「ロジハラ」とは何? ハラハラ、我がままのために正論が潰される現代

 


「ロジハラ――ロジックハラスメント」という言葉を『ワイドナショー』で小耳に挟み。

あまりにタイムリーな話だったので、思わず前記事『怒ると怖い星座ランキング:水瓶座、3位入り』へ追記したのですが、別枠でもう少し分かりやすく書きます。

ロジックハラスメントとは


番組によれば
「自分が正義だとの勘違いのもと正論を言って逃げ道を作らず、マウントを取るハラスメント」
という意味だそうです。

具体的には。

「友人に愚痴を語ったら“お前にも非がある”と言われた。ロジハラ~」

「ミスをしたら上司に“何故、ミスをしたのか”と問い詰められた。ロジハラ~」

ということらしいです……。

え、非があることを指摘してくれた友人をハラスメント呼ばわり? 上司が部下のミスについて「何故そのミスが起きたのか」理由を考えさせ、ミス再発を防ぐことも“ハラスメント”??

友人はともかく上司には部下を指導する義務があります。それなのに仕事で指導をしただけで「ハラスメント」レッテル貼りとは。職場で怒られるたび「パワハラで訴えるぞ!」と叫ぶ流行より酷いですね。

上司は部下がミスしたら、ミスの理由に関係なく必ず解雇すべきということですか? ロジハラを憎む人たちは「弁明の余地も与えられずに解雇されたい」ということ?

もう、何をどうして欲しいのか。滅茶苦茶です。


「正しいと勘違いしている者が正論を言う」、はおかしい


昨今、妙なハラスメントがたくさん発明され過ぎていて、その馬鹿馬鹿しさに苦笑することが増えましたが。

今回の「ロジハラ」は今までで一番笑いました。言葉の定義から既に矛盾していて、おかしいからです。

自分が正義だとの勘違いのもと正論を言って……
日本語が滅茶苦茶。

“勘違い”と定義されているということは、相手方のほうが100%間違っている(つまり正義ではない)と断定していることになります。いったい、いつ・何故そんなことが判明したのかは謎ですが。「アタシに文句言う奴は完全に悪で間違っている」との断定ですか。そんなハラスメントを主張する側のほうが傲慢な気がしますが、気のせいでしょうか。

まあ仮にその人の主張が間違いだと断定されたとして。間違いなのに「正論を言う」との表現はさらにおかしい

完全に間違った言い分を主張している者の発言は、言葉として「正論」とは呼ばないです。正しいからこそ「正論」と言うのですから。

(こういうのがロジハラ? 笑、上等ですよ。何でも「ハラスメント」と言って相手の言論を封じる前に、まずは日本語の誤りくらい正してください)

似非ロジックを「正論」と呼ぶのは誤り

ネットでロジハラを検索してみて思ったのは、おそらく大多数の人は

1.明らかに間違った主張を、一見筋が通って見えるような(でも実は筋が通っていない)こじつけ論理で押し付けてくる行為
2.相手の評価を落としたい・マウントを取りたい(優位な立場を得たい)というだけの目的で、相手の小さなミスを探して責め立てる行為
などの嫌がらせを指して「ロジハラ」と呼んでいるらしいということです。
これらの嫌がらせはどちらも「正論」ではない、似非ロジックと言えます。

これはモラハラDVです

1はモラル・ハラスメントのDVでよく行われることではないでしょうか。また、犯罪者が自分の罪を正当化するために使う手法※でもあります。

※K産思想で使われる伝統手法。どこからどう見ても明白な嘘なのだが、こじつけの論理を大声(工作員大量投入)で主張することによって「事実」であるかのように捏造してしまう。これによって殺人犯が善人に、被害者が悪人に反転。歴史も書き換える(実例)。どのような犯罪行為も可能になる、と説く

ライバルを貶める謀略

次に2のほうは、政敵などを陥れ、社会的評価を落として潰すために用いられる謀略ですね。昨今の国会や日本のメディアでもよく行われています。

友人間でも行われることが多いのでしょうか? 女性同士の足の引っ張り合いや、男性同士の蹴落とし合いで悪口言いふらし? そのように裏で貶め合う関係なら「友人」とは呼べないのではないか、友達ごっこやめたら?と私は思いますが……。

もしも上司から、毎日のように小さなミスを過剰に責め立てられ精神的に追い詰められたなら、確かに虐待で犯罪と言えます。その場合は判例も多く出ている「パワハラ」となります。

