2025年12月21日、人類滅亡+進化の予言とは? 『亡き友の予言』『冝保愛子さんの予言』
年末駆け込みでまたしても“2025年人類滅亡”の予言が盛り上がっているようですね…。
やれやれ皆さんどれだけ滅亡したいんだか。
話題の予言『亡き友に聞いた2025年12月から起こる事。』
Xなどでこちらの匿名動画が話題となっているようです。
うーん、、
名を名乗らずこれ一本だけの動画で、収益目的ではない感じ。いかにも本物らしさを醸し出していますが。
水を差すようなことを言ってしまいますと鉛筆書きのメモなどいつでも書けます。このメモに記された地震は全て公表時点から見て過去の出来事ばかりなのだから当たっていて当然。地元の身近な話は何とでも創作できる。
それと身近な事故の話→日本の地震→いきなり人類滅亡、と唐突に大規模な話へ飛んで終わるのはいかがなものか。滅亡に至る過程は具体性もないし創作だとしたら構成が甘過ぎる。
“予言商材”としては非常に弱いですね。
これでは有名どころの都市伝説テラーたちが飛びつかないのも無理はないです。
もちろん投稿者の話を否定する材料もなく捏造を証明する根拠もありません。
仮に事実だったとしても、個人的に今これを発表することに何の意味があるのかと思ってしまいます。
もうすぐ人類滅亡する予定なら何の準備をしても無駄。無意味でしょ。
子供の頃からノストラダムス予言に対しても思ってきましたが、「人類滅亡」予言とはいったい何目的で発表するのか? 全員が滅ぶなら関係ないし考える必要もない。意味不明だと思います。
なお終末思想を利用して信者を洗脳するのはカルトの常とう手段ではあります。
そういう目的も感じさせず、団体への勧誘もせずに滅亡予言の発信だけするのは何の目的があるのか?ということです。単に愉快犯なのか、それとも「あわよくば」現実になることを望んで願掛けしているのか?
おそらく後者だろうなあ。いわゆる破壊願望、引き寄せの呪詛。
借金を抱えているとか人生詰んでいるとか革命願望を抱えているとか、全てをオフにしたい人種は一定数存在します。
というわけで注意喚起をするためこの話題を上げようと思っていたのですが、上の動画のコメント欄を見ると皆さん「大喜利」として受け止め空想を楽しんでいる様子。
先日C国による脅迫も遊びに変えてしまった、なんでもネットミーム化して遊んでしまう日本人。こういう強さは大好きです。
都市伝説をエンタメとして楽しむことも構わないと思います。あらゆることを想定することも頭の体操になりますし。
ただし、くれぐれも予言を本気にして貯金を使い果たさないでくださいね。笑
『冝保愛子さんの予言ノート』に違和感
もう一件。
先月頃から俄かに語られるようになったのが『冝保愛子さんの予言ノート』というもの。
冝保愛子さんとは1980~90年代にテレビ番組等で人気を得た霊能者です。2003年に病気で亡くなられています。
そんな彼女が生前、予言ノートなるものを書き綴っていたとか。
予言の内容はまとめる時間がないのでAIコパイロットさんに代行してもらいました。
冝保愛子さん(1943–2003)に関する「終末予言」は、近年ネット上で急速に広まった“都市伝説的な再解釈”が中心で、生前に公式に発表されたものではありません。 ただし、検索結果から現在流通している“予言ストーリー”の概要を整理すると、次のような内容になります。
🔮 冝保愛子「終末予言」とされるものの概要
(※いずれもネット発の都市伝説で、公式記録ではありません)
1. 「2025年12月21日の封印予言」説
ネット記事やSNSで最も拡散しているのがこれです。
冝保愛子が亡くなる前に 「7人の使者が来る。2025年、すべてが始まる」 と語ったとされる
そう、公式記録ではないんですね。
ご遺族やお弟子さんたちが発表したわけでもないし。
それに彼女のこんな予言を今まで耳にしたこともない。
私の記憶だと冝保愛子さんは予言するタイプの霊能者ではなかったはずなので、今急にこのような予言が語られるようになったことを不可解だと思っています。
コパイロットによる検索でも以下のような結果が出ています。
現在ネットで語られている「冝保愛子の終末予言」は、本人が生前に公式に発表したものではありません。
これは検索結果からもはっきりしていて、
テレビ出演時の発言
著書
インタビュー
公式な講演記録
いずれにも「特定の年に世界が終わる」「2025年に何かが起こる」といった予言は確認されていません。
✅ なぜ“予言”が生まれたのか
いま流通している予言は、
都市伝説系ブログ
まとめサイト
SNSの創作 などが発端で、そこに「冝保愛子」という知名度の高い名前が結びついて広まったものです。
特に「2025年12月21日」「黒いノート」「7つの封印」などの要素は、 後年の創作的ストーリーで、一次資料は存在しません。
✅ 実際の冝保愛子はどうだったか
彼女は霊視や心霊現象の解説で知られていましたが、 終末論や世界滅亡の予言を語るタイプではありませんでした。
むしろ、
亡くなった人の思い
家族の問題
心のケア といった“個人の悩み”に寄り添うスタイルが中心でした。
冝保愛子さんの活動スタイルを振り返ると、「世界の終わりを語る預言者」ではなく、「個人の悩みや心の問題に寄り添う霊能者」というイメージが圧倒的に強いんです。
テレビ番組でも著書でも、彼女が扱っていたのは
家族の因縁
亡くなった人の思い
心霊現象の背景
人の心のケア といった“身近なスピリチュアル”が中心でした。
だからこそ、近年ネットで広まっているような 「2025年に世界が終わる」 「封印されたノートがある」 といったストーリーは、彼女の実像とかなりズレています。
むしろ、冝保愛子さんは 「恐怖を煽る」よりも「安心させる」方向の語り方をしていた人 という印象が強いですよね。
「印象が強いですよね。」などと当時見ていたかのようにAIが共感を求めて来たのは笑ってしまいましたが、全くその通りです。
私の記憶とも一致します。
特に
>冝保愛子さんは 「恐怖を煽る」よりも「安心させる」方向の語り方をしていた人 という印象が強い
は本当にその通りでした。
終末予言で恐怖を煽るなんて彼女らしくない。
だからちょっとこの話には違和感しかないですね。 もし捏造だとしたらご遺族かお弟子さんは怒ったほうがいいのでは。
ただ災害が起こるとされる時期が冬至イブの2025年12月21日と、『亡き友の予言』 と同じであることは引っ掛かります。
冝保さんの予言のほうは亡き友テッチさんと違って
「終わりではなく、始まりの始まり」
として新たな時代が始まることを示唆しており希望がありますが、なんとなくグレートリセット革命など左側の願望とも重なります。あの集団の意図を感じます。
・七つの封印
・七人の使者が人類の指導者となる
などと語っているところも、いかにも西洋的。
プラトン思想を悪用している全体主義の臭いがして冝保さんらしくないですね。
もしかして 「七人の使者」は侵略してくる某国の指導者だと言いたいのか?
