霊格、「魂の年齢」を知るための詳しい話

 

 前記事の続きでもう一点、同じ方からご紹介いただいた話。
メールを引用させていただきます。

http://chaos2ch.com/archives/4607292.html?p=1
このサイトの内容をご存知ですか?

2年ほど前に見つけた2ちゃんねるのものですが(書籍はすでに絶版になっています)、全てと言わなくても魂の年齢については個人的には当たってるなと感じる内容です。

以前ブログの中でも吉野様ご自身の魂は老齢だとお話ししていたのを見かけたことがあって、今朝久しぶりに読み返して老年期の特徴もですが、以下の内容が吉野様そのまんま過ぎてついつい送りたくなりました。

>でも老年期の最終段階を経過した人は、生きながら超越期になることがある。
霊界の類魂と生きながら一つになる状態。すると今までの過去世の記憶がすべて思い出されてくる。
超越期の特徴として、特定の宗教を持たない。だけど霊的指導者として人々を導くようになる。

めちゃ当たってませんか?
実際に私は吉野様のこと先生だと思ってるので、尚更当たってるなと。
ありがたくも恐縮なお話でした。
直接の返信でも書きましたが、自分はまだまだ「先生」と言われるほどに達していないと思います……。老いていることは確かで、「エネルギーが足りない」と感じることは多いのですが。笑
勉強も足りていないし、あらゆる面で研鑽が必要と思っています。

私のことはともかく、ご提供のURLでまとめられた内容は面白く当たっているところが多いと感じました。
皆様の参考になると思いますので、次項から引用していきます。

(長めに引用しておきます)

最も同意。有名人が偉いわけではない、という話


28: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 10:03:38.26 ID:W6R6sMKM0.net

魂の年齢が高いと聞くと、有名大学出身とか高い役職や職業についてると思っていただろ?
有名人はみんな一般人よりも魂レベルが高いと思ってただろ?
そいつらほぼ全員、若年期の魂だよ。
その上には成人期があって、さらにその上には老年期があるから。
これから、その成人期の魂の特徴を述べてみるから。
いきなり自分と同じ意見が目に入ってきて驚きました。

そう、全くその通り。前記事でも私は同じ話をしましたね。
だから地位が高かったり有名だったりするだけで崇めてはならないわけです。

だからと言って、著名人はバカにしてオモチャにしていい対象ではないので間違わないでください。
若年期で過酷な試練に挑んでいる魂たちは、オリンピック選手のように称えるべき若者たちです。
(有名人をバカにしている人たちはその相手よりも遥かに未熟で幼い魂なのだと言えます……。何故ならあまりにも未熟で幼過ぎて、先を歩く人たちの苦労が分からないからこそバカにできるのです)

※追記 有名人のほとんどが若年期ですが、100%というわけではないと私は思います。試練を背負ってステップアップするために有名となる人生を計画して生まれてくる成人期の魂もいるはず。たとえば大河ドラマで取り上げられた西郷さんなどは成人期以上ではないでしょうか。

霊格レベル


以下はスタンダードなスピリチュアル本でも共通して書かれている話なので、大きく間違ってはいないと思います。
3: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 00:51:46.74 ID:W6R6sMKM0.net

人は何度も生まれ変わりを繰り返す。
ほとんどの人は前世があり、そのまた前世がある。
前世の回数に比例して魂レベルが高くなる傾向がある。
つまり、前世の回数が多いほと大人の魂といえる。
ではいったい自分の魂の年齢はどの程度なのか?
前世を知り得ない以上、推測するのは困難である。
だから、魂年齢に応じた特徴などを述べる。
これから言うことは自分のかってな考えではなく、高級霊をチャネリングして伝えられた霊のメッセージの本から抜粋したので。

6: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 01:08:33.33 ID:W6R6sMKM0.net

魂の年代には大きくわけて5段階ある。
一番下から、
乳児期
幼児期
若年期
成人期
老年期

乳児期の魂は、人間としての転生が少なく前世が動物である場合も多い。
反対に、老年期の魂はもはや地上で学ぶべきものがなくなり、輪廻転生から卒業するレベル。


7: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 01:12:57.17 ID:W6R6sMKM0.net

その魂の年代を、肉体年齢におきかえるとこうなる。

乳児期の魂は、新生児18ヶ月まで。
幼児期の魂は、幼児18ヶ月から5歳まで。
若年期の魂は、6歳から12歳まで。
成人期の魂は、思春期12歳以上。
老年期の魂は、成人。

とこんな感じらしい。


8: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 01:17:37.70 ID:W6R6sMKM0.net

一体自分はどの時期の魂にあてはまるのか?
乳児期か?
それとも老年期か?
乳児期でも落ち込むなよ。老年期だからって調子にのるな。
これからそれぞれの時期について詳しく説明する。
※追記 ここに掲げられた年齢の置き換えは、超越期・無限期を含めた魂全体から期間の割合を出して置き換えたものと思います。そうではなく地上を卒業する頃を人間年齢80歳頃と設定しますと、私の感覚として「若年期」は18歳~25歳くらいとなります。そのほうが一般感覚で分かりやすいはず。


投稿主、
>乳児期でも落ち込むなよ。老年期だからって調子にのるな。
同意。素晴らしい。

「子供叱るな、来た道じゃ 年寄り笑うな、行く道じゃ」です。
なかなか「叱るな」ということが実行できない自分は、だからまだ学びが必要なのだと思いますが。

幼児期と老年期の魂は同じ価値があります。
全ての魂はフラットで等しい。
文字通り「先生」は「先に生まれただけ」。何も優れているわけではないし偉いわけでもない。

ただ、先を歩く者は、後から来る者の道案内をする義務があるのだろうと思っています。だから少し後ろを振り返りながら歩きます。
後から来る方々は、前を歩く人をバカにして余所見していると道を踏み外します。よく観察して、歩き方を覚えてもらえればありがたいなと思います。


具体的な各年齢域の特徴


自分がどれくらいの魂年齢なのかは、これから引用する具体的な話である程度分かると思います。
ただ、自分が通り過ぎた年齢域は、今現在も自分が持っていると感じるようです。
なので下の文章を読み、自分がどのくらいなのか分からずに混乱してしまった場合、やはりネイタルホロスコープで推測していくといいでしょう。
(ネイタルホロスコープからは魂の古さ・新しさが読めますが、ただ古いからといって高次元:老年期へ成長しているとは限りません。なおさら混乱させてしまったようなので撤回しておきます)

