三国志史実キャラクター論、思いがけず筆が乗りました

 


MBTI、今回の結果を受けて歴史館の記事を大幅に改稿・追記しました。

 
【別館】「三国志(正史)でMBTI」、参考に考えてみた

 

 いただいたツイート主さんのご意見のおかげで、思いがけず刺激されて色々と文を追加することができました。
(いつものことながら感謝する相手にも反論してしまうのは申し訳ないですね。史実に反することは述べざるを得ない。ほんとうに他意も悪意も無い)

今回、劉備についての記述が増えました。
「上品ではない」などと、きっとファンの方は怒ると思いますが、貶めているわけでは決してないです。
上品ではない史実(現実)のほうが私は圧倒で好きですけどね…。当たり前ですが。

それから関羽さん・張飛さん・姜維についてMBTIを推測しています。短文で恐縮です。

孔明については遠慮なく変更、追記。
INTPという推定で書き替え、前回リンクしたサイト様を参考として追記しています。また、反論への反論で補足が増えました。
この間まで自分自身についてもINTJと思い込んでいたくらいですから、このたびの変更も絶対に正しいと主張するわけではないですが(そもそも性格分析の定義は絶対的ではないのです)、MBTIについて以前より詳しくなった今の目で見るとやはり孔明はINTPのほうが妥当と思います。

…等々

このように語ることができて良かった。

実はメジャーな三国志人物について、史実の解説文を書かなければとずっと思ってきました。しかし気が引けてしまって書けずにいました。
やはり孔明と違って他の人物に対しては遠慮があります。

孔明は遠慮ゼロで表現できるから筆が進むわけです。それと不当な貶めに反論の必要があるので書いてきました。別に好きだから記事が多くなってるのではありません。笑
好きな人ほど筆が進みませんね。
劉備の話はきっと書けば幸福で楽しいのでしょうが(今回少し書いただけで楽しかった)、あれこれ考え過ぎて単記事化に躊躇しています。

劉備だけではなく、たとえ曹操でも、遠慮なくがつがつ書くというわけにはいきません。
もっとフィクションなども勉強してから書こう…。などと考えているうち、時が過ぎ。結局いつまでも書かずじまいとなっていました。

このたびMBTIに乗っかった形ですが、こうして少しでも彼らの史実についてお話ができたことは良かったと思っています。
刺激をくださったツイート主さんには深く感謝。

INTJかPか? デスノで言えば


余談です。

今回、自分も晴れて?INTPということで結論が出てスッキリしました。
それで少し他のサイトでもINTPの解釈を読んでいたのですが、Jよりも圧倒でしっくりきますね! 「違う違う」と抗議したくなるところが、あまりない。

一点だけ、あるMBTIサイトで
『デスノート』で言えば、LがINTP
と書かれていたとき抵抗したくなりました。

★デスノートについて以前書いた記事はこちら。『手段を選ばず、について私が思うこと

L……かあ… エルは嫌だなあ(笑)と。
申し訳ない。

自分は身なりに気を遣えない感じではないし、あれほど見るからにの変人じゃないよと思ってしまう。
これも外見上はJを装っているということでしょうか? 一応はがんばって身なりに気を遣、っているつもりです。
このため見た目にはライトのほうになると思います。たぶん。
(勘違い?? あそこまでスマートでお洒落ではないか。意外と身近な人に言わせれば「エルっぽいところあるある」と答えが返ってきそうで怖い)

何よりLの、甘い物だけ山盛りにして貪り食べる生活は嫌ですねえ。絶対に見習いたくない。

…ただしそう思うのは「甘い物」だからかもしれません。スイーツが苦手なだけという話も。笑
確かに甘い物でなければ偏食の気があり、ううむ。

まあ抵抗しているが、確かにLのほうに近いのかもしれません。

ライトには当初の動機には共感しましたが、保身のために無実の人を殺し始める辺りから「いい加減にしろよテメー」と思うようになりました。
もちろん読者の全員がそう思うように話を造られているわけですが、私は「絶対にお前みたいな奴は許さない」と思う程度が強いと思います。
エルの振りかざす道徳には気恥ずかしくなるものの、確かに今も現実あのような台詞を連発して「正義を振りかざす偽善者」と叩かれているわけです。だから、エルで妥当と言えるでしょうか。

ところで、この『デスノート』の喩えで気付きましたが、世の中の人たちはINTJ×INTPの知略戦が好きなのかも?

ライトとエルの戦いはINTJ VS INTPということになります。
昔から、司馬仲達 VS 諸葛孔明の戦いで盛り上がる伝統があるのもそのせいかもしれない。

現実の戦場では『超限戦』で「手段を選ばず」なINTJのほうが強いのであのような結果となるわけですが、長期的に見ればどうなのでしょうか。
人として、道義は守ったほうがいいと思うな。

 

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INTP・フクロウ型「非凡な知性を持った研究家」でした【MBTI結論】

 


 

以前から自分でも疑問に思っていた、INTJというテスト結果はやはり修正の必要性があるようです。

MBTI決定版に巡り合う


今回、良質なサイトに巡り合って結論が出ました。
こちらのサイトは決定版と言って良さそう。心理学の基礎を踏まえ、MBTIに関する世間の迷信を排除した詳細な分析です。私もようやく納得がいきました。

