書いているのはこの辺りのシンボル学を意識しています。

この通り、六と五は正反対の極を表すシンボルです。
二極を経験した自分の人生においては、「始まり×終わり=永遠」を意味するのかな、と想像しています。

今は五のほうなので、多くの方へ影響を与える有名な人生とはならないでしょう。実際、なっていませんし。
その代わり、永遠のなかへ物語を固定するために生きていくことになるのかもしれません。

今のところの解釈は以上です。

〔この記事の画像はACよりお借りしています。再利用はできませんので、必要な方はACへ登録してダウンロードしてください:魔法陣 封印の護符
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【運命論まとめ】「幸せ」って何ですか? 因果応報、カルマの受け取りも自分で選んだ道


長文です。
この記事はメール返信ですが運命に関するまとめとして書くため、神秘・運命ラベルも付けておきます。

6/11 投稿後、文章推敲。関連記事追加。



吉野は魂の優等生だから人生計画できた?


まずは公開可のご承諾を得ているメール文から引用です。
le_chat_noir_1207様より。(後でブログ記事へリンクするため、IDで表示)
青字は当ブログ筆者による。

メール内容は、「吉野と自分との信条の違いについて」とのことです。
(吉野と自分との)信条の違いがあります。
それは、「人生の計画は、自分で決めて生まれてくる」というもの。

私の説だと、人生の計画を自分で決められる範囲が大きいのは、吉野さんのような「魂的に優等生な人」だけの特権であり、他の大勢の人たちはみな自分の作ったカルマに苦しんでいるはずだと思っています。
つまり、悪のカルマだけは強制であると。
なぜなら、人生を自分で決めて生まれて来られるなら、皆幸せになっているはずだからです。

ただこれは単なる一説であって、私も吉野さんの説は可能性として考えていますので、自分の説だけを頑なに信じているわけではありません。

私の人生を例にとってみると、「あの時、直感に従っておけば良かった」という後悔がありました(今は全然後悔していませんが)。
私のブログで述べたように、8年間片思いした人とは未来透視というオカルト現象まで起きているので、あの時、唯物論を信じずに、直感に従ってさえいれば、あの人と恋愛や結婚が出来たのではないだろうかと思うこともあります。
そういうソウルメイト的なものは、失恋するということまでが人生計画に組み込まれているのか、もしくはお互いが過ちを犯して恋愛するはずだった未来を打ち消してしまったのか、そこら辺が謎なのです。
後者の場合でも、「人生は自分で計画を立てて生まれてくる」というのが成り立ちます。
つまり、「計画を自分で立てても、計画通りに行かないことが多くある」という説です。
しかしその説も、可能性の一つに過ぎません。

ただ、自分で計画を立てて生まれてくるにしては、残虐行為をしでかす人たちは魂的に幼稚すぎます。
そんな人たちが、「魂の勉強のためにこういう不幸を自分に課す」なんてことが考えらえるでしょうか?
誰だって、不幸はあるのに。
勝ち組になりたい残虐者が自分で人生を決めたなら、必ずずっと勝ち組の人生を決めると思うからです。
そんなわけで私は、罪のカルマは強制だと思っています。
で、残虐な人たちの何割かは、地獄(残虐な者同士が学び合うための、一つ下の階層の世)に落ちているんだと思います。
それと、地獄よりも下の階層があるのかどうかは恐らく人間では知覚できませんが、なければ魂の解体、つまりは処刑されているものと思われます。
なぜ処刑があるのかというと、魂も要らなくなれば捨てなければなりません。
モーゼスは「高次霊によって解体(処刑)される」と言いますが、「神によって解体される」の方が正しいと思います。
悪い魂だけがどんどん溜まっていくような「無限に増え続ける」現象など、世の中に一つもないからです。

>吉野さんのような「魂的に優等生な人」だけの特権

いやあ……「優等生」と仰ってくださるのは嬉しいのですが。
たとえ死後世界での評判が上がったからといって、その魂に特権など与えられませんよ。
人間界と違って、誰かが都合の良い権力を得ることがある世界ではないのです。
むしろ先輩格になればなるほど仕事も増えて大変になるはずです。

人間だって幼稚園生より大学生のほうが勉強することが増えるし、社会人になったらもっと大変でしょう? それと同じです。大人になるって、子供が夢見ているほどラクなものではありませんよね。
その代わり大人にとっては、責任を果たしたときの充実感がご褒美となります。
人間界で言うところの「精神的なご褒美」が先輩格の霊には最大級の幸福であり、糧となるでしょう。