【ホロスコープの観察で捕捉】 古いからと言って高次元とは限らない。悪い経験を重ねている魔王もいるらしい…

なお、以下の引用のうち

>オーストラリアの原住民であるアボリジニは乳児期の魂の集団。
>乳児期の魂の人たちは僻地に住んでいる。アフリカの部族や未開の地の原住民なんかはほとんどこの時代の魂。
>単純労働を好み、善悪がわからず、迷信的です。

と言っているところは明らかに西洋社会から見た差別意識であり、誤りです。
私の目からは、アフリカやアマゾンの原住民のほうが、先進国住民よりも遥かに高貴で優れた魂に見えることがあります。(暴力や性差別に溺れていない原住民に限り)
また紛争地帯に生まれる人は、過酷な運命に耐えられるだけの成熟した魂であることがよくあるでしょう。
要するに、どこの国のどの地域であっても、老齢な魂は存在するし未熟な魂も存在するということ。地上は混ぜこぜだからこそ意味があります。

(死後は地上と違って、それぞれのレベルに従って自然に分化するようです。だからこそ混ぜこぜな地上の体験がなおさら重要となるのです)

19: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 08:26:58.52 ID:W6R6sMKM0.net

乳児期の魂。
この年代のキーワードは、原始的、臆病、無力。
ネアンデルタール人の特徴はこの未熟な魂の特徴にぴったり当てはまる。
オーストラリアの原住民であるアボリジニは乳児期の魂の集団。
乳児期の魂の人たちは僻地に住んでいる。アフリカの部族や未開の地の原住民なんかはほとんどこの時代の魂。
単純労働を好み、善悪がわからず、迷信的です。

肯定的な側面。
単純、素朴、純真、無邪気、直感的、疑わない、神秘的。
否定的な側面。
動物的、無力、臆病、無知。


20: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 08:37:38.83 ID:W6R6sMKM0.net

幼児期の魂。
幼児期の魂は、乳児期の魂よりは地上での経験を積んでいます。
ほんの少し世の中にもなれて、恐怖心も和らいでます。
規則正しく生活し、権威者を敬います。伝統や儀式、法律、規則などが彼らに安心感を与えてくれます。
幼児期の魂は断固とした信念をもつ傾向があり、それと相容れない考え方に出くわすと、混乱したり、敵意を抱いたりします。
逆に、社会的に許されることだと教育されれば、信念のための戦闘や殺人もいといません。
幼児期の魂をもつ人々は、おおむね善良な市民であり、地域社会の長になりたがります。
正義の人、模範的人物だと思われたいのです。
彼らは熱心に社会の規則を守り、他の人たちにもそうすることを強要します。


21: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 08:49:19.99 ID:W6R6sMKM0.net

幼児期の魂のつづき。
幼児期の魂が望むのは優等生のように善良であること。
彼らは自分自身の考えをもたず、権威者に最終決定を委ねるのです。
また彼らは二分法的な考え方を確信しています。
例えば、善と悪との対立を信じ、さらに彼らは、自分と同じ信仰を持たない人を罰しようとします。
幼児期の魂にとって食べ物は純粋に機能的なものにすぎません。
健康のために肝油や青汁を食べるのは、幼児期の典型的な行動です。
幼児期の魂は自分の人生についてあまり深く洞察することができません。
そのため、自分の考え方や感じ方が心理学的な諸問題を引き起こしてもも気がつきません。
そして、感情的な問題を抱えてしまったときには身体的な病気になるのですが、
彼らは原因を追求したりせず、てっとりばやく強い薬で治そうとします。
彼らは脅迫的なまでに細菌を恐れ、潔癖で、自分以外のものはすべて危険だからコントロールしなくてはならない、と考えがちです。


22: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 09:06:46.26 ID:W6R6sMKM0.net

幼児期の魂のつづき。
しばしば、幼児期の魂の人々は非常に残念な心的傾向を示します。
身体的虐待や暴力を行うこともあります。警察国家をはじめ、幼児期の人たちが一定の権力を握る国家では
この傾向が顕著です。
そのため幼児期の人がカッとして置かした残虐行為を、また別の幼児期の人が取り調べるということもよく起こります。
マフィアや暴力団は、強行戦術で人々を脅かし、富と権力を手にいれることを目指しています。
幼児期の魂の人々は有名になったり目立つ存在になったりしません。
しかし、幼児期の後期になると、そういうことも起こり得ます。
ウガンダの独裁者イディ、ミアン。リビアのカダフィー大左や南アフリカのボーダ大統領らは幼児期の7段階に属しています。
(個人的には北朝鮮の金正恩もこの時期の魂とみていいだろう)。
中央アメリカには幼児期の魂の人たちが多く住んでいます。インドにも幼児期の後期の人たちが多数います。
南米諸国やアイルランドの人々もほとんどが幼児期に属しています。
一国の魂の年代は、そこに転生しようとする人たちの魂の年代によって刻々と変化します。

肯定的な側面。
善良な市民、まじめ、社会、政治への関心が強い、忠実、家族思い、規則化する、物事をたんじゅんに考える、
安心感を重視する、乳児期の魂たちを秩序づける。
否定的な側面。
頑固、ドグマ的、官僚主義的、正しさを守るためには攻撃することがある、融通がきかない、
理性よりも感情に基づいて行動する、ときに野蛮で暴力的、権威を盲信する。


23: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 09:34:52.83 ID:W6R6sMKM0.net

若年期の魂。
幼年期を学び終え、次は自分がどこまで強くなれるのかを知りたがっている年代。
彼らの関心事とは独立性、自分が人生で獲得したいと思うものを自分で手にいれる能力。
若年期の魂たちは強い衝動にかられて、高い地位や富を得る努力をします。
彼らは成功につながりそうなことだけを行う。
彼らは成功者たちがどこに住んでいるのかを知りたがり、成功者たちの真似をしよとします。
若年期の魂たちは、有名大学に集まる。華々しい学歴を手にいれるため。エリートの道を歩むため。
金持ちや有名人ばかりがでてくる人気テレビ番組は、この年代の魂。
競争的で勝ち負け。人と他人を比較する。
肉体がすべて。精神や魂の存在を信じない。
肉体に執着するので、美容食品を食べあさり、美容整形をしたり、ありとあらゆる過激なことをするようになる。
死への恐怖から、死を思わせるような事柄を極度に嫌う。
若年期の人たちは、自分の行動の動機についてあまり考えない。
自分や他人の行為について深く洞察するのが苦手。
外見を重視する。口先だけ哲学や芸術に理解を示す。
この年代の最終段階になると、宗教に関心を持ち始める。
現在、地球人の大多数が若年期の後半に属してる。