2021/5/29現在 筆者結果:
『yoshi』の性格タイプ/
非凡な知性を持った研究家
フクロウ型
(INTP-メインスキル思考力)
*あなたはフクロウ型の中でも、思考力に特徴を持っているフクロウ型ですので、メインスキルは、『思考力』になりました。


yoshiさんの属しているフクロウ型(INTP)は、多くのIT長者や偉大な学者が属していると推測されるタイプであり、全動物タイプの中でも最も高い知性を持っていると言われている研究者のようなタイプです。…多くの理論や発明が、このフクロウ型の高度な思考力によりもたらされていることは言うまでもないでしょう。…
フクロウ型は天才と言われることが多いかもしれませんが、それと同時に孤独を抱えることになるでしょう。また、コミュニケーション能力が低いことも多いので、他人の気持ちを理解できず空回りをすることも多い欠点を抱えています。

16TEST 精密性格診断テストより ※一部有料 このリンクはアフィリエイトではありません


>天才並みの思考力

はいはい。天才天才。ありがとう。
リハビリで慣れ、笑。慣れつつあるのが我ながら怖いです。何度も書きますが、実際はそれほどでもありません)

>コミュニケーション能力が低い

ここは当たりです。

最も腑に落ちたのは以下の解釈。
INTPの特技は、発生した問題の根本的な原因や矛盾点、および欠陥を素早く特定すること。そして彼らは、これらの問題を解決に導く戦略的で斬新な計画、および最適な解決策を速やかに構築し、それを遂行することができますし、状況に応じて柔軟に変更を加えることもできます。…

彼らは“世界”を理解するために、常に頭の中では独自の理論や枠組みを作り出しています。つまり難解な問いは常に彼らの中に存在していて、それは彼らを語るうえでは欠かすことができないピースなのです。

そんなINTPが愛するのは、アイデアや理論を練り固め、そして昇華させる知的な討論。INTPは他のNTタイプと同じく、常識とされている見方を疑問視し、再考して、独自の答えを出すことを好みます。そのため彼らは、物事を額面通りに受け取ることを非常に嫌悪します。

INTPの性格を理解するために
その通り。
常にずっと何度でも、頭のなかで考えを反芻しています(このため非常にカロリーを消費して疲労します)。
まあ他者から見たらくだらない考えであるらしく、興味を持たれることはありませんが。
思考の結果、生み出した“枠組み”も独自過ぎるのか他人に理解されることはほぼありません。

あとこの欠点は的確過ぎます。
「批判」や「皮肉」に向き合う、理解されないINTP

INTPとは、浮世離れした思想家です。そのため、彼らは多数に迎合もせず、協調もしません。そして彼らはわざと波風を立てるように、立場を問わず、真っ向から異議を申し立てたり、批判をしたりします。

INTPには、誰かを害したり傷つけたりするつもりは一切ありません。彼らは状況を分析し、問題が起きた原因を追及し、改善するよう促しているだけで、他意があることはまずあり得ないのですが、そんなINTPのスタンスに周囲が理解を示すケースは稀です。大抵の場合、INTPは周囲の人々の反感を買うことになるでしょう。

そして周囲がINTPに対して怒りはじめると、INTPは自らが発した言葉に対する周囲の過剰反応にしばしば驚き、周囲の感情的すぎる態度を「浅はかである」や「理性的でない」などと、面と向かって罵倒し始めるでしょう。それによりINTPは破壊的な衝突を招くことがあります。
まさにこの通り……。
現在現状で、いつもやらかしていますよね。

申し訳ない。平謝り。
迷惑かけていることは分かっているのですが、アイディアを提供しないで死ぬのは嫌なので譲れないのです。
常に本当のことを言っているだけで他意はありません。
なのでINTPに対する正しい対応は、彼らの言葉を額面どおりに受け入れることです。彼らの言葉には隠された意図などありませんし、彼らは誰かを傷つけようともしていません。INTPの言葉は、状況に対する正直で正当な評価でしかありませんので、変に勘ぐったり、深読みをしないほうがいいでしょう。
そうしていただけると、非常にありがたいですね。
でも「額面通り」言葉だけを受け取る人はほとんどいない。
勘繰り、深読みされてばかり。
嘘をつくことが苦手過ぎるので、逆に勘繰られてしまうのでしょうか。

最後に衝撃的だった解釈がこれ、
INTPは何よりも公平性と正義を強く信じており、すべての決定は合理的であるべきだし、それでいて人間としての道理に従うべきであると考えています。

ああ……「合理=道理」! 自分以外の文章でこんな言葉を見かけたのは初めて。
義や公平性は人間の道理と等しい・そうでなければ義でも公平でもない、ということを何度も言って来たが、信じてもらえることは稀。
見知らぬ他人に初めて理解してもらった想いです。感謝。



INTJと混同された理由


他サイトでINTJと診断されてしまったのは、こちら「後天的に身に付いた意識の方向」のせいであるようです。
意識の方向は、yoshiさんの意識が主に自分の方向に向いているか、社会の方向に向いているかを意味しています。自分の方向に向いている内向型は創造的、社会の方向に向いている外向型は社交的である傾向にあります。

最初、「判断(J)のほうが若干高い? これだと「INTJ」なのではないか…」と思ったのですが、
何故上記パラメーターとタイプが異なるのか?