>人生の計画を自分で決められる範囲が大きい

私が「自分で計画を決めてここに生まれてきた」などとお話ししたこと、ありましたっけ? 笑

むしろ私はイレギュラーであるらしく自計画の割合が少ないのです。選択の余地が限りなくゼロに近かった、と覚えています。選択する意識も無かったのですが。

 ここへ来るまでの経緯: 『死の後、数日間の話』

何かお仕事を手伝うスタッフとして生まれたのか、それとも私自身の解消すべきカルマがまだ残っているのか?
(人生前半は明らかに休むために用意された時間でした。おかげで充分に休むことができました)
具体的なことは記憶からカットされているため不明です。まあ、そのうち分かる時が来るのでしょう。死ぬ直前になるかもしれないけど。

「幸せ」の定義が魂視点ではないと思います


>人生を自分で決めて生まれて来られるなら、皆幸せになっているはずだからです。

何かもの凄い誤解がありますね…。根本的な定義が違っているので話が噛み合っていないような。

あなたが思う、「幸せ」って何ですか?

地上で好きな人に愛されたり、大金持ちになって安穏と暮らすことでしょうか。
それは確かに地上的な概念では「幸せ」と言えますね。
でも魂の話をするときにそういったことは「幸せ」と定義されません。
地上で安穏と暮らすことは、あくまでも肉体にとっての幸せです。場合によっては魂の「不幸」ともなります。

もちろん穏やかな暮らしに愛があるなら、魂にとっても幸福でしょう。時にはそんな平和暮らしの転生も必要です。
(私は物欲を全否定する者ではありません。適度ならけっこう。肉体維持、健康のためにも物資や休息は不可欠)
でも魂は地上で成長するために来ているので、全ての転生で安穏と富を貪って生きることは無意味と言えます。そんなことを魂は「幸せ」とは呼びません。

魂が「不幸」と感じるのはカルマ解消もせず、何ら成長もできずに人生を終えたときです。それこそ死後に激しく後悔することになります。
反対に魂にとっての「幸せ」は無事にカルマを解消し、成長カリキュラムを果たすことです。
先輩霊ではなく修行中の一般霊にとっては、自己自身の成長がいちばんの幸福なのです。

【関連記事】 波乱万丈な生き方を望むかどうか。人それぞれの人生計画

そもそも、ですね。
はっきり言えば
「人生の計画は、自分で決めて生まれてくる」
という私の文に関してあなたは誤読されています。

私は、具体的な手続きの意味で
「どれほど未熟な魂でも一から人生計画を立てて生まれる」
などと言ったことはありません。そんな想像をしたこともありません。
無理ですよ、未熟な魂が一から自分で人生計画を立てるなんて。(人生プログラムの因を作ったのは本人ですが。私はその意味で「人生は自分で計画する」と言っている。承諾するのも自分)

手続きとしては後で書くように先輩格の高次霊が計画を作成し、提案するようです。
本人はそのなかから人生計画を自分で選び、承諾して生まれます。
でもその計画作成のためにはカルマの縛りがあります。

つまり究極には、
「人生計画はカルマによってほぼ自動的に決まる」
と言えます。
そしてそのカルマを作ったのは本人自身。それは「自分で未来を創造した」ことになります。

魂の未来は、過去の行動が全て。
行動(※カルマ。カルマとは行動の意味の言葉)が計画作成のためのプログラム言語です。


引き寄せ法則の真実


カルマ(行動)が未来創造のプログラム言語だということを、漢語の仏教用語で翻訳するなら
“自業自得”
“因果応報”
となります。
これら仏教用語は一般に悪い意味だけで用いられることの多い言葉ですが、良い意味も含まれます。「報い」には良い意味も悪い意味もあるでしょう。

因果応報こそ、人生創造の真相です。
過去の行いが未来に還る。その厳然たる計算法則で導き出されるのが運命です。人生計画です。

実はこれこそ本当の「引き寄せの法則」なのですよ。
人間が信じているように、地上の欲望を得ることが「引き寄せ」なのではありません。
その意味を理解した人に対してだけ、私は「究極の世界(あの世)では、引き寄せ法則は真実」と言うことができます。
でも現世の俗物的な「幸せ」を求める引き寄せセミナーは完全嘘。嘘どころか悪業を増すだけであって有害と言えます。だからセミナーへ通うのはやめておけ、と何度も書いています。

