水瓶座×獅子座の人へ、我々の時代が来たってよ(AI鑑定で気付きを得た話)
メリークリスマスです。
ここ数年キャンセルカルチャーのせいでクリスマスの雰囲気さえ無くなっていました。
しかし世間の風が逆転したせいか、今年は意外とクリスマスを楽しむ人が多かったらしい。うちの近所のショッピングセンター周辺の道路も信じられないくらい大渋滞していました。
渋滞は疲れるけど昔の華やかなクリスマスが戻ってきたのはいいですね。
今宵私はこんな曲を聴いています。クリスマスとは関係ないですが、あの頃よ戻れ!と願って。
これは単なるノスタルジアではありません。
本格的に始まりつつある“風の時代”の予習です。
もちろんあの時代がそのまま繰り返されるわけではないと思うけど雰囲気は戻るでしょう。自由な感じとか、本音を言い合う感じとか。
1980年代の全てが良かったわけではなくマイナス面もありました。皆が派手好きで浮かれていて私にはついていけないと感じていましたっけ。
でも私は「ついていけない」と思いながら、はしゃいでいる人たちを眺めるのが好きだったようです。
さてこんな未来を読んだ2026年の占いに続き、noteで占星術の雑談を上げました。
『AIの占星術鑑定で気付きを得た話、ChatGPT・Gemini比較など』
今回書いた“気付き”とは先日書いた記事と関連しています。
先日の記事:『水瓶座と獅子座の共振で新時代へ!』
中を読めない方もタイトルだけでお分かりでしょう。2026年は水瓶座と獅子座の対極がとてつもなくクローズアップされる年です。
この180度の二星座は私のホロスコープでも極めて重要でして。
だから私には今という時代が物凄く分かると言うか、時代の向かう方角が感じられるのですね。
最近ようやく悟ったのですが自分のホロスコープはまるで今の時代を象徴しているかのようでした。
特に水瓶座と獅子座が強いことの意味がこの時を迎えてようやく分かったという。
もう“時代の申し子”にはなれない年ですけどね。ちょっと遅かった。笑
ただ今世の晩年、時代に共鳴しながら死ねるのかもしれないと思ったら気持ちが明るくなりました。
この気付きを得られたのは今回紹介した「AI占星術鑑定」のおかげです。
今さらですが他者の鑑定・客観視は大事だなあと思いました。
Geminiの鑑定をここでも引用しておきますと
非常に強い個性の光と、それを社会的な高みへと昇華させるための強力な「宿命の駆動装置(複合アスペクト)」が組み込まれた、稀に見る力強い構造をしています。
多重YODと☆のことですね。
知識はあってもこんな解釈、自分では一生涯思い浮かぶことはなかったでしょう。
稀…、確かにちょっと異常な形態だなとは思ってきましたが、がんじがらめの封印だと解釈してきましたね。体感的にも「がんじがらめ」が合っています。
この強力な封印が開放されたらどうなるのか? と恐れおののくことはあっても、こんなポジティブな解釈は想像外でした。
それとファイナルディスポジターは私にとって新たな視点です。(ルーラーを辿るなどの手法は食わず嫌いで考えて来なかった)
全天体が最終的に獅子座の太陽へと帰結する「ファイナルディスポジター:太陽」の構造を持ちながら、人生の出発点であるアセンダントは水瓶座にあります。これは、「自分は何者か」という強烈な個としての自己主張を、いかにして「普遍的な価値」や「人類全体への貢献」へと翻訳し、社会へ提供していくかという壮大な変容のプロセスを象徴しています。
>強烈な個としての自己主張を、いかにして「普遍的な価値」や「人類全体への貢献」へと翻訳し、社会へ提供していくか
ううーん…大仰ですよ。難し。
拡散力0.0000001くらいの自分が人類に貢献するのは無理そうです。
しかしこのGeminiのディスポジター表現、まさに2026年の水瓶座×獅子座を表しているようでシンクロに鳥肌が立ちました。
水瓶座×獅子座をネイタルにお持ちの皆さん、どうやら我々の時代が来たようですよ。
少しやる気を出していきましょう。
私も年末にブログから引退するつもりで閉鎖のご挨拶文も考えていました。
思いとどまったのは上のAI鑑定文と2026年のシンクロに触れたからです。
占いで辞めるの辞めるなんてくだらない…と思われるかもしれません。でもこのシンクロはきっと偶然ではない。
あと一年は頑張ってみることにします。それでまた楽しくなったり、新たな意味を見出せたら続けることになるでしょう。
多くの人へメッセージが届かなかったとしても、自分が発信することで世界に僅かな流れが起きるかもしれない。
そう思わせてくれたのも 今回AI鑑定で使わせていただいたプロンプト「アオポン」の作成主さんです。
作成主さんの占星術に対する考え方は、不思議なことに私が長年発信し続けた主張を取り入れてくださったかのようでした。
私の発信がバズったことはないので直接に影響を与えたとは考えづらいです。しかし自分が過去に発信したことがいつの間にか多くの人に取り入れられていて、常識になっていたという経験は何度かあります。
誰も私の名前を出さなくとも、どこかで内容が語られていたことがあったのかもしれません。
(それって普通に“パクり”と呼ぶかもしれないのですが笑。まあ今さらいいですよ、真実が伝わったなら)
今回またこのような体験をしたので、あと少し頑張ることにしたというお話でした。
アオポン作成主さんには重ねて感謝です。
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