上記のパラメータはあくまで傾向でありINFPタイプでもINFJの傾向が出ることがあります。これは本質的に分類されたタイプとは異なり、後天的に育んだ要素であると16TESTでは位置付けています。
なるほど。
そうではないかと思いました。
だから「INTP-INTJ混合型」で仕事によって使い分けている、と自分で感じるのでしょう。実際に使い分けている可能性もあります。

上サイトのINTJ解釈のなかに
合理主義な軍師気質のINTJ

INTJの性格を理解するために
とあって笑ったのですが、もしかしたら私は世間のイメージに自分から寄せて行こうとしていたのかもしれません。
これは今ではなくて、過去のことです。今は世間から受ける評価など皆無なので自然体でいられますが、過去の癖がそのまま残っているのかもしれない。
”狡猾な戦略家”なINTJタイプ…
「安牌」よりも「トリッキーな一手」で勝ちたい

INTJかもしれない兆候
などもそうでしょうか。
「トリッキー」どころか現実は「安牌」タイプですが。ずっと安牌を取りつつも、最後の一手で逆転したいという“憧れ”はあったのかもしれません。憧れと言うか、求められるからそう演じる義務感を持っていたのでしょう。

しかし、自分はINTJの有名人として例に挙がっているカール・マルクスらのタイプでは明らかになく、アインシュタインやユング、孔子(笑)のほうに共鳴します。
同じ「INT」なのでどちらも合理主義ではあるのですが、
「理想を現実で実現する」のではなく「現実のほうを理想に近づける」

(善悪反転、嘘をついてでも事実を歪めて変えようとする)
ということは自分には絶対ない。これをやったらおしまい… それこそマルクスの思想がもたらした地獄の結果になってしまいます。

私は、理想を現実で実現しようとあがくほうですね。当然ながら現実の壁は高くて叶わず苦しむことになるのですが、嘘を唱えて現実を歪めようとするより圧倒で報われるはずです。

この辺りがINTJとPの根本的違いかもしれません。僅かな違いだが、結果が大きく異なります。

ただしINTJの感覚過敏や繊細さで暴走したりするという解釈は共鳴します。きっとNTとして劣等機能が同じなので、弱点も似ているのでしょう。

【上サイトで参考になるページ】INTJとINTPの違いについて

 

まとめ


以上で結論とし、MBTIの記事は最後とします。

私のベースは「INTP」ということで間違いなさそうです。
過去では職務上、計画立案する必要がある・トリッキーな軍師キャラを求められる 等々で、INTJらしい振る舞いが身に付いたということでしょう。
水瓶座の解釈だと不思議とINTJとP、どちらも当てはまるのですが、Jの「野心がある」ということだけ明らかに水瓶座とは違いますね。

(水瓶座は不動宮のためJではないか?というご意見もおありでしょう。しかし、たぶん星座の三区分はそういう表面ではなくもっと精神的、根本の性質だと思います。たとえば水瓶座の人は工夫好き、発明好きが多いのですが、自分の発想に関しては頑固で譲りません)



余談 標本としてこの結果を掲げる


今またこのような性格診断の記事を上げるのは、相変わらず誹謗中傷されている“彼”の真実を伝えるためです。
最近ますます膨大な貶めの記事が書かれ、歴史捏造学者の書籍までたくさん出版されて、史実と全く違う人物像をばらまかれています。それこそ「INTJ」を悪く解釈したかのような、悪役戦略家のイメージを捏造されている。幼稚園児かと疑ってしまうほど知的レベルの低い者たち。例→久々に恥三を見てまた酷くなっていることを実感しました

私と彼との結びつきを信じる人はほぼいないでしょうが、あの嘘つきたちだけは嫌がらせで今の私と結び付けて悪口に利用する可能性があります(例の嘘つき犯罪者たちは、悪用できるものなら何でも使うので)。だからせめて性格診断などの情報くらいは正確なものを上げておきたいと思う次第です。
本音を言えば、私自身は今それほど自分の性格診断に興味は無いです。さすがにこの年齢ではもう、どんな結果が出ても似たようなものですね。今さら自分の強みを知ったところで役立てる時間がありませんし、笑。
だから全ては未来の人のため。真正な文化を伝えるため。


【INTPはサイコパス!?】最近「MBTIの分類 + サイコパス」でここを訪れる人が増えました(占い分類や性格診断分類に「サイコパス」のレッテルを貼ることが流行っているようです。残念なこと)。少なくとも筆者はサイコパスではないとの診断結果が出ていますのでご安心を(笑)。サイコパスは脳障碍であり、占いや性格診断とは無関係です。⇒サイコパスについて正しい知識を得ましょう。

 

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補足、オーディエンスを感じたいなら易などの託宣(オラクル)がお奨めです


 昨日の記事『オーディエンス(ガイド霊、マスター霊、見物霊)について、体験まとめ 』へ書き忘れた体験があったので追記しておきました。

※タイトル変更。「神託」→「託宣」

追記した件


追記したのは易占の話です。

若い頃に易占をしていたところ、ほとんど“チャット返信”のように会話が成立して怖くなったこと。
数年前に久しぶりに占ってみたらもっと露骨になっていて参った… という、若干オカルトな(笑)話。

天気を変えてみせるなどの壮大なメッセージも感動しましたが、オーディエンスの存在を最も感じたのはこの易占通信でした。
やはり言語変換できるメッセージはインパクトがあります。
そんな易占で会話が成立してしまえば、背後に誰かが存在することを感じざるを得ないですね。