運命エネルギーの足し算・引き算は絶対的。理由なく消滅させることは不可能ですので、人間界のように「借金をチャラにする」免責システムはないのです。
引き寄せセミナーでも、宗教団体でもあなたを幸福にすることはできません。宗教団体へ入って狂信すれば心を麻痺させることができるので、幸せになったと錯覚するでしょうが、実際には不幸になるだけ。今世のカリキュラムも果たせず、悪業を積んで来世以降では不幸になります(人間界の価値観で言っても)。

神々へ敬意をはらい感謝するのは大事なこと。我々のことを絶大なる愛でサポートしてくださっているのは彼らですから。
でも貢物をして尻尾を振れば、自分の罪をチャラにしてもらえると思うのは浅はかなことです。神々へ人間界の世辞が通用するはずないでしょう。

そもそも神々・高次霊にも、あなたのカルマをどうにかする力はないのです。彼らは魂が成長できるようサポートしてくださるだけ。
当たり前、自分の足で立たなければこの世に生まれて来る意味はありません。
前記事で「地平線」※が大事だと私が言ったのはこういう意味。

※占星術で言えば、ASC(東)-DSC(西)

【参考】「行動=プログラム」について、オンラインゲームでの喩え: 未来は計画通りか、選択の余地はあるのか? 運命 VS 自由意志まとめ

実際、生まれる前はどのような手続きを経るのか

同じ話で、誤解されている点をお答え。

>他の大勢の人たちはみな自分の作ったカルマに苦しんでいるはずだと思っています。
>つまり、悪のカルマだけは強制であると。

違いますよ!
「悪のカルマだけ」ではなく「良いカルマ」も絶対です。
絶対と言っても神様という権力者に押し付けられるのではなく、良いも悪いも全て必ず還って来る法則ということ。
過去のカルマ(行動)というプログラムが消滅することはあり得ないのです。

ただ個々の魂のガイドとして付き添う先輩霊は存在するし、具体的な人生計画を作成している高次霊はたしかに存在するようです。

魂が地上へ生まれてくるまでの手続きは、簡単に書けば次の通り。

(繰り返しの話)
カルマは絶対ですから、過去のカルマに従い、未来の「報い」の量はほぼ自動的に決まります。
しかし清算の期限が決まっているわけではないので、一つの人生でどのくらい清算するかは具体的な計画次第です。

――ここまでは実体験による私の考え。以下はニュートン氏のテキストに拠ります。

言わば“返済計画”を立てるサポートをするのが地上を卒業して久しい高次霊たち、だそうです。
若く未熟な魂(地上に生まれる魂は全てこれに該当して未熟)は自分だけで人生計画を立てる力がありませんので、運命計算に長けたマスターが幾つかの計画を作成して提案します。
この計画のなかからどれを選んで生まれるか、高次のガイドたちの指導のもとで本人(魂)自身が考えます。
そして承諾して生まれて来る。

先輩霊たちは決して人生計画を強制しません。あくまでも本人の意思が全て。
もし生まれることが嫌ならずっと拒否することもできますが、そうすると永久に同じレベルに留まってしまうのでほとんどの魂は自ら進んで人生計画を選ぶようです。

生まれる前の魂は「必ず成長する」との意気込みでヤル気になっていますので、どのような過酷な運命でも自ら喜んで選択します。なるべく早く成長したいという願望を抱いているからです。

しかし実際、生まれた後は苦しみを感じて放り出してしまう魂も多い……ようですね。
以前と同じような欲に溺れて失敗してしまう魂も多いことでしょう。
だから、暴力の欲に負けて何度も同じ失敗をし、悪いカルマを積み重ねてしまう魂もけっこう多いと言えるのです。

ニュートン氏の被験者たちによれば、暴力が癖となってしまい改善・成長の可能性が全くない魂は「解体される」とのこと。
※この話はニュートンであってモーゼスではありません

私が思うに、この解体を免れて先輩霊たちの庇護から抜け出した魂もいるのでは……と思います。
それが「暴力を愉しむ目的で何度も地上へ生まれて来る悪霊」。
地獄に閉じ籠もっていてくれないから、やっかいです。