「ロジハラ」では言葉の意味も矛盾していて筋が通りませんので、裁判で認められることは有り得ないでしょう。正論では責任を問うことはできない、何故なら上司が部下を正しく指導するなどの「当な理由がある場合はハラスメントに該当しない」からです。

似非ロジックで押し通すことは、「詭弁」と呼ぶ

一つ、このような場合にぴったりの日本語をご提案いたしましょう。

間違った主張をあたかも筋が通っているかのように見せかけた似非論理で押し通すことは、「詭弁(きべん)」と言うのです。

参考:Wblio辞書より

き‐べん【×詭弁/×詭×辯】
1 道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論。こじつけ。「―を弄(ろう)する」

2 《sophism》論理学で、外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法。

[補説] 1は「奇弁」、2は「危弁」とも書く。また、「弁が立つ」との混同で、「詭弁が立つ」とするのは誤り。

正しくない論理を「正論」と呼ぶのは言葉として誤っているので、ぜひこの「詭弁」という言葉を使ってみてください。

我がままな人が言い逃れるためのレッテル貼り


モラハラやパワハラに当たる「詭弁」を責めているのではなく、ほんとうに「正論が嫌だ!」という意味でロジハラを主張している人たちもいるようです。

そんな正論を憎む人たち曰く、
「私がどんなに悪いことしても共感してナアナアにして欲しい。罪を責めずに、太い逃げ道を作って欲しい。(そうしない奴は悪!!)」
とのこと……。


確かに正論を言うべきではない時がありますし、言い方が悪ければ不必要に相手を傷付けますから、「ロジハラ」と言いたくなるのも分かります。
でも、いつもどんな場合でも「正論は悪」と主張。とにかく「正しいは悪」と意味不明のことを主張し、「どれほど悪いことした者でも正しく裁いてはダメ、無罪放免にすべき」と声高に叫ぶ。……これは完全に人としてアウトと思います。

私はこの「ロジハラ」という用語を知ったときに、昨今の自己中心的な犯罪(児童虐待・快楽殺人・レイプ)や、たくさんの死者を出す危険運転による悲惨な事故を思い出しました。罪は明白なのに加害者たちは「アタシ悪くないもん」と言い張る。彼ら彼女らは自分を裁く裁判官のことを「ロジハラきもい! あっちが犯罪者!」と責めているでしょう。

こういう我がままな人が、現代では実際たくさん増えています。私もプライベートで何度か遭遇しています。

なんだか、世の中がさらに我がままな方向へ流れている気がしますね……。

とにかく嘘や罪がばれても一切謝ろうとしない、それどころか被害を訴える人に対して「あなたたちのほうが悪い!」と逆に責めて正論を封じようとしますので、まるで価値観の違う異次元空間に迷い込んだかのような気分になる。被害者はもちろん、事件に関わった法律家たちもメンタルにダメージを受けてしまいます。

正しいことが潰されてしまう現代。何故か加害者だけが優遇され言い逃れを許す社会ですので、被害者は永久に救われません。


ハラスメント・ハラスメントに注意


なお、何もかもハラスメントとレッテル貼りして他人より自分を優位に置こうとする。こちらの行為こそ実は最近「ハラスメント・ハラスメント」と呼ばれ問題となっています。これは法的にも訴えることが可能と思いますので、気を付けていただきたいです。

ハラハラの定義は以下のサイトが分かりやすいです(太字強調は当ブログ筆者による):
ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)とはなんですか?

ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)とは、自身が「嫌だ、不快だ」と思った他者の行為や言動について、「ハラスメントだ」と過剰に主張する嫌がらせ行為です。

…被害者にとって声を上げやすくなった半面、本当に被害者なのか怪しい社員も声を上げてしまうという嫌がらせも発生中。それこそが、ハラスメント・ハラスメント(ハラハラ)です。


余談ですが、このように「ハラスメント」を主張して会社組織を潰す手法も、伝統的にあの集団が行ってきたものです。かつては「労働闘争」と呼ばれました。

(ややこしい話だったのでカット)