24: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 09:42:48.60 ID:W6R6sMKM0.net

世界的な強国はほとんどが若年期。それらの国の特徴は物質的な豊かさ、軍事力、他国への大きな影響力。
日本も若年期の国。

若年期の魂の肯定的な側面。
生産的、勤勉、信頼できる、組織をより効果的に変える、富を生む、進歩をうながす、人々を導く。
否定的な側面。
競争的、あつかましい、独善的、流行に飛びつく、物質主義、自分の行動動機について考えられない、
利己的な目的で策略をめぐらすのが好き、常に優位に立ちたがる。

69: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 11:51:01.68 ID:W6R6sMKM0.net

成人期の魂。
人生でいうと13歳から19歳の思春期に相当する。
魂のサイクルの中で、子供の認識から大人の認識のしかたへと移行する時期。
若年期の魂は心の中よりも外に向かう傾向があり、多くのカルマをうみだしてしまう。
若年期の本質は生存競争に勝ち、名声や富や権力を手にいれる。しかし、やがてなにか不安で、物足りないかんじがしてくる。
どんなに儲けて偉くなっても死んだら終わり、という悩みが生じ、それへの回答を見つけようとします。
成人期の魂は「私は何者か?何のためにここにいるのか?」と哲学するようになる。
つまり真理の探求を始めるのです。
この年代になると、力の第三のチャクラから、人間関係のハートの第4チャクラへと移る。
霊的なものに開眼しはじめる段階だが、けして楽なものではない。
それどころか、人格が最大のストレスを受ける段階なので、この時期には新たに心霊力が備わるが、
それを使いこなせるだけの精神力も備わっているとは限らない。
人格は精神疲労のあまり倒れてしまい、統合失調症、その他の精神病になることもある。
この年代の自殺率が他の年代よりも高いのはそのせい。


74: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 12:03:59.16 ID:W6R6sMKM0.net

成人期の魂の人たちは、人間関係の問題に深く関わることになる。
彼らは他人の経験をまるで自分のことのように感じるからです。
この年代になると、人と人を分かつ境界線が薄れてきます。
他人がどのように感じているかも、自分に対してどのような感情を抱いているかもわかるようになるのです。
この認識力のせいで混乱することもある。ときおり、いつ、誰が、何を感じているのかが、まったく区別できなくなるからです。
成人期の魂にとって自分の経験や感情と他人の経験や感情との協会を見定めること、
人が誰であるか特定すること、人々と共存すること、自分の役割を認識することなどは非常に困難です。
こうした人と人との境界の問題は情緒不安定になっているときに強くあわられます。
ゴッホやヘミングウェイのような精神を病んだ芸術家も成人期の人々。
幼児期の人たちがありふれた家に住みたがり、若年期の人たちが高級住宅街の豪邸に住みたがるのに対して、
成人期の人々は自分の手で建てた家に住みたがります。
彼らは精神性が高められるような、美しく閑静な土地を選ぶ。


86: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 12:23:54.76 ID:W6R6sMKM0.net

成人期の特徴。

肯定的な側面。
開放的な感情、人間関係の重視、他人を気遣う、知覚が鋭い、霊的な成長に心を開く、
精神的な意義に気づく、若年期と老年期の両方の考え方に理解があるのでもっともバランスのいい年代。

否定的な側面。
他人と自分を同一視してしまう、感情的、テレビドラマのような芝居がかった行動をする、激しやすい、
神経過敏、次々と困難を引き起こして自ら犠牲になってしまうことがある。


92: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 12:34:28.99 ID:W6R6sMKM0.net

老年期の魂。

複雑な人間関係を通して成人期の課題を終えた、老年期に入った魂たちは、
存在の意義の探求へと乗り出す。それは精神性と呼ぶこともできる。
老年期は他人に何かを教える年代。
この宇宙の中での、私の存在理由はなんだろう?と問う。
彼らは自分も他人も、何かより大きく全体的なものの一部なのだと考える。
すべての人々の間にある、密接なつながり、結び付きにきづいているのです。
人と接するときにも、相手の中に自分と共通するものを見つけます。
日々の他人との関わりは、自分自身との関わりなのです。
この世のすべての人、すべてのものが、神の「部分」だからです。
人と人が話し合うことは体の一部が、別の部分と喋っているようなもの、つまり神の独り言なのです。


97: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 12:43:26.54 ID:W6R6sMKM0.net

典型的な老年期の魂は、個人主義でのんきであり、やりたくないことは滅多にしません。
美味しい食事やワイン、友達づきあいが大好きで、一般的に出世しようという気がありません。
とりたてて強い興味があるわけでもないのに、社会の同行や人々の心の中を鋭く洞察することができるのも彼らの特徴です。
彼らは9時から5時までのサラリーマンの仕事を嫌い、社会的には変わった人になりがちです。
企業の世界でスーツを着て働くくらいなら、貧乏してるほうがマシだと考えます。
老年期の人々は肉体労働をいといません。そうした労働を霊的な意味で理解し、楽しむのです。
彼らは個人的な欲求に合わせてスケジュールを決められる、自営業もしくは中小企業での仕事をしたがります。
自由な雰囲気が好きだからです。
老年期の魂は、園芸やワイン作り、教育、カウンセリングなどの職業に魅力を感じます。
また、哲学や芸術を愛し、自然にかこまれているとくつろぎます。


99: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 12:51:36.82 ID:W6R6sMKM0.net

老年期の魂の特徴。
だらしなく、怠け者にみえることがある。
男女の区別がつきにくい。中性的。なぜなら、どちらの人生も過去に何度も経験してきたから。
高等教育を避け、独自の研究や体験、現場の仕事から学ぼうとする。
技能を習得すること自体を目的としているので、修得してしまうと放り出してしまう。この行動はときに人を戸惑わせる。
旅行を真理の探求に役立てられる。
善悪の観念に縛られている若い魂の人たちと比べると、好色で快楽主義的な傾向がある。
心でとらえた真理や、インスピレーションに従おうとするため、変わり者にみえる。
霊的な真理の探求をまっすぐに目指す。
真理を察知する能力がどの年代よりも鋭い。
輪廻を卒業する前に、自分の知識を一人以上の人間に伝えなければならない。


100: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 12:58:52.55 ID:W6R6sMKM0.net