モーゼスはどちらかと言えばこの「悪霊が存在する」という真理を語っているし、
ファーニス『死後世界地図』には、地獄に相当する次元に悪霊たちが集まって世界を構成しており、まさに悪魔と呼ばれるほど究極の(ゼロ地点から離れている)霊が悪霊集団を取り仕切っている様子が描かれています。

私はこちらの説、「地獄に相当する次元がある」とする説のほうが真理ではないかと思います。地上をゼロ次元と見立てたときのマイナス側です。(我々の成長をサポートする善良な高次霊がいるのはプラス側。いわゆる天国)
地獄という名の場所では無いのですが。

「地獄は無い。悪霊も一切いない」と言っているのはニュートン氏。
しかしニュートン氏のもとに集まって来る被験者たちは善良な魂ばかりですから、どうなのでしょう。地獄という次元を見聞きしたこともない魂が多いのかもしれません。

【関連記事】※ニュートン説へ疑問を呈した記事 
犯罪の責任は「魄(肉体)」に押し付けられるのか?  
性善説オンリーではバランスが悪い

人生計画は完全に実行されるのか


人生計画について。

>あの時、唯物論を信じずに、直感に従ってさえいれば、あの人と恋愛や結婚が出来たのではないだろうか

そうかもしれませんね。
直観はだいたい、生まれる前に自分で選んだ人生計画に基づきますから。
(性欲や感情ではなく)直観に突き動かされた衝動に従っていると、たいてい人生計画は正しく実行されます。
私の前世がそうであったように。参考:『我傍に立つ』 

※夢やインスピレーションでありありと未来の映像を観た場合、「引き寄せの法則」が起きているのではなく、生まれる前に観た人生計画を思い出しています。魂は生まれる前、必ずその人生を映像などで体験してから選択するからです。ニュートン本参照

でも後悔する必要はありませんよ。後悔なさってはいないとのことですが念のため。
他の計画が実行されるかもしれませんし、叶えることのできなかった計画は必ず来世以降に繰り返されます。もう、しつこいくらいに。

私が良い例です。
前世では手を握ることができて運命を実現しましたが、あれは何千年もかけてようやくのこと。
それまで、彼はずっと約束を守るために追いかけて来てくれましたね……。私が逃げ回っていたというのに。

>失恋するということまでが人生計画に組み込まれているのか

それは無い… と思いますよ。詳しいことは分かりませんが、直観が降りて来たのでしょ?
もちろん、失恋も重要な試練ですが。それは成長の糧として魂に刻まれるはずです。
(でも今世ではもう諦めましょう。時機を逃して叶わなかった計画はスルーされ無効になりますので、無理に時を戻そうとすると悲劇に繋がりカルマをこじらせます)

>「計画を自分で立てても、計画通りに行かないことが多くある」という説

はい、ご名答。
一生における計画は計画であって、絶対ではないのです。(一生のうちに実現されない場合もあるという意味。カルマは残る)
実行されない場合も多々あります。
その場合でもカルマが消えたわけではありませんから、上に書いた通り実行まで繰り返されます。

だから実際、地上では嫌な運命を回避することができるんですよ。
暴力を繰り返す魂が多いのもそういうこと。
その代わり、借りはいつか必ず返さなければならないので自分で自分を苦しめることになります。

風水や、地上的な「引き寄せ」の魔術で富を得ることなど、もってのほか。
カリキュラムから逃れるだけではなく、さらなる莫大な負債を負うことになりますからね。多重債務者、地獄への道まっしぐらです。

【関連記事】 風水に中毒し過ぎてはならない理由

>「魂の勉強のためにこういう不幸を自分に課す」なんてことが考えられるでしょうか?

考えられますよ。
上で書いた通り、魂は皆、生まれる前はヤル気満々ですから。
その代わり生まれると欲望に目が眩んで、計画を忘れ貪ってしまうのでしょうね。

>残虐な人たちの何割かは、地獄(残虐な者同士が学び合うための、一つ下の階層の世)に落ちている

ええ、私もそう感じます。
知覚はできませんが、あまりにも残虐な魂が多過ぎます。故に、理屈で考えて彼らが集まる地獄という次元があることは間違いありません。
(繰り返し。実際は、同じ次元のエネルギー体同士で集まって世界を造っている感じ)
その代わり「地獄に堕ちた者は二度と地上に生まれて来ない」と思うのは間違い。
ここは『モーゼス霊訓』参照。