それに数字や言語変換されたメッセージは「気のせいかな」とごまかすことができません。
夢の中のイメージは「ただの夢」と自分に言い聞かせることが可能ですし、天気が動いたことも「気のせい」と見なかったことにできる。
でも数字などはメモすれば現実に残ってしまうので、「気のせい」と思い続けることが難しいのです。
だからこそ易占などを使った瞬間、話しかける機会を待ち構えているオーディエンスはすかさずメッセージを送ってくるのでしょう。

読者様も、もしオーディエンスの存在を確実に感じたいと思っているなら易占などが手軽でお奨めです。
(ただし依存し過ぎないよう注意してください。私は露骨なメッセージが返ってくるので怖いのと、振り回されたくないので今はもう問わないようにしています)

易占などで通信できる理由


何故、易占などで通信できるのか。
他の記事にも書いたと思いますがここにも繰り返し説明を載せておきます。

死んだばかりの霊でない限り、オーディエンスたちは地上の言葉を使うことができないらしいです。
だから浮遊している低級霊を避けて上位のガイド霊と通信するために、昔から東では易占、西ではタロットなどの託宣(神託、オラクル)ツールが使われてきたのでしょう。

死後世界の方々が使えるのは数字・記号・図形(図柄)であるらしい。
漢字は図形として判断されるのか、かろうじて使うことができるようです。
(私は夢の中のメッセージで一度だけ漢字を見せられたことがあります。ただ全体にボンヤリしていて、認識できたのは四文字中で一文字でした)

陰陽の組み合わせだけで64種のメッセージができる易経は、記号として最もシンプル。たぶん向こうの方々にとっていちばん使いやすいのではないでしょうか。

とは言え、現代日本人には『易経』の表現は難解だと思いますので……
馴染みやすいタロットカードや、最近人気のオラクルカードを使ってもいいでしょう。

人気オラクルカードランキング(アマゾン。ただのリンクです)

ただしなるべくシンプルで、記号や数字が主となっているものを選んでください。
自分にとっても死後世界の霊にとっても分かりやすいものが良いかと思います。
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オーディエンス(ガイド霊・マスター霊・見物霊)について、体験まとめ


 こちらはご質問の回答です。他の読者様も気になっていることかもしれない、とのこと。

Q.

霊感がないように話されてましたが、オーディエンスや見守ってくれる存在を感じ取っていますよね。それはどういう感覚でわかるのですか?

(自分のサポーターに対しては感じ取ることができないので)
たまに一方的にものすごく感謝したくなるんです。もちろん伝わってはいると思うのですが、私も相手を感じられたらどんなに良いか、と欲張りに思う時があるんです。
はい。
そうですね、私には霊感がありませんから守護霊(ガイドさん)の姿かたちは視えません。

最近話している「核」
は霊感で感じ取っているわけではなく、もう少し遠い次元で直観に関わります。
思うに霊感とは直観よりも感覚(体感)に近いものです。たいていの霊は地上近くにいますから、肉体感覚に鋭い人のほうが霊視のチャンネルを合わせやすいはずです。だから霊感は遺伝するのでしょう(肉体DNAの素質が重要)。
私はたぶん体感が弱いほうだから、霊を視ようとしても難しいのではと思います。

「この人はサポーターに守られているなあ」
と私が言うときは、占星術でホロスコープを見て分かる場合です。
あとはご本人の生き方などを眺めて全体の印象として思うもの。分析的に。

そんな私が
「オーディエンス(地上の人々を見つめる死者たち)が実際にいる」
と確信しているのは、霊感がない人間にさえ分かりやすい現実の事象で存在を示してくれたからです。

始まりは16~7歳の頃


子供のころの私はあまり霊魂に関心を持っていませんでした。
たまにオカルト番組を観て怖がるような普通の子で、霊の存在を感じるような出来事も無かったと思います。
まだ祖母も生きていたし、「先祖の守護霊がついているかも…」などという考えもピンと来ませんでした。
むしろ自分のことを恵まれない子供だと思っていたので、「自分に守護霊なんかついているわけない」と考えていましたね。

神秘的な出来事と言えば、家の玄関に白蛇が来訪したことくらいでしょうか。(古代のおとぎ話みたいですね、笑)
自分に会いに来てくれたような気がしないでもないですが、残念ながら蛇嫌いの母が大騒ぎして追い返したので、私は姿を見ることができませんでした。

本格的にコンタクトが始まったのは16歳から。
心理学の本を読み、夢日記をつけてみようと枕元にノートを置いて寝たその日の明け方、「狼の夢」のなかでマスター的な存在からメッセージを受け取りました。
(このときの夢の内容は拙著『僕が見つけた前世』にて詳しく書いています。または要パス記事、経緯3にて)

“マスター的な存在”とは、たとえば地球など広い地域を担当する偉大な霊、という意味。人間感覚では“神様”と呼んでもいいようなイメージです。
姿かたちは見えず、言葉や音によらない意味だけの声が遠くから響いてくる。ただし響くメッセージはとても明瞭。
存在が大きいのだと思います。たぶん古代だったら私も「神様」と呼んでいたでしょう。

この同じマスターが、17歳のときの退行催眠で記憶を再生したときにも登場しました。
死後に私が人生を振り返っている際に指導してくれ、生まれ変わる先を示してくれた存在として。