成人期や老年期の人たちはどの年代よりも、自己評価が非常に低い傾向がある。
魂が若いうちは自己評価が低くても気にならない。彼らの関心は外の世界で経験を積むことにあるから。
若い魂たちは他人との間にカルマを生み出しながら、経験を重ねていこうとする。
それに対し、年長の魂たちはそれまでにつくったかるまを完了することに関心をもつ。
彼らはもう、地上に戻らないからです。

老年期の課題にはカルマの成就と人間としての自分の価値の理解がある。
そして最後に彼らが学ぶべきことは、無条件の自己受容と、無条件の他者受容です。
そのためには自己評価の低さを解決することが不可欠。
自分を受け入れるには、寛大になること、そして自分を愛することです。


107: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 13:10:29.47 ID:W6R6sMKM0.net

老年期の魂は、特定の人格をもつことはあまり重要ではありません。
その人格も彼らが数限りない転生を繰り返して演じてきた多くの人格の一つにすぎないからです。
いっぽう、若い魂の場合は、現在の転生で使っている人格が非常に目立ちます。
今の人格以外に影響を及ぼすような転生をほとんどしていなからです。
その理由で、老年期の魂は実に柔和で多彩な態度をとることができます。

老年期の魂の肯定的な側面。
のんき、思いやりがある、気長、気楽、無害な変わり者、親切、霊的な気づき、鋭敏な知覚力、
寛大、寛容、哲学的、博愛。
否定的な側面。
引っ込み思案、貧乏、超自然的、人と意見が会わないときは自分が間違ってると考える、
じたばたする、怠け者、やる気がない。

112: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 13:32:55.45 ID:W6R6sMKM0.net

一通り老年期の魂まで書いてきた。
老年期の上には超越期、さらに上には無限期があるけど、この段階の魂になるともはや人間として肉体を持つ必要がなくなるので、
地上に生まれてこない。
そのレベルの魂を菩薩とか守護霊とか、神社の神様とかいう。
でも老年期の最終段階を経過した人は、生きながら超越期になることがある。
霊界の類魂と生きながら一つになる状態。すると今までの過去世の記憶がすべて思い出されてくる。
超越期の特徴として、特定の宗教を持たない。だけど霊的指導者として人々を導くようになる。
そういう使命をもって生まれてくる。ガンジーがそう。あと個人的にそう感じるのはやはり、
世界各地の霊的指導者。ラマナマハルシやクリシュナムルティやサイババやグルジェフとかじゃないかな。よくわからないけど。

無限期の魂が肉体をもって地上に生まれてくる場合、2000年に1人とされる。
キリストやブッダや老子やクリシュナなどがその段階の魂なのだと。


114: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 13:42:52.97 ID:W6R6sMKM0.net

古い魂からは若い魂のことがよくわかる。でも逆はわからない。
老年期の魂は、若年期特有の気持ちも心境も手に取るようにわかるけど、
若年期からは、老年期の考えも心境も理解できない。

自分のことでいうと、自分はたぶん成人期だとおもう。
だから若年期の物質主義とか、成功や地位やお金を求める気持ちもよくわかる。
でも現在はそういうものより、魂を高めるように生きてる。
成人期特有の、精神病みたいなのにもなったし、薬も飲んだ。現在は心霊力がでてきたし。
今自分が分からないこと。それは自分の中にある神我というもの。
自分と他人は一つで、神と自分と他人は一つという真理。すべてが神ゆえに自分も神であり他人も神であるという真理。
そこがまだ感覚的にわからないでいる。だから老年期の魂までいってないだろうと推測する。
老年期の魂レベルになると、その感覚がわかるようになるらしいから。
自分もはやくそうなるべく、悟るべく日々を生きてるよ。でも守護霊からはあせらなくていいとメッセージがくる。
ちゃんと導いてくださいよ守護霊様。老年期の魂になるために。


121: 1@\(^o^)/ 2016/03/08(火) 15:05:39.80 ID:W6R6sMKM0.net

肉体年齢が2歳の老年期の魂だからって、2歳のときからその気質を発揮するわけじゃないよ。
自分もたしかに、老年期以外の段階はすべて今生で経験してきた気がする。
それはたぶん、自分の魂年齢に相応しい肉体年齢に到達するまでのステップとしての経験なのかもしれない。
50歳になっても物質主義で地位や富を求めてるようなら、どう考えても若年期の魂だろうし、
20歳の頃は若年期の考え方でも30歳で精神世界に目覚め、50歳で神我と一つになるなら、
もともとの魂レベルが老年期でようやく肉体年齢が追い付いてきたということになるのかもしれない。
まさか、一回の地上人生だけで若年期から老年期になるわけがないし。
この本によると、魂が老年期の最終段階を終えて輪廻を終了する段階になるには、
49回から400回の地上人生を送ると書いてある。
あと、35歳から42歳になれば老年期本来の認識力を発揮できるようになるかもしれません、とある。
でもその認識力を使った行動ができるのは、平均すると3回の転生に1回だけなのだと。
理由として、人は霊的成長以外のことに気をとられてしまいがちだからです。
長い引用文を読まれた方、お疲れ様です。
ご自分のレベルがおぼろげにでも分かりましたか?

参考までに、以下自分について考えてみました。

あくまでもここに書かれたことに合わせて言えば、筆者は未だに幼児期の特徴も持ち越している気がします。(法律フェチで、善良さが好きだというあたり。ただし権力や宗教へ無条件に従う者ではない。本心からの尊敬が優先)

若年期の特徴だけは皆無。若さがないのだな。笑

最も自分に近いのは成人期でしょう、たぶん。

老人期はどうでしょうか。ここに合わせて考えるのは難しい。私は享楽的になれないし。

たぶん老年期で享楽的になるかどうかは魂の個性によると思います。
元から気楽な個性を持つ魂はのんびりした感じになり、そうではない魂はそうならない。当たり前。
劉備も晩年はここに至ったと思います。

>老年期の魂は、特定の人格をもつことはあまり重要ではありません。
>その人格も彼らが数限りない転生を繰り返して演じてきた多くの人格の一つにすぎないからです。
>いっぽう、若い魂の場合は、現在の転生で使っている人格が非常に目立ちます。
残念ながらこれは誤り。
魂は生まれた(分化)瞬間から死ぬ(統合)まで同じ個性で生きるらしいです。
この「最初から最後まで同じ個性を保つ」とはニュートン氏のインタビューによりますが、私自身の実感としてもそうでした。
自分の転生記憶は金太郎飴のように全部同じキャラという。まことに残念な情報。

>霊界の類魂と生きながら一つになる状態。すると今までの過去世の記憶がすべて思い出されてくる。
>超越期の特徴として、特定の宗教を持たない。だけど霊的指導者として人々を導くようになる。
確かに私は過去世記憶があるし、類婚に囲まれている感覚はあります。
でもそこまで行けるかな……未熟者過ぎる気がしますね。

条件として、誰か一人でも導かねばならないようです。
他人を指導できるくらいになれるよう、もっともっと研鑽せねばと思います。


お礼と余談


情報をくださった方へ、役立つページのご紹介ありがとうございました。
きっと多くの方の参考になるでしょう。

余談ですがこのサイトでまとめているスレは面白いものが多く、読みふけってしまいました。
オカルトっぽいものから雑談まで。⇒カオスちゃんねる-速報ワイとんでもないことに気付く

くだらないけど、私はこういう人たちが好きです。こういうことに真剣になるところが好きだ。笑

息抜きできました、感謝。
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サビアンシンボルと、魂の年齢


 とても良いご質問をいただいたので、回答します。

Q.