>なぜ(魂の)処刑があるのかというと、魂も要らなくなれば捨てなければなりません。

要らなくなることはありません。魂エネルギーの総量は全体で同じ。小さな魂となって個々に動いているか、根源へ還っているかの違いだけで、全体のエネルギーが減ることも増えることもないのだそうです。
だから「古代に比べて人間が増えている。魂が存在するとしたら古代と釣り合わない。故に転生なんか嘘」という屁理屈は間違い。(そもそも地球の人間しか魂が無いと考えるとはね、嗤。発想が乏しい)

ただ、悪行を重ねて直る見込みのない者は「処置無し」ということで解体されるらしいですよ。
それは個性が解体されるだけ。魂のエネルギーは消えません。
個性を失ってバラバラになったエネルギーは、他と混ぜられ再構成され再び地上へ生まれることになるようです。
byニュートン被験者。

魂のことを地上の固形物と同じように考えると誤ります。
本来、超物理学的に考えるべきですが……それは難しいので。
せめて個体でイメージすることをやめ、液体・気体などと想像するくらいの想像力が必要です。(それは正確なイメージではありませんが。喩えとして個体よりマシかと)


ブログ記事「信条の違い」について


最後に貴ブログへリンクして言及させていただきます。リンクがご迷惑だったら仰ってください。

 ⇒私と吉野圭さんの信条の違いについて。

ここまで書いてきた話でお分かりかと思いますが、上記事、
「吉野の説」
とされている解釈のほとんどが間違っている(私の説ではない)気がします。笑

le_chat_noirさんの説:
>この世以外にも、天国と地獄がある。
>天国の上は、高次霊となってこの世の人間を見守ったりサポートしたりする。

はい。繰り返しますが、私もそう思います。

>マイケル・ニュートンの説:
>この世以外にも、地球2があったり、
>死んだら、好きな所に転生することができる。

それはニュートン本で読んだ記憶が無いなあ。どこで読まれました?
確かに、地球に似たような星は在るらしいですが。それだけではなく、他にも学習場となる星はたくさん在るそうです。
地球は人生を送るに難しい星だから難易度が高く、スキルアップにはとても良いらしい。

「死後、好きな所に転生できる」とニュートン氏が言うのは少し、おかしいかな。
ニュートン氏の被験者が語る死後世界は、そこまで自由過ぎる環境ではなかったと思います。学生の寮生活のような雰囲気。
同じ段階の魂たちとグループを組んで学び合う感じですね。

>人が残虐になるのは、主にこの世の影響のせい。
>小さい頃から唯物論を信じており、かつ、周りに残虐な人間がいたとすると、自分もそれに適応しようとして道を踏み外すことが多い

うーん?
「この世の影響」って何ですか? 地球の磁場か何かがそうさせるということ?
唯物論なんて、古代からあったわけではないでしょ。
私にはピンと来ない話ですし、そんなことを言っていたら魂が罪を自覚できなくなります。

影響を与えるのは同じ人間。他の魂。
ニュートン氏は完全性善説なので、「悪事の全ては肉体のせい」的なことを述べていてさすがにそれは無いと思いましたが、悪霊が普通の魂に影響を与えることは大いにあるようです。

実際、隣国の例で分かる通り、地上の獣化教育で子供たちが残虐な行いをするようになってしまいますよね。
カルト宗教・思想も残虐性を高めるプログラムと言えます。

しかし影響を受けて行ったことだからと言って魂に残虐行為の責任が無いわけではありません。
あと自らの悪癖で残虐行為を繰り返している魂は存在します。確実に。
なかでも最悪の者たちが地上人を教育するプログラムを組み、自分たち側の暴力欲を植え付ける教育をしているのだと思います。
「地上の影響」と仰いますが、それは地球の影響ではないし肉体のせいでもない。ほぼこの悪霊たちの教育によるでしょう。

>吉野さん自身の「カルマ実体験」を鑑みていない。
>以上の前世記憶照合により、「カルマとは、自分がやってきた罪と同じ報いを受ける」という法則が成立する。

私の幼少期の話はとても単純な例だから出しただけであって、全ての因果応報がこのようにごく簡単な、小学生の算数で導き出せるものではないですよ。もっと遥かに複雑。だからこそ“高次マスター”が必要。
私はイレギュラーなので(概ね解消した後で残っているカルマが少ない)シンプル、ということもあるかもしれません。