【詳しい話】死の後、数日間の話

それからしばらくの間、この大マスターが地上の私へ直接に指導してくれた気がします。

明白だったのはあの「証拠を出せ!」の時です。
あとは『僕前』に書いた通り。
マスターから受け取った証拠、記憶、何もかもが現実であるという衝撃の体験を経て、「霊魂は存在する」「死後世界はある」「輪廻転生は現実の現象だ」「我々を見守ってくれている先輩霊たちが存在する」…ということを確信したわけです。
確信せざるを得なかったとも言えます。

霊たちを「オーディエンス」と呼んでいる理由


ところで私は自分の周囲にいる死者たちのことをいつも「オーディエンス」と呼んでいて、スピリチュアルジャンルで一般的な「ガイド霊」や「守護霊」と呼ぶことはあまりありません。
これは見守ってくれている霊が様々な種類と段階の方々だ、と知ったからです。

大マスターから身近なサポーターまで、それと特に干渉はして来ないが遠くから眺めている死者たちも含めて「死者オーディエンス(観客)」と呼んでいます。

色々な種類の霊たちが自分のことを見てくれているのだなあ、と実感することは折に触れてありました。
だいたい現実で体験する小さな事象で「いるな」と理解することが多いです。

その体験は過去記事にもしていますが、たとえば…


ある古い神社で大群の蝶に出迎えられた話:これは人間に生まれたことのない精霊や、とても古い時代に人間だった霊たちではないかと思います(スピの知識に照らし合わせれば)。

白い羽と蝶のメッセージ:マスターに近い霊からのメッセージだと思います。

鳥居の奥から黒アゲハ蝶:エンジェルナンバーを大量に見ていた時期のお出迎え。霊感の無い私でも神秘を感じてゾクゾクしました。高級霊である気がします。

虹を見せてくれた霊たち:これは感動しました。たくさんのオーディエンス霊たちが存在を示してくれた体験です。

小説全編完結後、「雲間の光」:小説内容に合った天気ショーは祝福してくれているかのようでした。

〔書き忘れを追記〕
地水師の卦など:若い頃から道に迷うと易占で尋ねていましたが、一時期ほとんど会話のように答えが返ってきて怖かったため中断しました。2015年に久しぶりに易占をしたところ連続して「地水師」の卦が。メッセージがあからさま過ぎてオーディエンスの存在を感じざるを得ませんでした。(良くも悪くも)

【補足】易占について解説。オーディエンスを感じたいなら易経などの神託(オラクル)がお奨めです

等々、
たいてい天気や蝶などファンタジックな体験で申し訳ないのですが、たぶん遠くにいるオーディエンスや精霊たちの祝福はこんな形になるのでしょう。

もっと身近な守護霊ならば実行力があり、事故や怪我などから救ってくれるのだと思います。
私には大事故や大病の経験がありませんので、今のところ「守護霊様が守ってくれた」という実力行使エピソードが皆無。遠くから大勢の霊に囲まれて守られているせいかもしれません。

あまりにも守りが堅牢過ぎて、私自身が“封印”されていると感じるときがあります。(自分のネイタル占星図についての感想も“封印”ですが)
現実に仕事が忙しくなりかけると不可解なタイミングで邪魔が入り、駄目になってしまうという出来事が連続してありました。
他にも進学することが叶わなかったことなど、現代現世において身動きを封じられている。私のこの状態は確かに“封印”と呼べるのではないでしょうか。

もしかしたら過労死を心配されて忙しさから遠ざけられているのか?
それとも私が外へ出れば危険な状況なのか?
とにかく「箱入り」過ぎ、悠々自適過ぎる人生です。

夢で告げられた「オーディエンス」の存在


もう一つ。
私が霊たちを「オーディエンス」と呼んでいる理由は、このような夢を見たことがあるからです。
あくまでも夢なのですが、前世記憶を見たときと同じく妙にリアルな雰囲気がありました。

〔夢の内容〕
私は暗い墓の上を飛んでいる。
たくさんの霊(よく見えないがおそらく悪霊)に背後から追いかけられて、恐怖を覚える。

好意的な霊たちからのメッセージが響いた。
「悪意を持つ者たちが追って来ている。
我々があなたを強力に守っているが、気を付けろ」

その直後、明るい場面へ変わった。
私は現代の立食パーティ会場で立っている。
ピンクのドレスを着た「霊能者」と名乗る女性がにこやかに近付いてきた。

「あなたの背後に守護霊が見えますよ。武将の霊で、名は……」
と告げられ、二文字がはっきり浮かぶ。

起きてからネット検索したところその名が現実に存在したので驚いた。
(当時、私はその名を知らず読むことさえできなかった。夢で知った読み方を入力したらヒットした)

【後半の詳細】夢で告げられた守護霊の名

この夢を見たので、自分には好意的な霊とともに敵意を持つ霊も追って来ているのではないかと思いました。

余談ですが後年、この夢を思い浮かべながら
「私には悪い霊もつきまとっているらしい」
などという雑談をブログで書いたところ、
「あなたの先祖が悪いことをしたから悪霊に憑かれているのですよ! 騙されたと思って、我が教団にお金を払ってお祓いしなさい」
などと悪徳宗教に勧誘されてしまったという滑稽な話もあります。
(きっと現代現実に不幸を抱えている人間なのだと思われたのでしょう。宗教は弱みを見せると付け込んでくるから参る)