サビアン度数から魂の年齢とかって分かるものですか?

何故こういう質問が出てくるかというと、以前見てもらった占星術の先生に「あなたは比較的に幼い魂だね」と言われたんですよ、…略…
その占星術師があげた理由としては、惑星の偏り具合(吉野様も以前ブログ「単純な人、複雑な人」で惑星配置から経験値がある程度わかると書いてましたよね)、もう一つが十惑星のサビアン度数が全般的に若いから、でした。
…略…
サビアン度数でもこういった見方ってあるんですか?

サビアンの度数で魂の年齢を見る手法というのは、私は聞いたことがありませんでした。
すみません。何かの本で説かれているのかもしれませんが、あまり最近の占星術本は読まないので。

ただ松村潔先生など、メジャーなサビアン占星術専門家がそのような説を説いたことはないはずです。
そもそも西洋占星術では輪廻転生は「ないもの」とされていますから、メジャーな占星術師が「魂」や「転生」について説くこと自体、タブー。
松村先生はご自身も過去世記憶を持つことから輪廻転生肯定派ですが、西洋占星術の分野ではスタンダードセオリーから大きくはずれないことにしている気がします。(なので松村先生も太陽中心主義です)

ただ確かに松村先生も仰っていますが、各サインの度数が若ければそのサインの若さを表すと言えます。
 
 サイン前半 → 若さゆえ、勢いよく飛び出して行く(若年期)
 サイン半ば → エネルギーが充実して満ちる(成熟期)
 サイン後半 → 落ち着いてエネルギーをコントロール、次サインへの転換をはかる(老年期)

というイメージ。
このため、サイン前半に惑星が集中する人は若いエネルギーに満ちているとは言えるでしょう。

とは言え魂の年齢は、惑星のあるサイン度数だけで決めつけることはできないはず。
十惑星全てがサイン前半にあるならば、むしろ幼児期の可能性が低いのではないか、と私は思います。
比較的に若いことは確かなのですが、それなりに経験値があり、充分に成長した魂でなければ大きなエネルギーは扱えないからです。

活動力の大きいネイタルホロスコープ(人生計画)を幼児期の魂が持たされたなら、その人生の激しさによって魂が破壊されてしまうかもしれません。
※破壊とは深い傷を負ったり、最悪バラバラになるという意味であり、エネルギーが消失するわけではありません。ただし個性が修復不可能になるとは思います
このため、幼い魂にはあまり激しい人生計画は与えないのです。

前に私は
『「優れた人間性」の定義が、「有名であること」と言う次元の低さ』
で、有名人になる魂はレベルとして比較的に未熟なほう、と書きました。
これは地上で到達できる最高レベルに比べれば遥かに未熟、ということで、決して生まれたばかりの幼児期の魂というわけではありません。
著名人として生きる人生はかなり過酷です。
言ってみれば、十代後半~二十代前半の若者が挑むオリンピックのようなものです。
さすがに幼児期の魂では、絶対に無理でしょう。3歳児ではオリンピックへの出場資格すらありませんし、無理にそんな場所へ引きずり出されたら死んでしまいます。
さらに言えば、老年期の魂にも無理なことです。老いた魂が地上次元に合わせて生きるのはとても困難だからです。オリンピックは若者だけが挑める特別な場です。
なので、地上で活躍するに相応しい、活動力の高いホロスコープを持つ人は若いがそれなりに経験のある成長した魂の持ち主、と言えます。

――と、このように魂の年齢は回りくどく全体を見て推測していくしかありません。
決して、
「サイン〇度にこの惑星があるから、あなたの魂年齢は〇歳!」
とばしっと数字が導き出せるものではないわけです。
明確ではない回答で、すみません。

もう一つ、ご紹介いただいたURLの話。>>霊格、「魂の年齢」を知るための詳しい話

 

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勉強が好きか、嫌いかで人間の価値は決まらない(勉強嫌いだった劉備について)

 


〔2020/1/3推敲〕
プライベート要素が強いため歴史館へ移動できなかった三国志雑談です。常体記事。

「勉強嫌いだった」というネガティブ情報は不利なのか


昨夜、『先主伝(劉備伝)』の2を上げたのだけどさっそく不安を覚えている。

(現在は撤去した史実翻訳の話。同じ内容の記事はこちら:【正史実像】劉備ってどんな人?1 地元で超モテ!目立つ若者だった遊学時代

何故なら「あまり読書を好まず、狩りや乗馬、音楽を好んだ。また、流行の美しいファッションに身を包んでいた」という記述があるので。つまり勉強嫌いの都会的な遊び人タイプだったということ。
フィクション劉備ファンの方、史実はこんな感じの人ですが、大丈夫ですか……?