運命を単純計算で判断するな、と何度も書いています:
【関連記事】 カルマについて重要な真実。被害に遭った人は「罪」の報いを受けたとは限らない

他に筆者の運命について:
【参考】 特殊な運命は、過去の傷が多い証

>「とんでもなく非道な人間は、必ず不幸な育ちをしていなくてはならなくなる」という説が導き出される。
>しかし現実は、必ずしもそうではない。

当たり前でしょう。
「輪廻転生」がたった一回か二回程度ではないのですから。
誘惑にはまりやすい魂は少し辛いことがあると逃げ出しますので、少しずつの返済ということで普通に育つことが多いのでは。

>松永元死刑囚は、今のこの世の影響で残虐になった可能性があるわけで
>性善説とまではいかないが、生まれたばかりの頃はまだマシ

残念ながら、そのお考えは甘いです。
どうして悪癖を持つ魂が地獄へ行ったきり、二度と地上へ生まれて来ないなどと信じられるのでしょう?

ちなみに「地上」とは肉体を持って活動する教育場のことです。地球とは限りません。
肉体を持つので、天国や地獄へ分かれた魂が再びここで実体を持って留まることができる。
魂はエネルギー体ですから、肉体に縛られない限り別次元に留まることはできません。
だから私は地上を「ハブ空港」と喩えているのです。

>そして、吉野さんが支持するモーゼス霊訓の説によれば…ただ、マイケル・ニュートンの説だけを信条とすると、吉野さんのカルマ体験が書かれておらず、…

この辺りは私のブログではなく、他の方のブログと混同されているのでは?と思えるほど内容が違うし、心当たりが無いのですが(苦笑)。
色々なサイト・本を読まれ過ぎて混同されているのでは?
どうか、私が今書いているこの記事で記憶整理していただきたいです。

>マイケル・ニュートンの説を信じていると、「悪い魂なんていない。本当は皆仲良くしたいんだ」ということを受け入れる必要性が出てくる。

ニュートン氏は確かにそう思っているようですね。
私は残念ながら彼の話で完全性善説だけを信じることができません。

(ん、少し気になったのですが、もしかして私がマイケル・ニュートンの完全なる信者と思われています?笑 私の話は自分の実体験がメインです。死後世界の記憶が無いところだけ書籍を参考にしていますが、全て鵜呑みにしているわけではないです)

私は、どこまでも中庸の人間であるらしいです。
「善悪どちらも存在する、天国地獄も存在する」
「この世はプラス・マイナス同時存在」
というどっちも有りの定義が真実と私は思いますよ。

>つまりは、我々はいずれ高次霊になるために生まれてくるというもの。

うん、それは正解でしょう。
高次霊になるために、と言うより、地上で学習した末に必然的に高次霊になるといったほうが正しいのでしょうが。

悪癖のとりことなって地獄に留まらない限り、地上卒業の日は誰でも確実に来ます。
焦らず、腐らず。運命を怨まずに。
悪い欲望の誘惑に負けることのないよう、サポーターたちを信じて人生を一歩ずつ歩んでいきましょう。


終わりに


長々と書いてしまいました。

以上の話、ニュートン氏にしろモーゼス氏にしろ、死後世界の話は真実かどうか調べる術が無いことを言っておきます。

私自身の実体験にしても、私は嘘をついていませんが、読者の皆さんは無理に信じる必要はありません。押し付けるつもりは一切ないので。
ご自身の頭で考えて、信じられると思ったことのみ信じてください。

こういった形而上の話は思考の手がかりにするためにあります。
「空想」と思う人はそれでも構わず、イメージの素材とすればいいのだと思います。

それにしても……返信相手はともかく、他の読者の方々はこんな長い記事を読んでくださっているのでしょうか? 汗

しかしle_chat_noir_1207様のおかげで、思いがけず運命に関する記事の振り返りとなりました。
“まとめ”として、後で記事リストにも置いておきます。

それとご自分の信条と異なる点を長々と並べてくださったので、鵜呑みにされていないこと・「自分、教祖になっていない!」(笑)と確認できたことが嬉しかったです。
きちんとご自身で考えてくださり、対等なご意見を送ってくださって感謝。

le_chat_noir_1207様へはいつも色々と反論めいたことを述べてしまいますが、これはこちらも対等だと思っているから。誤解を招く誤りは遠慮なく指摘させていただいているだけ。考えながら読んでくださる読者様に支えられています。