現代では「ハラスメント」というライトな言葉に言い換えているだけで、やっていることは同じ。

それだけではなく、正義正論破壊で社会全体・国家を壊し、人間性を奪うための謀略として計画的に行われています。

今、Twitterなどで「ロジハラ」との言葉を拡散しているのもあの集団でしょう。日本のコミックでも「正義なんか無い」と主張されて善悪反転の洗脳が行われています。


行きつく果てはあの殺戮地獄の世の中。これは大げさな妄想ではなく、現実として人間性を破壊することで地獄を実現させた歴史があることをどうか知っていただきたいです。

「ロジハラ」を責めているほとんどの女子たちはこういった背後の狙いに気付かず、夫や彼氏の理屈っぽさを責めるためだけにこの言葉を使っているのだと思います。でも、今のまま正論を潰す我がままを続けていたら子供の教育は一切できなくなりますし、いずれ自分が被害者となったときに誰も助けてくれない社会となっているでしょう。(すでに日本は概ね実現していますが)

もう一度下の記事を貼っておきます。道徳から出た正論は人間性を守るための免疫:


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引き寄せ法則と運命絶対論、どちらも信じ過ぎてはいけない理由〔運命論2022年版〕

 


「運命 VS 自由意志」の論戦が、未だにあちこちで繰り広げられているようです。
同じ話を繰り返して申し訳ないですが、この件について2022年の現在における考えを改めて書いておきます。

引き寄せ法則が相変わらず大声で叫ばれている

近年は“引き寄せの法則”大盛況のために、自由意志が絶対的に正しい・運命など完全に存在しないという主張のほうが有力です。

有力、と言っても正しさが証明されたわけではなく、
「人生は完全に自由意志で選択できる。どんな未来も思念で引き寄せて、好きな夢を実現できる!」
といったご都合主義を歓迎する人たちの声が大きいというだけです。
(例によって数は少ないが、工作員の声が大きいため多数派であるように錯覚させられている)

結果、この運命否定論は我がままな欲望家の言い訳として利用され、
「我々は何を求めてもいい。道徳は無い、神も罪も存在しない」
と叫んで蛮行にふける者が増えました。

“引き寄せ”を信じる人たちは誹謗中傷だと怒るでしょうが現実を冷静に眺めてください。
実際、そうなっていませんか?
今まさに、歪んだ自由主義による破壊活動が世界中で進行中ではないですか。

何故こうなってしまったのか源流を明かすと、“引き寄せ法則”もアンチ神つまり悪魔崇拝のサロンから生まれた魔術だからです。

引き寄せを推進している首謀者たちは、善悪を破壊し世界を反転させ地獄化すること=蛮行フリーダムを実現することを本質的な目的とし、実行しています。
(一見、“引き寄せ”は反唯物主義で蛮行に対抗しているように見えますが、実はそうではなく同じ集団からの分派なわけです。…ややこしい。いずれ整理して書きます)

そのような思想背景は数年前の私には見えていませんでしたが、“引き寄せ法則”の危険性には早いうちから気付いていて、当ブログでもたびたび「引き寄せの誤り」を指摘してきました。

たとえば:
危険なスピリチュアル、「色即是空」の甘い罠

今考えると「西洋人が知らないのをいいことに、仏教や陰陽道を適当にパクって繋ぎ合わせただけの詐欺思想」と言うのは誤りでしたけどね。アンチ神、アンチ世界の立場から生まれた彼ら独自の思想(願望)でした。
ただ、東洋思想を曲解で援用し箔をつけている部分はあると思います。

「引き寄せ否定者イコール運命論者」というわけではない


このように私は若い頃から“引き寄せは危険”と直感していましたし、自身の転生体験に照らしても誤りだと分かっていたので反対の立場をとってきました。

しかしだからといって運命絶対論者ではありません。
「人間を監視している神様が、人間に運命を押し付けている」
「神様の創った運命は絶対だから従わなければならない」
と考えているわけではないということです。

故に、キリスト教の牧師のように単純な
「上から目線の道徳教師」
でありたいと思っているわけではないのです。

こちらで書いた、道徳教師を受け入れるとは「周りが道徳教師と呼ぶから仕方なく受け入れる」という意味。私自身は地上に輝く義の星、動かぬ真善美を信じていますが、それを見つめることは羊を調教するキリスト教の牧師とは違うでしょう。

“引き寄せ法則”の誤りを指摘しただけで
「運命絶対論者。奴隷根性。偽善の道徳教師」
とレッテルし、反射的に石を投げつける癖やめましょう。

それはいわゆる「ネトウヨ」認定の弾圧と同じ、手当たり次第に敵とレッテルしたいだけの脊髄反射。
どうしても二極でしか生きられないのは人間の本能、逃れることが難しい癖なのかもしれませんが、そろそろ現実の相手を見て話をしていただきたいです。何度も説明するのは時間の無駄ですから。