史実を書いているだけなのにディスっているように見られてしまう、という劉備の実像は悲しい。

あれでも本質は皆様が思う通りの人だと思うのだが。
なかなか本質だけ見る人は少ない。
アンチはこういった表面的な欠点ばかり責めるし、ファンの方もショックを受けるかもしれないなどと想像して気を遣う。

儒教的な価値観では史実の劉備のようなタイプは「悪」なのか?
私が致命的だと自分で思うのは、フィクション設定をおぼろげな知識でしか知らないこと。
だからフィクションファンの人たちの気持ちをほとんど理解していない、かもしれない。
それで知らずにフィクションファンの人たちの気持ちを踏みにじっていることがあり、申し訳なく思う。

だけど私は史実の劉備のほうが圧倒で好きなのだよね。(当たり前かもしれないけど)

昔、マニアの方に半強制的に横山アニメの『三国志』冒頭を見せられたことがある。だからフィクションで描かれる劉備がお行儀の良い好青年として描かれていることは知っている。
でも私は、あのアニメを見たときがっかりして、
「あんな人だったら誰もついていかないだろうな」
と思った。
フィクション劉備に私は関心が持てない。現実で彼についていった人たちも同じと思う。
「叔父さんに遊学費を出してもらったのに音楽などに明け暮れ・ろくに勉強せず・読書も嫌いで、しかし義に篤く言動が一貫していて、踏みにじられている人を見れば放っておけない」という現実の彼だからこそ皆がついて行ったのだ。「勉強嫌い」というところも含め、その人格の全てを皆が愛した。
(欠点を見て見ぬ振りをしたという意味ではなく、むしろ長所だった。勉強嫌いだったのに人としてはとても賢かった、という)

陳寿について私が本当に凄いなと思うのは、「勉強嫌い」といったアンチが喜ぶネガティブなエピソードも省かずに記録したところだ。
“神は細部に宿る”
と言うが、人格も細部に宿るもの。
たったあれだけのネガティブ記録なのだが、人格が薫り立つ。“らしさ”が感じられる。
陳寿はたくさんのフィクションを足したのだが、実はマイナスをしていない(肝心なことを省いていない)。
絶妙に人格を描き出すツボを心得ていた。だからこそ私は陳寿を凄い歴史家だと思っている。晋政府から「魏の曹操を美化し・蜀人物を戦犯として悪く描け」という圧力を受けていたなか、可能な限り史実を遺そうとした。天才ではないかと思う。


人間の価値は勉強量で決まらない


――前置きが長過ぎた。

何が言いたいのかというと、人間の価値は
「勉強が好きか嫌いか」
には関係ない
、ということ。

少なくとも私はそんな表面的な属性で人を判断したことが一度もない。

むしろ、どちらかと言うと「勉強が嫌い」で「読書しない」タイプを好きになる傾向があるのは自分でもどうかと思う。
 関連記事:読書嫌いのあなたに萌える (これは一般向け記事。バカっぽい表現でお恥ずかしいのだけど筆者の現在現実)

ただ勉強ができるタイプでも、それだけで嫌うということはない。同属なので会話がはずまなくて仲良くなれない、ことは多いが。
いずれにしても、勉強という基準で人間の価値は判断できないと私は思っている。

むろん、サイコパスは知能が低いという傾向は確かにある。
国語が苦手な人は暴力性を持つという話も正しい。
これは文脈つまり本質を読み取る「理解力」や「思考力」が乏しい人は犯罪者になりやすい、という傾向を意味している。

“知能の高い人が優しい”ように見えるのは、理解力や思考力が高いからだろう。
しかし理解力や思考力は、残念ながら知識・学歴(勉強量)と必ずしも比例しない。

何度も書いている通り、真に賢い人は勉強などしなくても本質を鋭く見抜くし、義が何であるのか生まれ持って知っている。
そのいっぽうで、どれほど学歴が高くても理解力がなく、「やっていいこと・悪いこと」が全く分からず、暴力で私欲を満たすことしか考えていない人がいる。現代にはわりと多い。

人類の永遠の謎は、
「勉学では人格を鍛えられない」
ということ。
昔の偉い人たちが長いこと、勉学で人格を鍛える方法を考えてきたのだが不可能だということが最近分かりつつある。

だから学歴や知識量だけで他人を信頼してはならないのはもちろん、勉強嫌いだったという人をあなどってはいけない。
“真の賢さ”
を持つ人こそを尊敬すべき
と思う。


追記 この記事は「勉強しなくてもいい」「勉強すべきではない」と主張する内容ではありません。勉強が役に立つことは間違いない。でもただ知識がない、学歴がないというだけで他人を差別するな、ということ。

2020/1/18 念のため、この記事は以下の記事と矛盾するようですが、実は同じことを述べています。
「知識」だけで人格を磨くことは不可能ということです。必要なのは知性(教養)であり、それは学校の勉強だけではなかなか身につかないのです。劉備は原石が素晴らしく、なおかつ実体験で教養を磨くタイプの人だと私は思います。
 
 
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「蜀ファンへメッセージ」に対するお言葉に泣かされています(返信)

 またこのジャンルへ戻り恐縮です。

先日上げた
『三国志ジャンルの捏造記事について +蜀ファンへメッセージ【拡散希望】』
に関して、温かいお言葉や情報をいただいております。ありがとうございます。
他にもご心配されている方がいるかもしれないので、差し支えのない範囲で、公開にて返信させていただきます。

〔アカウントロックを防ぐため一部改稿〕

■某国事情について教えていただきました

まず、某国における諸葛亮評価についてたくさんの書き込みを教えていただきました。深く感謝です。

【別館】諸葛亮は現代某国人(若い世代)にはどう思われているか?

真っ当な書き込みの数々に打たれています。
中国では一般の人々がフィクションと史実を明確に分けた知識を持っていることを知り、とても安心しました。そのうえで諸葛亮を人間として評価していることには激しい感動を覚えます。

崇拝するでもなく、愚弄するでもなく、対等な人として評価する。
かつて彼はこのように温かな人間性に包まれ、正当に評価されたことがあったでしょうか?

別次元の話ですが、私は日本人と某国人(知識層)との思考力の違いにも衝撃を受けています。

 

――以下はここで公開できませんので略。過去記事倉庫となります

■T様、泣かされました

12/5にメール送信してくださったT様へ。
有難いお言葉に泣かされてしまいました……。
正史翻訳の記事について。
吉野さん翻訳の三国志正史、蜀の人物だけでも相当な労力と時間が必要になるかと思いますが、もし公開していただけたらとても嬉しいです。
私は子供の頃、あちこちの本屋を回ったのですがフィクションしか見つからず、ネットで検索してヒットした、竹簡に中国語で書かれた画像の漢字から雰囲気で読み解こうとしたのですが途中で挫折し…笑
複数の作者の三国志を読んでみて感じたのは、登場人物の性格も、数も、出来事もバラバラでどれも鵜呑みにはできないということでした。

そうだったのですね。
竹簡から読み解こうとされるとは……。頭が下がります。

〔2024/8/25 『正史翻訳』予想以上に時間を取られるうえアクセスが少なかったため、現在は停止中。すみません。重要なことを書き終わった後、時間があれば再開します〕