 

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〔ドラゴンヘッドとMCが重なったらどうすれば…?〕 運命計算の難しさ

 

ノード図byWikipedia

 

  私の占星術サイトへ言及してくださった方の疑問と、解決に至られた考え方が的を得ていたため引用させていただきます。
(勝手な引用です。ご迷惑だったらご連絡ください)

エル様 『「人生目標」のMCの隣に過去世を表す「ドラゴンヘッド」がある場合は?』より

“ASCからジャンプした魂は太陽を燃料としてさらに高く飛び、最も高い位置にあるMCを目指します。
このため、MCは「理想」であり「人生目標」であり、「果たすべき使命」とも言えるのです。
by 吉野圭さんの西洋占星術初級講座”

実は、私のネイタルホロスコープでは、このMCのすぐ横にドラゴンヘッドがあるのです。
ドラゴンヘッドは、今世に対応しているいくつか前の過去世。

それと、今世の「人生目標」で、「果たすべき使命」のMCが
並んでいるなんて(コンジャクションです)、どういうことだろう?
とずっと考えていました。

 

おお。本当に矛盾していましたね!

実際は、同じサインや「すぐ横」だけではなく完全合(同じ度数)の場合もあると思います。
私はその場合のホロスコープをお持ちの方へ配慮することなく書いていました。迂闊……。

まったく相変わらずのいい加減さ。どこが緻密※なんだと我ながら思います。

※現代性格分析では意外に「緻密」と出ることが多いのですが、このブログを見ていてお分かりの通り本質は水瓶座通り「いい加減・良い加減」な筆者です。うっかりミスの無い脳が欲しい。(脳と言うより魂の癖だから治りにくいか)


MCとドラゴンヘッドの解釈表現、どうして矛盾してしまったのか


それにしても運命の話は難しいものです。
以前、「運命は人間が考える算数ほどの単純計算では導き出せない。高度な計算が必要」だと書いたことがあります。本来は完全に地上の概念で説明することが不可能な話と思います。

そのため運命の話は「コレ!」と一つの説を掲げてしまうと必ず矛盾が出てしまいます。
特に私は、多面的な話をそれぞれの記事では一角度からの視点に限定して書くので、結果として他の記事と矛盾してしまう率が高いようです。
おかげでモヤモヤされている方が多いかもしれない。

今回の問題、

1.MCが人生目標である。MCを目指せ


2.カルマ解消のためにはテイルを目指さなければならない=ドラゴンヘッド・サインを目指してはならない


について。

何故こういう矛盾した書き方になってしまったかと言うと、MCは松村潔氏など他者のスタンダード解釈ですが、ドラゴンヘッド・テイルの逆転解釈のほうはサイト設立以降の私自身の分析によるからです。

私はあまりスタンダードを鵜呑みにすることがない人間です(占星術以外でも)。そのため多くの場合でテキストに反する手法を採っています。
でも、松村潔氏を始めとする現代スタンダードなMC解釈は筋が通っているように思えたし、私自身の実占でも確かに40代~50代の人がMCを体現していることが多いと分かりました。それで、妥当と判断して取り入れています。

いっぽうドラゴンヘッド・テイルの解釈のほうは、私自身の転生記憶分析と、他の転生記憶をお持ちの方々のホロスコープ分析から導き出した答えです。
(記憶が無い方でも同様。人生のある時点でテイルを実現した人のほうが、社会的価値観を超えたところで満足のいく人生を送っているようです)

そのようなわけで1.は他者のテキストを取り入れた解釈、2.は純粋に観察によるので、上のような表現の矛盾をたいして気にもとめずそのまま書いていました。
混乱する表現で申し訳なかったです。

ヘッドとMCが重なった場合も、他と同じように考える


さてMCとドラゴンヘッド・テイルの矛盾について。
実際どのように考えれば良いかというと、運命時間のポイントが違うのだと見れば正しいかなと思います。

つまり、
1.MCの"社会的役割"は全転生共通で~あるいは最終的に背負う看板・名刺
2.ドラゴンテイルのカルマ解消は今世に限ったもの
と考える。

MCのほうが時間として大枠なのですね。

だから一つの人生だけで考えるなら、

テイルの課題を実現する
 ↓
自然にMCへ至る、いつしかMCの役割を負うことになる


という流れになるのでは。
(この間に太陽の行動をとることになります。と言っても可能なら、です。そんなにガチガチに捉えて頑張らなくて大丈夫です)