悪い者たちが追いかけて来るのは先祖のせいではなくて、私自身の過去生のせいです。
ファンが多ければアンチも増えてしまうというだけのこと。

あの夢を見た二十代の頃はまだ理解できませんでしたが、今なら理解できます。
現に今、私の前世はあの悪霊たちによって壮絶に吊るされていますね。歴史殺しのジェノサイド活動として。

「たくさんの善良な霊たちが応援し守ってくれているが、悪意を持つアンチたちも追って来ている」
との夢の話は現実で裏付けられてしまいました。

現実と霊たちの世界は重なっている


まとめ。
このようにボンヤリした回答で申し訳ありませんが、霊たちが現実で存在を示そうとした体験を積み重ね、総合して「オーディエンスは存在している」という確信に至ったわけです。

決して日常的にいつもオーディエンスから干渉を受けているわけではありませんし、私もその存在をずっと意識しているわけではありません。
ただ確信した後なので、もうオーディエンスの存在を疑うことはないでしょう。

“封印”が解けたらどうなってしまうのか。
恐れつつも、強力なマスターと先輩方・守護してくれるかつての部下たち、ファンの皆さん(主に死者。ここの読者の一部の方も)がついてくれていると分かっているので落ち着いています。

 

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知識は害毒か? 真理探究で落とし穴にはまらない学習法

 

 

ご質問ではないのですが、いただいたメールのなかから最近私が上げた記事に関連する話を採り上げます。


知識についての話です。




直観を持つ人たち

 

S様のメールより引用。
ゲーテを読んでいて気付いたことだそうです。

引用文中、筆者に対する呼称については(筆者)と変換

全員というわけではないが、古典文学だったり偉人と称された人というのは真理を体感して、文字や芸術と各々の手法に変換してるなと思ったんです。

(筆者)もですが、誰に教えられるわけでもなく感じ取るじゃないですか。

私なんかはバーチの本を通して、勉強のような形で差し出された答えを少しずつ学んでいくのですが、(筆者)達のような方は自分たちで自ずと受け取っている。

その違いに気付いて、ものすごく凄い事だとつくづく感嘆させられました。
恐縮なお話。
私だってバーチの本には学ぶところがたくさんありますよ……。

ただ確かにバーチの本を読んでも知識として受け取るだけではありません。
自分の中に既にあるセンサーで真理を感じ取り、響き合わせている感じです。

このことは全ての文学、芸術、思想に対して同様です。

センサーを持つのはたぶん、一度真理とつながる体験をしたからだと思います。
『永遠1』の回答でお話しした通り)
真理とつながった体験は消えることなく、魂のセンサーが開いた状態を保ったまま転生を続けるのでしょう。

同じ体験をした人たちは幼い頃から何も学習しなくても真理を感じるセンサーを持つため、傍目には「直観」の強い人に見えるはず。
通常は前世の記憶などありませんから、自分でも何故その直観があるのか分からないと思います。私も子供の頃は分かりませんでした。

なお「直観」という言葉は単なる思いつきなどの意味で使われることもありますが、心理学者ユング言うところの定義なら、悟りに近いインスピレーションのことになります。
学習を経ずに知覚する能力の指標。色覚や嗅覚・味覚などの鋭さを示す「感覚」とは別物で、この二種の能力は何故かたいてい反比例します。(反比例するのは、直観のほうが強くなると肉体感覚から離れていくからでしょう)

生まれつきそんなセンサーを持つからといって直観タイプの人間が特別に凄いわけでも何でもなく、優位というわけですらありません。

こういう話をすると嫉妬したり、「お前なんかが。嘘に決まってる」と必死で否定したり、憎んだりする人がいますがそんなことには何の意味もないわけです。
嫉妬して相手を貶めたところで、相対的に自分が“悟りの境地”という地位に上がれるわけがない。そういう大奥のような次元の話ではないのです。
真理を求める道に地位などありませんから。

(地上に属する話ではないのに“位”を得ようとして、他者へ嫉妬し引きずり降ろして自分がその地位に上がろうとしている。それは真理の道と真逆を進むこと)

知識は真理の探究に何の役にも立たない?

 

しかし私も何の理由もなく、瞑想だけで突然に真理を悟ったわけではありませんね。

前々世の人生であのインスピレーションを得るに至るまで、長い長い人生の旅を経てきました。

他人から踏みつけにされる経験をし、痛みと苦しみを味わい、人間社会の悲惨と闇を嫌というほど見て……。
最後に私の「先生」と出会って教え導きを受け、死に際の瞬間に“真理”とつながる感覚を得ました。

私自身が人生の旅のなかで考え抜き積み重ねた経験が主でしたが、最終的に先生の教えが背中を押してくれたことは間違いありません。

つまり知識だけで真理へ辿り着くことは絶対不可能だが、経験が全てというわけではない。

だから、
「知識は完全に無意味で役に立たないもの」
とは言えませんね。
(私自身、知識至上主義者は嫌いですが知識絶対否定論者でもありません)

前の話と矛盾するようですが、知識も心の鍛錬とともに積み重ねるならいつか真理へ届く足掛かりとなるのです。


90%の経験 + 10%の知識

感覚としてはそんな割合です。
経験と学びの総合で、真理探究のために必要な階段を昇るという感じでしょうか。

しかしどちらに対しても自分で考えることが必要でした。
“心が一番大事”
とは自分の心に耳を傾けて考えるべきだ、と言っています。

よく、お釈迦様のような人が静かに座り瞑想をして悟りの境地に達する――などという話がありますが、あれはただ「自分の心に耳を傾けている」様子をファンタジーで表しているのではないかと思います。