運命について、過去に筆者の考えを書いた記事はたとえばこちらです。

【運命論まとめ】 「幸せ」って何ですか? 因果応報、カルマの受け取りも自分で選んだ道

ここに引用したメール文の主は筆者に石を投げているわけではなく、他の人の主張と混同して疑問をぶつけてこられただけなのですが、おかげで考えをまとめることができたので感謝しています。
それにしても冗長な記事で、すみません。拾い読みでもしていただければ筆者の考えが見える… かもしれない。

簡単に述べると、私は“引き寄せの法則”を推進することには反対ですが、運命絶対論者でもないということです。地上では運命プログラムを実行すべきと考えますが、実はその運命を創造しているのは自分自身だと言っています。

だからつまり、筆者へどうしても分かりやすいレッテルを貼りたいなら
「仏教信者」
ということにしておいてください。因果律を説く仏教が私の思想に最も近いので。

もちろん特定の仏教宗派を熱狂的に信心しているわけではありません。
実家は何らかの仏教宗派に属しているはずですがはっきり知りません…申し訳ない。
ただ自分の体験した真理に最も近い表現をしているのがインド思想であるから共鳴している、というだけです。厳密なインド思想や仏教の各宗派とは違うところもあるはずと思いますね。(そもそも、仏教も正しくはインド思想と言えないし)

「引き寄せ」「運命絶対論」どちらも地上を地獄化する


以上の運命に関する私の思想は、完全に自身の体験から語ってきたものです。
何かの教科書で植え付けられた思想を布教してきたわけではないのですね。
ぶっちゃけ私はこのジャンル好きの他の方々に比べ、圧倒でスピリチュアル本の読書量が少ないほうでは?と思います。
(たびたび引用してきたワイス氏やニュートン氏の書籍は、あくまでも他の方の体験と比較し自分の体験を分析するために読みました。体験事例は参考にしていますが、思想部分を盲信しているわけではなくニュートン氏個人の思想も私とは異なります)

したがって、純粋に体験事例としての“真理”を述べてきただけに過ぎず、宗教団体まして社会思想とも何の関わりもありませんでした。

しかし最近思うに、どうやらこの運命に対する考え方は想像以上に社会へ影響を与えているようです。

たとえば“引き寄せ法則”の
「未来は完全に自分で選べる、ワクワクするなら何を求めてもいい」
という思想が我がままな人たちへ免罪符を与えてしまった。
欲望のままの現実を引き寄せていいとされるから、邪魔な政治家を殺していいと思っているし、金持ちから財産を強奪することは正義だと思っているし、都合のいいように歴史を書き換えることが可能だと思っている。そうして欲望を引き寄せるために嘘を唱え続けている。
“引き寄せ”が犯罪を引き寄せてしまったのですね。

いっぽうで“運命絶対論”も、
「悪いのはこの運命を創って押し付けた神様。私が悪いことをするのは、私のせいじゃない」
と責任放棄するための言い訳として使われがちです。このため犯罪が増える。
あるいは、教会や政府などの権力が民を奴隷化し、従わせるために「神の命令」で弾圧する。実際、欧州の暗黒時代にはこの思想に基づき、神を振りかざした全体主義が横行しました。今はまた別の物神が全体主義を推進していますが。

どちらの思想も欲望を貪る人、我がままで無責任な人の言い訳に使われてしまい社会を地獄化します。
と言うことは、社会プログラムとしても現実に害をもたらすから、引き寄せ・運命絶対論を信じ過ぎてはいけないと言えるでしょう。

そのように二極の地獄を招かない第三の道は、やはりカルマ論・因果律しかないと思います。

因果律は欲望を無制限に貪ることを許さず、強奪や無慈悲な殺戮を許さず、無責任にならず、それでいて奴隷にもならない。
「他人にしたことは自分へ帰る」という報いの思想が自然と善を行わせ、犯罪の抑止になる。
自分自身の責任において未来を創造(クリエイト)しながら、自身で選んだ約束事(運命計画のこと)を果たすために生きていく。

