癒しアニメ『百妖譜』 純な妖怪たちに心洗われる

 嘘つきだらけの世の中に疲れてしまい。
この週末はなるべく世間を見ないようにして、小説やアニメなど物語に触れるようにしていました。

そのなかで究極の癒しを与えてくれるアニメに巡り合いました。

『百妖譜』という掘り出しもの


こちら『百妖譜』。読み方は、日本語読みだと「ひゃくようふ」ですね?

主人公の女の子、桃夭は妖怪の名医である。彼女は妖怪を治療する代わりの条件として、その妖怪と「今後、薬として体の一部が必要な時は無条件で差し出すこと」という契約をする。
2話でひとつの物語が完結する美しい作風の感動アニメ。中国の有名妖怪小説「山海経」に出てくる妖怪が取り上げられている。妖怪の視点から見る人間はーー。(全12話)

私は昨今の異世界転生ものの賑やかなアニメが苦手でして、ちょっと一昔前な(90年代~00年代)和風アニメが観たいなと思って探していました。
タイトルやイラストからてっきり和風と思ってクリックしたこの作品、なんと100%華人制作アニメで驚きました。

華流アニメか。
さすがに観ようかどうしようか迷いましたね。

国ぐるみでの著作権侵害問題やアニメーター引き抜き(人材横取り)、日本漫画界のプロパガンダ利用など、社会的背景を考えると複雑な気持ち。
それと、以前観た華流アニメがいまいちだったこともあり躊躇しました。

しかし一応どんなものか観てみようと思って、再生したところいきなりオープニング曲で魅了され。
最初のストーリー『灰狐』で完全に虜となってしまいました。


参りました……。涙が止まらなかった。

以降、12話まで全てボロ泣き。
(…笑。今回は夜中泣いているのが家族にバレて心配されてしまった)
的確にツボを突いて来られるので抵抗しようがありませんでした。諸手を上げて降参です。


突っ込みと賞賛


たぶんアニメとしての技術はあと一歩なのでしょう。
突っ込みを入れようと思えば色々ありますね。
この設定は『夏目友人帳』のパク…リスペクトではないのか?とか。ギャグ顔が物語の世界観と合っていないよ、とか。キャラの顔は日本アニメを観てコピーしているようだが、様々な作品をごちゃ混ぜに真似たから数人の作家が混在している感じになっちゃってるよとか。

しかし、ストーリーは一級だと思います。
いや、格付けするのもおこがましい。少々次元を超えている。

「昔話」ふうに素朴な設定ではありながらも、まるで本当にその体験をした妖怪たちが語るように、ありありと切ない想いが描写される。
ダイレクトに伝わってくるその想いに心を鷲掴みにされ揺さぶられるので、気付けば涙腺崩壊しています。

“涙腺崩壊”するのは私だけかもしれませんが。笑

妖怪たちの人間に対する想いは純そのもの、妖怪たちを見つめる主人公たちの眼差しも優しい。
物語に泣いた後は心が洗われて満たされている。
そんな究極の癒しアニメだと思います。

(キャラの顔のバラバラ感はともかく)風景描写や音楽も美しさを究め、眺めているだけでも癒されるはず。
それといわゆる“中華モノ”としてイメージする作品世界ではなく、どちらかと言えば和風イメージに近い作品なので※、中華が苦手な人も大丈夫ではないでしょうか。たぶん。

※何故「和風」なのかと言うと古代設定だからです。「中華」として我々がイメージするのは主に清代の服装・建物なのですが、古代の中華文化は日本に近く一見「和風」に見える景色なのです。折り紙、小坊主、妖怪…等々「和」にも見えるモチーフがたくさん。それと、このアニメ自体がかなり日本アニメに影響されているようですから、日本制作?と錯覚するほど違和感は少ないです(←これは本当にどうかと思うが)。

この物語の難を言えば、切なさのツボを深く深く突いて来るところでしょうか。これでもかというくらいに。
つまり、感情描写が「濃厚」ということ。
ほのかに癒されたい人には向いていないかもしれません。
外側をやんわりと描くものが好きな人には日本アニメのほうが向いていると思います。

民族ヘイトなどの偏見を持たない方で、強めな“心の洗濯”を求めている方には『百妖譜』をお奨め致します。



『蟲師』のこと


このアニメの後で日本の『蟲師(むしし)』を観ましたが、これはこれで本当に素晴らしい芸術作品。別の意味で癒されます。

「蟲師」が中華とは違って敵を倒すためではなく、見えないもの(死者と生者の中間)と同居するために存在するというのも日本らしい。

感情も妖怪も蟲も曖昧模糊としていて境界がないのが日本文化か。
だからこそ訳も分からず欧州の悪魔崇拝まで受け入れ、侵されてしまうのでしょうが。
曖昧過ぎて悪しきものに対する免疫が低いのは、日本人の長所でもあり弱点でもあります。


『百妖譜』で癒されたもう一つの理由


最後に、少し世間話も含む感想です。

私が『百妖譜』で癒されたのは、純粋に物語に感動したからだけではありません。

「こういう人道・天道に即した価値観が今もこの世に存在するのか」
という衝撃に打たれ、感動したせいでもあります。

唯物思想とは正反対の情感溢れるストーリーそのものにも感動しましたが、オープニングやエンディング曲の歌詞にも衝撃を受けていました。

たとえば

夜が明ければ その善悪は明らかに
(原文は「等天亮 白黒自明」)

その善悪はすべて明白
(原文も「皆分明善悪」)

などに。

ちょうど前記事で書いた悪魔崇拝の歌を聴いて絶望を覚えていたところだったので、この歌詞に救われる想いがしたわけです。

日本人の多くは
「善悪なんて、正義なんて存在しない!!」
と叫ぶのが大好きです。
善悪否定、もしくは善悪反転の屁理屈を叫んで得意がっている。正義にクエスチョンするのがカッコイイと勘違いしている厨二病のメンヘラばかり。
正義を掲げた虐殺魔を批判するなら妥当ですが、そうではなく自分たちが蛮行するために正義と善を殺したがっているだけです。
これを「悪魔崇拝」と呼ぶ。(現代では)

残念ながらこの国では小説も漫画・アニメも、音楽も全てにおいて悪魔崇拝が浸透しきっていますね。
もはや義は嘲笑され、地獄虫たちが天道や人道を凌辱し卑しい快楽の声を上げているだけ。

そんな日本人ばかりではないことは知っていますが――と言うより私もこの状況を憂えている日本人の一人ですが、この国において悪魔崇拝は圧倒の勢力。

ところが、何故か「悪魔国家」と呼ばれているお隣から光明が差し込んできました。
隣の国家は悪魔思想の党に支配されていますが、意外なことに一般庶民は悪魔崇拝にほとんど侵されていなかったようです。

もしかしたら隣の悪魔思想家たちは国家を支配し、人民を定期的に虐殺しながら恐怖支配しているため安心して、一般庶民を放置してきたのかもしれません。
いっぽう日本は国家体制としては表向き違うので、むしろ必死で小学校からの教育や、アニメ・音楽・テレビ番組などで悪魔思想の洗脳を行わなければならなかったのかも。

とにかくこのような義の心、人間らしい感情を現代まで受け継いでくれた華人に心から感謝したいと思います。

自由に言論できる国ではありませんのでずっとこのまま純粋な作品を作ることはできないと思いますが、今この瞬間の光明を受け取っておきます。

あなた方がいれば、きっと未来の人類は大丈夫だと信じることができました。

 

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