経験でも知識でも口を開けて呑み込むだけでは何の栄養にもなりません。
特に知識は自分の心に照らし合わせて吟味しなければ有害な毒にもなります。
何故なら人々を誤った方向へ誘導するために、“罠”としての知識をばらまいている者たちがいるからです。

知識が毒となる現代。狂気の罠に落ちやすい学習方法とは

 

前回も私は知識に関してこのように書きました。これは真理に関する話ではなく地上の知識についてでしたが。

「まず知ることが第一」、その通りです。
でも、実際はなかなか正しい知識を仕入れることも難しい。
大きな看板を掲げる者たちが叫んでいることを「知識」だと信じて行動するだけでは駄目なのだと思います。大声で叫ぶ者たちが、人々を煽動しようと罠を仕掛けていることもよくありますから。

“一次情報をチェックせよ”と言われますが、現地へ取材に行けるわけがない一般人には不可能です。
実際には不可能だと知りながら、「ファクトチェックせよ!」と大声で叫ぶ。そのうえで「我々がファクトチェックしてみました!」などと情報を提供するのは、人々を一網打尽に絡めとる罠だと悟るべきです。
知識というものは罠として扱いやすい道具なのです。
何故なら簡単に歪めることができるわりに、人々を誘導する力を持つからです。

上の転載文は政治など現実的な事柄についてでした。
しかし、真理の話をするジャンルでもたくさんの罠がばらまかれていますね。

最近はスピリチュアルよりもネットワークビジネスのほうが流行りのようです。しかし今でも時々スピリチュアルを使った詐欺があるらしいので気を付けてください。
セミナー、ワーク、オンラインサロン……等々。手法は様々です。
宗教という形をとっていないことがほとんどだから、「宗教ではないから大丈夫」などと見た目で安心してはいけません。
本質の構造で観れば、ビジネスサロンも左翼団体もスピワークも、カルト宗教と同じものなのですから。

スピリチュアルだろうとビジネスだろうと、とにかく受け身で知識にしがみつこうとしないこと。
あなたがた自身が教祖や主催者の言葉を繰り返すだけの、コピーロボットにならないことです。
(私のブログでもそうですよ。知識再生のコピーロボットで自分の考えを持たない読者さんはお断りです。…と、こんな素っ気ないことを言って突き放すからあまり人気にならないのだろうけど)

知識にしがみつくと洗脳・マインドコントロールという落とし穴に落ちてしまいます。
ただ他者の意見を脳に刷り込んだだけであるのに、何故か自分がレベルアップしたような気分になって「自分は真理を得たのだ」と勘違いしてしまう。
そうなれば教祖の思うがまま。
好き放題に操られて搾取されたあげく、教祖の言うなりで殺人まで実行する脳を失った奴隷となるでしょう。


狂気に堕ちやすい人のタイプ

 

どういう人が学習によってそのような狂気に堕ちやすいのか? と言うと、残念ながら“頑張り屋さん”の人です。(その他のタイプはこの記事の最後にリンクした別館記事をご参照ください)

特に、学校の成績が良い「秀才」だった人は狂信の度合いが強く、カルト教団のなかでも幹部クラスになる傾向があるようです。

おそらく秀才タイプの信者は自分が学習した知識に自信を持つのでしょう、教祖(思想書)から与えられた教義を絶対的に正しいものとして信奉します。
そうなれば、どのような誤りを指摘されても決して目が覚めることはありません。
嘘をつくことや殺人などの犯罪を強要されたとしても、「それは正しい理想のために必要なことだ」という歪んだ理屈を考え出し、自分が与えられた知識の正当性をなおさら強固に唱えるようになるだけです。
過ちを認めたくないという秀才のプライドも手伝って、自己正当化のためだけに他者の口を封じ始める。
そうなればもはや狂気。壊れた殺人ロボットでしかありません。

このような狂気に堕ちた秀才は、日本で有名な事件を起こしたカルト宗教の幹部や、世界革命という理想のために今も破壊活動を続けている左翼たちに典型例を見ることができます。

どうして現代はこのように愚かな秀才が生まれやすいのか?
それはよく言われていることですが、詰め込み教育の弊害ではないかと思います。
最も良くないのが、コピーロボットとして知識を暗唱できた子供だけが、良い成績をとって褒められる世界をつくっていること。
そんなコピーロボット化の調教ばかりしていれば、教祖やリーダーの命令に従いやすい“無脳な”奴隷たちが大量生産されるわけです。

私も前世~今世前半までは一応インテリ側でした。
それでも今のところ他者のコピーロボットになったことがないのは、いわゆる「秀才タイプ」ではなかったからでしょう。
知識だけ鵜呑みにすることは無かった。自分なりに考えるほうが好きだった。
(優等生っぽく見られるけど秀才ではなかったらしいですね。ギフテッドの特徴に合致)
現代では私のような他人の台本に従わないタイプは浮いてしまって、どこのグループからも除け者にされています。しかし他者の奴隷となるよりは幸福な人生だと言えます。

もしも真理とつながるセンサーを持ちたいなら、まず「秀才」であることをやめるべきです。
少々孤独ではありますが、知識ではなく分析を中心として学習するようにしてみては?