…社会プログラムとしても完璧※な思想と思います。

私は真理への道として因果律を説いてきただけですが、真理にかなう思想は地上の社会プログラムとしても優れていることになりますね。

※補足:実際には「因果律」も社会プログラムとして実行した場合、罪を犯したい者たちの言い訳に悪用されることがあります。たとえば「虐待されている子供は自らその人生を望んだ」などと言って、虐待を正当化したり。快楽殺人者たちが、「被害者が望んだ」と言ったり「前世の悪事が本人に帰っただけ」と言ったり。現実そこまで単純な運命計画はありません。続きの記事参照。
未熟な人間の社会では弱者を守るための刑罰は絶対必要ですし、道徳教育も必須です。そのような仏教の不足を、東洋では古典的な儒教が補ってきたと言えます。


続き>>未来も過去も書き換え可能!? スピリチュアル量子力学を考える〔運命論2022年版-2〕
 
 
 
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ホールサインハウスは当たりますか? 自分のネイタルで考察してみた

 


久しぶりに占星術へ興味が戻ってきました。

と、言うより、占星術こそ世界の思想戦争の最前線であったことを確信したため一周回って戻った感じです。
“知識欲が湧いて眠れなくなる”という子供のような体験をしました。今さら本当に遅過ぎるのですが。

さて、この件に関し、昨晩はもう一つ占星術館にて記事を上げました。

【別館】ホールサインを考える。伝統に偏り過ぎないこと

ホールサインハウスという、東の地平線上にあった星座そのものを起点とした古代の計算手法があります。
最近このハウス計算を激しく推して、「伝統が正しい」と他の手法を全否定する人たちが出てきたらしい。
それはそれで偏った形での「伝統回帰」の思想。
伝統的な善悪を復興させるべきと考える私にはありがたい流れですが、原理主義はいただけない。
あまり伝統復古という思想活動にのめり込み過ぎないでくださいね、という話です。

経世済民で大切なのは生きている人々の生活、現存の国を守り継続していくこと。
同じように、占いで大切なのは鑑定対象のための真理です。

そのために原理主義で思考停止するのではなく、現実に照らして道理・合理の方法をその都度選んでいくべき。
これが「第三の道」つまり中道です。

面倒ですが、常に思考活動していくしか人の生きる道はないと言えますよ。
車の運転に似ていますね。運転手はハンドルを調整しながら車線内の中央を走り続ける。両端へ寄り過ぎては車がぶつかって大事故になります。
(AIなどに完全に委ねて思考停止するのも危険です)

ホールサインハウスは当たるのか、実例


前置きが長くなりました。ここからが本題です。

その「ホールサインハウス」は実占で当たるのかどうか?
別館で曖昧に所感を書きましたが、ここではプライベート館らしく自分を例として具体的な話をします。当ブログへ通ってくださっている方には分かりやすいのではと思います。

では、主な違いを上げて考察してみます。

【参考】筆者ネイタルチャート(書籍読者様限定)

ハウスが一つの星座で占められる違和感


まず当たり前のことですが、アセンダントではなく上昇星座0度を起点とすると、ハウスが全て一つの星座で占められることになります。

だからこそホールサインはシンプルに占うことができて初心者向きではあるのですが、各ハウスに入る星座の割合で読むようになった後では違和感を覚えるのではないでしょうか?

特に、本人自身の性格を表す第1ハウスが一つの星座で占められることは激しく違和感ですね。
これで性格占いをするとなると、結果として太陽星座占いとあまり変わらない単純な12分類となってしまいます。
それでも上昇星座占いは、太陽星座占いよりも遥かに当たると思いますが。

何故、ハウスを一つの星座が占めるべきではないのか。
それはアセンダントが後半以降にある人には特に実感として分かりやすいと思います。

たとえば私の場合、上昇星座は「水瓶座」です。
しかし私は純粋な「水瓶座」と言えるほど完全合理な人間ではありません。

たとえば道理を合理と同一視しているが、純粋な水瓶座はそうは考えないかもしれない。
自分の場合はウェットな部分が無意識の大半を占めているらしく、やはり半分は魚座なのだなと実感しています。

前に読者様からのご提案で確信した、『私が「よく泣く」理由。パーソナリティは第1ハウスのサイン全てであること』の分析が妥当。

このように私自身が良い例ではありますが、多くの人を鑑定していても同じ結論を得ます。
誰にとっても純度100%の星座が1ハウスを占めるとは、現実に照らしてとうてい考えられません。