エル様の、
テイルに向かっていくことが、(正反対の)山羊座の資質を取り入れることになり、
そうすることで、MCの「人生目標」も達成できるようです。

との解釈で正解と思います。
おそらく16~20度ではないヘッド/MC合の方も同様に、テイルの課題が実現された後にMCへ還る……という流れになるはずです。

MCの時間が“大枠”である理由


何故、MCは“大枠”として考えるべきなのか? 理由をご説明しておきます。

一般に、占星術のネイタルホロスコープは一つの人生限定と考えて読まれます。
このため世間のスタンダードに従い、MCを「その人生での人生目標」と読んでも誤りではありません。上に書いた通り実際に中年以降にMCを体現される方が多いのは確かだからです。

しかしここがホロスコープの不思議さで、今世という一点に表れたMCサインは、どうやら全転生のテーマに等しくなるようです。あたかも一つの細胞が全身の細胞と同じDNAを持つように。

何故こう言えるかというと、
「アセンダントは魂の製造番号」(ルル・ラブァ先生他)
という考えに従うなら、ASCは転生しても度数そのものが変わらないか、少なくともサインは同じだろうからです。
そうであるなら、MCサインもほぼ同じであることになります。
生まれる地の緯度によって多少の変動はあるでしょうが、おおむね同じサインかその周辺を動くことになるのでしょう。

この話は以前にT様という方からご質問いただいて気付いた話。(T様、感謝です)
 参考 『次の転生時のASC、MCなど』

私は上記事を書いた当時、「ASC固定説」ではありませんでしたが、もしかしたらASC固定でも同様なのかもしれません。
同じ度数であってもその時の人生条件(惑星)によって表現は無限に変わるからです。

もしかしたらASC/DSCの地平線に相当するアングルは、魂が地球などの星に生まれて学習を始める=地平線に降り立つ、ことを意味しているのかなと最近思いつつあります。
(地球限定とは限りません)
魂はASC/DSC固定のまま転生を繰り返し、MCのシンボルを体現し尽くして初めて「地上学習卒業」…ということになるのかもしれませんね。


自分の記憶を振り返ってみて


自分の転生記憶を思い返してみても、やはりこの理屈が正しいかなと思います。

どこまで記憶を遡っても金太郎飴のようにキャラクターが同じ
であったというショッキング(?)な結果は、魂の個性は生まれてから消えるまで変わらないという話を裏付けています。

ちなみにお馴染み、マイケル・ニュートン氏の被験者たちも「魂の個性は誕生時からずっと同じ」と言っています。

これが輪廻転生の真相だとすれば人をガッカリさせる情報ですね。私は自分の転生記憶を思い出して本気でガッカリしました。もっと様々なキャラクターで転生したほうが楽しかったのに!
(もちろん肉体によって能力や活動力にかなりの違いがあります。ニュートン氏の被験者たちは多岐にわたる人生を経験しているようです。しかしそれでも、本質の魂個性は変わらないとのこと)

MCに至っては、私の場合、最終的に
射手座3度『チェス』(戦略家)
の最大看板を背負ったまま終わりそうな気がします。
おそらく自分が社会的に背負ったシンボルとして、『チェス』以上のものは今後も無いだろうと感じるのです。


考えるヒントにしてください


2016年に書いた記事(次の転生時のASC~)では、
「アセンダントサインは魂を表わして、固定」という考えにしても、古い時代の占星学に拠る推測でしかないので正しいかどうか。
100年以内に生まれ変わりの記憶を持つ子供たちを調査してみたら、案外ハズレということもあり得ます。
(私はイレギュラーなので、サンプルとしては弱い気もします)
お金持ちで暇がある方に、ぜひこの点を調査していただきたいですね。


などと控えめに書いていますが、やはり理屈で考える限りは「転生後のサインも同じ」とするのが妥当と思います。

まあ結局のところ実証が不可能な話で、真相は分からないですけどね。

私も自分の体験や実占経験からある程度の裏付けはできますが、100%の正解が分からないため考えながら執筆しています。
自説を押し付けるつもりはないので、皆様の考えるヒントにしていただきたいです。

 

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