知識は程々で構いません。とにかく“頑張り屋さん”をやめましょう。
教祖にとっての「イイ子」を演じないように。私に対して「イイ信者」を演じてもすぐに見抜きますよ。

真理への旅路には先を歩くか後を歩くかという違いはあるけど、生まれ持った能力の優劣や、「教祖・信者」の別はありません。
スタートラインは皆、同じ。
違って見えるのはただ、今この地上時点で魂が若いか老いているかの違いだけです。

だから、焦らないでください。
焦って欲張ることが一番、危険です。

いつも書いていることですが、我々に与えられている使命は
「ただ目の前の人生を必死に生きること」。
それだけ。
人によっては今世の人生計画が政治家になることかもしれない、芸術家かもしれない、主婦かもしれない。他人を苦しめる悪行以外、否定される生き方など何もありません。
そんな人それぞれの人生計画を精一杯に生きることです。
そうすれば、自ずからカルマの回収が行われて善い方へ向かっていきます。

特別な宗教儀式や修行など要らないのです。
人生に裏技なんか無い。※
そういった“裏技”を求めてサロンやカルト宗教に近付くのは、他人より先に行きたい・優位に立って他人を見下したいという欲望なのだと気付いてください。

※風水や「引き寄せ法則」を教えている人たちは、人生を変える魔法があって今すぐ金持ちになれるのだ・カルマなんて存在しないと主張しています。これは欲望を煽る危険な考え方。少なくとも「引き寄せ」は悪魔崇拝を起源とするため注意したほうが良いです。欲張って地上で優位に立つ力を先取りすれば、必ず後で莫大なツケを払うことになります。
【関連記事】現世での成功は果たして、最善の選択か? 魂の目的と肉体の欲求との違い

まとめ 最善の学習法

最後に、カルトという落とし穴にはまらない最善の学習法についてまとめておきます。
これは特に真理探究したい人向きですが、全てのジャンルの学習に言えることです。

1.一人の著者、一つのジャンルの本だけ読まない

危険な思想にはまってしまう人の典型的な本の読み方は、一人の著者・一つのジャンルの本だけ延々と読み続けることです。
読書を「学ぶ手段」としてではなく、自分の願望を強化する知識武装のためのツールとして悪用してしまうのです。

カルトな思想や健康法にはまる人たちは、
「私はたくさんの本を読んで知識を身に付けている。あなたよりたくさん知っている。だから私が誤ることは絶対にない(間違っているのはあなたのほうだ)」
と主張します。
しかしそのような人たちが読んでいる本は、全てそのカルト思想を推奨する本ばかりなのです。
同じ種類の本をいくらたくさん読んでも知識が広がっていくことは永久にありません。
むしろ、願望を先鋭化して狂信を深めていくだけです。

2.知識だけを過剰に信頼しない

前回も書きましたが、大手メディアがプロパガンダするときは必ず
「ファクトチェックせよ!」
と叫んだ後に
「我々がファクトチェックしました~。どうぞお受け取りください」
と言って情報を差し出します。
看板の大きな会社がファクトチェックしてくれたんだ、だったら真実に違いない、と思い込んだ民衆は容易く騙されて煽動されてしまいます。

何故このような罠にはまるのか?
――原因は、「知識」だけを妄信し依存しているからです。

たとえば戦場では入手した情報が正しいか誤りなのか、取材に行って確認している暇などありません。
緊急性が高ければ高いほど、ファクトチェックなどというものは不可能になるのです。
したがってファクトチェックに依存している者は、戦場では全く使い物にならないと言えます。

学問でも現実の政治でも、重要なのは自分のなかに基準をもって知識と向き合うことです。
まして真理についての学習ならなおさら。自分自身の心と常に照らし合わせながら響かせて吟味しなければ1ミリも理解できませんし、悪い宗教の信者として囚われてしまうことがあります。
繰り返しますが、妄信して依存するだけの知識は毒にしかなりません。

3.広く雑多な学習をする

1と同じ。(1を逆から言っている)
学習したいなら一人の著者、一つのジャンルだけに留まらず、広く何でも読むべきです。

コミックやライトノベルだけ読み続けない。(最近の日本漫画やライトノベルは妙な思想に汚染されているようです)
一種の思想書(たとえば左側)ばかり深読みしないこと。
スピリチュアル好きな人でも、スピばかり読んでいては駄目。
健康法では賛同者の本ばかり読み漁らない。

日本では「広く浅く」の読書が馬鹿にされる傾向があるのですが、外国人はわりと「広く浅く」の読書を好む人が多いようです。私はそんな外国読みのほうに共鳴します。そのほうが確かに視野が広がるし、知識を妄信する危険も少ないと思います。

【この件について】二流の読書でバカになる? 広く浅くの雑読を後押しする、嬉しい言葉

4.肩肘張らない、頑張り過ぎない。秀才をやめよう

本文の繰り返しになりますが、勉強を頑張り過ぎないこと。とにかくこれが大事。

秀才をやめましょう、教祖の言うなりをやめましょう。

人生の旅路はとてつもなく長いのです。
焦らずに、目の前の人生に向き合ってください。せっかくの人生を大切にしてください。
“心”を主体として行動していけば必ず真理へ到達できます。


【別館リンク】
最後にもう一つ別館記事。一般向けですが参考になれば幸い。



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