木星は第12ハウスのほうが妥当


ホールサインで計算すると私の木星は第1ハウスに入ります。

1ハウス木星の解釈は、
「おおらかでお気楽、善良な性格。人気者。自我が拡大することがある(自己主張が強くなる)」
などとなります。

“お気楽”な性格であることは否定しません。笑(もっとも気楽さはアセンダントのシンボルにも表れています)
“人気者”は微妙…前世では人気を得たのかなと思いますが、現世はそうでもありませんね。圧倒で無名。
それと、ブログや創作では仕方なく延々と自分について話をしているので「自我が強い」と勘違いされていそうですが、現実では自己主張が得意なほうではありません。

これと比較をすれば普及しているハウス計算(プラシーダス等)で出した場合のほうが現実を表していると分かりますね。

通常計算で、私の木星は第12ハウスとなります。
12ハウス木星の解釈は、
「隠れた存在。加護を受けている(神秘な世界、または隠れた組織などバックが強い)。気付かないうちに助けられ、助けている」
など。

やはり今の私の実人生はこちらのほうが正解だと言えます。
たとえば有名ではない。ある意味、強制的に隠されている。
神秘なオーディエンスから強い加護を受けているらしく、身動きが取れないほどの箱入り。
たぶん気付かないうちに助けられている。
また、面識のない人から時々「あなたに助けられた」と言われる。
等々。非常に的中しています。

第9ハウスが主題?


ホールサインの場合、通常計算では第8ハウスに集まっていた重要惑星が第9ハウスに入ることになります。
9ハウスが主題となるホロスコープです。

9ハウスは
「遠方、外国(移住)、哲学、思想」
の室。
哲学や思想と解釈すれば当たっている気がしないでもない。
しかし9ハウスが強い人は現実で遠方に移住したり、外国への憧れを抱く傾向があります。ところが私には外国に移住する計画も願望も今のところありません。外国との縁も薄いです。
若干、中華には縁があるようですが、中華に「遠方の外国」というイメージは無いですね。自分にとっては心の故郷ですから。

どちらかと言えば第8ハウス
「死と再生」
が強くなっている通常計算のチャートのほうが、輪廻転生と死後世界を主題としている私の実人生に近いです。

第10ハウスに惑星なし? 神秘が消えるのは不可解


ホールサインで計算すると第10ハウスに惑星がなくなるのですが、さすがにそれは無いかなと思います。
まあ「お前なんかに天職などない。お前なんかお呼びでない」と言う人は多いでしょうけど、オーディエンスたちにとってはそうではなさそうです。

特に、あの惑星が10ハウスから消えてしまうのは違和感ですね。

ホロスコープの天頂であの星がスタンバイしていることが、自分のテーマを表しているという気がするのですよ。ずっと。

進行チャートで最終的にその星と金星が重なることも、10室が自分の人生の中心である証。
前前世で見た「明けの明星」を意味しているのだろうと思いました。
 →この話の詳細



シンプルなホールサインは若い人向きか


…考察はこのくらいで充分でしょうか。他、細かい話は割愛します。

全体に眺めますと、私のホールサインで描き出される人生はのどかでお気楽な人気者。友人に囲まれて楽しく暮らしていくような人生となり、「羨ましい」と思いました。
もしこれが自分の現実なのであれば、肩の荷が下りてラクなのにと思ってしまいました。
しかし実人生はこのホロスコープとかなり違うので、少なくとも私にとっては「ホールサイン計算は誤り」という結論になります。

ただ、この結論が得られたのはもしかしたら私の年齢のせいもあるかもしれません。
若い頃と違って、複雑な自分の性格や人生がよく見えるようになったからです。

若い頃なら「ホールサインこそ正解!」と思っていたかもしれませんね。
シンプルゆえに、大雑把に“当たりを付けやすい”。と言うことは初心者でも「当たる」という感覚が得られやすくなるわけです。

それに、若い人にとっては大雑把な地図こそ有用となることがあります。細かい道筋に縛られると動きづらくなることもある。だから歩き始めは細かい道を省いた、ざっくりとした陸を描いたイメージ図のほうがいい。
そのようにホロスコープを見る第一歩として活用できる点が、ホールサインの利点と言えるでしょうか。
慣れてきたら精度の高い地図を見れば良いのです。

いずれにしろ私にはホールサインという手法を全否定するつもりはありませんので、ケースに応じて役立てていただきたいと思います。
「ホールサインは唯一正しい手法だ」などと他人に強要するのは違う、とだけ言っておきます。

 

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