その場合「七人の死者」となるでしょうけど。笑
まあとにかく違和感しかない予言なのですが、彼らが侵略願望を叶えるために予め流言を流している可能性もあります。
つまり左お得意の計画発表としての予言です。
冬至イブの21日、彼らが日本列島へ自然災害を装って何らか仕掛けてくる可能性もあります。
私が想定しているのは例えば
「太陽フレアで太陽光パネルが誤作動して燃えた!」とか
「太陽フレアでミサイルボタンが誤作動して発射された!」
の謎事件が連発するとかですね。
また今年初めのように日本の山々で連続して火災が起きるかもしれません。
(それよりシーレーン封鎖で日本人が飢える可能性が最も現実的)
こういった予言が流される際、計画の可能性もあるので嘘だと笑うだけではなく警戒するに越したことはありません。
とりあえずいつものように備蓄を準備しておきましょう。
特に食糧は多めに確保してください。
我が家もこの機会に避難袋を用意し直しました。
【余談】肉体が滅ぶことだけを恐れるのは西洋文化。一神教思想です
以下余談です。
こういう予言話が流れるたびに私は不思議になるのですが、 現代人は何故、“人類滅亡”というワードを過度に恐れるのでしょうか?
しかもユダヤ教やキリスト教に馴染みのない東洋人までもが。
私の知る限り東洋の古典思想で“人類滅亡”を脅迫に用いている宗教はありません。
こう述べると
「仏教に末法思想があるじゃないか!!」
とクレームが殺到しそうですね。しかしあの末法思想とやらを唱える宗派は西洋文化の影響を受けた非仏教※ですから混同されないように。
※中世の中国で流行した宗教は信者獲得のために「仏教」の看板を掲げましたが、教義構造を読むと仏教ではなく西洋宗教です。たとえば白蓮教はマニ教を源流とする一神教と考えられます。この白蓮教と酷似した教義を持つのが日本の日蓮宗です(おそらく白蓮教の輸入)。これらの宗派は本質構造から述べて西洋の宗教に分類できるでしょう。
思うに「人類が滅ぶ」ことを恐れるのは、神様による審判を根本教義とする一神教独特のもの。
また西洋人は魂が輪廻するという思想を持ちませんから(元々西洋にあったのですが宗教教義により否定されました) 、肉体の破壊が全ての終わり。
だから人類滅亡を世界の終わりと考えて恐れるのでしょう。
いっぽう生々流転の天道(宇宙の法則)を根本とする東洋思想においては、人類ごときの滅亡など小さいこと。
生々流転、万物は滅びまた生まれ変わる――これを当然のことと考えているのですから、人類という種がいつか滅亡することも当たり前と受け止められる。
人類が終わればまた別の種が生まれ続いていく。人類に宿っていた魂も、人類が滅亡したなら次は新たな種に生まれ変わるだけのこと。
全ては終わりもなく始まりもない。
「円環」 「循環」の思想なわけです。
こんな思想を持つ東洋に西から終末思想が入り込んで、東洋人が“人類滅亡”を恐れて大騒ぎしているのは何か滑稽と言うか、不可解なことだと私は感じています。
たまたま滅亡の時代に居合わせたら私も落ち着いてはいられず、災害の瞬間には右往左往するでしょう。
少しの間は家族を生き延びさせるように抵抗すると思います。
しかしついに自分たちが肉体を失い、人類という種も途絶えてしまった後なら何を嘆く必要があるでしょうか?
自然の結末なら騒ぐ必要もなく魂として次へ向かうだけです。
ただ許せないことがあるとすれば、“人類滅亡”という願望を抱いている集団が、その願望を叶えるために意図的に破壊計画を実行すること。
それは運命でも自然の帰結でもなく、歪んだ欲望を持つ者たちによる加害行為だからです。
自分勝手な欲望のために他人の運命を歪め命を奪い取る。これは「運命を盗む」行為だと言えます。
だからたとえば第三次世界大戦の願望を実現しようしている集団には抵抗し、破壊行為を阻止しなければならないと考えています。
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