『正史』が読みたくても読めず、そのように苦労している人たちの存在を知らなくて、私も今まですべきことに気付かずにいました。
とても全文訳などは無理と思いますが、死ぬまでには必ず蜀志だけでもネットに上げるつもりです。
その際、裴松之の真似をして私の考えも書いてみようと思っています。(あるいは、今までの記事にリンクします)
私の考えもある意味では「フィクション」の部類に入るはずですので、ご参考程度に。

私が正史を探していたのは劉備の本当の性格が知りたい一心だったもので、蜀ファンへの記事もとても嬉しく感じました。
劉備は国民のために立ち上がり、諸葛亮は劉備への敬愛を持ってその意思を継ぎ、国民のために最後の最後まで戦った。
それが一番最初に三国志を読んで私が抱いたイメージでした。
子供だったので理解できないところはあっても、二人が我欲や野心で動いていないことは感じていました。悪く書かれているのを見かけて、本当はどうだったのか当時の私はどうしても知りたかったのです。
涙……。

>劉備は国民のために立ち上がり、諸葛亮は劉備への敬愛を持ってその意思を継ぎ、国民のために最後の最後まで戦った。

その通り、その通りです。
本質はただそれだけ。
執着でも我欲でもなく、ただシンプルな義であり信愛でしかありません。

私も『演義』をあなどっていたことを反省します。表面的な設定はどうかと思いますが、本質は間違っていないようです。
と言うより、人間の気持ちをダイレクトに伝承した中国の民が素晴らしかったのだと言えるでしょう。
かつての日本の知識人も素晴らしかった。日本のフィクション三国志をリードした、吉川英治(横山光輝)なども誠実な作家さんだったのだなと今は思います。

それなのに本質を捻じ曲げて、人間の信愛まで完全否定する昨今の日本人(ある思想に偏った人々)は悲しいですね。
彼らも政治的な狙いから嘘を書いているのであり、何かの確信犯であるからこそ悪びれないのですが、そんな嘘を鵜呑みにしている一般日本人が悲しいです。
もっと心や感性、人間性を大切にして欲しいと願います。
ですから「あなた方が信じていたことの本質は真実です」というお言葉はとても嬉しかった。もう何年かこちらのブログには通わせていただいていますが、ためになる記事にいつも感謝します。
まっとうに生きる、という言葉がことあるごとに思い出されて、自分自身を見直すことが多くなりました。
何かお力になれればと思いますがブログもSNSもやっていないもので、拡散できず読ませてもらうばかりで申し訳ないのですが…(・・;)
私自身ももっと勉強して、知識を身につけてできることを探してみようと思います。

ありがとうございます。
書いてきて良かったと心から思います。

妄想と嘲笑されるだけの私の話、いつか誰かに真実のメッセージが伝わるはず……と信じて執筆を続けてきました。
この件については誰も耳を傾けてくれない、虚空に向かって言葉を投げているかのような状況が長年続いています。
孤独ではないと言えば嘘になります。

でも最近ようやく、あなたのような方からメッセージをいただくようになり、
「書けば伝わるのだ」
と確信できることが多くなりました。
生まれてきて良かった、生きていて良かったと今やっと思えます。

>何かお力になれればと思いますがブログもSNSもやっていないもので、拡散できず読ませてもらうばかりで申し訳ない

とんでもない。
人生を認めてくださるメッセージほどの大きな力はありません。感謝致します。

おかげで道が見えました。
これからはもう少し慎重になり、長くメッセージを出し続けていこうと思っております。
見守っていただければ幸いです。
そして何か間違いがあれば、ぜひ糺(ただ)してください。

 

 

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八陣図の元型? 「ホロスコープは陣形から生まれた」説を考えてみる

 歴史からSFスピリチュアル、果ては現代法律まで、我ながら色々書き過ぎているなと思います。
多ジャンルが渋滞しているブログで、まことに申し訳ないです。
占星術界隈の方々は最近かなり減った気がするな。

言い訳しておくと、前も書いた通り「壬」気質なので興味が色々と分散してしまうのです。(あるいは水瓶座気質と言ってもほぼ同じですが)
SEO的にはたぶん最も不利な性格なのだろうと思います。笑

やっと通常運営へ戻り、久しぶりに占星術の雑談を書きます。
でもやや歴史の余韻を残した内容で、陣形についての話。

以下、常体で書きます。


「古代、ホロスコープは陣形から生まれた」説があるらしい


前に少し触れたが、書けずにそのままとなっていた話。

ホラリー占星術師の河内邦利氏によれば、ホロスコープの12ハウスは古代の陣形から生まれた可能性があるという。
 ハウスが、なぜ12分割になったのか不明であるが、1つの仮説がある。旧約聖書には、レビ族(神に祈りを捧げる所有物を持たない一族)を別にして、12部族が登場する。聖書の記述とチャートが似ているのだ。

 聖書には、モーセが自分と同じ身分の奴隷達を引き連れて、エジプトからイスラエルへと移動をする場面がある。神はモーセに、移動中のテントを張る陣形について霊感を授ける。聖書の記述によると、神は、“レビ族を中心に置いて、四方に主たる部族を配置せよ”と命じ、更に、“主たる部族の回りに2部族ずつを配置せよ”と告げる。彼らは、その陣形を取りながら旅を続けたのである。停留のための陣形と、西洋占星術で使う「12のハウス」が、どこか似ている。

 アングルに主たる部族を配し、その回りに2つずつ部族を加えてみると、古典的な四角いチャートとそっくりな(図15)の陣形になる。

河内邦利『星の階梯Ⅰ』より
(図15)
筆者作成画像、粗くてごめんなさい。これはインド占星術でも使われる古代ホロスコープ。

陣形についてこの書籍で書かれている箇所はこれだけで、詳細は不明。
著者が言いたいのは、ただこの文献に基いて
「ホロスコープなんてものは神秘でも何でもなく、人間生活の営みから生まれたのだ」
ということのように思われる。

このタイプの先生は最近けっこう多い。占星術という神秘ジャンルでご飯を食べているはずなのに、何故か神秘を否定するという。
占星術を歴史学か文化人類学と同じだと考えられているのだと思う。そのような考えを持つことは構わないけど、だとしたらこのジャンルで飯を食うことは矛盾していると思うな。

なお、こちらの先生は文献を重視されている方。
そのため占星術を文献が残る時代以降の、比較的に新しい時代に誕生したものと解釈している。明確な文献が残っているのはエジプト王朝以降なので、ラー信仰の太陽崇拝に基づく占星術を正統と考えているらしい。したがって、当然ながら強固な太陽中心主義。天王星以遠の惑星も認めない。天王星以遠の惑星で当たっている場合があるとすれば「迷信」と一蹴するだろう。世間からは占星術そのものが「迷信」と呼ばれているのだけどそこは無視なのだろうね……。
(これらの点が納得いかなかったから、あまり皆様にお奨めしたくないと思って紹介を控えていました。初心者の方は購入をお控えください。上級者になって自分で考えられるようになってからがいいと思います)

ただエジプトやローマの文献にある占星術の話は面白かったし、上の陣形の話はとても興味が湧いた。
ちょっと考えてみたい。


陣形として、実用的にはどうなのか?


上の陣形は、「陣形」と呼んでいるが戦場の攻撃用ではないと思う。
軍隊以外の人々も含む、集団の移動用。
宿営(寝泊まり)の防衛から攻撃まで、幅広く展開できる形だと考えらる。

防衛が主目的となっていて、内側(中央)に女性や子供、高位の老人など弱い集団を抱え込み、その回りを親族など近親の男たちが囲む。
最も外側には外部の者、つまり雇いの兵士や援護部隊など戦いに適した集団を配する。
このような緩い円陣(狭い通りは四角)で移動していけば、敵に襲われた時も女性や子供を守ることができるだろう。

だからたぶん
「モーゼが脱出時に用いた」
と聖書にあるのは正しくて、部族で移動するためには理にかなっていると思う。

それとこれはおそらく、東洋における八陣図の元型でもあるはず。

西洋モチーフでは
「12」
で分割されるので分かりづらいと思うが、下のように外側の二部隊を一括りにすれば
「8」
となる。

(数字はただカウントのために表記しただけ。占星術のハウスとは一致していないので間違わないでください)

★八陣図とは:


諸葛亮も用いたと言われている陣形。
おそらくモーゼ時代に西洋で生まれ、ローマで用いられ、その後に東洋へも伝わった陣形だと思う。
あるいは、亮は異次元の方法で西洋時代の記憶を用いたのかもしれない、笑。/と言うのは冗談だけど、西洋の図形に馴染みは感じていた気がするな。なので得意としていた可能性はある。
(これは陰陽五行図とはまた別の話。ただ関連させることは可能かもしれない)


上の説は、たぶん逆だと思う


私が思うに、「古代、ホロスコープは陣形から生まれた」説は時系列が逆であるはず。

つまり
「陣形からホロスコープが生まれた」
のではなく、
「ホロスコープを陣形に当てはめた」
のでは?

東洋の場合、占星術や五行思想を陣形に当てはめたことはあっても、逆ということはない。
文献上もどちらが先かはっきりしているはずなので、
「陣形から五行が生まれた」
という話を誰かが唱えたとしても通らない。

同じように西洋占星術のホロスコープでも、陣形のほうが先ということはないだろう。

では何故、戦闘プロが占星術などの神秘図を陣形に用いるのか?
そんなことがあり得るのか?

答え。――あり得ます。

何故なら占星術などの高度な思想に基づく図形は、数学的で合理的であり、あらゆる場面で理にかなっているため。

太古から「神秘的な力が宿る」とされている図形が、物理学的にも理にかなった形であることは、最近少しずつ分かってきた。
たとえば神秘的なシンボルとされてきたハニカム(六角形)は、最もシンプルでありながら高い強度を出す形であることが分かったため、ロケットその他の強度を要求される物に応用されている。

このように太古から「神秘」と呼ばれている図形には、何らか物理にも影響を及ぼす力があるはず。
五行図や西洋ホロスコープも同様と思われる。
そのことはたぶん現役の戦闘プロなら直観的に理解できる。

また、影響は見える物理だけに留まらない。
古代人は占星術などに神秘の力を感じていたから、その形を利用するだけでも力が増すように思えて「見えない物理力」が増すと言える。

「見えない物理」とは、数字であらわすことのできる確定的な軍事力(兵器・兵員・兵糧等)を除いた、可変の要素のこと。※
兵士たちの精神の力も入る。「兵士の精神の力」とは単純に言ってしまえば「士気」ということになるが、現代で言う士気よりもう少し信仰心の意味合いが強くなる。「ゲン担ぎ」の強い意味合い、と表現したほうが正しいかもしれない。

だから西洋でも、陣形より占いのほうが先、と考えるのが妥当。

※戦闘における「物理」の意味


説明が必要と思うので他記事から転載しておきます。
〜実際の戦争は、子供騙しみたいなことの繰り返し。表(オモテ)は。
その代わり裏が大事で、物理的な準備(軍事力を整える。兵站を整え管理する)を徹底する。
現実の長期戦はそちらの物理的な力の差で決まる。
奇計だけで勝敗が決定することは、単発戦でない限りあり得ない。

 追記: ここは誤解する人が多いと思うので書いておくと、「物理的な力の差」には見える物理と見えない物理とがある。「見える物理」は兵器・兵員・兵糧など現に保有するものとして数値化できる軍事力。「見えない物理」には様々あるが、たとえばこちらの名に怯み敵が陣地を放棄する・地元住民がこちらへ援助する等々。天気も後者に含まれる。要するに可変ながらほぼ確実な状況の力。こちらは見えづらいが、軍事においては「物理」として計算されるべきもの。(ただし可変ゆえ、楽観的過ぎる計算をしてはいけない)


何が最も古いのか? 神秘も込みで考えてみる


このように考えて来ると、もしかしたらインドに伝わる四角いホロスコープはモーゼのエジプト脱出以降、陣形に当てはめた時に改変されたものかもしれない。

円形ホロスコープは新しいとする説が一般的。早くて紀元前一世紀頃とか。
その理由は、円形ホロスコープが古代に存在したことを裏付ける文献が見つかっていないから。
しかし、
「占星術は紀元前100年頃に確立した」
「古代には12星座さえもまだ考えられていなかった」
とする定説がギョベクリ・テペの遺跡発見で覆ったように(一万二千年前に今と同じ12星座の概念が存在していた。人間の文明社会が発生するより前に)、円形ホロスコープも原始から存在していた可能性がある。

もし宇宙人が地球原始人へ占星術の技術を与えたのだとしたら、円形のほうが先になると思う。
やがて陣形など実用に便利な「四角」へ改変され → もう一度高度な知識に戻ろうとした人々によって円形が使われるようになっていった。
こう考えたほうがしっくりくる。

占星術は文献ばかりに頼っていると真実が見えなくなるので、推測分析も必要だろう。
人類が文字を使えない時代に授かった知識なのだから。


(これはあくまでも思いつきのメモ。また暇があったら考えていきます)

 この記事内容を自分が考えたものと偽って盗用することを禁じます。

 


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